九.

 お紺は蓮子の視線に気が付き、目を合わせた。

「…何だい。どうにもあたいに何か言いたそうな顔してるねえ。まあ、当然か」

 お紺は〝何を言われようがどうでもいい〟という態度を崩さない。蓮子は一度深呼吸したあと、話を始める。

「ねえお紺、あんたに生きる気が無くても、私にはあるの」

 そう語りかけたが、お紺は何も返さない。それでも蓮子は話を続ける。

「私は、まだ親孝行なんて全然出来てない。若菜や他の友達ともまだ遊びたい。桃さんと花菜さんのお家にお邪魔して、クッキーも御馳走になってない。…あやかしの里でも、また神野様や鏡花さん、白玉ちゃんと杏仁ちゃんに、天之助さんにもまた会いたい。お徳さんの美味しい料理ももう一度食べたいし、まみなちゃんのお店の甘酒もまた飲みたい。鬼灯婆さんに挨拶もしたいし、照葉さんと鏡時さんとももっと話がしたい。同じ管狐を持つ人間として飯綱君とも色々話したい。かがやき荘の人たちにもまた会いたい」

 そこまで話したところで、お紺は大きな溜め息をついた。

「何だいあんた、未練だらけじゃないか…」

「そうだよ! 今言った他にも、やりたいことがいっぱいあるの! まだ16歳だよ!? 私はもっと生きたい!! 生きて色んなことを経験したい!」

 ここまで話して、蓮子は今まで堪えてきた涙が溢れて来た。本当に、心の底から自分は生きたいのだ。しゃくり上がってくるせいで、上手く声が出せない。その様子をお紺は黙って暫く見つめていた。このまま泣いていては、これから伝えたい大切なことを話せない。と蓮子は何度か深呼吸をして自分自身を落ち着かせ、涙を拭った。すると、蓮子よりも先にお紺が口を開く。

「…そうかい。…あたいはあんたより、ずっと長く生きている。あんたが色々やりたいと言っていたそれは、あたいにとって全て玉藻前様の為に置き換わっていたのさ。…でも、全て終わったんだ」

「……本当に、それだけ?」

「何だって?」

 蓮子の言葉に、お紺は少しだけ目を見開いた。

「私と初めて会う前から、お紺は自分よりも玉藻前様第一、だったの?」

「あ、当たり前じゃないか!」

「じゃあ、記憶がなかったときに、私に〝生きたい〟って言ったのは、お紺が自分自身の為に言ったことじゃなかったの? それともやっぱり違うの?」

「そ、それは…!」

 全身の毛を逆立てて蓮子の言葉を否定していたお紺は、今の言葉にはすぐに反応出来なかった。

「…ねえお紺、玉藻前様は、もうどうにも出来ないの?」

 蓮子がそう尋ねると、お紺はゆっくりと首を横に振った。

「神野の言う通り、玉藻前様は御自分の力の限界を悟って、眠りに就かれたよ。どうしたってあたいの力だけじゃあ眠りから醒めさせるのは不可能だし、玉藻前様から生まれた同士も、もう殆どいない。力もあんたと出会う前に削がれたし、あたいの願いが成就することはもう無いだろうさ」

 諦めの中にも悔しさと悲しさを含んだ表情でお紺は言い切ると、項垂れた。

「…お紺は、本当にこのまま死んでも良いと思ってるの? まだ生きたいとは思わないの?」

 蓮子の問いかけに、お紺は顔を上げたが、返事はない。

「お紺はずっと追いかけてきた目的の為に生きて、頑張って来た。でも、もうその目的は、叶わなくなった。それなら…新しい目的や夢を見つけない?」

「新しい…夢?」

「そう。私がこれからも色々なことをしたいように、お紺もこれからやりたいことを見つけるの。今度は玉藻前様の為に生きるんじゃなくて、お紺自身の為に生きるんだよ」

 蓮子は、一番伝えたいことを言い終えてひとまずほっとした。お紺にどう捉えられようとも、まずは自分の気持ちを声に出して言っておきたかったのである。

「あたい自身の為、か…そう言うこと、あんまり考えたこともなかったねえ…」

 お紺にとって新しい目的や夢などは、想像だにしていないことであった。蓮子の言葉に逡巡し、再び黙り込んでしまう。蓮子は心臓が激しく鼓動するのを感じながら、お紺の言葉を待つ。そのとき、蓮子の後方にずっと控えていた刹那が近付いて来たかと思うと、

