魔術師たちの昏き憧憬 #12



 仮にシュト市を上空から見下げる機会があったとすれば、この極東一の大都市が円形に広がっていることがよくわかることだろう。


 役所や市警本部等の重要施設を備えた一番地区を中心に、工業地区、商業地区、下層市民居住地区、高級住宅地区、倉庫地区―― 等々。主要な施設ごとに分かたれた区画にはそれぞれ識別用の番号が割り振られ、最近では一部を除く全区画に市営の汽車が通っている。


 円状の都市に円状に敷かれた線路(レイル)を走る汽車は、俗称を【環状鉄道】という。


 トキヤもしばしばこの環状鉄道には世話になっているが、区画ごとに役割がはっきりとしている性質上、利用する駅(ホーム)は限られている。彼はシュトに住まってすでに六年が経っているが、二十八番地区にて下車するのは初めてのことであった。


「普段はどのくらいの時間に行動なさっているのですか?」

「いつもは今回より少し早いくらいよ。……いつ来てもこの辺りは静かね。物乞いのひとりも居やしない」

「そうですね。このあたりはボクの住む辺りと比べれば、警邏も多いですし治安は良い方です」


 所が変われば雰囲気も変わる。

 プラット・ホームは画一的な構造をしているが、ヒトの行き来が激しい場所ともなれば、その場所の特徴がよく現れてくる。


 例えば、トキヤの住む二十四番地区や、さらにその低層が住まう二十二、三番地区の駅周辺には物乞いが多い。二十四番地区の駅員は物乞いたちを定期的に追い払っているが、二十二、三番地区の駅員は半ば物乞いたちが駅に居つくことを諦めており、好き放題にやらせている。おかげで少しでも身なりの良い者は、汽車から降りた瞬間には物乞いの集団に取り囲まれてしまう。

 そんな劣悪な環境もあれば、この二十八番地区のホームのように、絵に描いたような「普通」の場所もまた存在する。この周辺は低所得者が集まる地区と比べて配置されている警邏の数が多く、住宅の密度が低い。ガス燈もしっかりと整備されていて見通しの悪い路地が少ないこともあって、犯罪件数は俗に「下町(スラム)」と呼ばれている地域に比べるべくもなく少ない。

 レイカたちのような身なりの良い世間知らずの令嬢が定期的に通っていても問題が起こらなかったのは、そのおかげだ。もしも件の屋敷が下町にでも存在していたら、トキヤが割って入るまでもなく、すでになんらかのトラブルに巻き込まれていたことだろう。


「地図によれば、お祖父様の邸宅はずいぶん奥まった箇所にあるようですね。周囲には他の建物も少ないようだ」


 トキヤはレイカが持ち込んだ手描きの地図と、シュト市が定期的に更新しては発行している地図を見比べる。レイカたちの祖父の家があるという場所の周辺には、商店はおろか民家の数も少ない。溢れかえる低所得労働者が狭い土地に建て増しを繰り返して無理やり住み着いている下町とは違い、この周辺はまだまだ土地の余裕があるようだ。


「あの屋敷の周囲にはまだ手のついていない土地が多いのよね。あんなところに住んでたら不便だと思うのだけど、祖父は何を考えていたのかしら」

「よっぽどひと目に晒されたくないものでも隠していた―― とかではないでしょうか」


 冗談めかして言ってみせるトキヤだったが、その実「何かが隠されている」という点に関してはほぼ確信を持っていた。


 間違いない。レイカたちの祖父には何か秘密がある。


(あとはそれが魔術絡みでないことを祈るばかりだが……)


