蛇神草紙 第3話
「治水は上手くいっておりますな、巽殿」天見の使いが隣にいる巽に話しかける
「ここまで二年・・・長いようで短いな」巽は天を仰ぐ「今年は晴れ間が多く雨が少ない」
巽と使いは村々が見渡せる山の頂上、伊代の塚の前から馬に乗り村々を見渡していた
「犀鶴様も今年は日照りの式占が出たと仰います・・・治水の効果が問われますな」
「昨年は一つの村でのみ試しに鹿沼の水を止めたが・・・今年は全域で鹿沼の水を止めたからな・・・」
「昨年は村人が一揆を起こすのではと冷や汗が流れましたな・・・結果、流れた水の量が豊富、しかも他の村より良質の米が収穫出来たと喜んでいましたぞ」
「今年が正念場か」巽は村々を眺める。青々と田畑が輝いていた「屋敷に戻る。随時治水の成果を報告しろ。また些細な異常も欠かすな」
「解り申した」
巽は馬の腹を蹴り、山を駆け下りていった
「伊代・・・長く待たせたな。作物が取れ、村人が笑って暮らせるお前の願い、この巽小次郎忠次が叶えるぞ」
巽が神殺しを仰り三年目の神無月の話でございます
秋・・・巽は伊代の塚の前にいた。塚の周りには珊瑚の枝の様な紅の曼珠沙華が咲き誇っていた
「伊代・・・黄金に染まった村の田が見えるか。お前が教えてくれた生きている理由・・・天命は正しかったようだ・・・今年は豊作だ」
巽は一束の稲穂を塚の前に捧げる。稲穂は十分な実を持っていた・・・今年は雨が例年より少なく、外の村では凶作とまではいかなかったが不作だった。つまり巽の指示した治水は無事に成功したと言える
「村の衆も神殺しに皆賛同した・・・籠女を出さずに蛇神が怒り、治水や田畑に影響しないとはいえないからな。約六年か・・・伊代が生きていれば小野小町のような美人の秀才になっていたのにな」
「巽殿!!天見の一族が集まりましたぞ!!早う屋敷に戻りませ!!」使いが馬に乗り山を凄い勢いで駆け上がってきた
「・・・伊代、そういうわけだ。次もまた良い報せを待っていろ」
「巽殿!!この馬を使いませ!!」使いが馬に降りて巽に言う「巽殿が屋敷に着き次第神殺しの儀について説明するとの子供」
「解った」巽は馬に乗る「一つ聞くがお前も神殺しに出るのか?」
「そうで御座いますが?」使いは呆気にとられた顔をする「某、巽殿の足を引っ張る事は致しませんぞ」
「・・・そうか・・・」
巽はそう言うと馬の腹を蹴り、屋敷に向かった
「巽小次郎忠次、只今参上致しました」巽は頭を下げながら部屋に入る「遅れて申し訳ない
巽は屋敷に戻ると一族が集まっている部屋に入った。部屋には犀鶴や蓮華だけではなく、以前巽と揉めた一族などが揃っていた
「巽殿、頭を上げてくだされ」都の神官が慌てて言う「今の貴方様、当主蓮華様の夫。言わば我等の当主と同意で御座います」
「・・・見事な変わりようだな」巽は苦笑いをしながら上座に座っている蓮華の隣に座り、耳打ちした「どうだ・・・以前の出来事で俺を恐れ、刃向かわないだろ?」
「何が俺を恐れてじゃ。お前の後ろには左大臣、妾の後ろには犀鶴様がいるからじゃろうが。この虎の威を借りた狐が」蓮華は巽を睨みながら小声で応えた
「さて・・・皆が揃ったところで早速だが話すか」
部屋の空気が犀鶴の言葉で一瞬にして変わる。重く緊張が部屋にいる全員に纏わりつく
「此度の召集、理由は解っておるな」上座に近い場所に座っている犀鶴が全員を見渡す「鹿沼様・・・蛇神を殺す為の話だ」
「今年は鹿沼の水を使わず、治水で集めた水だけで豊作にしたのじゃ。村の衆もその成果に驚き、また鹿沼様に籠女を出さなくてよいと解り安堵した。皆は巽の才は解ったかえ?」
