第41話 通すべき筋目

「光と共に消え失せたじゃと!そんな戯言を聞くために、お前たちを大阪まで送ったのではないぞ!消えたという国兼は、湯之尾でピンピンしておるわ。この役立たずども!もう顔も見とうない。さがれ、さがれ!」

忠棟の剣幕はかってないほど凄かった。


城からすごすごと引き下がる途中、平左衛門は休蔵に話しかけた。

「なあ休蔵よ。わしは伊集院のお家第一をもって務めてきたと思うておる。」

休蔵も頷いた。それは自分も同じだ。

「役目のためなら、非道と思われることも甘んじてやって来た。それが侍の生きる道じゃ、奉公と言うものじゃと信じてきたからじゃ。」

休蔵は歩き乍らじっと聞いている。

「太閤殿下の世となり、我が殿がその直臣の様になられてからは、豊臣家の定めることが正義じゃ、それを忠実に守ることこそ侍の道じゃと信じてきた。」

 平左衛門は言葉を中断してじっと空を見上げた。どんよりと曇った空は今にも泣き出しそうだ。

「しかしな。」

 休蔵の目をじっと見ながら、今度は言葉を選ぶように話し出した。

「あの百姓一家が無残に焼き殺され、半左エ門たちが大勢の兵の中に突っ込んでいったあの時。」

 休蔵は、こくこくと頷いている。

「初めて感じた。

 わしも突っ込んで行きたいと。

 非道極まる太閤殿下の兵を相手に、思いっきり暴れまわりたいと。

 そして、初めて半左エ門をうらやましく感じた。」

 休蔵が言った。

「平左衛門、それはな。」

 今度は平左衛門が聞き耳を立てていた。

「わしも一緒じゃ。全く同じ。」


 休蔵は蔵人の方を見て、お前はどう思ったと言った。

 饒舌なこの男には珍しいことだが、 

 蔵人は雨が降りそうな空を見ながら一言も発しなかった。


「流石じゃ国兼。勝てる所まで段取りが出来たではないか。こんな短い時間で。」

虎居城の天守閣で歳久は言った。

国兼は目を閉じ、首を横に振りながら言った。

「ここからが肝要、一手間違うだけで、謀叛は簡単に失敗し申す。参加の諸将を引き締め、作戦に違わぬようにせねば。」

歳久は頷いた。

「四月の前に今一度会議を招集し、各々の役割を確認するとしよう。あくまで極秘裏にな。」

国兼は頷き、言葉を続けた。

「さらにもう一手、この謀叛を成功さすために避けては通れぬ筋目があり申す。」

歳久は国兼の目をじっと見た。

「兄上達か。」

国兼は頷いて言った。

「義弘さまは生粋の武人。それも温厚篤実、忠誠無比のお人柄。おそらく謀叛に関して告げれば、豊臣家との忠誠の間で苦しみ抜かれ、その結果どういう行動に出られるか全く読めませぬ。申し訳ござらぬが、義弘さまには告げぬがよろしいかと。」

歳久も頷いた。

「義弘兄は裏表のない御性格、おそらく謀叛に苦しみ抜き、最悪の場合は、謀叛討伐の兵を自ら上げかねぬ。やはり義久兄か。」

国兼は窓から外を見た。夕立が降ってきたようだ。

「政略に優れ、場合によっては謀叛も平気で出来る度量。義久様の賛同抜きには、この謀叛の成功はあり得ませぬ。」

歳久も雨を見た。

「お主、兄を説得してくれるか。正直、わしには自信が無いのじゃ。」

国兼は歳久をじっと見て頭を振った。

「ここは兄弟膝詰めで、腹を割って話すべきでござろう。わしごときが出る幕ではござらん。」

雨が強くなった。

「わしも、腹をくくってかからねばならん時に来ておるか。」


 義久と歳久の久々の対面は、竜ヶ水の心岳寺で行われた。

義久は歳久の姿を見るなり駆け寄って、拳固でその頬げたを強かに殴りつけた。

吹き飛んだ歳久は平伏した。

「長く出仕せず。申し訳ございませぬ。」

義久は、にかっとほほ笑んで言った。

「心配かけおって、元気そうではないか。」


一転、深刻そうな表情で義久が言った。

「よくここまで揃えたものじゃ。

 しかし、ここまで話が行くと太閤に漏れぬはずが無いのではないか。」

 国兼が頷いた。

「直に会って思いましたが、太閤とその側近の頭の中は唐入りのことで一杯で、ここまで強大な豊臣家に対し、土一揆程度ならまだしも、謀叛が起きるなど夢にも思っておらぬ様子。

 ただ一人、黒田官兵衛にだけは油断が出来申さぬが。あやつは豊臣家の中枢から外され、何を考えておるか分からぬ状況でござる。」

歳久も言葉をつなげた。

「一味の者は信用できるものばかり、決して漏れることなどございませぬ。」

義久は微笑みながら思った。この弟、智謀の歳久と呼ばれ、確かに抜群の知能を持つが決定的な弱点がある。人間が素直で、善でありすぎ人を疑うことを知らない。そこが魅力で多くの家臣から慕われておるのだが、軍師としての才能を持ちながら、最も軍師には不適格な性格と言わざるを得なかった。ただ、その点は百戦錬磨の国兼がついている限り大丈夫だろう。

