第213話 エロダコ

 倒れたゼノの様子を伺う為、俺たちは選手控室へと入った。

 しかし、中にあったのは一台のベッドとそこに横たわり、ハンカチを顔にかけられた人間の姿だ。

 体を覆い隠すように毛布がかけられており、ぴくりとも動かず安置されている様子は嫌な想像しか浮かばない。

 俺は近づいて、彼女の顔にかけられている白いハンカチをめくった。


「うっ……」


 顔はボコボコに腫れあがり血まみれだった。しかし既に血は乾燥して茶色く変色している。

 そして嫌な予感はその通りになり、彼女は呼吸をしておらず完全に息を引き取っていた。

 俺はその場でしゃがみ額を押さえながら息を吐いた。


「……だから俺は止めようとしたのに」


 マンティコアのような狂暴なモンスターに裸で挑まされて無事にすむわけがないんだよ……。いや、無理やりにでも止めなかった俺も同罪か。結局彼女を見殺しにしたわけなのだから。

 こうなると最早ここにいるのは無意味だ。ゼノが死んでしまった以上、こんな胸糞悪いところから早く帰って――

 悲し気な表情のオリオンが俺の服を引っ張る。


「あぁ、悲しいがゼノはもう……」

「咲……それ、多分違う人」

「………………」


 俺はオリオンと顔を見合わせる。

 そっと毛布をめくってみると、完全に体が男だった。

 オリオンは悲し気な表情をしていると思っていたのだが、どうやらこいつは他人の死体で何やってんの? と言いたかったようだ。

 俺はそっと知らぬ人の遺体の頭にハンカチをかけなおし、ご冥福を祈ってから無言でその部屋を出た。


「……咲、死体でネタするのよくないよ」


 正論過ぎてぐぅの音もでん。


「……素で間違えただけだ」


 オリオンは嘘でしょと言いたげに、正気を疑うような目でこちらを見やる。

 さすがに俺もそこまで不謹慎なことはしねぇよ。

 確かに言われてみればさっき戦ったばかりなのに血が乾いてることや、そんなに顔面を集中狙いされたわけでもないのに顔がボコボコになってるのはおかしい。


 どうやら隣の部屋がゼノの控室のようで、ノックをしてから中へと入る。

 すると裸になったゼノが、自身の体に包帯を巻いている最中でポロンとこぼれた大きな乳房に視線が行く。

 これは凄い。身長の低さからは考えられないロリ巨乳というのか、いやここまでいくとロリ爆乳と言った方が良いだろう。

 俺がそんなこと考えていると知ってか知らずか、彼女は一瞬固まったが、冷静に包帯を巻き終える。

 さすが聖十字騎士団の第三なんとか団長。男に裸を見られた程度では悲鳴すらあげない。いや、これはむしろ俺が男として見られていない可能性が高いな。

 そう思ったが、彼女はその手に銅の斧を取った。


「殺してやる!」

「待ってごめん! ほんとごめん!」


 俺は斧を白刃どりで受け止める。

 オリオンや銀河たちは完全に助ける気がない。銀河め最近図太くなってきたな、後でお仕置きしてやる。

 殺されるかと思ったが、ゼノは胸をおさえて蹲った。


「うっ……ぐ」

「だ、大丈夫か? その傷で動いたら死ぬぞ」

「うるさいですわね。大体あなた誰――」


 と言いかけて、ゼノはようやく俺が誰なのかに気づいたらしい。


「あなた確かアイアンシェフの島にいた……」

「あぁ梶だ。言ったか忘れたが、地方で王をやっている」


 彼女の視線がチラリと襟の貴族章に向く。


「こんな下品な芋みたいな男が爵位持ちだったとは」

「男爵になったのはアイアンシェフ領から戻ってからだ。あの時はただの貴族だった」

「それで、その男爵芋様が一体何の用ですの?」

「その前に」


 俺は視線で合図すると、銀河は頷きゼノの治療を行う。

 どうせ雑な治療しかやってないんだろうと思ったが、やはり背中などの手の届かない傷はおろそかになっていて傷が化膿しかかっている。銀河が消毒と包帯のまき直しを行い、特製の抗生物質入りの飴を手渡す。


