第26話 おらは天に背く。

「どうした、どうした、どいつもこいつもお通夜みたいな顔しやがって。」

いたたまれなくなって阿国が怒鳴った。

 誰も手出しはならぬ。秀吉の唐入りを、むしろ盛り上げる結果になってしまった大歌舞伎は、太閤を喜ばせ、国兼たちを含む阿国一座は、たくさんの褒美と共に安全に城外へ出された。

 国兼も、元気者の五郎丸すら押し黙り、一同を重苦しい沈黙が包んでいた。まるで何も話してはならぬように、一同は四条河原へ向かっていった。


「世話になったな。」

 黙ったままの国兼に代わって忠助が礼を述べたが、阿国は慌てた。

「えっ、あんたも行っちまうのかい。」

阿国が忠助の手を抑えた。

「当然だ。わしは梅北家の家来だぞ。」

「侍なんてやめちまいなよ、あんた腕っぷしだって大したことないじゃないか。役立たずのあんたに侍は向かないよ。あんたの太鼓なら、聞きたい人が世間に五万といる。私と一緒に芸の道で暮らしていこうよ。」

忠助は娘のような阿国の手を放しながら言った。

「すまん、故郷には妻も子もいるのだ。勝手なようだが許してくれ。」

ばちん。阿国が忠助の頬を思いっきりたたいた。

「そんなことは百も承知で、私とあんなことになったんじゃないのかい。勝手すぎるよ。」

涙が頬を伝う。忠助は困った顔をしている。

「もうー、ずるいよ。そんな顔をすると許さないと言えなくなるじゃないか!」

阿国が両手で忠助の顔を挟み込んだ。そのまま熱い口づけを交わす。鈴は思わず見ないふりをした。


 その間も国兼たちは黙って何事か考え続けている。天下人秀吉と話した衝撃は、こんなに凄いものか。鈴には正直よくわからなかった。


 そこに、四条河原で留守番をしていた一座の男衆が走ってきた。阿国の耳に何事か耳打ちする。聞いていた阿国の表情が、明らかにこわばった。

そして、国兼に向かってこう言った。

「あんたたちとは、これでお別れだろう。楽しかったよ。最後に良いことか悪いことかわからないが、大事なことを教えてやろう。大阪の平野郷に急いで行ってごらん。きっと、あんたらの、そのお通夜のような感じを吹き飛ばすことが待っているから。」


「ねぇ!ちょっと待ちなさいよ。」

鈴の声が、後ろからついてくるが、五郎丸の足はどんどん速くなっていく。阿国から平野郷と聞いた瞬間から嫌な予感が消えないのだ。いや、むしろ大阪が近づくほどどんどん大きくなっていく。国兼も襤褸の足を速めて鈴の隣に並び聞いた。

「平野郷に何があるんだ。」

「友達がいるのよ!」

鈴は面倒くさそうに答えた。仔細の説明は長くなる。五郎丸同様に鈴も嫌な予感がしていた。首の後ろの毛がちりちりと蠢く。仲間が猟師に殺されたときも同じ感じがした。


「いくらなんでも、あんなことせんでもなあ。」

「まだ小さい子もおるやろ、見ていられんわ。」

大坂に入ると、道行く人がそんな会話をしていた。五郎丸は、若い男の裾をがっと掴んで聞いた。

「教えてくれ、何があった?」

「なんや、このガキ!」

若い男はかっとしたようだったが、後ろから来た国兼を見て黙った。

「すまぬが、何かあったのか教えてはくれぬか。」

男は、五郎丸を振り払うと面倒くさそうに答えた。

「よくあることや!税のがれやて。水呑み百姓の一家が、よせばいいのに隠し金をしていたそうや。見つかれば一家全員死罪、割に合わんこっちゃ。」

聞くや否や五郎丸が走り出した。

源太の所なら税逃れなんてしていないはずだ。でも、もし、おらのやった銭が役人に見つかり、税逃れの証拠とされていたら。

国兼が追いつき、襤褸の上に拾い上げた。

みんな、後ろから走って追いかけてくる。

間に合えばいいが。

いや、間に合ってくれ。


 平野郷に近づくと、遠くからもはっきりと河原の近くに一筋の煙が見えた。源太の家の方角だ。叫び出しそうになるのを抑えた。胸の鼓動がどんどん高くなっていく。源太の家の方で、明らかに人だかりがしていた。狭い河原沿いの道に押し合いへし合い、人々がワイワイと押し寄せている感じだ。これ以上、馬では進めない。五郎丸と国兼は、襤褸を下りて、人込みを掻き分け乍ら源太の家へと向かった。家の方に近づくと、煙と焦げるような臭いがひどくなってきた。

 遠目に源太と兄弟たちが見えた。後ろ手に縛られているようだ。良かった間に合った。五十人はいるだろう。役人たちが、手に手にたいまつを持ちながら、源太の家を取り囲んでいる。まだ小さな妹や弟たちが遠くに届く声で泣きじゃくっている。早く近くへ、しかし、やじ馬が邪魔して上手く前に進めない。

