第184話 モリー

「さっきオリオンさンが言ったのと同じで、騎士団側は売人さえいなくなれば奴隷売買はなくなると考えています」

「目先の悪を潰すこと優先で周りが見えてねぇんだよ。奴隷の労働力が減れば農業や漁業の一次産業がのきなみダメージを受けるし、身売りすればなんとか生き残れるチャンスがあっても奴隷にすらなれなければ待っているのは飢餓と自殺だけだ」


 ヨハンは忌々しいと唇を噛みしめている。

 確かに俺は奴隷にされた人間が可哀想だと思ったが、中には自身を守る為に奴隷へと身を落とす人間もいるだろう。

 隷属と死は一概に天秤ではかれるものではない。


「しかしおかしい……ゼノは奴隷保護だと言っているが、本来それは教会がよくやる手だ。あいつがこの手を使って奴隷を仕入れようとしたことは今まで一度もない」

「急に奴隷が欲しくなったんじゃないのか?」

「それはない。あいつ自身が奴隷のことを一番嫌悪している」


 俺たちが話していると奴隷商人の元締めは、いかつい顔に笑顔を張り付けてなんとか彼女に対応しようとする。


「ゼノ様、100人とおっしゃられましたが生憎この市場にいる奴隷、全て合わせても100人もいません」

「なら地下闘技場から連れて来なさい。あなたたちが地下で奴隷同士を戦わせて賭博収入を得ていることは知っていますわ」

「な……なんのことかわかりかねます」


 元締めがシラを切った瞬間、ゼノは腰に挿していた剣で元締めの肩を切り裂いた。


「ぐあっ!!」

「見え透いた嘘をつくからですわ、この蛆虫どもめ。生かされているという自覚をもちなさい」


 男は肩をおさえうずくまる。致命傷ではないが地面には大量の血が流れていた。

 ゼノの冷徹な瞳が見下ろすと、傷を負った男を蹴り飛ばし鋼のブーツで何度も男を踏みつけた。


「アッハッハッハッハ、ゴミがゴミが! ゴミ虫が!」


 ゼノの叫び笑いのような声と暴行される嫌な音が響き渡る。


「えぐい」

「ゼノに限ったことじゃねぇが、クルト族は自分以外の種族を見下している」


 容赦がねぇと目を背けたくなる。こりゃ教会も教会だが騎士団も騎士団だぞ。

 アルタイルの姉が戻ってきたからと言って、これがなおるかは甚だ疑問だ。

 助けるかと思い、黒鉄に手をかけるがヨハンがそれを制し首を振る。


「あんたが出て行ってもややこしくなるだけだ」

「でも、見てらんねぇよ」

「殺しはしねぇ。こんなの日常茶飯事だ。教会に尻尾振って騎士に尻尾振って、かろうじて生かしてもらってるんだよ」

「…………」


 確かに加減はしているようだが……。

 元締めを踏みつけていたゼノが沈静化しはじめた頃だった。

 誰しもがやっと終わりかと思われた時に、火に油をそそぐものが出てくる。


「もういいだろ! やめろ!」


 正義感からか、それとも単なる空気の読めなさからか。

 それは今日の奴隷で一番最後に残されていた奴隷、頭に被せられた10と書かれたズタ袋を自分で脱ぎ捨てる。

 ひびの入った眼鏡をかけた白髪の中年男性の顔が露わになる。

 彼の顔を見た瞬間、フレイアとクロエが驚きに目を見開いた。

 男はゼノを指さし、その足をどけろと叫ぶ。

 それを見てヨハンは舌打ちする。


「チッ、モリーの野郎か。あのまま黙ってりゃ何事もなく終わったってのに」


 颯爽と登場したモリーという男だったが、ゼノはなんじゃこいつという目で見ると指を鳴らす。

 すると控えていた騎士団員達がモリーの体を取り押さえた。


「離せ! オレはお前らの横暴を許さないぞ! この邪教徒め!」


 モリーが叫ぶと、カチンときたゼノは彼の頭を剣の柄で殴打する。

