第1章 Y 侵攻 to HG

HRA-MA-79-01-001




――――――なんでこいつらは、そんなに俺を嫌うのか



ノエルは心の中で悪態をつきながら、目の前の相手と対峙する。


その相手は、高さ約2メートル。

体長の約2倍ものある翼、そして、硬い鱗に覆われたケモノとは少し異なる独特なフォルム。

その姿はまさしくリュウそのものだが、やはり前脚がない、竜孔(りゅうこう)と呼ばれる器官がないので、ワイバーンと呼ばれる種類に分類される。

さらに彼らは複数の種類に分けられるが、このワイバーンは基本的に穏やかな性格だ。

品種改良もされているため、ヒトを攻撃することはほとんどないはずだった。


ノエルは、下唇を噛みながら思考する。


こうなるまで、一瞬の出来事であった。


この授業担当者であるエイモスト教官。

彼が野外で実習すると言い出した時から悪い予感はしていたのだ。


だが、今は文句をたれている場合ではなかった。

ノエルは攻撃されないように、マニュアル通りに相手の目を見続けなければならないからだ。



ワイバーンは以前、警戒の体勢を保つ。


体を大きく見せるためか、翼を大きく広げ、黄色い瞳は燃えるように、爛々とこちらを見据える。もし相手が不審な動きをするものなら、この鋭い爪で引き裂いてやると言わんばかりに、地面を足の爪で引っ掻いては掘り起こしている。



