第37話 食べログ3.0の中華料理屋の魅力
サトシは、人がいない中華料理屋が好きだった。ただし、毎日いく、というわけではない。定期的に、体がそのような中華を欲しくなる。
「人気のある中華」ではない。味が今ひとつピンとこないが、しかし、ご飯は大盛りで腹には貯まる。油もたっぷりで食欲はそそる。そのような雑な大皿の中華がでてくるような店。そこで、茄子の豚肉炒めかチンジャオロースを食べる。客は、他に1組か2組で。店の人は中国語で雑談をしているか、テレビがついている。なんだか机の上はベタベタしているが、拭いてもベタベタは落ちない。食べログの評価は3で、可もなく不可もなく。
サトシはそんな中華料理屋が好きだった。どこの町にも1軒くらいはある。ターミナル駅にもあれば、地元の駅にもある。なぜまだ商売ができているかわからないくらいやる気のない店だが、それでも数年は続いている。
サトシはこう思う。俺のように、たまにこういうどうしようもない中華が食べたくなる奴らがいるのだ、と。
そんな店に訪れる金髪でタバコを吸うカップルや汚れた革靴のサラリーマン、時には、大学生ぐらいの若者たち。そんな彼らを見ると、サトシは、なぜか友達の気分のような感覚になる。こんなぱっとしない中華屋に集まるような奴らにはなぜか連帯感を感じるのだ。特に金曜日なら尚更だ。町中が華やかで、浮足立つ中、ピンとこない中華を食べる仲。時には「助けられたな」という気分にさえなる。1人で過ごすクリスマスでもここを訪れれば普段と一緒の風景が流れている。
友人は「味がいまいちで続くのが不思議な中華が、長年続いているのは、裏で象牙を売ってるからだ」というブラックジョークを言っていたが、それはそれで、合っても良いんじゃないかと思う。サトシ自身が実際にアフリカにいった時に助けてくれたのはどうしようもない中華だった。華僑は偉大だ。アフリカの小さな町にもいる。そして中華の店をしている。米を食べたいサトシは、その中華屋に足をはこんだ。日本で食べるよりもよっぽど高かったけれど、そのイマイチなパスタのようなラーメンの味付けがうまかったこと。ケニアでは両替さえも中華料理屋がやってくれた。
味が優れない中華はきっと町に欠かせない何かなんだろう、と夢想する。それは消防署や公園のように、住民たちがたまに避難するようにその店に駆け込む。いまいちな中華料理屋がある町とない町での市民の幸福度を図っても面白いな、とどうでもよいことを考える。
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