第8話『吉岡家』

 さっき渚が言っていたように、学校から10分ほど歩いたところで、彼女の家の前に到着した。

 2階建ての一軒家で、白を基調とした外壁が明るいイメージを持たせる。庭の芝生も手入れされていてとても綺麗だ。


「ここが私の家。多分、お母さんも許可してくれると思うけど」

「そうか。それよりも、俺が心配なのは渚のお父様が許してくれるかなんだけど」

「お父さんは、私が高校に入学したときから福岡の方へ単身赴任しているから家にはいないよ。兄弟や姉妹もいないし、直人が何日も家に泊まっていても迷惑にならないと思う」

「そうか。じゃあ、今はお母さんと2人で住んでいるのか」

「そうだよ。直人は兄弟とかはいるの?」

「中2の妹が1人いる。もちろん、妹は実家にいる」

「……そっか。じゃあ、妹さんがいるから、宮原さんと一緒に住み始めても大丈夫だったのね」

「そうだな」


 実際に妹がいるから、彩花も妹のように思えたのかも。妹も甘えん坊な部分があるから。だから、彩花と恋愛関係に至らないという強い気持ちを抱けたのかも。妹も彩花と同じくらいに可愛いし。

 俺は渚の後をついていく形で吉岡家の敷地に入る。

 渚が玄関の扉を開けて、


「ただいま」


 そう言って家の中に入る。

「直人も入って」

「ああ、お邪魔します」

 俺も彼女に続いて家の中に。

 俺達の声が聞こえたからか、エプロン姿の女性がこちらに向かって歩いてくる。髪の色は渚よりも明るめの茶色で、長い髪をルーズサイドテールの形で纏めている。

 それにしてもとても可愛らしい人だな。この人が渚のお母さんなのか?

「あら? 渚の彼氏さん?」

「違うって!」

 渚は強い口調できっぱりと言った。俺に振られた悔しさが込められているのかかなりの気迫だ。

 渚のお母さんらしき女性はそれでもほのぼのとした笑顔を見せている。


「うふふっ、渚ったら照れちゃって可愛い」

「別に彼氏とかそんなんじゃないんだから……」

「あらあら、渚は照れ屋さんなのね。あなた、藍沢直人君でしょう?」

「は、はい。そうです」


 どうして、俺が藍沢直人だって分かるんだろう。ただ、渚は今までにスマートフォンで何度も俺のことを撮ったこともあったし、俺のことが好きだからこの女性にも話しているのかも。


「食事のとき、渚はいつもあなたの話をするのよ。よっぽど好きなのね、あなたのこと」

「そうなんですか」


 なるほど、それなら男子を連れてきたら、俺が藍沢直人って分かるか。

 それにしても、どう反応をすればいいのか。渚が俺のことを好きなのは本人から数時間前に聞いたばかりだし。その時は振っちゃったし。


「自己紹介がまだでしたね。私、渚の母で吉岡美穂よしおかみほと言います。私のことは下の名前で呼んでもらってかまいませんよ」

「初めまして、藍沢直人です。渚のクラスメイトです」


 俺が自己紹介をすると渚のお母さん……美穂さんは柔らかな微笑みを見せた。

 渚のお母さんには全然見えないな。年の離れたお姉さんか従姉という方がしっくりきそうだ。


「お母さん。突然なんだけど、彼を家に泊まらせてあげたいの。彼、どうしても家にいられない理由があって。少しの間だけだから」

「あらあら、それは大変ね。こっちは大歓迎。いつまでもいていいよ。お父さんも単身赴任でいないし、家に男の人がいると安心するもの」

「突然のことで申し訳ないです。男子高校生がクラスメイトの女子の家に何日も泊まり込むなんて、とてもよろしくないことは分かっているんですけど、渚さんのことをすぐ側で守りたいという理由がありまして」

「全然気にしないでいいのよ、藍沢君。渚が男の子を連れてくるなんてことは初めてのことだから。お母さんも嬉しくなっちゃった。しかも、渚のことを側で守りたいだなんて。ふふっ、渚は愛されているのね。いくらでも泊まっていいからね」


 娘が同級生の男子を連れてくることはそんなに嬉しいことなのか? しかも1日だけではなく、何日も泊まるのに。俺は男だから分からないけど、母親だと娘が男子を連れてくると嬉しく感じるものなのかな。

