第16話『ルピナスの花束』
4月27日、土曜日。
ゆっくりと目を覚ますと、カーテンの隙間から陽差しが差し込んでいるのが見えた。
部屋の時計で時刻を確認すると、今は午前6時。いつもなら8時や9時まで寝ているけれど、環境の違いからかパッと目が覚めてしまった。
渚の提案によって昨日は布団で一緒に寝た。渚は一昨日と同じく、俺に抱きつきながら寝ることに。渚の寝息がかかって少しくすぐったい。
昨日と同じく着信があるかどうかスマホを確認すると、ランプが緑、青と交互に点滅している。緑の点滅は不在着信、青い点滅はメール着信があったことを意味する。
それぞれ誰からなのかスマホの画面を確認する。まずは不在着信から。
「やっぱり彩花からか」
着信時刻は今日になってすぐ。このときには絶賛爆睡中だったので気付くことができなかったのは仕方ないか。
昨日と同じく、録音したメッセージがあるようなのでさっそく聴いてみよう。
『昨日はお電話ありがとうございました。私、風邪引いちゃって。お昼ご飯を食べたら日が暮れるまで寝てしまったので、先輩からの電話に気付きませんでした。ううっ、出られれば直人先輩と話せるチャンスだったのに。そのことをとても後悔しています。でも、先輩のメッセージがとても嬉しくて、さっそく保存しちゃいました。体調も大分良くになったのでこうして電話をかけたのですが、どうして今日も出てくれないんですか! そんなに私よりも渚先輩の方が大好きなんですか! あっ、もしかして……私に諦めさせるために渚先輩と切っても切れない関係を作ろうとしているんですね! 俗に言う既成事実というヤツです! ううっ、今もきっとその最中で、私の電話だから無視しているんですね。でも、私は諦めません。実は、直人先輩にプレゼントをいくつか用意しました。その1つをこの後すぐにメールで送りますね。さてと、今日も直人先輩のベッドで、先輩にえっちなことをされるのを妄想しながら寝ちゃいますから。おやすみなさい』
ここでメッセージが終わった。この前よりも長かったな。
どうやら、彩花は色々と勘違いをしているようだ。別に俺と渚は彩花の言っているようなことはしていないし、むしろ午後10時には寝てしまったくらいだ。
だけど、昨日電話して良かったようだ。彩花も喜んでくれたみたいだし。声を聴くと気持ちが落ち着くんだな。
彩花のメッセージの中で気になるのは、もちろん俺へのプレゼント。その1つをメールで送るって言っていたけど何だろう? 不安しかないんだけど。
俺はさっそくメールの受信ボックスを確認する。
受信ボックスには新着メールが1件あった。差出人は彩花だ。メールには音声ファイルが添付されている。
『直人先輩。約束プレゼントです。ちゃんと全部聴いてくださいね。もう1つのプレゼントは早ければ、土曜日の朝に直人先輩の手に渡ると思います』
本文は以上。
もう1つのプレゼントが何なのか気になるけれど、まずは添付されている音声ファイルを聴いてみることにしよう。
「何が録音されているんだ……?」
呪いの呪文だったりして。不安だ。
『ふぅ……』
緊張しているのか、彩花の息を吐く声が聞こえる。
『……こほん。彩花かわいいよ彩花。彩花かわいいよ。世界一かわいいよ。彩花かわいいよ。彩花愛してる。彩花魅力的。彩花は俺の嫁。彩花かわいいよ彩花。彩花かわいいよ。世界一かわいいよ。彩花かわいいよ。彩花愛してる。彩花魅力的。彩花は俺の嫁。彩花かわいいよ彩花。彩花かわいいよ。世界一かわいいよ。彩花かわいいよ。彩花愛してる。彩花魅力的。彩花は俺の嫁。彩花――』
こんな調子で同じ言葉を繰り返し言い続け、終わるまでに30分近くかかった。
「な、何なんだこれは……」
本当に呪文のような内容だった。これと似たような言葉をどっかのアニメで聞いたような気がする。
彩花は可愛い、し色々な意味で魅力的だと思っているので、30分近く聴き続けても何の効果もない。あいつはきっとこれを聞かせて、俺のことを洗脳させたかったんだろうけど。
つうか、このメッセージを録音したせいで風邪を引いたんじゃないか? 終盤の方は声が掠れていたし。
しょうがない。プレゼントをくれたことには違いないからお礼のメールを送るか。
『彩花らしいプレゼントありがとう。彩花は可愛いと思っているし魅力的だと思っているけれど、嫁にするかどうかは別だ。あと、喉は大切にしろ』
こんな感じでいいかな。
「送信、っと」
何か、彩花の呪文を聴いたら眠くなってきた。
今日は土曜だけど、女子バスケ部は午前中に部活があるそうだ。始まるのが9時半だからあと1時間くらいは寝ていても大丈夫かな。
渚に布団をかけ、俺はゆっくりと目を瞑るのであった。
休日だけ許されている二度寝。
しかし、今日に限ってはそれがなかなかできなかった。彩花の呪文により1度は眠気が襲ってきたものの、目を瞑ってからは眠りにつくことができない。自分の家じゃないし、隣で渚が寝ているからか?