「はよ、やってーな。」

「嫌やわ、怖いわー、火あぶりなんて初めて見る。」

「子供可哀想やわ、見てられんわ。」

やじ馬は好き勝手なことを言っている。

ある程度群衆が集まったと見るや、役人はおもむろに口を開いた。

「これから、太閤殿下のお触れに背いた者共の処刑を行う。この者どもは税の徴収を不当に逃れ、お上に収めるべき銭を蓄財しおった不届き者ども。皆のもの、太閤殿下に逆らえばこのような目にあうと思い知るべし。」

そう言うと、嫌がる子供たちを引っ張って家の中に押し込んだ。入口の蓆が開いたとき、源太の両親らしい男女が家の中に縛り付けられている様子も見て取れた。

「違う、違う、その銭はおらがやったんだ。税を逃れたもんじゃない。」

五郎丸の声は群衆のざわめきにかき消された。国兼も何とか前に行こうとするが、群衆が邪魔してなかなか進まない。


「火を放て!」

たいまつが、家の中外に放り投げられた。粗末なあばら家はに点いた火は、たちまちのうちに燃え広がっていく。

子供たちの悲鳴があたりに響き渡った。


「うおー!」

追いついてきた喜内が、やじ馬を強引に掻き分けた。

「殿、早くこちらから!」

出来た隙間を抜けて、半左エ門、甚兵衛が家へと走る。

「曲者め!」

役人たちが刀を抜いて、甚兵衛たちに斬りかかってきた。その隙に国兼と五郎丸は源太の家に向かった。もうもうと上がる煙と燃え盛る炎が行く手を阻むが、国兼は意に介さない風で火の中へ飛び込んでいった。そして、中から拳で壁を崩すと、源太達の姿が現れた。

「きゃーっ!」

群衆の悲鳴が上がる。どこから現れたのか、巨大なガマ蛙が、家に向かって水を吹き付け、みるみる火は消えた。


「源太、源太!」

眠るように横たわる友の頬をひっぱたきながら五郎丸が叫ぶ。

役人たちをたたきのめした甚兵衛たちも心配そうに見ている。

しかし、何度たたいても、友の目は覚めることはなかった。

忠助が脈を確認して、力なく首を振った。

「そんな。源太!げんたー!」

五郎丸の悲痛な叫びが、辺りに木霊した。


「おらのせいだ。」

家族をきれいに並べ、汲んできた川の水で身体を拭いてやりながら五郎丸は涙ぐんだ。

「違うわ。」

鈴の声も耳に入らない様子だ。

国兼は何事か考えているようだった。

やじ馬がまたざわざわしだした。馬蹄の轟が聞こえてくる。大阪城からの増援だった。甲冑に身を包み、ものものしい様の二百名近い武者が、国兼たちを取り囲んだ。隊長らしい武者が呼びかける。

「太閤殿下に逆らう不逞の輩、抵抗せず大人しく縛につけ!」

甚兵衛と半左エ門、喜内が前に出た。三名の腕の方は伝わっているらしい。武者たちはじりっと下がった。

『逆らう?不逞の輩?」

五郎丸がゆっくりと立ち上がった。

「無抵抗の源太達を、こんなにむごたらしく殺しておいて、どっちが不逞の輩だ!」

五郎丸は、武者たちを睨み付け乍ら叫んだ。

「銭をためて何が悪いんだ。源太達は病気のおっ父のために、食べるものも我慢して薬代にしていたんだぞ。」

まるで、武者たちに掴みかからんばかりだ。

「百年の計?民のためになる?笑わせるな!目の前の民を殺しておいて、何が将来の民のための国造りだ!目の前の民を幸せにできないものが、どうして将来の民を幸せにできる!」

秀吉の言葉を思い出すように反論を続ける。

「自分たちは贅沢をし、美味しいものを食べ散らかしておいて、民にだけ我慢させる。そんな天下人を、おらは認めない。もし、それが天の意思なら、おらは天に背く!」

後ろから、やさしく肩に手が置かれた。

「お前の言うとおりじゃ。ありがとうな、おかげで迷いが吹っ切れた。」

国兼は武者たちに叫んだ。

「このようなこと、天が許すと思うてか!」


隊長らしい武者が命を下した。

「鉄砲隊、前へ。」

百の銃口が、国兼たちを狙った。


「お屋形さまー、こういうときこそ、降魔の槍でぶっとばしてくだせえ。」

槍を差し出しながら、猪三が情けない声を出す。

「後ろのやじ馬が巻き添えになる。無理じゃ。」

後ろに五郎丸と鈴を庇いながら国兼が言う。

「残念じゃが、ここまでか。」

喜内が呟いた。

「鈴、鳥に変化して五郎丸だけでも連れて逃げろ!」

震えながら、それでも気丈に忠助が言った。

「無理よ、舞い上がったところを狙い撃たれるわ。」

甚兵衛と半左エ門が顔を見合し、頷きあった。

「よし、俺と半左エ門で鉄砲を引き付ける。その間に逃げろ!」

「馬鹿言うな!お主らだけに、いい格好はさせんぞ。」

喜内が目配せした。

国兼はじっと考え込んでいた。我が天命、ここに尽きるのか。


「鉄砲隊、かまえー!」

隊長の指示で百の鉄砲の引き金に、一斉に指がかかった。

「はなてー!」

隊長がそう叫んだ瞬間、辺りを眩い光が包み、武者たちの目をくらませた。

武者たちがやっと目を開けたとき、国兼たちも、源太達の死体も跡形も無く消え失せていた。







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