第20話『一ノ瀬真由』

 途中にあった冷水機で水を飲み、俺は第1体育館に戻る。そこには休憩中の渚と香奈さんがいた。


「直人、大丈夫? 顔が青白くなってるけど」

「彩花をずっと追いかけていたんだけど、俺の体力が尽きて結局逃げられた。彩花は学校を後にしちゃったよ」

「ごめん。私が無理に練習に付き合わせなければ……」


 練習で体力が消耗していなければ、彩花に追いついて、今ごろ彼女と話すことができていたかもしれないと渚は思っているのか。それで、罪悪感を抱いていると。


「渚が悪いと思う必要はない。俺の体力が少しでも多ければ良かったことだよ」

「そうかもしれないけど……」

「それに、大事なのは彩花ちゃんを捕まえられたかどうかではなくて、どうして彩花ちゃんがここに来たのかっていう理由じゃないですか?」


 香奈さんの言うとおりだ。どうして、彩花はここに来たのか。


「渚に危害を加えるために来たのかもしれない。俺が渚の家で寝泊まりしているのを知っているのは、ルピナスの花束が贈られたことで推測できる。彩花は自分以外の女子と一緒にいるだけで俺を束縛するか、相手の女子に危害を加えようと考える。昨日は風邪を引いたから何もしなかったけど、一晩経って元気になった彩花は朝早く渚の家にルピナスの花を届けた。そして、第1体育館で部活中の渚を傷つけることを考えていたのかも」


 それが今までの状況を考えて一番筋の通る展開だ。自分の気持ちを伝えに来たという可能性は低いだろう。それなら、俺から逃げる必要はないから。


「俺のやっていることは非常にリスクの伴うことだ。俺と離れる時間が長ければ長くなるほど、渚に危険が及ぶ可能性だって高くなる。一ノ瀬さんの話を聞いて、1秒でも早く束縛の理由を暴かないと最悪の場合、息が止まる可能性があるだろう」


 大げさに言ってしまったけれど、そのくらいのことを想定しないといけない。渚や香奈さんにとってはかなり辛いことだろうけど。


「俺達にとっての頼みの綱は一ノ瀬さんだ。ただ、彩花は頭の回転がいい子だ。俺が渚を守るだけでなくて、自分から理由を探すと感づく可能性は十分にある。理由によっては第三者に勝手に話されるのはまずいと思っている」

「でも、その第三者が真由ちゃんだっていうことは……」

「一ノ瀬さんは同じ中学出身の彩花の親友だ。あと、俺が風邪を引いた彩花に対して、留守番メッセージに残したんだ。風邪のことは香奈さんから聞いたってね」

「あっ、じゃあ……」

「そう、彩花はそのメッセージで俺が香奈さんと面識があることを知った。一ノ瀬さんは香奈さんのクラスメイトであり友人だ。俺が事情を話せば、香奈さんを経由して一ノ瀬さんとコンタクトを取ってくることも容易に推理できる」


 となると、彩花は一ノ瀬さんを俺達に会わせないために体育館にいたのか? その可能性はゼロとは言えない。


「香奈さん、頼みがある。電話で一ノ瀬さんが無事なのかを確認してくれないかな。会う時間はもうすぐだけれど、こちらに向かっていないようなら、今すぐに来てほしいって言ってくれないか」

「分かりました。スマホが更衣室のロッカーにあるので、ちょっと行ってきますね」

「うん、お願いするよ」


 香奈さんは部室の方へ走り出していった。

 彩花は校外へ出てしまったけれど、一ノ瀬さんと会わせないのなら、どこかで彼女を待ち伏せしている可能性が高い。


「すまないな、渚。俺のせいでこんな風になっちまって……」

「何言ってるのよ。宮原さんがここに来るかもしれないのは百も承知だし、それに何度も言ってるでしょ。私も宮原さんと向き合って、直人と一緒に助けるって。だから、私は直人や宮原さんを恨んだりしてないよ」


 俺を見つめる渚の真っ直ぐな視線は何よりも心強く感じた。本当に渚は彩花のことを信じているんだ。彩花が悪い女の子じゃないと。


「そうか。俺だって彩花が理由なしに束縛しないと思ってる。だから、彩花を助けるためにも一刻も早く理由を明かさないとな」

「そうだね。そのためにも一ノ瀬さんと会えるといいけれど……」

「ああ」


 一ノ瀬さんが一連の出来事についての鍵を握っていると確信しているから、逆に不安になるんだ。一ノ瀬さんに会えるかどうか。

 2、3分くらい経って香奈さんが戻ってきた。


「藍沢先輩、真由ちゃんはこっちに向かっているところで、あと少しで到着するみたいです。彩花ちゃんとは会っていないって言ってました」

「そうか。それなら良かった」


 一ノ瀬さんと会えそうでほっとした。


「俺はここで一ノ瀬さんを待っているよ。2人は練習に戻っていいけれど」

「ううん、私もここで待ってる。どうせ、あと少しで終わっちゃうし」

「あたしも残ります! だって、あたしがいないと真由ちゃんが誰なのか藍沢先輩と渚先輩は分かりませんからね」


 今日は土曜日だし、第1体育館に来る生徒なんてそんなにいないから分かると思うけどな。でも、香奈さんがいる方が一ノ瀬さんも話しやすい環境は作れそうだ。

 2人も一ノ瀬さんの話を聞く気満々みたいだから一緒でもいいか。2人とも、俺と彩花の事情を知っているし。

 一ノ瀬さんが見つけやすいように第1体育館の外に出る。土曜の昼だから敷地内を歩く生徒はほとんどいない。

 すると、1人の女子生徒がこちらに向かって歩いていた。黒光ったロングヘアの髪から清楚な雰囲気を持たせ、眼鏡をかけているからか真面目な印象を受ける。大人っぽい雰囲気があるけれど、桃色のリボン付きカチューシャを付けているので可愛らしさもある。クラス委員とかやってそう。あの子が一ノ瀬さんかな。


「香奈さん、こっちに来る黒髪の女子が一ノ瀬さん?」

「はい、そうです。おーい! 真由ちゃん!」


 香奈さんが大げさに両手を振ると、黒髪の女の子……一ノ瀬さんは恥ずかしそうに手を振る。俺と渚のことを見て軽く頭を下げる。


「初めまして、香奈ちゃんや彩花ちゃんと同じクラスで1年2組の一ノ瀬真由です。あなたが藍沢直人先輩ですか?」

「ああ、そうだ。隣にいるのはクラスメイトの吉岡渚。俺達は2年3組にいる」

「そうですか。あなたが香奈ちゃんの話でよく出てくる吉岡先輩なんですね。彼女からは先輩が凄いバスケプレイヤーだと聞いています」

「そ、そんなことないって」


 そう言いながらも渚は照れ笑いをしていた。

 それにしても、こうして間近で見てみると一ノ瀬さんって綺麗な女の子だな。眼鏡を外した姿も1度見てみたいけれど、眼鏡が似合っているから別にいいか。


「昨晩、香奈ちゃんから藍沢先輩のことを聞きました。彩花ちゃんのことについて聞きたいんですよね」

「ああ、そうだ。今日はわざわざ来てくれてありがとう」

「いえ、親友のためですから」

「そう言ってくれると嬉しい。ここで話すのも何だし、近くのベンチにでも座って話そうか」

「分かりました」


 他の人に聞かれないためにも、俺達は第2体育館近くのベンチに行くのであった。

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