 モリーは一発で気絶して倒れた。


「この男も連れて行きなさい」


 騎士団は気絶した男を他の奴隷と一緒に檻に放り込んで連れて行こうとする。


「なにしに来たんだあいつは?」

「マリー・モッコリー。みんなはモリーと呼ぶ。元は学者でどこぞの有名パーティーで活躍していたらしいが、十何年か前に抱いた女に呪いを移されたとかで、それ以降自暴自棄になった飲んだくれだ。酒と賭博で金が尽きたらしく、己の体を担保に博打を打ったらしいが見事に爆死。錯乱して賭博場のオーナーを刺したが取り押さえられ、めでたく今日奴隷入りを果たした」

「転落人生の典型みたいだな」

「チッ、あいつがタダで連れてかれるのはこっちとしては打撃なんだよ、クソが」


 しかしあの男どこかで見た覚えが……。振り返ってみると、フレイアがモリーを見て苦々しい表情を浮かべている。

 あれ、あの男とフレイア、どことなく似ているような……。


「待ってください!」


 突如駆けだしたのはクロエだ。

 モリーを見た彼女は大声をあげ、牢屋を運ぼうとする騎士団にすがりつく。


「その人を連れて行かないで下さい!」

「やめなさいクロエ! そんな奴の事放っておきなさい」

 

 後ろからフレイアがクロエを羽交い絞めにして無理やり引き離す。

 二人が檻の前で言い争っていると、檻に入れられたモリーが目を覚ました。


「あなた!」


 クロエがフレイアを振り払って鉄柵越しに声をかけると、モリーは頭を振ってから目を見開いた。


「お前は……まだ生きていたのかこの悪魔め! 貴様のせいでオレの人生は台無しだ!」


 モリーは檻の柵に手をかけたクロエの手を払いのける。


「なんですの?」


 ゼノがトラブルに気づいて怪訝そうな視線を向ける。

 俺は咄嗟に何か言い訳を考える。


「えっと、知り合いでして。ほんの少しだけ時間をくれませんか」

「ふん、早くしてくださる」


 なんとか誤魔化したが、モリーとクロエの関係はこじれたままのようだ。


「フレイア、もしかして」

「ええ、この男がアタシの父親よ」


 ってことは、このモリーって男がクロエを捨てた元旦那か。

 確かクロエに呪いがかかっていると知らず一晩共にしてフレイアができたわけだが、呪いのことを後から知って怒り狂い、お腹の中にいるフレイア事殺そうとしたイカレサイコパスだったはずだ。


「ってことはあれか、呪いを移されて自暴自棄になった原因ってのはクロエのことか……」


 ヨハンの言っていたことと話がつながり、俺は苦い顔になる。

 クロエの呪い自体は本人にかかったものであり、別にキスしようが何しようが相手に移るものじゃない。それを勘違いしてクロエを殺しに来るって頭おかしいとしか言いようがない。


「よくも呪いを移しておめおめとやってこれたな! この悪魔の女め!」

「ち、違うんです、私の呪いはあなたには移っていません」

「嘘だ! ならこれを見ろ!」


 モリーは腕まくりすると、そこには青い痣のような跡がいくつも出来上がっていた。


「もう全身に呪いが回っている! オレはもう死ぬんだ! お前によって死ぬんだ、この悪魔め」


 言い方が酷い。それに恐らくあの痣は呪いなんかじゃない。多分ただの疫病の類だ。クロエは関係ない。

 モリーの視線が今度はフレイアの方へと向く。


「お前は悪魔から産まれてきた悪魔の子だな……」

「フレイアよ」

「ふん、名前など聞きたくもない。母もろとも地獄に落ちるといい。貴様らのせいでオレは呪われた。お前もいずれ死ぬ。オレと同じようにな。そしてきっと後悔するだろう、胎児のときにその女と一緒に死んでおけばよかったと」

