26

 見事に化けたものだ。

 姿見の中の自分を見て、ティーナはほうっと息を吐いた。十七公家の会合の為だけに誂えられたドレスは、ロイズが好きだという藤色のものだ。決してグラマラスとは言えないティーナの体型をカバーするために、ペティコートから何からで質量を出している。


 子供っぽいカジュアルドレスを着ることが多いティーナからしてみると、露出した肩やコルセットでしっかり締められた腰回りには違和感しか感じられない。祖母や母のドレスは皆こうしてコルセットを使うが、ティーナが持っているドレスはそれが必要ない簡素なものばかりだった。


「ね、ねぇユリウス、リリア? 少し苦しくないかしら……」

「何言ってるんですかお嬢様。ただでさえ貧相な体してらっしゃるんですから、締めるところは締めないと!」

「ちょっとリリア、貧相は言い過ぎよぉ。奥様は……そうねぇ、多少可愛らしい体形をしているというだけ。でも、正式なパーティでコルセットも締めないっていうのは、ちょっとだらしがないわ。苦しいと思うけど、頑張ってねぇ」


 お仕着せの上からでもわかる魅惑の体系のリリアや、口調こそ女性であるが心までしっかり男性のユリウスはどうやらティーナの気持ちを理解してはくれなかったらしい。

 刻一刻と迫る夜会のその時まで、ティーナはこのドレスと戦い続けなけれなばらない。


「いやぁ、でも旦那様にもお見せしたかったわぁ。こんな日に夜勤だなんて、ついてないわねぇ」


 頬に手のひらをつけて体をくねらせたユリウスが、ご愁傷さまと言って肩を竦めた。このところ軍部も忙しいのか、指揮官であるロイズでさえ週に一度は夜勤で泊まり込むことになっていたのだ。

 普段なら職務だから仕方がないと納得するティーナも、今ここにロイズがいないことが少し心細くもあった。


「取りあえず会場まではまた私がお送りしますから、そこから先はパルムークス公にお願いしてくださいね?」

「う、うん。ありがとう……うぅ、やっぱり苦しいわ」


 諦めたように椅子に座ったティーナは、結局それから本を読み始めた。

 ユリウスが彼女を呼びに来た頃には、以前カインから渡された「宿題」の本を半分ほど読み進めていた。最近はあまり読めていなかったから、これでもいい具合だろう。


「奥様、馬車の準備が出来たわよ。乗って頂いていいかしら?」

「あ……ごめんなさい、今行くわ」

「気にしないでくださいな。ゆっくり行きましょう?」


 エスコートされるように、手を差し出される。ユリウスの所作は完璧だ。恐らくロイズなら暫く手と足が一緒に出ているだろうし、多分こうして手を差し出してくれることもないのではないだろうか。

 それでも、取ったユリウスの手は柔らかい。男性独特の武骨さはあったけれど、ロイズの剣だこだらけの手とは大分違った。


 無意識にそんなことを思って、我に返ったティーナはハッと顔を上げた。高い位置で、ユリウスが笑いをこらえている。


「ごめんなさいね、旦那様じゃなくて」

「そ、そういうつもりじゃ……! その、ユリウスの手、柔らかいなって」

「あら、そうかしら? そりゃ、軍人の旦那様と比べたらごつい方じゃないとは思うけど」


 自分を眺めてひらひらと振ってみたユリウスが、にんまりと口角を吊り上げた。

 確実に、よくないことを考えている顔だ。この数か月ともに屋敷で過ごしたのだから、それくらいはティーナにもよくわかる。


「っていうか奥様、手に触っただけで旦那様のこと思い出しちゃうのねぇ。いやぁ、新婚って熱いわぁ。真夏のロスガロノフみたい」

「だから、そうじゃなくて! ……あれ、ユリウスは夏のロスガロノフ、来たことがあるの?」

「えぇ、そりゃ何回もあるわよ。旦那様の名代で、奥様との結婚前は何度もお屋敷に通ったわ。その時は全然、奥様も私に気付いてないみたいだったけど」


 そのことは、全く知らなかった。

 基本的に父の仕事関係には口出しをしないし、応対もしたことがない。知っていたら、もう少しユリウスと打ち解けるのも早かったのかもしれないのに――馬車までの道で、ティーナはそんなことを考えていた。


 そもそも、自分の結婚に話し合いの場が持たれていたことすらティーナは初めて聞いたのだ。勿論そういった場が持たれない限り彼女がロイズと結婚することはなかったのだろうが、些か意外でもある。


