センチな君は戦地へ向かう 第二部
皆川譲二
桜の花びらが舞う春の昼下がり、僕は小洒落たオープンカフェの一角を陣取っていた。若い主婦や学生たちでにぎわう人気のカフェ、そこへ色黒で長髪の、とてもじゃないが一緒にお茶したいなどとは思えない風貌の男が僕の目の前にドカリと腰をおろした。
「オウ、久しぶりだな。どうだ、学校のほうは」
あれから四年経った今もあの日の一連のことを思い出さずにはいられない。昨年末に“あるジャーナリスト”から紛争の新事実が発覚し、それとともに方々から事の詳細が語られだし、僕は自分が置かれていた状況や遭遇したことを理解していった。
特に今目の前に居る皆川譲二という自称フリージャーナリストとはあれ以来時々ではあるが連絡を取り合っている。当時彼は僕と同じ地に居あわせ、その戦地で戦闘に巻き込まれ、茫然自失となった僕を引っ張って、無理やり避難列車に押し込んだのだという。
もちろん僕にはその時の記憶がほとんどないのだけど、その後の写真展や講演を皮切りに国中を巻き込んだセンセーショナルな暴露本が発刊されてからしばらくは時の人となり、彼はジャーナリズムの世界ではちょっとした有名人になった。
彼のおかげというべきか、当時の内閣である矢部政権は野党サイドはもとより世論から非難の嵐にさらされ、国民の信頼を裏切ったとして内閣は即時解散、当時の軍官僚らも未だ裁判の真っ最中だ。まあ、あれほどの規模の戦闘をなかったことにして隠蔽しようとしたのだから当然だろう。
しかしながらこの国の首脳部をすげ替えた張本人とも言えるこの男は、最初に出会った当時からよれたTシャツにぼろぼろのジーンズ、伸びっぱなしの髪から覗く浅黒い肌、その奥に潜む鋭い眼光、それらはまるで時が止まったかのように変わらないままでいた。
端的に言えば彼は僕の命の恩人なのだけど、未だに僕を助けたおかげで最大級のスクープを逃したと恨み言を言われると素直に感謝する気になれない。まあそういうのが彼らしいと言えば彼らしいのだけど。
先日まで南西沖の地震の被災現場に赴いていたそうだ。相変わらずスリリングな現場にこそリアルな描写が生まれるのだと豪語している。
そんな彼の影響からか僕はこの春、母親の反対を押し切って映像系の専門学校の写真科に入学した。学校側からも充分に“それなりの大学”を受けても大丈夫だと言われていたから、母はもったいないと愚痴をこぼしていた。だが、かつてジャーナリストに憧れた父は喜んで古いカメラを押入れから引っ張り出してきて僕にくれた。
三十五ミリのフィルムカメラ、本体の黒いボディと標準レンズと呼ばれる五十ミリレンズが一本だけ。持ってみると今時のカメラなんかとは違ってずしりと重い。二十年ほど前に父が欲しくてたまらずに買ったものだという。母はそれを見て即「宝の持ち腐れにならなくて良かったわね」と、けして喜びの声ではなく、明らかに嫌味を含んだ口調でリビングに座る僕らに向かって投げつけていった。なるほど、当時相当無理を言って買ったんだな。
僕は父がこんなカメラを持っていることを今まで知らなかった。僕自身もカメラに詳しいわけじゃないけど自分なりに調べたところによると、父のカメラはいわゆる当時のハイエンド機でプロも愛用する逸品だったらしい。確かに高級品独特の重厚な存在感の中に流麗なデザインが見え隠れするその姿は洗練された道具としての輝きを放っているように見えた。
それで、父に使い方を訊いてみたのだけど、というか訊くより以前に教えてもらえるものだと思っていたのだけど、どうやらシャッターボタンぐらいしか押した事がないらしいことが見えたので、あまり深くは掘り下げないことにした。
「F4かぁ、当時流行ったなぁ、報道ブームっていうかさ、今みたいなほっこり気分でスナップ写真じゃなくて、ハイスペック、へビィデューティのがっちがちプロ志向の撮影スタイルがね。そういうのに乗っかっちゃった奴がろくに使えもしないプロ機を押入れの肥やしにしちまったんだ。俺たち貧乏学生からすれば羨望の的だったんだがな」
皆川さんはその押し入れの肥やしを一通り眺めて僕に手渡し、そして一言付け加えた。
