都会の僕と故郷の彼女 2


 映画を観終えると十一時を回っていた。深夜まで営業しているドーナツショップで軽くお茶でもしてから帰ろうかということになった。


 南辺の町も商店街がリニューアルしてからお洒落な店や大手のフランチャイズ店が増えた。特にここ最近は町全体がめまぐるしく変化していっているように思う。


 それは北岸地域があのような災禍に見舞われたことも影響しているのだろう、企業や経営者が新規事業開拓するならば南岸地方という方針に転換しても不思議じゃない。


「ねぇ、どうしてもわかんないんだけど、あそこでカズがどうして犯人だってばれたのかな?」美咲はドーナツの穴から僕を覗き込んで言った。“カズ”とは嶋田カヲルが演じていた主人公の名前。


「えっ? ペン落としただろ、その前に」

「そんなシーンあったっけ?」

「あったよ、相変わらず話の内容観てない奴だなぁ」


 映画を観た後の彼女と僕のやり取りは大体こんな話が多い。それで僕が改めて話の内容を説明するはめになるのだ。


 僕らのデートは映画が多かった。特にこのショッピングモールに大きなシネコンが出来てからは高校の時からかなり頻繁に通っていた。


 皆川さんの写真展に入ったあの日もやはりデートは映画だった。あの催事場は、今ではコンビニになっている。


 あの時あの写真展に入らなければ僕は奥田美和とのことをずっと忘れたままだっただろう。そして皆川さんとの再会もなかったはずで、今僕が映像系の専門学校に通うこともなかったかもしれない。未だに全てを思い出すことは出来ないままだけど、既に僕の中では記憶の一部ともなりつつある。


 連日報道番組では昨秋発覚した北岸戦争における軍幹部らによる意図的な情報操作や隠蔽活動を皮切りに、内部構造の改革を求める声が国会でも叫ばれている。あんなことがあったばかりなのに左派政党は国防軍を廃止、戦争の恒久的放棄を謳っている。


 僕には国防軍のやり方が間違っていたのかどうかはわからない。だけど少なくとも彼らのおかげで助かった人々だって多くいたはずなんだ。軍幹部や司令部はどうだか解らないけど、兵士の一人一人、それも激戦区の樫尾町で殉職した兵士たちは必死で自分たちの使命を果たしただろうと思う。


 戦略上の欠陥から失われた命、今では殉職者らは首脳部の愚かな判断による被害者だとして祀り上げられているが、彼らはその時の自分が出来ることをそこでやった、だけなんじゃないだろうかという気はする。自身らの判断により、決断によりそこに赴いたことも、そこで銃火を交えたことも、すべて彼らの生きた人生のひとつだと思う。


 僕は左派政党や平和運動家たちが、それをただ国のための被害者だとしてしまうことに違和感を覚える。


 うまくは言えないけども、なんとなくそこに彼らが存在していない、つまり被害者である彼らこそが必要なのであって命をかけて戦ったであろう彼らの存在は必要とされていない、なぜなら戦争は悪だから、この国にとって望ましくないことだから。これは六十余年前の大戦の直後から言われてきたことだ。


 この国は何も変わっちゃいないし前にも進めていない。そう言うのは皆川さんだった。僕自身も彼の言にはかなり感化されているが、もっともだと思うことのほうが多い。


 国防軍の樫尾町に派遣された部隊は戦闘で五十五名もの死者を出し実質全滅した。それらと住民まで含めたら百人近くの人間が戦闘により犠牲になった。


 その現場に僕がいたことを知る人間はわずか二人だけ。一人は皆川さん、そしてもう一人は美咲。彼女には真実を話すしかなかったから。ただ、何度もいうように僕がどうやってそこまでたどり着いたのかはわからないし、そのことについては皆川さんも不思議がっていた。美咲は写真に写っているのが僕だとしても最初はまるで信じなかった。