「いや、我々も巽殿の才には驚かされました。水の無い山を巽殿は掘れと言われたようですが、水が湧き出たと聞いた時はさすが巽殿、と言ったところか」都の神官が大袈裟に笑い膝を叩く
「話を途中で切るな・・・全く調子の良い事を言って」巽は頭を掻く「まあ、その甲斐もあって豊作になった・・・そこで来年の弥生の新月に神殺しを執り行う」
「儂から儀について話そう」犀鶴は手を叩いた
犀鶴の合図と共に天見の使いが大きな紙、碁石、蛇の像を持って部屋に入ってきた
使いは部屋の中央に紙を広げる。そこには墨で詳細に描かれた鹿沼の図があった
「さて・・・何故蛇神が弥生の新月に表れるか」犀鶴は蛇の像を持ちながら紙の上に立つ「鹿沼に映った新月・・・水鏡が理由だ。そう・・・我が天見一族が神に仕える一族になった理由は鹿沼様だ」
「蓮華・・・どういう事だ?」巽は聞く
「我が一族の秘術・・・水鏡というのがあるのじゃ。その術は神に仕えるという代価として伝授された・・・」
「その伝授した神が鹿沼様か・・・してどんな術だ」
「色々ある・・・水鏡に御霊を封じたり、誠の姿を写したり、天照大神の光を借りて怨霊を浄化する・・・しかし、禁術もあるのじゃ」
「禁術・・・?」
「幽世を見る事・・・あまりの恐怖で目が溶け、魂が崩れると聞いている。また幽世の者と対話が出来るとも」
「幽世の者と対話してどうする?」
「・・・知恵を得るため・・・しかし蛇神は我らを謀った・・・始祖は騙されたのじゃ・・・」
「何があった・・・」
「当主のみ口伝される真実・・・大化頃に我等の始祖は鹿沼様と出逢ったのじゃ。神に仕えるなら知恵を授けると・・・。そして始祖は水鏡で幽世を見た」蓮華は震えながら拳を握る
「どうした?」
「始祖が見た幽世に鹿沼様がいた・・・そして始祖に言ったじゃ」蓮華は犀鶴が持つ蛇の像を睨む「生贄・・・籠女を出せ・・・さもなければ一族は滅び、村々も滅ぶぞ、とな」
「何?」
「・・・籠女を出す原因は我が一族・・・そして我等は神に仕える一族になった・・・蛇神以外の神にもな・・・何時か蛇神を退治してくださる神を探す為に」
「まず蛇神は鹿沼より現れる」犀鶴は鹿沼の図に蛇の像を置く「さて・・・此処から儂等の立ち回りだ」
犀鶴は次に碁石を持った・・・周りの一族は身を乗り出して鹿沼の図を見る
「一陣・・・儂と蓮華は陰陽を描く・・・二陣はお主等だ・・・八卦を描く」犀鶴は鹿沼の図に黒い碁石を置く
「まるで巨大な太極図ですな・・・して我らは何を」天見の男が尋ねる
犀鶴は再び手を叩く。使いの者が人の背丈程の者を運んでくる。案山子の様に木が十字に組まれた骨に首飾りの如く鏡が下がっている。他に神紙垂やシダ、などで飾り付けられていた
「これも八卦に陣に置く・・・お主等は蛇神が幽世に逃げないよう術を行え」
「鏡の力で幽世の扉を開けないようにするので御座いますか・・・しかし破られたら」
「何重に鏡は置く・・・破られ次第速やかに下がり再び術を続行する」犀鶴は次に白い碁石を置く「一つの鏡には約二十人程の使いや村人が護衛として付く」
「一つ聞く・・・」巽は犀鶴を見た「どうして村人や使いを大勢使う・・・俺と蛇神が逃げないようにする術を行うだけで十分だろ。魔鍛冶衆に造らせた矢や槍は蛇神を殺せるのか」
「傷を付ければ幸運だ」
「なら何故そんなに人が必要なんだ。人が多ければ殺せるわけではあるまい。逆にこちらの被害が大きくなるだけだ」
「・・・矢や槍はある呪をかけてある・・・影縫いと言って動きを封じる為だ」犀鶴は溜め息をつく「お主・・・何か勘違いをしておるな」