 とにかく、渚や美穂さんに迷惑を掛けたり、気分を害したりしないように節度ある行動を心がけよう。

「今日からよろしくお願いします」

「あらあら、ご丁寧に。渚の好きな人はしっかりしてるのね」

「お母さん! もう……」

 渚の顔が真っ赤になっており、いつになく汐らしくなっている。そんな娘を見て微笑んでいる美穂さん。優しくてのんびりした人に見えるけど実はSっ気があったりして。

「私、シャワーで汗流してくる! お母さんは直人をリビングに通しておいて!」

「はいはい」

 渚は逃げるようにして階段を上がっていってしまった。

「ごめんなさいね。珍しい光景を目の当たりにしたから、ちょっとからかいたくなっちゃって。渚もきっと、照れているだけだと思うから」

「そうみたいですね」

 とりあえず、自分のやったことに自覚はあるみたいだ。きっと、今の渚も照れちゃって可愛いと思っているのだろう。

「渚の言うとおり、リビングに案内するわ。荷物、持ちましょうか?」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です」

 俺でも重いと感じる旅行鞄を美穂さんに持たせてはいけない。

 俺は美穂さんの案内でリビングに通され、3人掛けのソファーに座る。ふかふかで気持ちよく、今にも眠ってしまいそうだ。正面には大型のテレビがあって。家族3人でこのソファーに座って見るのだろうか。

 美穂さんが冷たい麦茶を出してくれたので、俺は一口飲んだ。

「お母さんもゆっくりしよっと」

 気付けば、美穂さんは俺のすぐ側に座った。体は触れていないんだけれど、美穂さんから若干の温もりが伝わってくる。


「美穂さん、近いですって」

「いいじゃない。男の人が久しぶりに家にいるんですもの」


 確か、去年の春頃から渚のお父さんは福岡に単身赴任しているんだよな。

 こうして近くで見ると、本当に美穂さんは若々しく見える。高校生の娘がいることが信じられないくらいだ。


「……渚はね、中学の時までは女の子から告白されるような子だったの」

「そうだったんですか」


 渚は背が高くてバスケ部のエース。明るく活発な性格だから、女子から好意を持たれるというのは納得できる気がする。とても美人だし。


「小学生のときなんて男の子と喧嘩して勝っちゃうくらい。スポーツが大好きで男勝りな子って言っても過言じゃなかったわ」

「俺は高校に入学したときに出会いましたけど、第一印象はさっぱりとした女の子だと思いました。俺にとっては、可愛らしい部分もあるように見えますが」

「きっと、それはあなたに出会ったからよ、藍沢君」

「俺と出会ったから、ですか?」

「ええ。高校生になるまでは、食事のときにはバスケのことや女の子の友達のことばかり話してた。でも、高校生になって初めてクラスメイトの男の子の話をし始めたの。そのときから、渚は本当に女の子らしくなっていった」