 皆川という怪しい男と僕がコラージュを製作し、結託して壮大な嘘をついているのだと。だが皆川さんが唯一戦争の真実の姿を伝えるジャーナリストであると各種のメディアが取り上げられていることを知り、写真は本物だと認めた。


 奥田美和と僕が写った写真、巷では『Little Flowers』と呼ばれて戦争へ対する痛烈なアンチテーゼとしてさまざまな場所で掲載されている。


 しかし写っている少女が奥田美和だということを新聞の犠牲者欄で確認できないのはなぜか、というあたりで僕の話は信ぴょう性を欠く。そう、奥田美和の名は犠牲者のリストにも行方不明者のリストにも入っていなかったのだ。皆川さんに訊くと、たまにはそういうこともあるだろう、と言ってのけるだけだった。個人情報云々と、とやかく言われる時代だからそういうものだと解釈するのにさほどの違和感はない。


 まあ、美咲からすれば、話としてはおざなりなものだから信じられないのも無理はない。なにせ往き帰りの記憶がほとんどなく、現場の一瞬か断片的な記憶しか僕には残されていないのだから。


 何も無理して彼女に信じてもらう必要はなかったのだけど、あの時僕は感情を一人で持ちこたえることが出来なかった。それがたとえ夢の話だったとしても誰かに何も言わずに聞いて欲しかったからだった。


「また、夏が来るね」


 美咲の発した言葉の指すところはつまり、奥田美和の命日が近い、ということだ。僕はこれまで何度も樫尾町に行こうとしたのだけど、行けなかった。


 実はあれ以来電車に乗れなくなってしまったのだ。だから電車で通学ができない。それでこうして実家と下宿を往復するときはいつもバイクで帰ってきていた。これまでにも何度か改札までは行ったのだけど、その先の歩みがどうしても踏み出せなかった。皆川さんは一種のストレス障害だろうと言っていた。


「今年は……行くの?」


「うん、そのつもり。ちゃんと思い出したいんだ。あそこに行けば何かが思い出せるかもしれないって思ってる。今年こそはキャンプしながらバイクで行くことにした」


「ねぇ」美咲は手元のコーヒーカップだけをじっと見つめて静かに言った「思い出さなくても、いいんじゃない?」と。


 僕は暗い窓の外をだけをじっと見つめて言う「そういうわけにはいかないんだ」。


 その後は会話が途切れがちで、何をどう話したのかは思い出せない。そのくらいどうでもいい会話だったのだろう。別れ際、美咲は僕を見つめて言った。


「あたしお盆も仕事だから、さ。どっちにしても伸也とは会えないけど、伸也も気をつけて行ってきてね」


「うん、ありがとう、出発までにしておくことも多いからそれまで何度帰ってこれるかわからないけど」伏目がちに答える僕を尻目に「いいよ、がんばってね」と言って彼女は家のほうへ駆けていった。


 実際のところ写学生ともなった僕としては樫尾町への旅は撮影旅行でもあった。その為の準備にも何かと忙しかったし、学校から夏休みの間に一つテーマを決めて写真集を作って休み明けに発表するという課題が出されることになっていた。


 僕があいまいな記憶を抱えたままこのテーマに挑戦するのはどうかとも思ったが、他には思いつかなかった。記憶のない旅の記憶をたどる、おかしな話だが実際そうだ。


 皆川さんの撮った写真は『Little Flowers』という題で、あらゆる場所で展示され紹介され、海外の由緒正しい報道雑誌『LIVE』の表紙にまでなったから、もはや知らない者はないといっていい。皆川さんは写真に写った僕らの素性は一切口外しなかったし、僕にも言わないほうが賢明だと忠告してくれた。それにはいろんな意図があるだろうことは理解している。


 ただ、今となっては心の中では、不謹慎ながら同級生に自慢したい気持ちはあった。なにせ『LIVE』の表紙なんだから。この僕がだ。

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