「勘違い?」
「そういえば巽殿・・・風土記の写しを都から送って貰っていたな」犀鶴は顎髭を触りながら巽を見た
「ああ・・・神殺しについて調べたからな」
「して何の神殺しを調べた」
「蛇神だ・・・見たら一族が滅ぶと言われる」
「東の国の夜刀神か・・・角のある蛇・・・」
「そうだ」
「・・・それを調べた所で役には立たぬぞ」犀鶴は笑う「調べるなら素戔嗚尊と八俣遠呂智を調べないと」
「確かに神殺しの話だが・・・同じでは?」
「違う」犀鶴は溜め息をつく「夜刀神は言わば妖・・・人が勝手に恐れ神と祀っただけだ。だが鹿沼の蛇神は違う・・・正真正銘の神・・・幽世、黄泉にすむ神。儂等がしようとしているのは化け物退治で非ず、人と神の戦だ」
犀鶴の言葉に天見の一族が静かに頷く
「人と神の戦でこちらの被害を気にするな・・・村人も自ら志願したのだ。大切な娘を喰われた恨みを一矢報わんが為に。そして神を殺すは貴公・・・巽殿だ」
「ですが犀鶴様、鹿沼様に感づかれませぬか?」天見の男が聞いた
「その点は大丈夫じゃ・・・妾と犀鶴様と話した結果、籠女も出し豊作祈願も併用して行い感づかれないようにする」男の問いに蓮華が答えた「籠女は・・・妾がやる」
部屋の一同が騒ぐ
「おい、何を考えている、蓮華!!」巽が怒鳴った
「早まるな、籠女の下に綱で縛った座を用意する。蛇神が現れたらすぐに綱を引き、蛇神の前から下がるから大丈夫じゃ」
「安心せい、巽殿。あと女衆は楽隊になって八卦に別れ指揮を任す。夜に指揮が乱れ仲間同士で自滅では困るからな」犀鶴は一同を見渡す「以上を以て説明は終わる。男衆は鏡作りに励み、術の修練を致せ。女衆は武具をそれえた後は楽隊で指揮の修練に励め。異論はないか?」
「犀鶴様・・・一つ疑問が御座います」天見の若い女が手を挙げた
「どうした?」
「この場で聞くことではないと承知しておりますが、御無礼でありますが尋ねます」女は深く頭を下げた「神殺しが失敗したらどう致しますか?」
一同に沈黙が襲う。神殺しを失敗したら、ただ神の怒りを買うだけである・・・失敗は許されない・・・しかし、あいては神・・・人が神に勝てるのか
「失敗はありえん」犀鶴は大きな笑い声で沈黙を破る「万が一があったら、奥の手を使うまでだ」
「奥の手?」蓮華は不思議な顔をする
「何・・・大した術じゃない。ただ全ては巽殿にかかっている」犀鶴は手を叩く「人と神の戦、行う前から失敗を考えていては埒があかぬ。失敗を考えるくらいなら修練に励み万全を期して闘うことを考えろ。さて、終いにして皆の衆は当てられた任に励め!!」
犀鶴が言い終わると一同が頭を下げ部屋を後にした
「さて・・・儂も最後に花を咲かせる準備をするか・・・」
さてさて、巽の治水も無事に成功を収め、翌年の弥生に人と神の戦が始まろうとしております。
失敗はありえないと答えた犀鶴が最後に言った言葉の真意とは・・・
鹿沼様と呼ばれる蛇神との戦がどのようになるのか。それはまたの話で御座います
次の話しを待たれませ
今回はこれ限り
***
子の刻、犀鶴は屋敷の庭に布を引き酒を片手に夜空を見ていた。空には限りなく細い月と共に満天の星が輝いている
「犀鶴殿・・・ 外で酒を呑むには時期が早すぎますぞ」巽が白い息を吐きながら犀鶴に近づいた「明日は大事な日 。風邪でもひかれたら一大事です。早く屋敷内に」
「のお、巽殿もこの老いぼれと一杯如何かな。今宵の星は見事なものだ」
「老いぼれとは面白い。まだまだ犀鶴殿はお元気ですよ」巽は静かに犀鶴の隣に座る「では御言葉に甘えて一杯」
