前橋京一 ~親無き子と、親を否定する子
「草間さん!」
草間千早を探すことはそれほど難しくなかった。ヘルの
だが――
「……前橋……くん? どうしたの?」
その顔は赤く腫れていることは予想外だった。それを隠そうともせず、痛々しい腫れ触りながらを薄く笑っている。
「その顔は……まさかお父さんに殴られたのか?」
「ふふ。そんなことないよ。どうしてそう思うのかな? 優しいお父さんがそんなことするはずないじゃない」
どこか上の空で草間が答える。少しずつ、周囲の温度が低くなっていく。
「どうしてって……昨日見たんだ。草間さんが父親に暴力を振るわれて、物置に――」
「知らない! そんなお父さんは知らない! それは私のお父さんじゃない!」
京一の言葉を遮るように草間が叫ぶ。そんな父親はいない、と大きくかぶりを振って。
「私のお父さんは! 優しくて! すこしあわてん坊で! 遅く帰ってきた私の事を怒るけど! 私を閉じ込めたりなんかしない! しないしないしないしないしないしないしない!」
それは泣きじゃくる子供のように。それは殻にこもる貝のように。叫び、頭を伏せ、耳を閉じ、涙で視界をぼかして世界を拒否し。
「だから……私を殴ったあのひとは氷に閉じ込めたの。私が来ないでって念じたら、凍っちゃったの。別にお父さんじゃないから、どうでもいいよね?」
「草間さん……」
京一は草間の精神状態を理解した。父親からの暴力に耐えかねて、現実逃避をしている。そしてヘルはそれに同調するように力を増している。
京一は詩織の言葉を思い出していた。
『虐待から遠のけることでヘルの影響を軽減することができる』
(確かにこれは虐待から遠のいたと言えるだろう。……だけど、これは違う。むしろ虐待に捕らわれているんだ)
そこから脱するには、父親に向き直らせてそこから選択させないといけないのだ。殻にこもった状態から引っ張り出し、そして父親との距離を自発的に取らせなければならない。
無論、それは容易な事ではない。時間をかけてゆっくりやらなくてはいけないことだ。だが、その時間が今はない。このままではヘルが氷の絶界を生み出してしまう。そうなれば、ヘルを討つべく様々な
今ここで、彼女の心に訴えかけなければいけないのだ。
「違う。それは草間さんのお父さんだ」
「誰が?」
「草間さんに暴力をふるって、閉じ込めたのは――」
「そんな人いない」
「草間さんのお父さんなんだ」
「そんな人はいない! ……あの人は、お父さんは……優しかったお父さんは!」
髪を振り乱し、必死に否定する草間。学校の彼女を知る京一は、その姿をみて良心が痛む。草間を傷つけていることはわかっている。それでも、
「優しくなくても、暴力をふるっても」
これだけは。これだけは言わなくてはいけない。
「草間さんのお父さんは一人だけなんだ」
「草間さんのお父さんは一人だけなんだ」
それは、生物学的に遺伝子を受け継いだ相手と言う意味もあるのだろう。遺伝的な父は一人しかいない。
だが、それとは違う意味も含んでいた。
「草間さんは今までお父さんと一緒に暮らしてきて、辛い事ばかりだったのか? 嬉しいこともあったんじゃないのか? それら全てを含めて、親なんじゃないのか?」
「……っ!」
「優しいところだけを見て都合のいい父親を作り出しても、そんなモノは何処にもいない。世界中のどこを探しても、そんな父親はないない。……優しさも、温もりも、汚らしさも、暴力的な所も、全てあるのが親なんじゃないのか?」
「何で……そんなことが分かるの? 前橋君に私の何が分かるの!」
「…………分からない」
京一は静かに首を横に振った。これだけは、共感できないことなのだ。
「俺には……親と暮らした記憶がないから。だから、親がどういう存在なのはわからない」
「……ぁ」
草間は京一の一言に我に返る。彼の家族のことは、草間も聞いている。親に捨てられた子。親の思い出を持たず、養護施設の人を『親』として生きてきた子。
「育ててくれた人はいた。親と言う存在がどのような意味合いを持つかも知っている。……だけど、俺は親の事を知らない。だから何が分かるかと言われれば分からない。
だけど、草間さんのお父さんは一人だけ。その事実は確かなんだ」
冷たい風は変わらず草間から吹いている。その風に押し負けないように、真正面から草間に語り掛ける京一。
「暴力を振るう力に対してそう言った力を使うのはいい。……いや、正確にはやりすぎだけど、
親に対する子の想いなんか、それぞれなんだ」
京一は様々な神子を見てきた。
尾崎輝彦は父親を戦神として尊敬している。旗頭として群を作ろうとしている。
山本光正は父親を憐れんでいる。父を排他した世界を壊そうとしている。
飛山則夫は母親を愛している。母性的に、肉欲的に。
それが一般的ではないことは、知っている。世間から見て、排他される存在なのも知っている。だけどそれは間違いなく親に対する思いなのだ。
それを否定はできない。子を思う親。親を思う子。歪でもそこにそれはあるのだ。
「……ねえ? 一つ聞いていい?」
一泊置いて、草間は問いかける。
「お父さん、許してくれるかな?」
「さあ。それこそ、父親に聞いてみないと分からない」
その答えに、草間はわずかにほほ笑んで言葉を返した。
「……そうだよね」
草間は父親に向き直った。そして一歩踏み出した。
その結果がどこに到達するかはわからないが、それは確かに前進なのだ。
だが――
『違う! お父様は私を捨てた! 父の愛なんて、存在しない!』
それを認めない者がいる。
草間千早に憑依した怪物。『父に虐げられ、地の底に追放された娘』は、父と会話することなど許さない。許すはずがない。自分を捨てた父と話しても、自分が傷つくだけだと、極寒の風を生みながら叫ぶ。
そこに、草間千早とヘルとの違いが生まれていた。
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