「これは?」

「傷の治りが早くなる丸薬です」

「死ぬほどまずいから気をつけろ」

「ふん……」


 ゼノは飴を口に含んだ瞬間、虹を描いて盛大に吐き出した。


「ゴッホゴッホ! なんですのこの飴!? この世の悪意が詰まったような味がしましたわ!」

「今回は何味なんだ?」

「ゴーヤストロベリーです。苦みと酸味がポイントらしいのですが」

「苦みと臭みしかありませんでしたわ!」


 そりゃ地獄だな。

 銀河は味のない丸薬を取り出し、それを手渡す。なぜ最初にそれを出さなかったのか。


「こんなことしたって感謝なんかしませんわよ。どうせ明日にはまたボロボロにされるのですから」

「無茶苦茶だな。毎日戦わされてるのか?」

「わたくしが死ぬまで続きますわ」

「今日のあれでもよく生きてたと思った」

「モンスターから逃げ惑う姿は無様だったでしょう?」

「あの状況になったら誰でもああなる。むしろ失神しないだけ根性座ってる」


 俺は控室にあった簡素な椅子に座り、本題を切り出す。


「君ら騎士団が奴隷に落ちた経緯は知っている。だが、肝心なところの情報が抜けてるんだ。その話を聞きたい」

「話すことはありませんわ。クーデターは失敗し騎士団は解体、わたくしは奴隷に落とされ見世物として戦われている。それが全て」


 彼女は自身の首筋に触れる。そこには奴隷の証であるバーコードのような縦縞の焼き印が押されている。


「あまり詳しくはないが、君らが騎士団長であるアンネローゼ姫を奪還しようとしたってことは知ってる。なぜ失敗したんだ?」

「……恐らく作戦が教会側にバレていた。内通者が紛れこんでいたのでしょう。最初から先手を打たれており、姫様が監禁されている不浄監獄に向かったら既に姿はありませんでしたわ。その後は教会に包囲されて各個捕縛」

「そこがおかしい。君らは教会側をはるかに凌ぐ戦力を持ってるはずだ。それがなぜこんなにもあっさりと負けたんだ? 姫様を人質にでもとられたのか?」

「……音ですわ」

「音?」

「何かが頭の中に響いたと思った瞬間、仲間の騎士たちは全員倒れ伏し、わたくしは危険を悟ってセラフを顕現させましたわ。ですが、このツノにヒビが入っていて戦闘の衝撃で折れてしまい、顕現していたセラフは消滅しわたくしは捕まりましたわ。助けに来た同じセラフも音にやられて行動不能にされ順次捕縛……何もできずに我々は捕まったのです」

「音……」


 もしかしてゼスティンの街が一夜にして壊滅したことに何か関係があるのではないだろうか。


「あなたたち、こんなことを聞くためにわざわざこんなところまで?」


 俺はゼスティンの民が死んだことは伏せ、教会が東側諸国に実質の降伏勧告をだしていることを話す。


「そう……やはり化けの皮がはがれた……いえ、タガが外れたと言った方が正しいかしら」

「俺たちはタダでやられるわけにはいかない。教会と戦う為に君たちの力を借りたい」


 真剣に言ったつもりだったが、ゼノはゆっくりと首を振る。


「見たでしょう? ツノが折れたわたくしにはもう戦う力がありませんわ。騎士団も恐らく全員ツノを切り落とされているはずです。つまりここから解放されたとしてもわたくしたちはただの役立たず」

「それなら俺のフルリザレクションっていうスキルがあって……」

「無駄ですわ。このツノは神聖が高く、人に治せるものではありません。我々クルト族が今まで折れたツノの修復を考えなかったと思っているのですか? 我々に直せないものを人間如きが直せるわけがないでしょう」

「それは……でも、やってみないと」


 俺はすっと手を伸ばすと、ゼノはその手を払いのけた。


「触らないでくださる。人間の男に触られるなんて虫唾が走りますわ」


 こんな状況でもプライドが高い奴だ。アイアンシェフの島じゃアーマーナイツに届かないからって抱っこしてやったというのに。

 イラっときたオリオンの目が鋭くなる。

 俺はオリオンにステイさせながら彼女に謝る。


「すまない、そういうつもりじゃなかった」


 俺が手をどけると、控室にアルタイルが入って来る。


「オーナーと話をする。君もきたまえ」

「ああ」

「どうかしたのか?」

「なんでもない」


 俺たちがゼノのいる控室を出てからオリオンは告げ口する。


「ツノを直せないか咲が試そうとしたら、汚らわしいから触るなって」

「このような立場になっても選民思想はかわらないな。彼女らは神聖が高く、大昔は神の使徒とまで呼ばれていた。その辺りが教会とくっつく理由にもなったわけだが、未だ人間種の蔑視をやめられないのは今までこのように地へと叩き落されたことがないからだろう」