「おい下がれ! もっとだッ!! もっと下がれつってんだろ!」


エイモスト教官が背後で、周りの生徒に向かってそう叫んでいるのが聞こえた。

ノエルは、自分の周りからみんなが遠ざかっているのを背後で感じる。


なんだか囮にされているかのような気がして、納得のいかない感情を抱きはじめるが、今はそんなことを思っている暇はない。


ノエルは、息をひそめて、マニュアルにあったようにゆっくりと後退。

相手との距離を取る。


心臓が高鳴る。

これは正気でいられるはずがない。


だからさっき言ったのだ。

「ワイバーンに首輪をつけろ」、と。

しかしそんなノエルの発言も、担当教員の「大丈夫だ」の一言で済まされた。

結果、彼の心配は今こうして現実のものになっている。


ノエルは後退を試みるも、それを察知したワイバーンは動くなと言わんばかりに翼を広げては威嚇する。

近づくのも逃げるのも許してくれないようだった。





この学校に入学して、初めての授業でのことだった。


思えば、ここまで一瞬の出来事であった。

あの鋭い牙や爪に切り裂かれたら、死ぬのも一瞬であろう。

それで死んだとしたら、その呆気なさに吐き気をおぼえる。



ノエルが緊張で乾燥した唇をかんだ時、ふと肩に手を置かれる感触があった。


ノエルは思わず振り返ってしまった。

それは反射的ともいえるが、妙に安心させるような力強い手だったからだ。


エイモスト教官は、そのぼさぼさな黒い髪を片方の手で掻きながら、しかしその瞳は静かにリュウを見つめていた。


「悪かったな。・・・後は任せろ」


彼はそう言うと、ノエルとワイバーンの間に無理やり割り込んできた。


このワイバーンとエイモストは言ってみれば、主従関係が成立した仲だ。

飼うものと育てられるものであり、きちんとした教育はなされている


しかし、親である彼を前にしても、依然としてワイバーンの興奮状態は収まらず、さらに敵が増えたと勘違いしているのか、足踏みをして後退する。

エイモスト教官はこれをみても表情を全く変えず、どんどん前へと、ワイバーンへと近づいていった。



「ちょっ! 危ないですよ!」

放心状態に陥っていたノエルは、教官の突然の行為に唖然とした。


今のワイバーンは、明らかに正常ではない。例え飼い主であろうと攻撃する危険性があるだろう。




主に、リュウが攻撃をけしかけるのには、次の要因があるとされている。


たとえば、動いている物体。

ワイバーンは肉食であり、狩りをして暮らしている生き物である。そうすると必然的に自分より小さな、動いている物体を感知すると攻撃したくなる衝動に襲われという。


たとえば、自分が攻撃されそうだと判断した場合。

生きていくうえで必要な生存本能が働き、防衛反応が反撃を促す。つまり、外敵から身を守るための必要な機能だ。


だから、教官が今やっているような動作を行えば、どうなるかは一目瞭然であった。




ワイバーンは身をかがめる。


腿あたりの筋肉が増大し、足場であった地面が容易く凹む。

まるでバネの弾力のように滑らかに働いた力が前方へと、勢いよく跳躍する準備を始めた。


後ろに避難していた生徒から何人か、悲鳴が上がる。


ノエルはリュウから注意を買うにもかかわらず、教官が行おうとしている行為を止めさせようと叫んだ。


「下がってください!! いくら教官でも危険です―――!」


しかし、時すでに遅かった。


教官はワイバーンが瞬間的加速をかける前に、自分の身ごとワイバーンに突っ込んだ。

不意を突いたのか、はたまた運が良かったのか、ワイバーンは変に体をのけぞらせる。

教官は、その隙を見てワイバーンの鼻を押さえると、そのまま器用に首に捕まり、ワイバーンの背にまたがった。


全てが一瞬の出来事だった。


そして、それによる効果は絶大だった。

ワイバーンは悲鳴を上げ、後退し、アンバランスに翼を荒々しく上下に羽ばたかせる。


草葉などのゴミが舞い上がり、それをもろに受けたノエルは倒れ込んでしまう。強い砂埃が襲いかかり、ノエルはおもわず腕で顔をかばった。



「・・・普通じゃない」

ノエルは倒れ込んだまま、ボソリと呟いた。

このときノエルは安堵を超えて怒りを覚えていた。



砂埃の中を教官は、服についた土埃を払いながらこちらに近づいてくる。


「ノエル=オークバード、怪我はないか」

開口一番、エイモストはそう言った。


「ええ、俺は(・・)大丈夫です」

ノエルは、エイモストから差し出された手を無視し、起き上がった。

しかし、彼はこれに会さず、「それはよかった」とだけ言った。




ノエルは、向こう側に視線をやる。



ワイバーンは沈黙した。


別に死んでいるわけではなく、気絶しているわけでもない。リュウを気絶させるなど、並大抵の手段ではできない。


リュウの視覚と嗅覚を麻痺させる植物をワイバーンに嗅がせたのだ。これは、リュウの行動を制限するときに比較的メジャーな手段でもある。鎮静作用もあるため、今見ても分かるようにワイバーンはさっきまでの容貌が嘘であったかのように穏やかな顔をしているが、視覚を奪われているので周りを必死に見回している。




「さて・・・―――品種改良された“レア種”は、パニック状態に陥りにくい。だが、今のような危険なケースの時に有効になるのが、今実践でやったような粛清方法だ」


エイモスト教官は、生徒を一旦落ち着かせてから、そう話し始めた。

しかし、ノエルは落ち着くどころか、怒りの感情が湧いていた。



―――――冗談じゃない・・・!


