第9話『寂しい温もり』

 夕飯を食べた後は、俺が地方出身という理由で、美穂さんから地元のことを中心に色々と訊かれた。コーヒーを飲みながらそんなことを3人で雑談をしていたら、気づいたときには午後10時を過ぎていた。誰かと一緒にいると、時間というものはなぜか早く過ぎていくものである。

 渚の後に風呂に入り、今日1日の疲れを取る。一軒家のお風呂はさすがに湯船が大きくて、脚もよく伸ばせる。実家のお風呂に入っているような気分にもなれて、思いの外気持ちが和らいだ。


 ここまでは平和だった。


 異変は風呂から出たときにすぐ後に気付いた。リビングに戻ってみると、俺の荷物が全てなくなっていたのだ。荷物を探そうとリビングから出たとき、美穂さんとばったり出くわし、彼女に手を引かれる形で渚の部屋へと連れて行かされてしまう。

 部屋にはベッドの上で正座をしている寝間着姿の渚がいた。ベッドの横には布団が敷かれており、その側に俺の荷物が置いてある。


「美穂さんでしたか、俺の荷物をここに持ってきたのは」

「だって、渚と一緒に寝たいでしょ?」

「寝たいどうか以前に、高校生の男女を同じ部屋で寝かせるのはさすがにまずいのでは。どこでもかまいませんから、ここ以外の場所で寝かせてくれませんか」

「母親である私が許すんだから問題ないって。それに、藍沢君なら渚の嫌がることはしないでしょ?」

「俺を信用してくれることは嬉しいですけど……」


 いくら美穂さんの許可が下りてもね。高校生の男女が2人きりで寝るのはさすがにまずいだろう。付き合ってもいないのに。別に渚と一緒に寝るのが嫌ではないけれど。

 別の部屋で寝かせてくれませんか、とまた言おうとしたときだった。

 ――ぎゅっ。

 渚が俺の寝巻きの袖を掴んできた。


「私は直人と一緒に寝てもいいよ。むしろ、一緒に寝たい……」


 恥ずかしいのか、渚は俯きながら小さな声で言った。

 そんな娘の姿を見たのか、美穂さんは俺にドヤ顔を見せる。なぜだろう、とても悔しいんですけど。


「じゃあ、後は若いお2人で。おやすみなさい」

「おやすみ、お母さん」

「……おやすみなさい、美穂さん」


 美穂さんはゆっくりと部屋の扉を閉めた。

 さて、渚の部屋で渚と2人きりになってしまった。女子と2人で寝るなんて妹以外に経験したことがない。あの彩花でさえも、俺と一緒に寝たことはなかった。

 立ち尽くしたままの渚は淡い桃色のワンピース型の寝間着を着ていて、とてもよく似合っている。普段とは違って髪も解いており、ストレートのセミロングヘアとなっている。これはこれでかなり可愛らしく、似合っている。


「そんなにじっくりと見られると恥ずかしい……」

「……ごめん」


 何なんだろう、この何とも言えない雰囲気。朝練があるんだからさっさと寝ようという一言すらなかなか言えない。気付けば、俺もこの場に立ち尽くすことしかできなくなっていた。

 渚も緊張しているんだろう。1度振られたからと言って、好きな人と一緒に自分の部屋で寝ようとしているのだから。

 時計の針の動く音が段々とうるさく感じたときだった。

「ねえ、直人」

「なんだ?」

 俺がそう聞き返した直後、渚は俺のことを強く抱きしめてきた。


「……寂しいよ」

「えっ?」


 思いがけない言葉だったので、思わず声を挙げてしまう。


「寂しいってどういうこだと? 俺は渚を守るためにここにいるじゃないか」

「でも、宮原さんの気持ちが整理できたら、直人は帰っちゃうんでしょ?」

「……そうなるな」

「やっぱり、そうだよね。私のことを守ってくれることは嬉しいよ。だけど、いずれは直人が宮原さんのところへ帰っちゃう。それが凄く辛い」


 一粒の涙が渚の頬を伝う。

 大切に思っているから渚を守ると言いながら、彼女の心を守ることができていないんだ。渚の側にいるのにいずれは彩花のところに帰ってしまう。それが渚にとってどれだけ辛いことなのか。考えればすぐに分かったことじゃないか。俺は渚に酷いことをしてしまっていたのかもしれない。

 けれど、渚は俺の考えていることに賛成してくれて、明るい笑顔でずっと俺を支えてくれた。守られているのはむしろ俺の方だったんだ。

 俺は渚のことをそっと抱きしめる。


「ごめん。渚の気持ち、今まで気づいてやれなくて」


 美穂さんの言うとおり、渚はしっかりとした女の子だ。それゆえに、いつも笑顔で自分の弱い部分を隠してしまう。そんな彼女が俺と2人きりになって、ようやく本音と涙を見せたのだ。寂しい、離れたくないと。