「儂はもう八十だ。これを老いぼれと呼ばずして何と言う」犀鶴は巽の杯に酒を注ぐ
「まだ八十ですよ。足腰もしっかり立っておられる」巽はぐいっと酒を呑む「それにしても星が綺麗ですな」
「眠れないのか」
「そうですな・・・戦事は初めてゆえ。緊張してなかなか寝付けず。犀鶴殿は?」
「儂は・・・星が見たかっただけだ」犀鶴は酒を呑む「巽殿、そなたには感謝しておる」
「何を仰る。感謝は私の方です。色々とご助力していただいたのですから」
「・・・いや、儂等はようやく始祖の罪滅ぼしが出来る。始祖の犯した愚行により多くの娘が籠女として亡くなった。そなたと出逢えなければこの先も娘が死んでいった」
「それは先祖の話・・・我等は今を生きております。過去を悔やんでも今は変わりませぬ。今生きるものが今を変えなければ」
「強いな、巽殿。神の祟りも恐ろしくないのか?」
「どうせ私は独り身。祟りも私だけですみましょう・・・」
「蓮華はどうする」
「どうしますか・・・形ばかりの夫婦ですからな」
「神と刺し違えても、と間違った考えを起こすなよ。蓮華が悲しむ」
「・・・悲しみますかね」
「蓮華はお前は自分の意志がないと泣いていたぞ」
しばしの無言。巽と犀鶴は静かに酒を呑む。
「さて、俺は寝ますか」巽は最後の一口を飲み干すと立ち上がった「犀鶴殿もなるべく早く休まれよ」
「・・・巽殿、孫を頼みますぞ」犀鶴は去っていく巽を見ずに話しかける
「犀鶴殿、おかしな事は考えられるな」巽は足を止めずに屋敷内に向かう
「綺麗な星だ・・・」犀鶴は笑う「巽殿はお優しい御仁だ」
神殺しを執り行う弥生の新月の日、その日の正午過ぎの話で御座います
天見の屋敷の庭に神殺しを執り行う人々が集う。およそ二百人、各々白い装束を纏い、白い頭巾で顔を隠している。手には魔鍛冶衆が作った矢と槍を持ち、まさに戦に出陣する兵の如し気迫を全身から発していた。また荷台を引く者もいる。荷台には八卦に置く鏡、数は五十ほど乗せられていた
女と思われる者達は鼓や篳篥、笙を持っている。女達は頭巾は目元までしか隠されていなかった
「皆集まっておるか」巽は集まっている人々に向かって大声を出す
集まっている人々は紅の甲冑で身を包んだ巽を見た。巽の甲冑・・・これは亡き父御の形見であった。犀鶴や蓮華に身軽な格好で挑めと散々注意されたが巽はあえて甲冑を着た・・・亡き父御に自分を護ってもらいたいと願い、また伊代が綺麗と言った珊瑚と同じ紅だからでもあった
「まず、皆の衆に問いたい。神殺し・・・簡単に終わる儀ではない。身の安全は約束できん。逃げるなら今だぞ」巽は見渡す「と言って逃げ出す者が居るわけはないか」
「巽様、我々は娘を喰われた者の集まりで御座います」村人だと思われる人が応える「貴方様だけに頑張られたら娘に笑われます」
「そうで御座います。おまけに田畑の合間に治水作業。おまけにほれっ力もつきましたぞ」別の村人が袖を捲り、腕を曲げて力瘤を見せる
「天見の使い達はどうする。天見に仕えているからといって断らないは無しだぞ」巽は別の人集りを見る
「儂が怖いのも無しだぞ」犀鶴は高らかに笑う
「御戯れ事で御座いますぞ。巽様にも仕え二年半、我等は貴方様がどの様な御人柄かを知っています。例え、この場で身の安全を約束せずとも我等を守ってくださる」静かに使いが応える
「俺を買い被りすぎだ。俺を何様だと思っている」巽は鼻で笑う
「巽小次郎忠次様ですよ」使いがそう言うと皆が笑う
「巽、戯れ言は其処までにして儀を執り行う準備をさせぬか」白い巫女服を着た蓮華が苛立っていた
