塩の柱
・あらゆる知性よりも時間の方が価値が高いということから、勉強とは時間を労働によって道具にすることを意味する。逆に言うなら、単位計算された時間には価値がないということ。だからそれ自体としての閑暇に価値を付けるのは担保としてのみ可能なのである。
・財の再配分とは国家を正当化し続けるための神話である。再配分よりは財の新しい形式や欲望を喚起する方がずっと理にかなっているが、財とは本質的に権力の正当化を意味する。つまり欲望を教えた時点ですでに権力は解体されているのである。欲望はそれが排除されているときにのみ実現できるのだから、教育を財の形式で正当化することは不可能なのだ。
・退屈の価値があるというよりは退屈こそが我々に自身の欲望を学習させるというべきだ。だから人に労働をさせるには退屈への恐怖を教えればいい。人は自分の欲望よりも労働の等価物を与えられる場合にのみ安心を手に入れるからだ。閑暇と休暇の間には圧倒的な隔絶がある。休暇とは労働の安心の等価物であり、閑暇とは欲望の狂気の等価物である。労働には安全や基準が求められるが、閑暇には情熱が求められる。もっと簡単に言うなら努力よりも倦怠を選ぶということ。
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