 トキヤのロング・コートのポケットの中に入っている銀時計。それが不安の種だ。

 内心の複雑な感情を押し殺したトキヤの発言に、レイカは薄笑いを浮かべ、フウカは何やら神妙な顔つきで黙りこんだ。


「まさか。――確かに祖父はちょっと不健全な趣味を持ってたけど、後ろ暗いことはなかったはずよ」

「不健全な趣味、ですか」

「オカルトよ、オカルト。黒魔術とでも言うの? 西洋の神秘にかぶれて、昔から色々な呪物だとか、出所の分からない資料だとかを集めては研究の真似事をしてたわね」

「それは…… また大層な」


 あからさまに表情が歪むトキヤ。

 その真意を知らないレイカはなんでもないことを話すように続けた。


「変に思うわよね、普通は。……特に祖母は祖父のその趣味を毛嫌いしててね。出会った頃はそんなふうじゃなかった、っていつも喧嘩してたわ」

「まさか、不和の原因は……」

「それだけじゃないとは思うけれどね。――私は結構好きだったけどなぁ、おじいちゃんの話」


 昔を懐かしむように虚空へと投げかけられたレイカの視線。垣間見せたいとけない横顔に、トキヤは一瞬見入った。

 彼女(レイカ)は―― 否、彼女たち姉妹は美しい。美醜の感覚が純粋な極東人と異なるトキヤでさえも、姉妹の美しさは際立っていると感じていた。

 まさに温室育ちの華といったところか。レイカには少々棘があるが、華奢な華であることは変わりない。むしろ外見の刺々しさとは裏腹に、その生命力自体は希薄に感ぜられるほどだ。


「地方の民間伝承とかね。平たく言ってしまえば「怖い話」だけど、小さい頃はそれを聞くのが好きだった。フウカなんかは怖がっちゃって、夜中に――」

「お、おねえちゃん!」


 昔話にフウカの抗議の声が上がる。調子外れの声にトキヤが思わず視線を差し向けると、フウカは茹でた蛸のように急激に顔を紅潮させ、俯いてしまった。心なしか物理的な距離も空けられてしまった気さえする。わすかでも縮まったと思っていた距離感が、元に戻ってしまったような気分にさせられた。


 レイカは妹の様子を見て愉しんでいるようだ。どうやらワザとその反応を引き出しにかかったらしい。トキヤをダシに、フウカをからかったのだ。


「――とまぁ、祖父はそういうヒトだったわけ。だからといって、怪しいことに手を染めていたわけではないと思うわよ。少なくとも、ウチに居た頃はそんな素振りなんてなかったし」


 レイカの言う「怪しいこと」というのは、表向きに伝わっている黒魔術的な儀式等の、"あからさまに神秘的な行為"のことを指すのだろう。トキヤの危惧している魔術とは、認識に明らかな隔たりがある。

 見られたら変に思われる程度の問題ではない。もしも本物の魔術が関わっていたとしたら、本人だけに留まらず広範囲にわたって悪影響が出るおそれがある。


(棒でつついたら蛇どころか竜が出てきた―― なんて事にはならなければよいが)


 レイカの祖父がかぶれていたというオカルトが、表層だけのものであることを祈るばかりである。




 ちらほらとそのような会話をしながら歩むこと数十分。

 トキヤたちはようやく件の屋敷の目の前にたどり着いた。

 時刻は午後十五時二十分ほど。日没まで三時間半あまり。実際に目の当たりにした屋敷はそれほど広大ではなかったが、くまなく探索するには充分な時間とはいえない。何しろ、姉妹がすでに一週間かけて探索しているというのに、手がかりのひとつも発見されていないのだ。


「着いたわ。ここが祖父―― ショウダイ・マミヤの家」


 ショウダイ・マミヤ。それがレイカたちの祖父の名である。

 道すがら手に入れた情報によれば、ショウダイは元・記者。旧家の末子であり、レイカたちの祖母とは西洋に留学していた時代の学友で、それが縁で婚姻を結んだのだという。


 享年六十三歳。記者として活躍していた時期は少なく、十年以上前にアカギリ一族から出奔して以降の職も不明。オカルト趣味は元からだったようだが、五十を過ぎてからの入れ込みようは半端なものではなく、それが妻との仲違いの一因となっている――。


 得た情報を脳内で反芻し、トキヤは門外から屋敷を睨めつける。

 少なくとも一度、ショウダイは"豹変"している。レイカたちが殊更問題にしていないことから、それは緩やかで目立たない変化だったのかもしれないが、何らかのきっかけで彼が変質をきたしたのは明らかだ。


 もしもショウダイがアカギリの家を出た理由が、「妻との仲違い」ではなかったのだとしたら。


 嫌な想像に心がざわつく。まだ何も確たるものは見つかっていないのだと自身に言い聞かせ、トキヤは濁りかかった眼を正す。可能性にフィルタを掛けられてはいけない。確証が得られていない以上は、あらゆる展開を見据えて行動しなければならないのだ。――叔父の言葉だった。


「――では失礼して、さっそく改めさせていただきましょうか」


 少しだけ緩んだタイを締め直し、トキヤは自身を戒めるようにそう呟いた。

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