「俺は渚の前から消えないよ。彩花のことが一段落した後だって、会おうと思えばいつでも会えるんだ。だから、寂しくないだろう?」

「……確かにそうだけど、私の思っていることとは違うよ……」

「えっ?」

「私はこれからもずっと今みたいな時間が過ごしたいの! 直人と恋人同士になってずっと側にいてほしい。だから、宮原さんが羨ましくてたまらない。今は離れているけど、いずれは直人が自分の側に帰ってきてくれるって約束されているから」


 渚は涙目で俺のことをじっと見つめる。

 彼女の言った「寂しい」という意味がようやく分かった。渚はきっと、俺が彩花のことばかり考えているように見えているんだ。守ろうとしている自分じゃなくて、恐れている彩花のことばかりを。心の距離は自分よりも彩花の方がずっと近いって。


「……本当にごめん。渚のことをちゃんと見ることができてなかったな」


 俺がそう言うと、核心を突かれたかのように渚は再び涙をこぼす。


「やっと分かってくれたね。直人の……ばか」

「……ごめん」


 俺はずっと恐れていたんだ。彩花には気持ちの整理をつけろって偉そうに言ったけど、本当は彩花から逃げたい気持ちが強くて。だから、渚と会ってからも彩花がどんなことをしようとしているのかが怖くて、渚のことを考えることができなかった。


「酷い人間だな、俺は。自分を束縛したがる彩花を恐れて。そのせいで渚のことを全然考えてやれなかった。俺に渚を守る資格はあるのかな……」


 もう、二度と……大切な人を失うようなことにはなりたくないんだ。俺は彩花や渚を守り切ることができるのだろうか

「あるよ」


 震える声だったけど、渚ははっきりとそう言ってくれた。


「学校から帰ってくる間に直人が話してくれたこと、全部本当だって思った。それに、私は直人に守ってほしいから」

「渚……」

「だから、直人はここにいていいんだよ」


 その言葉は俺が家を出てからの出来事を全て肯定してくれていた気がした。渚の温もりと、強くなっていく彼女の抱擁でその想いは確かなものへと変わっていく。


「ねえ、直人。私のことを守ってくれる?」

「ああ。絶対に守るさ」

「……だったら、さ」


 渚はゆっくりと目を閉じて、


「口づけしてくれない? 一度振られても、直人の好きな気持ちはこれっぽっちも消えないよ。むしろ、こうして2人きりでいると気持ちが抑えきれないの。だから、お願い」


 そう言って体を更に密着させていく。そのことでシャンプーの甘い香りが俺のことを包み込む。

 口づけをしてほしい、というのは彩花から幾度となく言われたことだ。だからか、渚に言われても彩花の顔がすぐに頭をよぎった。

 俺は両手で渚の肩を掴む。


「……ごめん。それだけはできない」

「どうして?」

「これまで、彩花からも俺に口づけをしてほしいって何度も言われてきた。でも、口づけは好きだと思った人にしたいって思っていて。だから、俺は彩花と口づけを一度もしたことはないんだ」

「じゃあ、まだしてくれないよね……」

「気持ちに応えることができなくてごめん。渚も彩花も同じくらいに大切に思っている。だからこそできないんだ。気持ちが中途半端な中で、渚と口づけをしたら彩花を裏切ることになる」


 これまで、俺が口づけをしないと言って何度も彩花を悲しませてきたし。

 俺の気持ちがはっきりするまでは絶対にするつもりはない。渚には悪いけど、口づけに関しては俺の考えを意地でも貫かせてもらう。


「……分かった。口づけは我慢する」

「ごめん」

「いいよ。私こそ口づけしたいなんて言ってごめん。あと、1つだけ寝る前に訊きたいことがあるの」

「なんだ?」

「……もし、宮原さんがいなかったら私と付き合ってくれた?」


 彩花がいなければ、果たして渚と付き合ったのか。

 学校で渚が告白したときには彩花は関係ないと言ったけど、今、俺がここにいる理由は彩花との衝突が原因だ。彩花がいなかったら、余計なことを考えずに渚と付き合おうと考えたのかな。


「……分からないな」


 俺がそう言うと、渚は必死に笑顔を見せて、


「そ、そうだよね! いきなり訊かれても分からないよね。ごめん、変なことを訊いちゃって」

「彩花と気持ちがぶつかったことがきっかけでここにいるんだ。渚がそう思うのは普通だと思うぞ。それに、彩花がいなくても、きっと渚が俺に守ってほしいと思ったときには、今みたいに渚の側にいるんじゃないか」