「殴られたことがないから殴られる痛みがわかんねぇってことか」

「今は気丈に振舞ってるかもしれないが、この状態が続けば恐らく心を壊し使い物にならなくなるだろう。いや、今でも内心は怯えていて、わざと強く出ているのかもしれない」


 アルタイルたちと共に、支配人室と書かれた地下闘技場とは思えない、場違いなほど豪華な扉を開く。

 中は成金貴族が好みそうな、真っ赤な絨毯に煌びやかなシャンデリア、金銀を大量に使用した調度品がずらりと並んでる。

 さぞかし奴隷たちで私服を肥やしているんだろう。

 奥のソファーでワイングラスと葉巻を持ったふてぶてしいデブが、脂肪によって垂れた瞼を持ち上げこちらを見据える。

 金のコートに頭髪は額にほんちょっぴりだけカールしたものが残っており、頭頂部はシャンデリアの光を眩く反射している。

 既に話は通っているのか、男は座れと対面のソファーを顎でさす。


「我輩はブリトニオ・ピカード伯爵、この地下闘技場の支配人をしておる」


 どうやらこの男も貴族らしく、襟の貴族章は4っつ。ロメロ侯爵が5つで、アルタイルは3っつだから、丁度その中間に位置する階位のようだ。

 かなりの強権の持ち主であることは間違いないだろう。


「私はアルタイル、こちらは梶王兼男爵でラインハルト東側領地区より参りました」

「あの老いぼれロメロのところか。教会に睨まれてさぞかし縮み上がっていると見える。確か抗戦はせず教会に飲み込まれることを良しとしたようだが?」


 ブリトニオは鼻で笑いながら、ワイングラスを傾ける。


「抗戦しても我々に益はありません」

「だろうな、自身のことしか考えぬ貴族がまとまって戦うなんて考えに至るわけがない」

「ブリトニオ伯爵、本題に入らせていただきますが」

「知っておる。騎士団の女がほしいのだろう?」

「はい、彼女を見せしめに殺し、教会への忠誠にしたいと我々は考えています」


 ん? さっきから話しが違うぞと思ったが、恐らくこれは馬鹿正直にゼノを連れてレジスタンス活動やりますと言ったら、このブリトニオが確実に教会へと密告するのがわかっているから、わざと嘘をついているのだろう。


「ならん。表向き騎士団は死んだことなっている。それが貴様らの手に渡っていたらおかしい」

「理由付けなどいくらでもできます」

「それでもならん。奴ら騎士団は奴隷として扱うのにぴったりすぎる。あのように美しい女は他者の嫉妬をかきたて、しかも不遜で傲慢と来た。民衆の敵として申し分ない」

「それで見世物にして殺してもいいと?」


 俺の言葉にブリトニオは笑みを浮かべる。


「道化は滑稽であればあるほどいい。元騎士団が地べたをはいずり、見下していた人間に土下座して頭を下げる。足裏をなめさせてからこう言ってやるのだ。貴様はここでなぶり殺しだと」


 ブリトニオは想像だけで興奮しているのか、ハァハァと息を荒くしている。

 とんだ変態クソ野郎だ。


「現金で一億ベスタでいかがでしょうか?」

「ならん。一億程度の金、あの女ならひと月で稼ぐ」

「では五億」


 一瞬ブリトニオは固まったが、頭を振る。


「な、ならんならん! 五億くらい数カ月もあれば……」

「その間、彼女が生きてますか?」


 確かに、あの様子ではあとひと月ももてばいい方という感じだ。


「ならん! だが……こちらの条件を飲めば考えてやらなくもない」


 どうせロクでもないこと言うんだろうなと思っていたら、予想通りブリトニオは控えていたオリオンやサクヤたちを見て下卑た笑みを浮かべる。


「五億ベスタと、あそこにいる女全員を奴隷にして我輩に渡せば考えてやってもいい。極上の娼婦として仕立て上げ、金を稼いでもらおう」

「ふざけんなぶっ殺すぞ」


 条件反射でカッとなった俺をアルタイルが制止する。


「ブリトニオ伯爵、それはいささか強欲ではないのですか?」

「強欲だと? 我輩は貴様らの頼みを聞いてやってると言うのに」

「黙れスケベハゲ」


 オリオンがぼそりと呟くと、ブリトニオは地獄耳だったのか顔を真っ赤にして血管を浮かび上がらせる。


「誰がスケベハゲだ!」

「……エロダコ」

「きっさまぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 サクヤが更に追い打ちをかけて、エロダコはソファーから跳び上がり天井から伸びたヒモを引っ張る。

 その瞬間床がパカっと開いて、俺たちの体を浮遊感が襲う。


「落とし穴って、今日日そんな古典的な!」


 視界が部屋の中から一気に薄暗い穴の中へと落ちていく。

 絶叫マシンばりのスピードで俺たち全員が垂直落下していく。


「お前ら本人が気にしてることを的確に言うんじゃない!」

「ごめんなハゲ」

「……ごめんハゲ」


 こいつら謝る気ないな。

 しかしながら我がチャリオットは優秀であり、オリオンと銀河は20メートルくらい落下したのにひらりと着地して天才と両手でピースしている。

 サクヤは俺を抱え、グリフォンはアルタイルを抱えて地下へと着地した。

 上を見上げると、そこにはブリトニオがこちらを見下ろしていた。


「そこは生意気な貴族や奴隷たちを殺してきた処刑場だ。貴様らもむーたんのエサになれ!」

「このハゲーーーーーー!」

「ムキーーーーー! むーたんエサの時間だぞーーーー!」


 そう言い残してハゲは天井の穴は閉じた。

 辺りを見渡すと、無数の人間の骨が転がっており、ここに落とされた人間がむーたんとやらの餌食になったことがわかる。


「来るぞ!」

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