#022-第2話「カリカリスティックという名の」

『見たいけど、だめ!』

『それでこそハルくん!』


 うう、掌の上でダンスさせられている気分である。リオはまたメッセージを送ってきた。


『冗談は置いといて。私はハルくん一日貸切できたらそれで良いんだよー』

『何か形になるものも用意したいんだけどなぁ』


 複雑な男心である。


『じゃぁ、明日見に行こうよ! 街中まちなかデート!』


 余談だが、札幌市民は「札幌駅」から「すすきの」辺りまでを「街」と表現する。


 うーん、こんなテイタラクで良いのだろうか、俺。いや、たぶんダメだろうな。


 モヤモヤした気分のまま勉強を続けていると、あっという間に昼になる。我ながらたいした集中力である。


「もう今日は勉強やめた!」


 俺は宣言して立ち上がり、昼飯でも食べようかと思って部屋を出た。居間のドアを開けようとしたとき、玄関のドアが開いて、姉が入ってきた。グレーのパンツスーツという、随分と畏まった服装をしている。しかし外は暑いのだろう。額や首筋にうっすらと汗が浮き、髪の毛が何本か貼り付いていた。


「あれ、姉ちゃん、その格好……」

「ただいまぁ。んとね、教授にびを入れに行ってたの」


 姉はパンプスを脱いで、あっけらかんとして言った。俺はすぐに事態を理解する。


「あ、あの件か」

「うん」


 姉は頷きながら階段を上り始める。


「着替えたらすぐお昼ご飯作るからぁ。ちょっと待っててね」

「急がないで良いよ、姉ちゃん」

「了解だよー」


 姉は軽やかに階段を上りきり、部屋に入っていった。


 俺は居間の方へと移動し、イナバウアーさんの小屋を眺めた。今朝方小屋の掃除はしたから十分に綺麗だった。イナバウアーさんはトイレ以外では用を足さないし、エサをばら撒くこともない。綺麗好きな性分なのだ。ウサギは個体差が大きく、デリカシーの欠片もないような個体から、埃一つでも「絶対に許さない!」となる個体、「人間? 殺せ!」というような凶暴な輩、「寂しくて死ぬ? ありえんありえん。ほっといてや」というようなのもいる。ちなみに、ウサギが「寂しくて死ぬ」というのはデマだ。世話しなければストレスが溜まって死ぬかもしれないので、それを「寂しい」と言い換えるなら正解かもしれないが、普通はペットの世話はするもんだ。きちんと世話さえしていれば、ウサギは早々簡単には死にはしない。ちなみにうちのイナバウアーさんは――好物のカリカリスティックさえ絶やさなければ――さほどストレスもたまらないという神経が図太い方の個体である。なんせダンディだし。


 しかしそんなダンディなイナバウアーさんも、昼間はただのウサギだ。夜にならないと、お互いに言葉が理解できないし。いや待てよ、言葉が理解できないのは俺だけか。イナバウアーさんは会話の内容覚えてるしな。


 最近めっきり言及していなかったが、俺とイナバウアーさんの夜のコミュニケーションは(両親が寝ている時に限るが)継続的に行われている。父や母の様子は、もっぱらイナバウアーさんからの情報で得ているようなものだ。そのおかげで、家の中の色々な状況は手に取るようにわかっているのだ。恐らく昨夜は、姉のことで父と母が何らかの話し合いをしたはずだ。イナバウアーさんは大抵の話はその耳で拾っている。そして俺に情報料(即ち、カリカリスティック)と引き換えに教えてくれるのだ。


 そんな夜への布石のために、俺は昼間のうちから賄賂を渡しておくことを忘れない。賄賂、即ち、カリカリスティックである。カリカリスティックを受け取ったイナバウアーさんは、心なしか満足げに(と言ってもウサギは極めて無表情な動物だから、よく分からない)カリカリとやり始めた。

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