「どうしてそんな酷いことを……あなたの娘なのですよ」

「黙れ! 薄汚い淫売め! 貴様は呪いをばらまく疫病神だ!」

「呪いは本当に移らないんです……信じて下さい……」


 あまりにも酷い言いぐさにクロエの頬には一筋の涙が流れ、フレイアはきつく唇を噛みしめていた。

 俺は檻の前に立ってモリーと視線を交わす。


「なんだ貴様は」

「はじめまして。俺はクロエとフレイアをチャリオットに引き入れた王だ」

「ふん、領土戦争をしている野蛮人どもか。よくこんな悪魔を自身の兵にしようと思ったな。……いや、悪魔だからこそ兵としては有用か。なにせこの女を敵に抱かせれば楽に呪い殺せるわけだからな」


 俺はカチンと来て柵越しにモリーの胸ぐらをつかみ上げる。


「おいおっさんいい加減にしろよ。自分の嫁と娘を悪魔だとか抜かすんじゃねぇ」

「お前に何がわかる」

「そっちこそ何がわかるんだ。お前に捨てられた心の弱いクロエがどれだけ苦労を重ねて生きてきたと思ってんだ。呪いを解こうと親子で頑張って生きて来たんだ。それを一番守らなきゃいけねぇ父親が一番突き放しやがって。テメーのキンタマは飾りかよ。男ならヤった女は最後まで守り通しやがれ」

「ふざけるな。こいつのせいでオレは全てを失ったんだ。職を仲間を金を」

「ふざけてんのはテメーだろうが! 全部失ったって最後に家族が残ったんだろうが! それを捨てたのはテメーだ。失ったんじゃなくてテメーが勝手に全部放り投げただけだ!」

「うっ……ぐっ……オレはオレは呪いを移された被害者なんだぞ。なぜオレが責められなきゃならないんだ!」

「さっきから自分のことばっかだな。おっさん、あんたのそれ呪いじゃねぇぞ。昔ギルドであんたと同じ痣ができてる人間を見たことがある。しかるべきところで治療を受ければ治る、ただの病気の一つだ」


 モリーは混乱しているようで、言葉を失っている。


「…………嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! でたらめだ。俺はちゃんと教会で診断を受けた。毎日お布施すれば呪いは解けるって聞いたから俺は毎日教会にお布施をして……そして、金を失った……」

「あんたも気づいてるんじゃないのか? 騙されたんだよ、その教会に」

「オレは……信じないぞ。呪いは移るんだ……」


 ダメだなこのおっさん、完全に自分が被害者だと信じ切ってる。

 俺はフレイアとクロエを両方引き寄せた。


「な、なによ……」

「フレイア、クロエ、ゲスですまん」


 一言だけ謝って、俺はフレイアとクロエ両方に口づけた。


「ちょ、ちょっとなにすんのよ!」

「まぁこの通り、俺は親子そろって毎日むちゅむちゅやってるが呪いなんて移っちゃいねぇ。肝の小さいあんたが勝手に悲劇のヒーローになりたがったせいで、俺はこうやって美女二人を手に入れたわけだ」

「う……ぐ……本当……なのか? 呪いが移らないっていうのは」


 モリーはすがるような目でクロエを見やる。


「はい、本当に呪いは移りません」


 モリーは檻の中でぺたりとへたり込んだ。

 恐らくこの十何年間、一体自分が何に怯えてきたのか、何を失って来たのか。それを噛みしめているところだろう。

 俺はクロエに奴隷交換カードを手渡す。


「これは……」

「クロエが望むのなら、このおっさんと他の奴隷交換してもらえ。多分騎士団は100人いれば中身はなんだってかまわないんだろ」


 クロエは自身に手渡された金色のカードを見据える。

 それと同時にフレイアがどんっと俺の肘を突き、小声で耳打ちしてくる。


(なんでそんなことするのよ。クロエが弱いってこと知ってるでしょ。あの男をもう一度選んだらどうするつもりなの)

(その時はその時だ。ウチの領地で家作って家族でやり直すといい。今は許せなくても、もしかしたら許せる日がくるかもしれない)

