第2話 

 みごとなスリっぷりだが、ひなの心の中は

おだやかではない。

 多少なりとも、善悪の判断はできる。

 だが、あくまでも表情はクール。

 心のゆらぎをおさえこんでいた。

 雑踏にまぎれこむのは、お手のもの。

 たちまち、彼女は電車待ちの列にもぐりこ

み、すぐわきをゆうたが通っても、素知らぬ

顔をしていた。

 ゆうたは必死だった。

 ホームを行きつ戻りつしながら、女の姿を

探し求めた。

 財布には、一万円札が二枚入っている。

 高いビルの上で落っこちそうになりながら

稼いだ金の一部である。

 借りてまで物を買いたくないから、カード

のたぐいはなかった。

 ついにひなを認めて、ゆうたはおいっと声

をかけた。

 それでも無視されたから、彼は彼女の左の

二の腕をひっぱるという強行手段に出た。

 あまりに軽い彼女のからだである。

 ポンと彼にぶつかって来た。

 「何すんだよ。この痴漢やろう。おまわり

さん助けて」

 口から出まかせで、ものを言う。

 まわりの乗客の視線が、いっせいにゆうた

に集まった。

 「なに言ってんの。あんただろ、悪いのは。

俺の財布、抜き取っただろ。今さっき」

 「ばか。そんなことしてないわ。ぬれぎれ

だわ、ひどい」

 ひなはその場にしゃがみこみ、がむしゃら

にかぶりを振った。

 彼女の目から、熱い水がぽろぽろとこぼれ

始めるのを見たゆうたは、よくもまあ、ウソ

泣きがうまいことだと感心してしまう。

 だが、ここで、負けるわけにはいかない。

 「ほら、見てみろ。ここにこうやってはさ

んであった札入れだぞ。俺にぶつかるふりし

てすったんだろ。この手で」

 彼女に負けじと、手振り身振りをまじえて

大声をだした。

 「どこまでも、そんなうそっぱち言うんだ

ったら出るところへ出ましょ。あんた、こう

やってあたしの手をつかんでるんでしょ。立

派な犯罪よ。みなさん、助けてください。わ

たしこの人にエロいことされそうになったん

です」

 女の口には、かなわない。

 やせ細った体の女と、体格のいい男。

 どちらに分があるか、明らかだった。

 一瞬で、ゆうたは負けを意識した。

 スリはあくまでも現場をおさえるしかない

のである。

 「まあいいや。俺の負けだ」

 と立ち上がり、歩きだそうとした。

 怖い目でゆうたをにらみつけていた背広姿

の中年の男が、黙ったまま彼のゆく手をさえ

ぎった。

 「何だ何か用か。お前には関係ないだろ」

 腹が立つが、顔に怒りはにじませない。

 ゆうたの落ち着いた態度に、男はあとずさ

った。

 ひなのふところに、黒い財布が残った。

 しかし、すぐに彼女は心おだやかではいら

れなくなった。

 彼女は盗むことで心の安定を得ていたから

である。

 

 

 

 


 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

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