-水流の覚悟-





 目の前でいきなり広がった朱色――それが何だったのか、唯の一瞬では理解が及びませんでした。







 ……………


 プルウィ様の手助けを借りて、やっとの思いであのスライムの外殻を本体から引きはがしている最中。

 黄色のスライムの持つ双色の魔石目がけて、テッドさんとアルクス様が攻撃をしているまさにその時――。


 お二人が何やらを言い争ったかと思った矢先、テッドさんがスライムの元から離散したかと思うと、真紅の魔力を見に纏いながら私を目がけるようにして駆け寄ってくるというその光景を目にしました。



「――レーネねぇは続けてろ!! 頼むから動くんじゃねぇぞ!!」



 私の元を目がけて駆け寄ってくるかと思ったテッドさんは、如何やら違う目標を目にしていたようで――勢いを殺すことなく私の横を通り過ぎて行きました。

 



「―――――っ!!」




 通り過ぎ様に彼が何かを口にしていましたが、一体何を口にしていたかは分かりません。

 ですが、凄まじい熱波が私の元まで届いてきたことを感じ――ようやく彼が何かしらの魔導を放ったのだと理解が出来ました。


 ――私の背後に何かがいたと言うことなのでしょう。


 私の体を強引に叩いて行った熱波によって、少しだけ集中力を切らしそうになってしまいましたが、それでも流水操作ハイドロハンドを維持できたことは行幸であったというほかありません。


 ですがそのことに疑問を覚えると同時――あのスライムはどのようにするのか、と、純粋に疑問に思いました。


 二つの魔石を核に持つというあの非常識なスライムは、アルクス様とテッドさんがお二人で相手をしなければ討伐は不可能だと、他ならぬアルクス様が話していたことを思い出します。


 ですが、今このときあの黄色のスライムを相手取っているのはアルクス様のみ。

 必死な形相をしながら、風を編み込んだナイフで緑の魔石を断ち切らんとしているアルクス様のみです。



 流水操作ハイドロハンドの手ごたえは未だ変わらず激しく、あのスライムは未だ健在であることは、恐らくこの場において私が一番理解していることでしょう。



 ――そしてアルクス様も恐らく同等の感触を理解しているはず。


 赤の魔石は大きな切れ込みこそ入っているモノの、断ち切れている様には見えませんでした。

 緑の魔石の方はもうすぐ断ち切れるのでしょうが、赤の魔石を断ち切るまでには如何程の時間がかかるのでしょうか?



「――っぅ!!」



 私は抑え込むスライムの抵抗の激しさに、思わず苦悶の呟きを漏らしてしまいました。

 果たして私はアルクス様が魔石を砕き終わるまでスライムの抵抗を抑え続けることが出来るのでしょうか?



 私は激しい不安に駆られて、思わずアルクス様の方へと視線をやります。


 ――それは作業を急かす為だったのか、はたまた己に掛かる苦しみを和らげてほしいがために送ったものだったのか。


 ……弱い私は後者を強く思っていたのかもしれません。

 年下の男性に対して何を無責任なことをとも思いましたが、それでもアルクス様の人となりを知った今では、彼に縋りたくなるのも致し方なかったのかもしれません。


 火炎の当主カロル様に勝利せしめたという魔導士ソーサラーとしての力量。

 火炎の姉弟を的確に補佐し、付き合いの浅い私に対して優しく気遣ってくださるその度量。

 更には未知の敵に対して的確に打倒までの道筋を立てて見せたその器量。

 

 攻撃魔導を使えぬ私などでは到底かなわない、そんな風に思った人でありました。


 だからこそ私は期待していたのかもしれません――私にとって窮地と呼べるこの状況でも、この方だったら容易く乗り越えて見せてくれるものだと。

 そんな風な期待をしていたのかもしれません。

 

  



「――――アルクス、様?」




 

 目線を向けた先で私が無責任に期待を寄せていた人は、苦しそうに歯を食いしばって――それでも前を向いていました。


 私の様にただ顔を伏せるのではなく、真っ直ぐと前へ――


 その瞳に宿るのは力強い光――傍目で見ても分かりやすいほどのその必死さには、私の思い浮かべた容易さなど微塵も感じ取れませんでした。




 ――瞬間、彼は緑の魔石を切りつける魔導を其のままに、更に一歩死地へと踏み込みました。


 ――空いた左手に片手間で宿らせたとは思えぬほどの炎を宿して、赤色の魔石に叩き込む姿がありました。


 二つの属性の魔導の同時使用――彼が何を行ったのかは見ただけで直ぐに分かりましたが、どういう訳かそれを目にしたその瞬間、ゾワリと途轍もなく嫌な感覚が体を中を駆け巡ったのが分かりました。

 私は恐らく本能で理解したのです――あれは破滅の御業だと。






「ぐ、■ッッ――■ガッア■■アア■ァァァァ!!!!!!!!」





 

 ――声にならない叫び声。

 

 荒々しいその叫び声が、あの理知的な少年から発せられるなどと誰が想像できたでしょうか。

 

 そして夥しいほどの赤が舞い散りました。

 アルクス様の全身から、舞った其れ――それを目にして私の思考は確かに一瞬停止しました。


 彼の身に何が起きたかなど、勿論私が知る由もありません。

 