 彩花がいなくても、渚を大切に思う気持ちだけは変わらなかったと思う。それだけは自信を持って言える。


「……そっか。それを聞いて安心した」


 ようやく、渚に爽やかな笑みが戻った。やっぱり、渚には笑顔が似合っているし、彼女の笑顔を見ると俺も元気になれる。

 なるべく早く、彩花が渚のような笑顔を見せられるようにしないと。

「ねえ、直人。1つお願いを聞いてもらっていい?」

「なんだ?」

 すると、渚は頬をほんのりと赤くしながらはにかんだ。


「私のベッドで一緒に寝よう?」

「俺は男だぞ? 寝ることに抵抗はないのか?」

「直人だったら一切ないよ。だって、好き……だから」


 そんなことを言いつつ、恥ずかしがって視線を逸らしてしまう渚がとても可愛らしく思えた。学校では見たことのない姿だ。

 渚がいいのなら一緒に寝てもいいと思う。だけど、そんな場面を美穂さんにもし見られたらどうする?


「きっと、お母さんなら大丈夫だよ。私が直人のことが好きだって知っているし。お父さんがいないから、むしろ自分の方が一緒に寝たかったりして」


 渚は笑いながらそう言っているけども、僕の隣に座ったときの美穂さんはまんざらでもなかった。俺と一緒に寝たかったという想いが本当にありそうで怖い。

 しょうがない、渚と一緒に寝るか。渚が喜ぶなら。


「……変なことは絶対にするんじゃないぞ」

「それ、普通は女の子の方が言う言葉なんだけど」

「渚が寝たいって言ったんだろ。俺がそう言うのは自然な流れじゃないか」

「そんなこと言って、本当はいいチャンスだと思ってるんじゃない? 直人こそ、変なことは絶対にしないでよね。まだ、そんな関係じゃないんだから」

「分かってるよ」


 まだ疲れが残っているので、今夜はすんなりと眠ることができる……はず。

 そういえば、彩花は俺が求めるならいつでもしてほしいという感じだった。それだけ俺に溺愛をしていたということか。もし、俺と一緒に寝ることになったら、きっと自分から積極的にアタックするのだろう。

 あいつは今、家で1人きりなのか。俺が家を出る前に号泣していたから大丈夫かな。心配だ。


「今、宮原さんのことを考えてたでしょ」

「……お前はエスパーか」

「直人が優しいからだっていうのは分かっているけど、宮原さんのことだとやっぱり嫉妬しちゃう」

「……すまないな。あいつも大切な子なんだ」

「そうだよね。そう言っていたよね」


 俺の気持ちを分かってくれているが故に、渚は少し寂しそうに笑った。


「でも、今日は渚の本音が聞けて良かった。学校での告白もそうだし、今のことも。渚は可愛い女の子なんだなって分かったよ」

「いきなり可愛いって言わないでよ。調子狂っちゃうじゃない。ほら、そろそろ寝るからベッドに入って!」


 そう言って、渚は電気を消してベッドで横になる。

 俺もベッドに入るけど、渚とどこか体を触れないと寝られないような状況だ。互いに向かい合った体勢でも脚などどこかが当たってしまう。

 渚がベッドに付いているライトを点けると、目の前に渚の顔が見えた。ワンピースの寝間着のせいか胸元まで肌が露出してしまっていて、何とも言えない艶やかな雰囲気を感じさせる。

 渚の温かな吐息がちょうど口元にかかっている。渚も甘えるような目つきで俺のことを見ているし、下手したらこれはまずい状況になるのでは。


「……ねえ、直人」

「なんだ?」

「もし、宮原さんのことで何かあったら私にも協力させて。直人の大切な女の子だもん。放っておけないよ」


 渚はきっと、彩花が俺の側にいることを認めたんだ。好きな相手が別の女子と一緒に住んでいるのは辛いことなのに、渚はそれを認めた上で俺や彩花と向き合うことを決めたのだろう。

「……ありがとう。そのときは力を貸してくれ」

「うん」

 渚はそっと俺のことを抱きしめてくる。


「だけど、今だけは私の直人でいてほしい。だから、このまま寝ていいかな?」

「……いいよ」


 今は存分に渚を甘えさせてやろう。甘えん坊な妹だと思えば、ドキドキせずに眠ることができるはず。

「ありがとう。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

 渚は嬉しそうに微笑むと、そのままゆっくりと目を瞑った。彼女の可愛らしい寝顔を見ていると、不思議と心が安らいだ。

 渚が眠ったことを確認してから、ベッドライトを消して俺も寝るのであった。

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