「だが、いいカメラであることといい写真が撮れることはノットイコールだからな。その代わりそれが大なりになることも、小なりになることもあり得る。この世界に入る気ならそいつをよく覚えておくことだ、別に貧乏人のひがみって思ってくれても構わんがな」
あわよくば皆川さんに使い方を教わろうと思って持ってきたんだけど、どうも当てが外れた。確かにこの人が親切にこと細かく物事を教えてくれないであろうことは随分前から解っていたはずだったのだけど。
「ま、最初はオートにまかせて彼女のことでも撮っていな、そのうち解るようになる」皆川さんはそう言ってにやりと笑う。僕は手元の黒い機械を眺めながら少し首をかしげる。
「ところで、全然関係ないんですけど、皆川さんっていくつなんですか?」僕は後頭部を人差し指で掻きながら彼に尋ねてみた。四年前に出会ったときは僕は勝手に彼が二十代の後半あたりなのかと想像していたんだけど、父が持っていたカメラを現役で知る世代って事はちょっと計算が合わないような気がしたからだ。
「ん、あぁ。よく訊かれる、いくつに見える?」皆川さんは顎を右手でさすりながら僕を見つめて言う。
「あの、その言葉が出る限りおっさんですよ」僕は反射的に目をそらして吐き捨てるようにつぶやいた。
「俺、今年で四十一。みえねーだろ、な?」
確かに父と七つしか違わないようには見えなかった、少なくとも三十代中盤くらいかと思った。肌つやのよさと少年のような無邪気な黒い瞳が彼の若作りに貢献しているのだろう。なにより話し方はぶっきらぼうだけど、語尾に母音をわずかに残す独特の口調がいい大人にはない軽薄な感じを醸しだしている。
「僕が言うことじゃないですけど、少しは落ち着いたらどうです? この前テレビで見たときも今日と同じ格好だったでしょ、もしかして他に服もってないんですか」
皆川さんは年季の入ったジッポライターを軽快に鳴らし煙草に火をつけた。
「おいおい、お前そんな事言ってちゃこの世界でやってけないぞ。常に新しいものを見つけ出し見つめなおす作業こそジャーナリズムだろうが、落ち着いてどうするよ」
じゃあ、服だって新しくすればいいのに、と思ったがそこから小一時間、懇々と彼の言うジャーナリズム精神とやらを聞かされ僕はそれを制止することもままならないまま、黙っておとなしく聴き続けるしかなかった。
僕は確かに、ジャーナリストになりたいわけではないんだ、じゃあ、何故今の学校を選んだのかって? それは、今の僕には何も出来ることがないと感じていたから。何かが変わると、何かを変えたいと思っていたから。軍人でもない彼が身一つと機材を抱えて戦地へ向かう姿を見て、僕とは違う、何かを動かそうという使命感を感じたからだ。
誰の命令でもなく、自分が思うままに、自分が為すべきことを為すためにするのだという言葉。あの時の僕のような迷いを抱えながら前に進んでいたのではなかった彼の姿を、悔しいけれどかっこいいと思ったから。
「ま、な。要は好きにやってりゃ何とかなるって話よ。実際は自分で何とかするんだけどな」皆川さんはそう言って、最初に出会ったときのように浅黒い顔に白い歯をちらりと覗かせて席を立った。
「わりぃ、俺この後待ち合わせがあるんだ、そろそろ行くわ」皆川さんは言いっ放しで特に僕からのリアクションを気にするでもなくそそくさと立ち上がり、荷物を掴んで手をふり去って行く。
僕は結局なんで呼び出されたのかよくわからないまま、軽く息をつき彼の後姿を見送った。そしておもむろに手元のカメラを構え小さくなってゆく彼の背中に焦点を合わせシャッターを切った。カシャと小気味良い音と共に正確無比な機構がボディの中でわずかに動くのを感じた。
春の柔らかな日差しの中でゆっくりと風が吹く。テーブルの上に置かれた白い伝票がひらひらとなびいているのを見つけ僕は軽く舌打ちをする。
また、やられた。ちきしょう、大人ならちゃんと自分の分ぐらい払えよな。っていうかたまには奢れよ。
僕は彼という人間を毎度少し好きになったり、少し嫌いになったりしている。まだよくわからない部分を残しながら、彼がいい大人なのかどうかの見極めが出来ずにいた。
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