「徳川家康は本当に大丈夫か?」

 義久の懸念はもっとも、歳久と真逆の、猜疑心の塊のようなあの男が信じられるのか。国兼は頷いて言った。

「少なくとも、天下に対するあの男の渇望は本物。どんな手段を使っても、いずれ天下を取ろうとするでござろう。この謀叛もそのいい機会と捉えておる様子、謀叛が上手くいく限り裏切ることなどございませぬ。それに。」

国兼はごそごそと懐を探り、書付を取り出した。

「このように、熊野護王の誓詞もござる。」

義久は誓詞を確かめた。このぬかりなさ、さすがと言う他ない。この紙切れ一枚は、徳川家康に対して強力無比な牽制となろう。


「わかった。わしは何をすればよい。」

一瞬で腹を決めた義久もさすがであった。

まずは、国兼は戦略を説明した。


 歳久は満足そうに、晴れ晴れとした面持ちで心岳寺を後にした。

「国兼よ、所領に変える前に虎居によってくれ、

 今日だけは一杯付き合ってもらうぞ。」

 酒豪でもある歳久の誘いに、国兼は頭を振った。

「申し訳ござらぬ。拙者にも通すべき筋目があり、それをまだ果たしてござらん。」


 「あなた様は、一体おいくつになられたのですか。」

朱鷺は憎まれ口をたたきながら、楽しそうに繕い物をしていた。

 まったく、長い旅から突然帰ってきたと思えば、この夫はまるで遊び盛りの少年のように、破れた着物を平気で着ている。この格好で太守義久様と会ってきたと言う。従弟にあたる義久が、どんな顔で、破れた着物を着た夫と会ったかと思うと、自然に笑いが込み上げてきた。

 国兼は、北山の館から外を見ながら酒を飲んでいる。あまり強い方でないので、酒を嗜まない国兼にしては珍しいことだ。しかも眺めの良い好天の昼間ならともかく、こんな雨の夜では闇を見つめるに等しいだろうに。

 繕い物の終わった朱鷺は、国兼の隣に腰かけると徳利から酒を注いだ。国兼は外を見つめたまま黙って受け、ぐいっと飲み干してまた盃を向ける。

「もういい年なのですから、余り過ぎると体に毒ですよ。」

 朱鷺の注意を聞いているのかいないのか、国兼は押し黙ったまま外を見つめている。ひとつ溜息をついた朱鷺は、にこりと微笑むと再び酒を注いだ。


 あの爺、いよいよ目障りになってきたからね。ここいらで退場してもらうとしようか。北山の館にいるときは、降魔の槍を身近に置かないのは調べ済みだ。槍の気が、奥方の病気に障るのを気にしてのことらしいが、それが命取りになるのを考えないのかねえ。

 北山の館に続く森の中を、警報などの仕掛けが無いか注意しつつ、慎重に進みながら覇王太夫は思った。幸い鳴子などの仕掛けは見当たらない。あの舘、夫人と老女の他は、年老いた用人と、国兼の従者のうすらでぶだけの筈だ。降魔の槍を持たぬ国兼など、一瞬で首り殺す自信がある。

「!」

 闇の中に青く光る二つの目が在った。その青い輝きは、まるで降魔の槍のきらめきのように不気味に思えた。

ぐるるるるる。

 威嚇の、低いうなり声が聞こえる。

 ああ、あの馬鹿でかい犬っころか。国兼と一緒に戦にも出て来たらしいが、どんなに強くとも犬は犬、この覇王太夫さまにかかれば手も足も出ないだろうよ。


 唸り声が近づいてきた。

心なしか目の輝きが強まったように思えた。

その青い光を見つめていると、底知れぬ恐怖のようなものが身内から湧きだしてくる。くそっ、この感覚はどうしたことだい?


「お前!ただの犬じゃないね。妖か?それとも……。」

 こいつの正体が分からぬ以上、戦うのは危険だ。

 覇王太夫の本能がそう言っていた。

「ちっ、命冥加な爺だよ。首を洗って次会う時を待つがいいさ。」

 捨て台詞を残して覇王太夫は闇に消えた。

 福王丸は、しばらく辺りを嗅ぎ回っていたが、さっと頭をもたげると、どこかへ走り去ってしまった。


「謀叛でも起こすのですか?」

 国兼は飛び上がらんばかりにびっくりした。なぜ分かったのだ?

「分かるのです。あなたのことは何でも。」

 朱鷺は静かにそう言って、また酒を注いだ。

 そして、何かを言いだそうとする国兼を制した。

「良いのです。あなたがお決めになったのなら、私はついて行くだけです。

この命がどこまで保つか分かりませぬが、

お互いの生を見届ける。これが婚礼の時の約束でしたよね。」


国兼は何も言えなくなった。

また、飲めぬ酒をぐぃとあおる。

謀叛人の妻として処刑されるのだけは止めさせたい。

国兼の思い空しく、懐中にある離縁状を渡しそびれてしまった。





 


 










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