 おそらく、その変化の理由は俺に対する好意だろう。そういえば、渚が告白しているときに言っていたな。1年のときからずっと俺のことが気になっていたって。


「クラスでも部活でも渚は周りから頼られることが多いの。だから、強がっちゃうこともあるけれど、藍沢君には頼るところを見せるようになってほしいな」


 きっと、美穂さんは自分の娘と付き合ってほしいと言っているのだろう。

 渚には悪いけど、こういう話の展開になってしまった以上、美穂さんには今日の渚の告白について言っておいた方がいいだろう。


「美穂さん。実は今日、渚から告白されたんです」

「ええっ! それで藍沢君はどんな風に返事をしたの? まあ、家に来ているんだからいい返事をしたんだと思うけど――」

「ごめんなさい。俺は彼女の告白を断りました」

「そ、そうなの……」


 それまで晴れやかな美穂さんはさすがに落胆した。

「その告白があって、実は俺がここに来た理由に繋がっていくんですが――」

 俺は美穂さんに彩花との出来事を話した。もちろん、彩花が手錠を使ってまで俺のことを束縛しようとしたことも。


「そうだったの……」

「はい。ですから、俺は渚のことが嫌いではありません。むしろ、彩花と同じくらいにとても大切に思っているんです」

「……だから、すぐ側で渚を守るっていう決断をしたのね」


 どうやら、美穂さんはこれまでの経緯を理解してくれたみたいだ。娘を振った相手が泊まらせて欲しいと言う理由も納得してくれるだろう。


「藍沢君の取った行動が正しいとは言い切れないけれど、きっと……彩花ちゃんなら自分の答えが見つけられるんじゃないかしら」

「そうなることを俺も願っています」

「娘の好きな人がそんな状況だと、何だか複雑ね。単に、渚が振られただけなら私が全力で説得しようと思ったんだけれど」

「娘さん想いなんですね」

「当たり前よ。でも、できれば藍沢君には渚の彼氏になってほしいな。母親だとやっぱり娘の幸せをどうしても優先したくなっちゃうから……」

「それは……自然な考えだと思います」


 美穂さんのように考えるのが親ってものだろう。子供の幸せを願っているのだ。

 渚は美穂さんに対して、俺のことをたくさん話していたんだと思う。きっと、楽しそうに。そうでなければ、俺と出会ってすぐに彼氏になってほしいとは言わない。


「正直な話、藍沢君は彩花ちゃんと渚のどっちが好きなの? 秘密にしてあげるから、ぶっちゃけてくれていいのよ?」


 美穂さんはこれまでで最も興味津々そうな表情をして訊いてくる。答えるのにとても困る質問をしてくるな。


「2人とも大切に思っていますよ。渚には言いましたけど、俺はまだ誰かと付き合うとかそういうことは考えられないんです。渚を側で守りたいというのも、彩花と言い争っているうちに芽生えていたというか」

「ということは、渚にも宮原さんにも好きになる可能性はあるわけね」

「……そう、ですね」


 俺は2人に恋愛感情を抱いたことは1度もない。渚を守りたいという気持ちについては、彩花が盗聴していたことを知って、彼女と言い争っている中で生まれた素直なものなんだ。


「藍沢君を彼氏にするためには、渚は困難な道を歩かなきゃいけなそうね」

「……どうでしょうね。でも、俺のこんな態度が彩花を苦しませたのでしょうか。付き合えないけど大切に思っている。よく考えると、俺はその言葉で逃げているのかもしれません。彩花はもちろんのこと、渚からも」


 付き合う気がないのなら、嘘でも嫌いだときっぱり言ってしまった方が彩花にとって気が楽だったんじゃないのか。手錠をかけられたときのことを思い出すと、そんな風に思ってしまう。

 そもそも、決断をすること自体が俺にとっては怖いんだ。


「2人を大切に思っているのは本当なんでしょう?」

「はい」

「それなら、その姿勢を貫きなさい。きっと、渚と彩花ちゃんの両方をちゃんと守り切れるのは藍沢君だけだろうから」

「彩花も、ですか?」

「そうでしょう? 彩花ちゃんのことを考えて彼女から一旦離れる決断をした。それは彼女を守るための1つの方法だったんじゃないかしら?」

「……そう考えたことは一度もありませんでした」


 俺は気づかぬ間に彩花も守ろうとしていたのか。彼女の心を。

 やはり、子供を産んで親として育ててきた人は違うな。美穂さんに彩花のことを話してみて良かった。

「まあ、2人に挟まれている藍沢君が今すぐに楽になる方法があるよ」

「そんな方法があるんですか?」

 いかにも怪しい。美穂さん、ニヤニヤしているし。


「私と付き合っちゃえばいいじゃない。そうすればお悩みはすぐに解決よ。今、お父さんも単身赴任中だし。久しぶりにこんなに素敵な男の人と出会ったんですもの。あっ、渚よりも色々と成長しているところはあると思うけれど?」


 そう言って、美穂さんは腕を絡ませてきて豊満な胸を押しつけてくる。確かに渚よりも成長している部分はあるとは思いますが。

「冗談は止めてください。浮気は許されませんよ」

 俺は美穂さんの腕を強く振り払った。

「いい考えだと思ったのになぁ……」

「露骨にがっかりしないでもらえますか」

 この落ち込みようだとまんざらでもなさそうな。美穂さんがいい人なのは間違いないけれど、ある意味でとんでもなくマイペースな人だ。旦那さんはそういうところにも惹かれて結婚したのかな?


「お父さん以来にときめいたのよ?」

「分かりましたから、娘のクラスメイトと何かしようと思わないでください。俺にときめいた分、旦那さんに普段以上の愛を注いであげてください」

「それもそうね」


 美穂さん、凄く嬉しそうに笑っている。

 まったく、どうしてクラスメイトの母親にこんなには指南しているんだろうか。やるせない気持ちが湧いてくる。


「でも、良かった。藍沢君がとても素敵な人で。渚の目に狂いはなかったようね」

「買いかぶりすぎですよ」

「謙遜しなくていいのに。まあ、落ち着くまで家にいなさい。2人よりも3人の方が家も賑やかになるから」

「ありがとうございます」

「あと、家にいるときは用心棒になってもらおうかな。藍沢君がいると心強いから」

「そのくらいのことは是非、やらせてください」


 吉岡親子が温かい方達で良かった。ありがとうという言葉だけでは感謝しきれないくらいだ。今回のことが落ち着いたら、何かお礼をしよう。

 それから10分も経たないうちに渚がシャワーから出てきて、3人で夕飯を食べるのであった。

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