――トントン。
あれ、誰かに肩を叩かれた気がする。渚が寝ぼけているのかな。
俺はゆっくりと目を開けると、
「おはよう、藍沢君」
「うわああ――」
驚きのあまり、思わず叫んでしまいそうになったけれど、美穂さんに口を押さえられる。どうして、エプロン姿の美穂さんが俺の側で横になっているんだよ。
「渚が起きちゃうでしょ」
「ん、んんっ!」
口と鼻を力強く押さえられているせいで息苦しい。俺は必死に美穂さんの手をどかす。危うく窒息死するところだった。
「そんなに驚いちゃった?」
「当たり前ですって。どうして俺の横で寝ているんですか……」
さっきはいなかったのに。二度寝をしようと思って目を瞑っている間に部屋に入ってきたのか。全然気付かなかった。もしや、夜這いならぬ朝這いだったりして。
「藍沢君が思っているようなことはしないから、安心して」
「それならいいのですが、どうして俺の隣み?」
「……渚が羨ましかったから」
そう言って美穂さんは嫉妬の表情を浮かべる。こんな表情をされると冗談なのか本気なのか分からなくなってしまう。
「まあ、それは冗談なんだけど」
ですよね! 冗談で良かったです!
「藍沢君を起こすには一緒に寝るのが1番だと思って。ほら、男の子って母親が布団に入ると嫌でも起きちゃうものなんでしょ?」
「それは自分の親の場合なのでは。まあ、俺もビックリして眠気がぶっ飛びましたが」
起こすためでも娘の同級生男子の側に寝るのはどうかしてる。それだけ、俺のことを警戒していないってことかな。元々、美穂さんは俺が泊り込むのを歓迎していたけれど。
それよりも、俺が知りたいのはこの時間に起こそうとする理由だ。
「それで、どうして俺だけを起こそうとしたんですか? まだ7時過ぎですし、もう少し寝ていても問題ないと思うのですが」
「藍沢君宛てに花束が届いていたの」
自分宛てと聞いた瞬間、俺はすぐに彩花からのメッセージを思い出す。確か、彩花は俺にあの呪文メッセージ以外にもう1つプレゼントを贈っていたはずだ。早ければ土曜日の朝に俺の手に渡ると。
「もしかしたら、それは彩花からかもしれません。昨晩、彩花は俺宛てにプレゼントがあるとメールを送ってきていたので」
「心当たりがあったのね。花束にカードが挟まっていて、そこに『直人先輩へ』って書いてあって。それで藍沢君向けだと思ったの」
「その呼び方は彩花以外にあり得ません。今すぐにその花束を見せてくれませんか?」
「リビングに置いてあるよ」
渚が起きないようにゆっくりと体を起こし、俺はリビングへと向かう。
テーブルには、白い紙でラッピングされた青い花の花束が置かれていた。
「これ、俺の家にある花と同じ種類です。彩花が俺の家に引っ越してきてすぐに飾った花で、確かルピナスだったと思います」
花束に挟まっている白いカードを見ると、青い字で『直人先輩へ』と書かれている。この字は彩花のものだ。
「間違いありません。これは彩花から贈られてきた花です」
彩花からのプレゼントだと、盗聴器などが仕掛けられている可能性がある。
しかし、ルピナスの花束を隅々までチェックしたけれど、盗聴器のようなものは1つも見つからなかった。
「でも、どうして花束を……」
「さっきも実は昨日の夜中に彩花から不在着信とメールが送られて。俺にいくつかプレゼントを贈ると彩花は言っていました」
「じゃあ、この花束は彩花ちゃんからのプレゼントの1つなのね」
「そうだと思います」
プレゼントに花束はよくある事だけれど、どうしてルピナスの花なんだ? 彩花が家に飾っているからか? 花束に込められた意味がさっぱり分からない。
「この花束はどこに置いてありましたか?」
「ポストの上に置いてあったわ。10分くらい前に新聞を取りに行ったら見つけて」
「ということは彩花がここに直接届けたんでしょう。ポストの上に置く郵便や宅配便なんてないですからね。この花束を見つけたとき、赤い髪の女の子を見かけましたか?」