ノエルは挙手し、そのまま相手の合図を待たないまま発言した。


「俺は教官に言いましたよね? 首輪をつけろと」


「ああ、言ったな」

教官は驚いたような表情を見せるが、ノエルはさらに続ける。


「その時、教官が俺の話をちゃんと聞いていれば、誰も危ない目に合わせることはなかったはずです。だいたい、教官が取ったあの行動が最善の策とは、俺には到底思えません」



ノエルがそう言ったとき、ちょうど校舎側から鐘の音が聞こえてきた。

授業終了を告げるチャイムである。



「・・・これで授業は終わりだ。各自、次の授業には遅れないように」


エイモスト教官は、授業終了の合図である鐘が鳴ると、首輪につながれたワイバーンの方へ歩いて行った。


ノエルはそれを横目で見ながら、校舎への坂道を急いだ。






・・・・・・・・・・・・







暗い雨雲が大地を覆う。



降り続ける雨は校庭の景色を灰色へと染め上げ、図書館の窓際の席に座るセシリアが外の景色を眺めてもそこには何も見ることができない。

いつも見える校庭の木や花壇はその姿を灰色に隠し、色の無い簡素な景色だけが広がっていた。



彼女セシリア=コリンソンは、目の前に重なり合った本の山を見て、大きくため息を吐く。

教科書は開いたまま机いっぱいに広げられており、4人分が使えるだけの広さがあるテーブルを占領していた。

彼女が手に持っている本の表紙には『臨界値付近における元素の立ち振る舞い』と、本文には硬い字で書かれた文章が400ページを超えて連なっている。


セシリアは文章を目で追いながら、そのページに付箋を張り付けると、約数分間のペースで次のページをめくっていく。

しきりに目線を移動させ、ありったけの情報を記憶していく。さらに、頭に入れておいた今までの記憶、知識とその情報の共通点を模索していく。


彼女は夢中であった。それこそ、未知のものに触れる子供のような瞳でひたすら本を読み漁っていた。





セシリアは、小さい頃から本を読むのが好きだった。

そこには、彼女の知らない世界が無限に広がっていた。

ときに数字や難解な専門用語、ときに幻想的な風景や美しい生き物、美しい言葉、哲学など。


この世界が本当はこんなに美しく、こんなに壮大だったことに気付かされた。

その時の衝撃は、何事にも劣らないものだった。



だが、現実は彼女が夢を馳せていた所とは大きく違った。


挨拶で失敗すると後ろ指を指されて笑われる、自分が思っていたことを伝えようとすると苦笑いされる。クラスメイトの話している内容についていくことができない。


本の中は夢であふれているのに、現実は自分が思っていたものよりも複雑で、細かくて面倒くさかった。

気付けば彼女は自分の殻に閉じこもってしまい、他人と接することが怖くなっていったのだ。


幼少期に他人とのコミュニケーションを取らなかったから今になってそのツケが回ってきたのか、それとも自身の問題なのか、

だからといって、どうすればいいのかなんて彼女には分からない。


どちらにせよ、彼女が取る行動は一つ。今日もこの専門書の山からありったけの知識を自分の頭の中に放り込んでいくだけだ。





セシリアは集中していた。


探したかった資料のページに付箋を貼り、また別の本から別角度から見た問題への考察を見つけ、同じように付箋を貼る。

そして、この問題はどういうことを言っているのかを根本的なところから理解し、また応用としてどういうことが考えられるかを考えていく。


無駄な聴覚や嗅覚、触覚からの無駄な情報の一切を断ち、頭の中にある情報の整理を最優先にして、時にはノートを使いまとめていく。



この作業をしていると、周りの様子など一切分からなくなってしまうが、誰の視線の意識しないこの時間が彼女が最も安心して過ごせる時間だった。


だから彼女は、いつだって誰にも話しかけられないようにと願っていた。



「あのさ、聞いてる? 座ってもいいかな?」


「聞いてる? 二人分だけでいいんだけど」


ふと、本を読んでいたセシリアに声がかかる。

顔を見たことあるが、喋ったことはない同級生の二人の少女が、自分を見下ろしているのに気付いた。



「ここはみんなの図書館だから、一人で4人分の席を占領するのは良くないと思うの」


一人がそう言うと、もう一人は“そうそう”とうなずく。

二人のその手には、大量の本が抱えられている。


周りにも席はあるのだが、他の席は空いていない。




今日は大雨だ。

こういう日はみんなたいてい室内にいるので、いつもはあまり人のいない図書館は賑わいを見せている。


ときには、図書館の席が埋まってしまうこともある。


セリシアはここを出てから、どこにも行くあてがなかった。


もしここを追い出されてしまうと、他の何処にも彼女の居場所はないのだ。

それは彼女にとって決して小さな問題ではなく、恐怖を感じてしまうほど大きな問題だったのだ。



だから、セシリアは雨の日は嫌いだった。



「ごめんなさい。・・・よければ、どうぞ」


しかし、彼女は席を立ってしまう。


冷静に考えれば、席を譲るだけ。

あまりに他愛もないことだったが、焦りと動揺で正常な思考ができなくなった彼女は、そのまま目の前の同級生を追い抜き、小走りに逃げていく。




――――――――なんで・・・



セシリアは図書館から逃げるように、振り向かずに廊下に出る。

途中、教員が彼女を注意するが、今のセシリアにはそんなことに気付く余裕はない。


道行く生徒たちは走る彼女を目で追うが、特に声をかけるでもなく、また何でもなかったかのように友達と会話を再開する。



―――――どうして・・・!



必死になって答えを探そうとするが、そんなものはそこら辺に落ちている訳もない。


走るセリシアの靴底が固い地面にあたり、廊下中に自分の足音が響き渡る。



どこに行くわけでもない。ただ遠くへ行きたい。

誰にも話しかけられないくらい、遠くへ・・・



今の彼女の心の中では、その一心だけであった。




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