「ちなみに、旦那様本人も行ったことあるみたいよ。その時はまだ中央での仕事と地方の仕事半々でしてたから、合間を縫ってたみたいだけど」

「え、えぇっ!? そんなこと聞いてないわ」

「旦那様がわざわざ言うようなタイプに見える? ほら、足元気を付けて」


 いつもと同じように馬車に乗ったティーナは、せめて父も一言言ってほしかったと息を吐いた。

 結婚が決まっていたならティーナはそれを嫌だと言うことはなかったし、友人たちから聞いた噂にちょっとだけ怖い思いをすることもなかった。

 ――或いは、その時ロイズに恋をしていた可能性だって無きにしも非ずだ。


 貴族の結婚にそんなパターンがほとんどないのは十分理解していたが、今のロイズとの関係を考えるとやっぱりお互いの好きな食べ物くらいは結婚前に聞いておいた方がよかったのではないかとすら思える。ごく最近はそうでもないが、ロイズは最初ティーナと目を合わせることもまともに出来なかったのだ。


「お父様もロイズ様も、意地悪ね」

「あら、そうかしら? 私は旦那様が使い物にならなかっただけだと思うけど」


 雇い主にも辛辣なユリウスが、ティーナの髪を崩さない程度に撫でて少し笑った。これからパーティへ行くのに、辛気臭い顔もしていられない。


「声、かけられなかっただけよ。だって旦那様、ロスガロノフから帰ってきた時は心なしか顔がゆるんで――あ、旦那様に言っちゃだめよ? 私あの腕に締められたら死んじゃうから」


 ぱちんと片目をつぶって、ユリウスはそうおどけて見せた。

 第一区に入ると既に馬車が至る所に留まっていて、貴族の令嬢たちがこぞって大きな夜会へと繰り出している。

 それを見て心なしか表情の固くなったティーナを、ユリウスは根気よく宥めつづけた。


「大丈夫よ。叔父様がいらっしゃるんでしょう? それに、案外奥様が考えている以上に楽しいかもしれないわよ? 十七公家の会合なら旦那様の面子なんて最初からないようなもんだし、思いっきり楽しんでくればいいわ」

「ユリウス……」

「で、疲れたら呼んで頂戴。すぐに迎えに行くわ」


 大きな門から、都邸に入る。つい先日アレッセイに挨拶をしに行った時と同じだ。私兵は、ティーナを認識するとすぐに中に入れてくれた。

 ユリウスの手を借りて馬車を降りると、周囲につけられた馬車にはやはり公爵家の紋章が書かれている。


「じゃあ奥様、頑張ってね。でも絶対、無理しちゃダメ」

「えぇ、ありがとうユリウス。疲れたら呼ぶから、迎えに来てね」

「勿論。さぁ、行ってらっしゃいませ奥様。御武運を」


 武運だなんて、大げさだ。

 けれど声を低くしたユリウスが真面目くさってそう言うものだから、心なしかティーナも背筋を伸ばした。

 扉には老執事アーロンも控えており、恭しく腰を折られる。


「お待ちしておりましたティーナ様。どうぞ、お入りくださいませ」

「ありがとう。叔父様は、やはり忙しくなさっているんですか? 到着したことをお知らせしたくて」

「ははぁ、ホスト役としてそれぞれの公爵家の方に挨拶を受けられております。お時間がかかると思いますので、ティーナ様もお寛ぎになってくださいませ」


 やっぱりすぐに会うことはできないらしい――会場についたティーナは、気のいい笑顔の使用人から飲み物を受け取った。

 会合というからてっきり小ぢんまりした会議室のようなところを想像していたのだが、いたって普通のパーティ会場だ。立食も出来るようになっている。


 会場の一か所には確かに人だかりができており、その中心はホスト役のアレッセイとその妻エヴァネッサであった。


 確かに、あれではしばらく近づけないだろう。

 適当にクラッカーなどをつまみながら、ティーナはきょろきょろと辺りを見回した。噂に聞いた、ヒーストレイア女公爵を一目見たいと思ったのだ。

 

「誰かを探しているの?」

「ヒーストレイア女公爵様を……叔父様からお話を聞いて、是非会ってみたいと思っていたんですけれど」

「ヒーストレイア女公爵? プリメラ様ならまだアレッセイ様のところにいるようだ。見てご覧、赤いドレスのご婦人がいるだろう? 彼女がヒーストレイア女公爵プリメラ様……残念だな、俺を探しているわけじゃないなんて」


 ふと、ティーナは顔を上げた。

 自分は今、誰に向かって話しかけていたのだろうか。

 声の方に視線を向けて、その後ティーナは盛大に固まることになった。


「それにしても、今日のドレスはいいね。前のは子供っぽかったけど、それくらい肌を出したほうが逆に見栄えがするよ。旦那様の趣味かい?」


 にっこりとほほ笑んだその瞳は、目の覚めるようなアイスブルー。月の祝福を受けた金髪は、何度見ても硬質な印象を受ける。

 そう言えば、いても何らおかしくはないのだ。彼だって、十七公家の一席を担うベリーハット家の当主なのだから。


「お兄様、お、お久し振りです」

「あぁ、久し振り。しかし今日は旦那様はいないのか、残念だ」


 唇にうっすらと笑みを浮かべて、ベリーハット公ディートハルトはティーナの髪を一房掬い上げた。

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