「そんな女の子、どこにもいなかったわ」
「そうですか……」
渚の家の場所が知られてしまうのは時間の問題だと思っていたけど、まさかこんなにも早く知られるとは思わなかった。まあ、彩花は顔が広いようだし、メールやメッセージで誰かから教えてもらったんだろう。
「でも、まずいですね……」
「どうかしたの?」
「いえ、彩花から俺への花束が直接届けられたということは、彩花は俺がここにいることを知っているということです。状況によっては、彩花は渚に何らかの害を及ぼすことも考えていますからね」
「つまり、渚が藍沢君と一緒に家を出たら……」
「ええ、待ち伏せている彩花が何かしてくるかもしれません。昨日もそれを警戒しながら学校まで行ったんですけどね」
彩花のことを悪いように言いたくないけれど、状況が状況だけに。彩花は俺がここにいるのを分かっていることを知らせたくて、花束を送ったのかもしれない。
おそらく、彩花は午前中に女子バスケ部の活動があることを知っている。部活に行くとなればそれなりの覚悟が必要だ。どうすればいい。
「渚には事情を話して部活を休ませる方がいいかもしれません。俺は昼過ぎに彩花の同級生と会う約束が――」
「部活にはちゃんと行くわよ」
扉の方に振り返ると、寝間着姿の渚が真剣な表情で俺のことを見ていた。
「渚、いつの間に……」
「直人が部屋を出て行くときに目が覚めたの。今までの話、全部聞かせてもらったよ。私は直人と一緒に部活に行く。その意思は変わらない」
「でも、彩花はこの家の場所を知っているんだぞ。それは俺達がこの家の敷地を1歩でも出た瞬間に、危険と隣り合わせであることを意味しているんだ。その覚悟を持って渚は学校に行くことができるのか?」
俺ができるだけ渚のことを守るつもりでいるけれど、渚本人がある程度の覚悟を持っていないと、いざというときに彼女を守り切れない。渚が彩花を恐れているなら、家にいた方がよっぽどマシだ。
しかし、渚は視線を俺から全く逸らすことなく、
「……できてるよ。言ったじゃない、私は宮原さんのことなら協力するって。私だって直人と同じ気持ちだよ。彼女を助けたい。そのためには覚悟を決めて宮原さんと向き合うのが第一だって思ってる。だから、彼女を恐れずに学校へ行く」
力強い声でそう言った。
まったく、俺は渚の強さをまだまだ理解していないのかもしれない。それよりも、自分の弱さを理解していなかったんだ。何度も渚の言葉に勇気づけられている。
渚が断固とした強い気持ちを持っているなら、俺も腹をくくるしかないか。
「分かった。一緒に行こう」
「……ありがとう」
「ところで、渚。ルピナスの花を贈る意味に心当たりはあるか?」
「ううん、分からない。2人の家に飾ってある花だからっていう理由も何か違う気がする。自分は直人がここにいるって知っていることを伝えたかったのかなぁ」
「俺もそうなんじゃないかって思っている。花束を置くことで俺達がどんな反応をしてくるのかを伺っているのかもしれない」
盗聴器はなかったからその可能性は低そうだ。
花なら何でも良かったのか。それとも、ルピナスの花だからこそ俺にプレゼントをしたのか。そのことについてもちゃんと考えるようにしよう。
「ねえ、藍沢君」
「なんですか? 美穂さん」
「そのルピナスの花、リビングに飾っていいかしら? 凄く気に入ったから」
「いいですよ」
どんな理由で贈られたものでも、気に入って飾られるのが1番だ。
その後すぐにルピナスの花は美穂さんによってリビングに飾られた。
ルピナスの花を見ると自然と懐かしい気持ちを抱く。まさか、俺に懐かしさを思い起こさせ、ホームシックになってほしいと思って贈ったのだろうか。本当にそうなら、ほっこりとした気持ちになるんだけれど。
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