都会の僕と故郷の彼女 1


 学校が始まって三ヶ月が過ぎた。僕はこの主原市の写真学校に通う手前、南辺の町を離れて下宿生活をしている。


 なんというか、居酒屋のアルバイトもそこそこの実入りしかないから結局親の仕送りなんかが生活の糧のメインになってしまうわけだけど、それなりに自炊も出来るようになって生活費の工面も上手くなってきたと自負している。


 いつでも実家には帰れる距離なんだけど、僕には少し事情があって、南辺から主原市までのバイクでの通学の労力考えたら一人暮らしで経験積むのもいいだろう、ということで家を出された。これは父の言だ。


 祖父が死んでから父の見え方がなんだか変わった様に思うのは僕が成長したからなのだろうか、なんだかあまり細かいことをいわなくなったというか、何でも積極的に僕のことを後押ししてくれている感じがする。時には母の意見と対立することがあっても父は僕の味方側についてくれることが多くなったし、専門学校に通うこともカメラをくれたこともそう。


 きっと祖父なら、じいちゃんならこう言うだろう、こうするだろうってことを父が替わりにやってくれているようなそんな気がしてならない。


 いや、結局は蛙の子は蛙ってことで、父さんだってじいちゃんとさして変わらない気質を元から持っていたのかもしれない。

 

 南辺の町には高校を卒業してもそのまま居残って地元で就学したり就職したりしている友達も多いから、こうして帰ったときには呑みに誘われるのだけど気軽にその誘いに乗るわけにはいかない事情があった。


 山内美咲とは高校一年生から付き合ってもう三年にもなるから、この歳のカップルとしては驚異的な記録を更新中といっていいだろう。


 彼女は高校卒業後、地元の花屋で店員として働いている。花屋は彼女の叔母さんの店なのだけど、その店が僕の実家のすぐ傍で母もよく顔を出すから彼女とも仲がよく、もはや親同士も公認の仲ともささやかれ結婚の話まで噴出する始末。

まあ、概ね良好な関係とは言えるんだけど僕の情報はほとんど筒抜け状態になっているのはいささか不穏な状況を生み出す温床ともなりかねない。それに土曜も日曜も彼女は仕事で僕とは時間が合わず、今までのようにはいかなくなってきているのが痛い。


 僕が下宿にいるときは出来るだけ電話やメールを欠かさないようにはしているし、地元に帰った土曜や日曜日の夜に二人で食事をしたりカラオケにいったりもしているけど、そういうのが何度も続いてゆくに従いマンネリ化というか、少ない時間でお互いが満たされようと必死になるのが億劫になってきてだんだんと会う回数が減ってきていた。


「ねえ、今週は帰ってくるの?」

「うん、そのつもりだけど」

「どうする? 会う?」

「会いたくない?」

「そういうわけじゃないんだけど」


 電話でこんな会話が週末になるとなされるようになった。お互い疲れているんだとは思う。


 僕は一人暮らしの傍ら、学校とバイト先と下宿と実家を往復する毎週、彼女は不定期の休日で毎日朝から夕方までの肉体労働、その上フラワーアレンジメントだかなんだかの資格試験の勉強のために隣の町まで毎週末稽古に通っている。


 久しぶりに彼女との時間が取れた日曜日の夕方、僕らは海辺まで散歩にでていた。


「伸也はいいわよ、気楽でさ」美咲は防潮堤の上で羽を伸ばしたかもめのように両手を大きく広げて叫んだ。僕はその言葉には反論できなかったから、素直に認めた。


「確かに気楽だよ、美咲に比べればね」僕も彼女に続いて防潮堤にのぼり、晴れた凪の沖合いに沈んでゆく夕日を眺めた。


「珍しい、素直に認めるんだ?」彼女は僕を振り返り髪をかきあげて言う。


「そりゃ事実だもん、俺もバイトはしてるけど、責任感っていう点じゃ全然ちがうもんな、学生と社会人とは」学生ってことばが半人前のような響きを含んでいることは解っているという意味で言った。その言葉に彼女は返さなかった。