「あのな蓮華、こういった事には景気付けが必要なものだぞ。全く」
「何が景気付けじゃ。月が出始め鹿沼に新月が映れば蛇神が現れるのじゃぞ!!」
「五月蝿いのう。解ったから、そう眉間に皺を寄せるな。美人が鬼の顔だぞ・・・」
「鬼じゃと・・・妾は浮き足立った気持ちでは身を滅ぼすと・・・」蓮華は更に眉間に皺を寄せる
「・・・御前の目は節穴か」巽は重い口調で語り出した「皆浮き足立ってはおらぬ。死地をも決めた者共さえ居る・・・当主なら下の気持ちを解らなくてはいけないぞ。そうですな、犀鶴殿」
「・・・確かに」犀鶴は蓮華を見る「しかし、お前の気持ちが解らないわけではないがな」
蓮華は一度眉間に皺を寄せたまま一同を見る・・・異様に落ち着いた空気・・・これが戦に向かう人なのか、と蓮華は溜め息をつく
「巽、神殺しの前に激を飛ばせ・・・それが終わったら準備じゃ。良いかえ?」
「解った」巽は蓮華に笑った
巽は深呼吸をする。紅の甲冑が太陽に照らされるのを皆が静かに見つめる。巽は太刀を抜き天にかざした
「我が神を斬ると言って本日まで壁は無かった・・・昨年の日照り、村の人々は初めての不安が襲う・・・が秋になり不安は喜びに変わった!!まるで天におわす神々が我らに道を照らしているかの如くだ!!これは天の神々の御意志ぞ!!我はここに神殺しは天命と宣言す!!鹿沼様という蛇神を天の命を以て誅するぞ!!」
「「「「おお!!!!」」」」」
一同の慟哭は静かに響いた
「さて・・・準備が整ったな・・・」蓮華は心を落ち着かせ籠の中に身を潜めた
今、蓮華は半畳の座に座っている。座に繋がれた綱の先には巽がしっかりと握っていた
日が沈む前に全ての準備は整えた。鹿沼は人の背丈程の葦が鬱蒼と生い茂る・・・蓮華は例年通りの籠女の場所に鎮座している。また神殺しを行う者達は葦が生い茂る外、林に身を潜めていた。鏡も蛇神に気付かれないように綱を引けば起き上がる仕掛けで準備されている
「静かじゃな・・・それに暗い。これが喰われるのを待つ籠女の気持ちか」蓮華はそう口にすると目を閉じ瞑想の形を取った
「静かにしろよ、皆の衆」巽は蓮華へと繋がる綱を握り直す「蓮華の合図次第楽隊は打ち鳴らし、術を開始する・・・よいか」
暗闇に微かに頷く音が感じた・・・ただ蓮華の合図を待つばかり。何時蛇神が現れるか解らない緊張が一同全員に襲う
「種火を消すなよ・・・蛇神が現れたのに篝火で照らすことが出来ねば影が出来ぬ・・・動きを影縫いが出来ねば圧倒的に不利になる」
巽は何度も深呼吸し心を落ち着かせる
「心眼の試しが実践・・・太刀の試しも実践」巽は目を閉じる「父御・・・母御・・・伊代・・・我等に天の加護を・・・」
「犀鶴様・・・蛇神はまだでございますか」天見の男が瞑想している犀鶴に尋ねる「もう息がつまりそうで御座います」
「・・・黙っておらぬか。一番の恐怖は我等ではなく蓮華だ」犀鶴は薄目を開ける「向かいに篝火が上がったら素早く動けよ」
犀鶴が座っている座には幾つもの術具が置かれていた・・・黒曜石の小刀、箸のような呪杭、大量の白紙の札、鏡、人型に紙、そして厳重に札で封がされている箱
「犀鶴様・・・夜目に慣れてから気が付いたのですが、この封がされた箱は何でしょうか?」
「黙っておれと言っておるだろう・・・この箱は何でもない・・・気にするな」犀鶴は静かに応える「・・・花の香りがする・・・」
「・・・頭が重い・・・それに花の香り・・・来たのかえ」蓮華は目を閉じ、心を落ち着かせる
カサカササカサカサカサカサカサカサカサ
「違う・・・これは風で葦が擦れる音だ」
籠女・・・籠女・・・