「おいお紺! てめえ、いつまでウジウジしてんだ! 大体何も言わねえってことは、生きる意思があるってことだろうが!? それに、てめえと蓮子を生きてこっから連れ戻さねえと、神野からの報酬も貰えねえんだよ! 腹括れ!」

 と、まくし立てた。発言の後半部分に蓮子は驚いたが、魔人である刹那がここまで来て自分たちを助けてくれようとしたことにも納得できた。

「道理で、あんたがやたら蓮子に親切だと思ったよ」

 お紺もそこで呆れたように溜め息をついた。

「当り前だろうが! このオレがタダで人間ごときを助けるかってんだ! そもそもお紺、てめえは神野に負けたんだよ。分かったかこの負け狐が!」

「なんだってえ!?」

 お紺はそこでまた怒りで全身の毛を逆立て、刹那を睨んだ。刹那の方は意にも介さないどころか、面白がっている節さえある。

「おう、負け狐ってのは事実じゃねえか。実際、蓮子がいなけりゃてめえはこっから出られねえんだよ!」

「うるさいうるさい! ええい、要するにこっから出りゃあ良いんだろ!? 戻ったら、あんたを塵にしてやれるまで力をつけてやる!」

「はっ、一生かかっても出来っこねえな!」

「ふん、今に見てな! …蓮子、あたい、その…」

 蓮子に向き直った途端、お紺からは勢いがなくなり気まずそうになる。蓮子はお紺の意図を汲むと、自然と笑顔になった。

「うん、一緒に生きよう。今度は、お紺自身が夢を見つける為に」

「……ありがとう」

 お紺は小さな頭をぺこりと下げた。蓮子は、刹那の方を見る。

「あの、それで…私たちはここからどうやって出ればいいんでしょう…?」

「ん? ああ、適当に歩いてりゃあ、出口みたいなモンが見つかるだろ。今はさっきと違って、お紺にも生きる意思が明確に生まれている。後は、お前たち次第だ」

 ぶっきらぼうだが、どこか温かさが感じられる刹那の言葉に対し、蓮子は礼を述べて深々と頭を下げた。お紺と視線を合わせると、お紺が頷いたので蓮子も頷き返すと、刹那に背を向けて歩き出した。

「…タダ働きじゃねえとはいえ、オレも甘くなったもんだなあ…神野のことは言えねえや」

 自分自身に呆れ、苦笑しながら刹那はぽつりと独りごちる。蓮子とお紺の背中が遠く、小さくなると、音もなく煙のように刹那は姿を消した。

 ――蓮子とお紺は黙々と、砂利の上を歩き続ける。だが、ここにやって来た最初の頃と違うのは、ただ頭が真っ白になって無意味に歩いているのではなく、この先を生きる、という強い意志を持って歩いている、という点である。そして隣にはお紺もおり、出口が見えない不安感はなかった。

 どのくらい歩いたか、もう蓮子には見当もつかない頃合いになって来た。だが、一向に心は折れない。これもまた、最初のときとは違う感覚である。ふと、何か形容しがたい予感が、蓮子の胸中を掠めた。そして―それは的中した。蓮子とお紺がいる数十メートル先には、今までの景色にはなかった光がそこに佇んでいる。あれが出口だ、と蓮子は確信した。そこで一旦足を止める。

「…お紺」

「分かってる。一緒に行くよ」 

 蓮子のいわんとしていることをお紺は読み取り、すぐに返事をした。蓮子とお紺は再び歩き始める。光に段々と近付いて行くが、不思議なことに眩しさはない。光は大きくなっていき、やがて蓮子とお紺は全身が光に包まれた。心地良く、温かい真っ白な世界。蓮子は恐れなど全く抱かずに歩き続けると、そのうち徐々に重力が無くなっていく。宙に浮いた、と思った直後、視界は暗転し、何も見えなくなった。

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