「伸也は卒業したらどうするつもり? 何になるとか決めているの?」彼女は夕日を見つめたまま言った。だから僕も彼女を見ないで答えた。


「いや、まだ何も。今は目の前のことやりこなすだけかなって、思ってる。でも、ただ、なんというか、何かが出来る人間にならないと駄目なんじゃないかなって、漠然と思ってる」


 そう、今の僕はまるでそんな心境だった。先に何かが見えないけど何かができるという実感がほしい、かといって皆川さんのようなフリーになるほどの能力があるとも思えない。


「そうだね、お役に立てないとね、どっちにしてもだめだよね」

「そうだな、役に立つ人間ってなんだろうな」


「あたしは伸也の役に立っているのかなぁ」僕は彼女の言葉にすぐに返すことが出来なった。確かに会える機会がどんどん減ってきているし、今後もそれほど好転はしないだろう。


 実際今の僕の暮らしの中で彼女がいないからといって生活に支障をきたすわけではない、それは彼女だって同じだろう。だけど、恋人ってそういう利害でいるものじゃないと思う。


 その後僕らは地元の中華飯店で夕食を摂り、歓楽街でレイトショーの映画を観ることにした。そこでいつものようにどの映画を観るかで僕と彼女はもめるはずだったのだけど、僕はむこうでほとんどのロードショーをチェックしていたから僕が観たいものはなかった。


 そう、唯一僕が観なかった映画として嶋田カヲル主演の『アイアム・ザ・マン』だけが候補として残るのみだった。


彼女は本当にこれでいいのかと僕に訊いたけど、まさか他に観るものがないからとは言えず、僕は彼女の観たいものを選んでいいと婉曲に言うしかなかった。

もちろん僕が特に嶋田カヲルを避けているわけではなく、わざわざこういう時の為にロードショーのチェックから外していたのだ。彼女は嶋田カヲルのデビュー時からのファンだから。


 嶋田カヲルといえばデビュー作の『生還』以来圧倒的な演技力で注目を浴び、その後の活躍は飛ぶ鳥を落とす勢いでいまや海外からも熱いラブコールが絶えない。今最も輝いている俳優といえる。


 確かに彼は男前だし演技も上手いと思う。それに、本人は俳優だけでなく色々なことに挑戦してゆきたいと、実際にバンドをやっていたり、絵を描いたり、写真を撮ったりして一定の評価を得ている。それをタレントの贔屓目ということはたやすいけど、よくある“後出しじゃんけん”のような状況とはすこし違う。


 彼がギターヴォーカルを担当する『リアライズ』というスリーピースバンドは全身黒ずくめのメタルファッションに色とりどりの髪色にフェイスペイントという異様ななりながらほとんどテレビ出演はしない。


 その代わりライブを中心にした活動に重点を置く硬派なバンドだ。彼らが奏でる迫力のある演奏と、ヴォーカルの圧倒的な声量と伸びのあるトーンはすでに匠の域に達しているといってよいと思う。


 このように、彼が何か新しいことを始めたり、俳優業以外の仕事をする時それは全て匿名であったり、ニックネームであったり、けして嶋田カヲル名義では発表していないというところだ。


 それは彼が売れっ子であるという意味をよくわかっているからで、そのことについてはテレビのインタビューやラジオ放送、その他雑誌取材でも一切語ることをしない。


 業界は知っていてそれを隠しているだけじゃないかとか、意図的な操作があるんじゃないのかとか、手品のタネを探すかのような悪意のある意見もインターネット上などで散見するが、作品を見ればやはり彼には才能があると認めるしかないだろう。


 僕の好きな写真家の“KAWORU”が嶋田カヲルだったなんてことはつい最近まで知らなかったのだから。


「写真やってて知らなかったなんてありえない」と美咲に笑われてむっとしながらも、以来僕は嶋田カヲルへの見方を変えなければいけなくなったし、なにより島田カヲルがつむいだ僕と美咲との奇妙な縁を意識せざるを得なくなった。悔しいけれど同じ男としてかっこいいと思う。

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