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ
籠の中の鶏は・・・
「木霊が騒ぎ始めた・・・間違いないのう・・・」蓮華は身を構える
何時何時・・・出逢う・・・
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ
夜明けの・・・晩に・・・
「・・・巽・・・しっかり引くんじゃぞ・・・」
鶴と亀が滑った・・・
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ
後ろの正面・・・誰・・・
『・・・天見の血の匂い・・・』
突然、蓮華の頭の中に低い男でもなく女でもない声が響く・・・聞こえるのではなく頭に直接理解する声
『・・・籠女・・・ではないな・・・』
「鹿沼様じゃな、御機嫌麗しゅう」蓮華は覚悟を決め、籠から姿を現す「妾は天見家現当主 天見蓮華と申します」
『・・・天見の者よ・・・籠女はどうした?・・・そなたが籠女ではあるまい・・・』
「いかにも、残念ながら妾は籠女でありませぬ」蓮華は座に立ち上がる「そして、今年の籠女は御座いませぬ」
『・・・籠女がいない・・・どういう事か解っているのか・・・天見の娘・・・』
「長年貴方様に仕えてきた一族・・・嫌という程解っています・・・」
『・・・なら早く・・・籠女を出せ・・・』
「御言葉を返すようですが、鹿沼様・・・我等の始祖から続かれた籠女は終わらせて貰います」
『・・・何を戯れ言を・・・』
「神の座は安泰で御座いますかえ?」蓮華は懐から扇を取り出す「人が神に反旗を翻すとは思わんかったかえ?」
『・・・神に挑むか・・・』
「妾は挑む器では御座いませぬ」
『・・・周りに・・・兵が居るな・・・人間の・・・匂いがする・・・』
「兵では御座いませぬ」蓮華は両手を使い扇を広げる「妾は今まで幾人の籠女を出しましたが・・・初めて喰われる恐怖を実感しました。漆黒の闇の中でじっと身を潜めただ死を待つばかり」
『・・・兵でなくして・・・周りの人間は何だ・・・』
「敢えて言うなれば、鹿沼様の籠で御座います」
『・・・我の・・・籠だと・・・』
「如何にも」蓮華は身を屈めた「今宵の籠女は貴方様で御座います」
『・・・若い天見の当主・・・面白い・・・事を話す・・・我が籠女か・・・』
「この世は人の世・・・貴方様のような神が居ずとも成り立ちます」
『・・・では・・・我を喰らう・・・神は誰だ・・・』
「御自身でお聞きなされば良い・・・それもまた籠女の恐怖で御座いますから」蓮華は扇を振り上げる
『・・・愚かな・・・人間だ・・・』
「確かにそうかも知れませぬが、窮鼠も猫に立ち向かいますぞ」
蓮華は心の中で思う・・・人と神の戦、巽は神を天命を以て誅つと言った。ではこの戦をこの言葉で始めよう。
蓮華は大きく息を吸う
「天誅!!!!」
蓮華は大声と共に何もいない空間に向け扇を振り下ろした
さてさて、いよいよ人と神の戦が始まられたので御座います。
蓮華の大声と共に巽は綱を引き、蓮華を引き寄せます。また楽隊が鼓や笙を打ち鳴らし、篝火が一斉に燃えされるます。その様子・・・まるで鹿沼が燃えているようで御座いました
そして葦で隠されていた鏡が立ち上がり八卦の形をなします・・・蛇神が幽世に逃げ出さないための陣で御座います
ですが、篝火で照らされた中心には何も居りませぬ
人と神の戦・・・それはまたの話で御座います
次の話を待たれませ
今回はこれ限り
***
静めよ!!心が乱れでては蛇神に隙を突かれるぞ!!」巽は太刀を柄を握りながら護衛達を制した