(どこまで甘いのよ。そんな日絶対に来ないわ)


 クロエは奴隷交換券とモリーを交互に見据える。

 彼女の前には今まで自分を呪いだと信じ込んで全てを失った哀れな男が力なく項垂れている。

 モリーはクロエの手に握られているものが奴隷交換カードだと気づくと生気を取り戻して立ち上がった。


「ク、クロエ……虫のいい話だと思うが、オレをここから出してはくれないか? やはりフレイアには父が必要だと思う。それにお前も決して強い女じゃない、だから頼れる男は一人でも多い方がいいんじゃないか?」


 モリーの話を聞いてフレイアの目に殺気が宿り、右手からは赤い炎が漏れ始めている。自分たちを殺そうとしたり、悪魔だと罵っておいて安全だとわかると命乞いをする。今すぐに消し炭にしてやりたい。そんな心の声が聞こえてくる。


「その、別にオレを助けたところで彼は裏切りとはとらないと思うし……その、なんだお前もオレの元に走ってきたってことはオレのこと忘れられないんだろ? それにお前が呪いにかかっていた事実を黙っていたことは確かだし、オレだけに責任があるとは言えないはずだ。その……悪かったよクロエ。ここを出してくれたらお前とフレイアに優しくするよ。きっと許してもらえるまで時間はかかると思うけど、それでも精一杯お前に優しくして、良い父親になりたい」


 モリーの会話は巧みだ。自分を助けても問題ないと安心させ、彼女が呪いのことを黙っていた事実をつきつけ、最後には優しい父になると反省を見せる。

 モリーはずっと俯いたままのクロエを待ち続ける。決して急かさず、その顔に優しい微笑みを。まるで元から人の良かった亭主のように。

 確かにフレイアが嫌悪するのもわかる。なぜそれをもっと早くにしてやれなかったと、俺でさえ憤りそうだ。ただ、全ての決定権があるのはクロエだ。


「あなた……」


 頭をあげたクロエは奴隷交換券を握りしめ、ほんの少しの衝撃で泣き崩れてしまいそうな危うい表情を浮かべている。だが、その口元はきつく結ばれ、決意が表れている。


「もう、遅いんです……」

「何を……」

「もう、私の身も心も王様のものなんです。本当にごめんなさい」


 そう言ってクロエは泣きながら奴隷交換カードを破り捨てた。


「クロエ、クロエ! 許してくれ、お願いだクロエ!」


 モリーが叫び声をあげるが、クロエはこちらに走り寄って抱き付きながら涙を流していた。


「連れていきますわよ」

「ああ、すまない。時間をとらせた」


 ゼノに断ると、牢屋を繋いだ馬車はゆっくりと動き出す。


「クロエ! クロエ! 愛してるんだ! クロエ!」


 徐々にモリーの声は遠ざかって行った。

 俺はその声が聞こえないようにそっとクロエの耳に腕を回す。

 その間クロエはずっとこちらにしがみついたまま涙を流していた。


「嫌な決断させちまったな」

「これでいいのよ。これでクロエはもう過去に引きずられなくなるから」

「ドライな娘だ」

「胎児の段階で殺されかけた父親を許せって不可能よ。それと……あの男に言いたいこと言ってくれてありがとう。ちょっと見直した」

「ちょっとか?」

「結構……大分よ。これでいいでしょ」


 フレイアはフンっと顔を背けた。

 彼女は泣き崩れている母を心配げな表情で見つめる。


「……一回だけならクロエのこと慰めてもいいわよ」

「お前の弟か妹できちまうよ」

「あいつが父親になるくらいなら、あんたを父さんって呼んだ方が100倍マシって気づいただけよ」

「そいつは光栄だが、弱ってる女の心の隙を突くようなことはしねぇ」

「あら、かっこいいこと言うじゃない」

「俺は元からかっこいい」


 フレイアははぁっと呆れたようなため息をついたが、こちらを見据えてクスリと笑みを浮かべた。


「…………そうかもね」

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