乱戦ラウンド 2ラウンド目
ヘル ~死の空気の中で
ヘルは死者の軍勢を使役し、それにより世界を死者の世界に変えようとする。
如何に
京一、輝彦、光正、則夫の四人は確かに強い。純粋な戦力と言う意味では、死者の軍勢を押し切れるほどに。
だが、それが勝利に直結するわけではない。ヘルは
死が振りまかれれば、それだけ神子達の攻めも鈍ってくる。事実、彼らの攻めは少しずつ鈍ってきていた。
「くっ……! 流石にこの空気で相手を狙い撃つのは容易ではないでござるな」
神統主義者の最大火力を持つ光正の攻撃が空を切る。纏わりつく死者に阻まれ、満足に間合を取ることができなかった。
元から持っていた武器は、先ほどの攻撃時に焼き尽くしている。光正は右腕を本来の姿である日本刀に戻し、戦いに挑んでいた。
ヘルから放たれる『冷たき吐息』が神子達を襲う。冥界の風が荒々しく吹きすさぶ中、則夫が運命の輪から
「それはさせないんだな。……とはいえ、このままインガを削られれば面倒なことになるんだな」
神子達は世界を司るインガと呼ばれる力により親神の
「――と言うわけなので、ここで休戦してヘルを倒してくれると嬉しいんだな。ツンデレたセリフを頂けると、グッドなんだな」
「何が『と言うわけ』よ! さっきあれだけのことしておいて!」
則夫の説得を、コンマ一秒で却下する詩織。
詩織の目的は怪物が世界を乱すことを阻止する事である。そして怪物化しそうな存在の中で、最も与しやすいのは京一だ。怪物化する前に彼を倒し、その後にヘルを討つ。それが彼女の立場において、戦術上正しいのだ。
『知恵』『芸術』そして『戦術』……それを司る『アテナの執行者』はその槍を京一に向ける。その動きに京一は避けることができず、身を硬直させて――
「……っ!?」
槍は彼に襲い掛かろうとしていた死者を払いのけた。その後、
「……ほう。闇を払ったか。いいのか『アテナの執行者』。前橋クンを攻撃しなくて」
「ええ。これが戦術上正しいんだから!」
ヘルの戦法が死を振りまきこちらの動きを制限するなら。その空気を振り払うのが戦術上正しい。詩織はそう言って神統主義者を睨み返す。
「甘いでござるな。だが、悪くはない」
「ツンデレ発言ゲットォォ!」
「……すまん。礼は言っておく」
神統主義者達はそれぞれ詩織に言葉を投げかける。詩織に返事を返す余裕はない。ヘルはいまだに健在なのだ。詩織の攻撃で数を減じたとはいえ、次々とわいてくる屍者の軍勢は、少しずつこの地を
「避けきれぬか……!」
輝彦が苦悶の声をあげる。経験豊富な輝彦でも、この数の暴力は完全にさばききれるものではなかった。
(……拙い)
輝彦は崩れつつある自分の策を立て直そうと、必死に思考を繰り返していた。
今自分が手にしている『
(今槍を放ってもヘルは倒せない。その前提条件で策を進めよう。吾輩の勝利条件は自分の手で、ヘルを討ち、あの少女の命を奪うこと……あるいは山本クンか『アテナの執行者』に討ってもらって、天を運に任せるかだ)
そうすることで京一に絶望を与える。そして生まれた怪物を確保するのだ。
(今槍を放てば、あと一撃で倒せるだろう。……まともに攻撃が入れば前橋クンでも。そうなれば、吾輩は敗北することになる。それは避けねばならない。……だが)
輝彦は周囲の空気を肌で感じ取る。死の空気は飽和しており、あと一歩でそれに飲み込まれてしまう。
(時間が経てば不利になるのは吾輩達。ここで槍をヘルに向けなければ、それだけヘル討伐に時間がかかる。そうなれば……かの醜き女神に地上を蹂躙させるための足掛かりを作ることとになる。それは主神オーディンの望むところではないはずだ!)
奥歯を強く噛みしめる輝彦。北欧神話の終焉、
(構うものか。そもそも前橋クンの親神は戦闘向きではない。この悪環境の中、ナイフを命中させることも難しいだろう。彼に当てることができるはずがない)
槍投擲後、そんなことを思いながら自らを安心させる。槍の一撃を受けて大きくよろめくヘル。確かにこれなら攻撃力のない神子であっても、当てることができれば倒すことができるだろう。
だが『当てる』と言う行為が難しいのだ。纏わりつくような重い空気。ただ立っているだけで眩暈を起こしそうな、そんな濃密な瘴気ともいえる戦場だ。戦闘に身を捧げている光正ですら満足に当てることができなかったのに。
――そんな絶望の中、京一はゆっくりとナイフを握りしめる。いつから持っていたのかわからないナイフ。これも親神の贈り物なのだろうか。
状況はわかっている。確かに京一がナイフを振るったところで、当てることすらできないだろう。刃は空を切り、そして光正か詩織かあるいは輝彦か。戦い慣れた神子にヘルは討たれるだろう。
だが、彼には親神の恩恵がある。『マッチ売りの少女』が子に与えてくれた贈り物が。
一つは灯りとなって情報を示す灯だった。
一つは幻覚により空腹を癒す温もりだった。
そして三つめは――
「『マッチ売りの少女』はマッチの幻影の中に幸せを見つけていた」
京一は前を見る。そこにあるのは大量の死とそれを支配する
「たとえ死ぬとわかっていても、笑っていた。それは報われないかもしれないが、彼女は幸せだった」
それが三つ目の力。
「親がいないことは不幸だと思う。親に虐げられていることも不幸だと思う。だけど、希望はある。そう思って前に進めば、幸せがあるかもしれない。
もちろん、ないかもしれない。たとえその先が『死』だとしても――」
歩むことを恐れない。
京一の掌に光る灯。マッチの火のように小さく、でも確かにある光。
その明かりが示す道を京一は進む。死者の軍勢も、ヘルも、その歩みを止めることはできない。ヘルの最大の盾である切望は、京一には何の障害にもならなかった。
振るわれたナイフはただ真っ直ぐに。それを止める物などなにもない。
一閃するナイフが、冥界の女王を音もなく切り裂いた。
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