かく言う巽も一抹の不安が拭えない。蛇神は姿が見えない・・・いつ如何なる場所から襲われるかが解らない。もしかすると、こうしている間に蛇神が幽世に逃げ出したとも限らない。いや、自分達の目の前に生い茂る葦に身を潜めている可能性も無くはない。
「蛇神は居る・・・それは間違いない」蓮華が巽の心を読んだかのように話し出した「蛇神にとって我等、人は赤子同然・・・いや虫以下じゃ。逃げ出す理由はない。それに・・・」
蓮華が何かを話そうとしたが、突如別の陣から人の怒号と楽隊が奏でる音のせいで遮られた。巽や蓮華の周りにいる護衛が一気に騒ぎ始めた
「落ち着け!!この音色は弓を射るな、の合図・・・蛇神に襲われたわけではない」巽は音の聞こえた方角を見つめる「何があった?」
「手が空いている者はおらぬか!!速やかに誰か調べてこぬか!!」
巽と蓮華は護衛を落ち着かせた後に、状況を把握するための命を下す。しかし護衛達の動揺はなかなか治まらない
「巽殿!!鹿沼が燃えています!!」天見の使いが叫ぶ
「篝火が鹿沼を燃えたように見せているだけだ!!」
「違います!!篝火の灯りでは御座いませぬ!!」
「何?」巽は鹿沼を見る。火の粉ようなものが舞うが如く燃えている
「巽・・・あれは犀鶴様の蛾炎じゃ・・・」蓮華は立ち上がり火の粉を見る「おい!!人が・・・浮いている・・・」
人と神の戦、一夜目の話で御座います
「何処だ!!蛇め、娘の敵!!」一人の村人が怒号と共に鹿沼の葦へと突っ込んで行く
村人は他の者と違い、白い装束を着ていない。また、手には古びた鍬と鎌を持っていた
異変は犀鶴が鎮座する陣付近で起きていた
「何事だ」犀鶴は動じずに目を閉じ、印を結んだまま使いに尋ねた
「村人の一人が乱入した模様です」
「影縫いをさせぬよう他の陣に伝えよ」
犀鶴が楽隊に指示すると鹿沼に音が鳴り響いた
「ここにいる者だけが蛇神に怨みを持っているわけではない事か・・・」犀鶴は何枚かの札を取り、呪を唱える「万物に従えし精霊よ、万物から生まれし御霊よ。今一時我にご助力賜らん」
「火を持てい」犀鶴は呪を唱えた札を細かく裂き、紙吹雪のようにして掌に乗せた
「犀鶴様、火で御座います」使いが松明を犀鶴の目の前に差し出す
「うむ」犀鶴は松明の火を目掛けて掌の紙吹雪を息で吹き飛ばす「蛾炎よ・・・飛べ」
松明の火に触れた紙吹雪は一瞬にして燃えたように見えたが燃える蛾となり火の粉を鱗粉の様に散らせながら宙に舞った・・・
「犀鶴様・・・火の式神では蛇神には」
「蛇神は水神、火と水は相克は承知。村人を助けれるか見るためにすぎん」犀鶴は蛾炎が照らす場所を見る「・・・弓を持って来い!!」
犀鶴は村人を見るなり使いに叫ぶ。陣の中にいた村人は鍬と鎌を構えて辺りを見回す。時折、化け物出てこい!!と叫ぶ声が聞こえた
「犀鶴様、弓と矢で御座います」
「誰が矢を持って来いと言った」犀鶴は立ち上がり使いから弓だけを奪い取るように受け取る
「申し訳ありません・・・して村人はいつ救えば?」
「無理だ・・・囲まれておる」犀鶴は弓を力強く引く
「助けれないと申されるのですか!!」
不意に村人から天が裂けるような悲鳴が上がると一同が照らされた場所を見た。声の主であった村人の体が突如不規則に浮かび上がる
「・・・浮いて・・・いる」装束を纏った者が口に震えながら漏らす
「蛇神の神通力ではない」犀鶴は弓を引くてが震える。高齢であるため引く力が無いためだ「蛇神の歯牙が腹に突き刺さっている」
「では・・・」
「場所が解った・・・お主等、楽隊に影縫いの合図をさせよ」