 アルクス様は大量の血液を口から吐き出すと同時、糸の切れた操り人形の様にその場に崩れ落ちてしまいました。

 

 彼が崩れ落ちた瞬間――あれだけ激しかったスライムの抵抗が嘘のように軽くなりました。

 僅かに残った負荷は、スライムの外殻を宙に浮かしている事から生じているのでしょう。



「――アルクス様!?」



 私は慌ててスライムの外殻をアルクス様の上から避けるようにして放り、彼の元へと駆け寄りました。

 

 地に倒れ伏すアルクス様の余りに酷い装いに私は思わず目を背けてしまいそうでした。

 それでも何とか正気を保った私は、取り急ぎ彼に治癒の魔導ヒーリングを施すために、アルクス様へとの魔力を送ります。



「えっ!? な、なぜ、これほどまでに!?」



 ――治癒の魔導ヒーリングの魔導は、肉体の治癒能力を促進させて傷を治す魔導ですが、直す箇所を自身の魔力で覆うためか、その傷がどの程度のモノか分かります。

 魔力での触診を行った結果――彼は体の至るところに裂傷を作っていることが分かりました。

 

 あの時アルクス様のから血液が舞ったのはこれが原因なのでしょう。

 それも酷い怪我でしたが、更なる触診の結果、彼が非常にまずい状態にあることが分かりました。


 ――大量に血を吐いたのはこれが原因なのでしょう、どういう訳か彼のいるのです。

  

 死を待つ一歩手前――それがアルクス様の状況であったのです。

 

 全身の裂傷――それだけならば治癒の魔導ヒーリングで癒すことが可能ですが、内臓の方はそういう訳にはいきません。

 治癒の魔導ヒーリングは人体の治癒能力を促進させるための魔導、故に体がいなければ効果は有りません。

 

 炭化かけた内臓を治癒するには、其れこそのレベルの治療が必要となり、そのレベルとなると魔導では不可能です。



 手があるとすれば、恐らく一つだけ――



 千切れた四肢や潰れた目玉さえさせることが出来る、かの霊薬だけでしょう。





「レーネねぇ!! ――うぉ!! あ、アルクス!! だ、大丈夫なのかっ!?」



「――テッドさん!! 良いところに来てくださいました!! アルクス様をよろしくお願い致します!!」



「お、おい! レーネねぇ!?」




 私たちの元へ駆け寄ってきて下さったテッドさんにアルクス様を押し付け、私は持ちモノの中を漁ります。

 取り出すのは小瓶を数個――その全てに黄色の液体を満たしてありました。


 私はその中の一本の栓を抜き、中身をアルクス様の全身に振りかけ、残りの半数をテッドさんに押し付けました。



「テッドさん! アルクス様は非常に危うい状態にあります。テッドさんはアルクス様にこの薬を少しずつ服用させていてください」



「おいレーネねぇ、これってまさか――」



「ええ、霊薬エリクサーの未完成品です!! 私は取り急ぎましてこの薬を完成させます!!」



 治療に霊薬エリクサーが必要――その事象が指し示す事実に彼も気が付いたようで、神妙な顔をして彼は私から未完の霊薬を受け取りました。



「っ、分かった!! 急げよレーネねぇ!!」



「――はいっ、必ず、間に合わせてみせます!!」



 私は急いで肩にかけたカバンの中から、簡易な調合器具を引っ張り出して地面に並べました。

 もしかしたらと持って来た道具でしたが、今は持って来て良かったと心底思います。


 私は未完の霊薬の小瓶と、つい先ほどプルウィさんが零した水妖精ウンディーネの涙をため込んだ小瓶を、カバンの中から強引に引っ張り出して並べます。



 ――この様にいきなり霊薬エリクサーが必要となると言われても、正直不安でいっぱいです。



 と言うのもこの未完の霊薬に必要な最後の材料が、本当に水妖精ウンディーネの涙であっているのかまだわかっていない為。

 恐らく足りない材料はこれであろうと、私が予想しただけのものにすぎません。


 ――未だないほどの緊張を感じます。これがもし違っていたらと思うと手が震えてしまいます。


 ですが、今泣き言を言うのが絶対に違うのは愚かな私にもわかります。


 こんな時だというのに、いえ、こんな時だからこそなのでしょうか?


 私はふと、先ほど二種類の魔導を同時に使用し、黄色のスライムを仕留めて見せた、アルクス様の必死な形相を思い出しました。



 ――今なら分かります。



 ――今だからわかります。

 


 貴方様があの時浮かべていた表情の意味が――




 あれは恐らく――決死の面持ち。




 貴方様はあの御業をお使いになる前に、御自分がどうなってしまうのか、予想出来ていたのでは無いでしょうか?

 見ず知らずの私のお願いの為に、貴方様は決死の覚悟をしたというのでしょうか?


 私の為にそれだけの事をしてくださった貴方様を、此処で死なせてしまったら――テッドさんやフィアさんにも、そして何より大好きなおばあさまに顔向けできなくなってしまいます。


 ――貴方様は私が私が絶対に助けます。



「――絶対に助けて見せますっ」



 私は震える掌を力いっぱい握りしめて強引に震えを止めました。

 開いた両手で頬を強く叩き、私は眼前に広がる調合器具の一つを手に取りました。


 

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