「犀鶴様は?」
「蟇目で蛇神に杭を打つ」犀鶴は見えない矢を放った
「影縫いの合図じゃ!!」蓮華が扇を振り上げる「蛇神を狙うのではなく影・・・地を狙うのじゃ!!」
一斉に護衛が隊列をなし弓を引く・・・狙う先は宙に浮いた村人の周辺の地
「待て!!間違えれば村人に当たる!!」巽は蓮華の振り上げた腕を掴む「まずは状況を把握してからだ!!」
「巽・・・犀鶴様が蛾炎で照らしたあの者・・・すでに生きてはおらぬ」
「だが、まだ解らないぞ!!」
「・・・もし生きていても、蛇神の気に毒されておる」
「それでも・・・」
「巽・・・これは戦じゃ、死ぬ者が出るのは悲しいかな当然じゃ・・・だが、あの者は死ぬ代わりに我らに一筋の道を照らした・・・蛇神の場所というな。我らはあくまで巽・・・御主が確実に蛇神を斬る、勝てる勝機を造ること。今を逃せば別の被害が出る」
「蓮華・・・」
巽はゆっくりと蓮華を掴む手を離すと、護衛達は再び弓を構える
「放て!!」蓮華は扇を振り下ろす
だが、鹿沼に突風が吹く。護衛が放った矢は狙った場所から大きく逸れた。
「何だ・・・この風は!!」巽は腕で目元を守る「肝心な時に・・・それに耳鳴りも・・・糞!!」
「蛇神じゃ・・・蛇神が吼えている」蓮華は伏せる「直ちに影縫いを止めるよう合図・・・」
数人の護衛が動きを止める・・・喉元に狂い無く矢が刺さっていた。向かいから射られた矢が蛇神の起こした風に乗り飛んできた
「早よう!!身を伏せろ!!楽隊は合図じゃ!!巽、身を隠せ!!主が死んだら意味が無い!!」
『お前が・・・我を喰う神か・・・』巽の頭に声が響く
『お前は・・・この人間のように歯牙にかけては・・・やらぬ』
『後悔させてやる・・・神に挑むは愚かな事・・・そして村人から恨み辛み・・・を言われ・・・黄泉の亡者に四肢を裂き・・・永劫の苦しみを与えよう』
神の言葉を静かに聞く巽の噛んだ口元から血が一筋流れた
「この陣の被害は」身を伏せた犀鶴は体を起こしながら使いに尋ねる
「三人・・・全て喉元を貫かれております。まさか弓を居ると同時に突風が吹くとは」
「どこにそんな偶然がある。蛇神が神通力で風を起こし自滅と動揺を誘ったようだ」
「まさか犀鶴様の蛾炎と蟇目が・・・」
「いや、蛇神があれ如きで怒るわけがない」犀鶴は自分の座に座る「怒るどころか笑っている」
「では蟇目は?」
「当たった」
「しかし・・・蛇神に変化は」
「ただの杭だからのう。蛇神には痛くも痒くもない」犀鶴は空を見る「東の空が明るくなってきた。死気が生気に転じる・・・」
「では夜明けと共に」
「いや・・・蛇神自体が力が強い・・・転じた所で何も変わらない」犀鶴は髭を触る「油と壺、紙を急いで用意しろ」
「何を・・・」
「葦を燃やし尽くし影が出来るようにする。また土気を強め水神である蛇神を弱らす」
使いは犀鶴の話を聞くと傷を負っていない護衛を数人見繕い村に降りていった
「巽殿・・・今はそなたの出番ではない。堪えよ。蛇神の言葉に誑かせるな・・・いずれ必ずそなたの出番が来る。間もなく蛇神は沼へと身を隠す・・・暫く休むが良い」犀鶴は鏡を覗く「蛇神よ・・・人を愚かというそなたは人に敗れる・とは微塵も思っていないのでしょう・・・だが、そなたの傲慢が自ら滅びへと誘う」
「水をせき止める堤も小さな杭一本で時には崩れますよ・・・」犀鶴は笑う
神殺し、一夜目は終わりで御座います
次の話を待たれませい
今回はこれ限り
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