Take‐21 映画『奇跡の海(Breaking the waves)』(1996)は面白かったのか?


 最近の映画はおもろーない。

 近頃の音楽もよーわからん。

 昔はよかったよかった。


 と、語るオトナたちを見て身震いするほど、アァ、こうはなりたくないな……と思ったのはかつての子猫だった頃のペイザンヌ。


 若きモノは“昔”を見て学ぶもヨイ。


 しかしデアル、若くないモノは何故“今”を見て感じようとセヌのだろう?


 かつて飲み屋などでクダをまくそんな歳上の方々を見てはよく未来の自分を重ねてみたりしたものだ。


 映画だって確実に進化をとげていると思うものが多々ある。


 それはCG『トロン』が3D『トロン/レガシー』に進化したとかそーゆーことではないわけで。


 映画『奇跡の海』を観て思ったのは、もっとナニカ、根本的な進化とはこーゆーことなのかもな……などと思ったりしたことだ。

 時代と共に変わっていくとゆー進化だ。




〈 事故で全身麻痺になった夫から「おまえは愛人をつくれ」と言われ、戸惑う主人公エミリー・ワトソン。夫の心を満足させるため純粋無垢な主人公は神に祈りつつも他人と情交セックスを重ねてゆくのだが…… 〉



 そう、ストーリー的にはかなり鬱な、人によっては気分を害する、そんな映画なのだ。


 主人公たちの行動も気持ちもわけわからん、と。


 だが、これを観て頭に浮かんだのは、荒くれ者たちに暴行されたあげく殺されてしまった少女の亡骸から泉が湧く奇跡を描いた巨匠ベルイマンの『処女の泉(1960)』だったり、


 または、


 殴られ、痛めつけられながらも最後まで夫に添い遂げる妻、そんな大道芸人の夫婦を描いたフェリーニの名作、『道(1954)』であったりと、


 そのルーツは深い。


 向こうさんで言えば宗教がどーしても絡んでくるのだろうが、こういった映画の愛は“母なるものの愛”に近いのかもしれない。


 単なるDVでなく、献身や犠牲が絡む。


 考えてみると『タイタニック(1997)』のようにヒロインを救うため海に沈んでいったイケメンのディカプリオだったらイイが、この映画ではイケナイという法はなかろうて。



 どちらも同じ自己犠牲には変わりないんだし。


 前述した『処女の泉』や『道』から年月は流れ、『奇跡の海』は良くも悪くも“性”を解放させてしまった人間の、現代における奇跡の物語なのだろーなと思う。


 監督のラース・フォン・トリアーはよく変態だと賞賛(?)を受ける人だ。有名な、ビョーク主演の『ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)』で、その後味の悪さの洗礼を受けた方は多いだろうが、それだって彼の作品の中ではまだ可愛い方かもしれない。この映画の後も『アンチクライスト(2009)』や『ニンフォマニアック(2013)』でもその変態性には拍車がかかることになる。



 が、そんな感じで作品を通じ“自分をよく見せよう”という部分がほぼ皆無ということは実は恐ろしく勇気のいることなのではないかと思う。


 大抵の人は作品フィクションの中でさえも非道な行為を描くことを恐れる。私のバヤイそんなことを表現すると、見る側(読む側)から蔑視されてしまうのではという怖れが少なからず入る。また、自分の中にそんな部分があることを認めてしまうのが怖いという思いだってあるかもしれない。


 これは個人的な見解だけど、プロとアマの違いが最も如実に現れるのはこの部分の違いのような気がしないでもない。



 我が国でラース・フォン・トリアーに対抗できるのは「俺に中指立ててファック・ユーって言ってる奴ら全員にアイ・ラブ・ユーって言ってやるよ」と言い切った江頭エガちゃんくらいでなかろーか(笑)



 まさに『作品がすべてだ!』といわんばかりに、毎回ギリギリの綱渡りをやってのける気迫はそうおいそれと真似できることではない。



 本来の意味で、表現者とゆーものはこうでなければナラヌのだろうなと只々ガクゼンとなるだけ(汗)


 性の解放という時代の中に潜む古くからある信仰。そういった新しい時代の道徳観念とは? 心の奥底に潜む生まれたての葛藤とは?


 なんだかんだいって、そういう内面的な意味でも、映画はやはり確実に進歩し続けているのだろ~なぁ。





【本作からの枝分かれ映画、勝手に三選】



★『エマニエル夫人』(1974)

……1960年後半のウーマンリブ(女性解放)、さらに本作の翌年1975年までフランスでは離婚が一般的ではなかったというのも驚きであります。当時はエロやポルノという感覚でしか見られなかった本作。監督がファッション写真家ということもあって、公開後じわじわと日本でも若い女性にも受け入れられていきます。まさに本作の内容のごとく女性が自分のセックスというものに気付き、求められる女になる、といった意識変換の時代の幕開けとなった映画だったのかもしれませんな。シルビア・クリステルがショート・ヘアというのも象徴的です。



★『スタンド・アップ』(2005)

……全米初のセクシャルハラスメント起訴勝訴を描いた作品。この時代背景が1988年である。考えてみるとそれまでセクハラなんで言葉すら日本にはなかったわけで……この言葉が勝利を勝ち得た時からキャリアウーマンなんて言葉も生まれ社会的にもメディア的にも新しい時代となったのかもしれませんな。シャーリーズ・セロン主演。



★『告発の行方』(1988)

…… この映画が公開されたのってまさに、上の『スタンド・アップ』の背景となった1988年なんですね。調べていて初めて繋がりがわかったような気がしました。本作が公開された時はレイプというものを扱いかなりの衝撃作として宣伝されていたのをよく覚えております。実をいうと当時の日本人には新しすぎる(あまり馴染みを感じない?)テーマで感覚的に皆ついていけなかったのではないかと。女性へは危機感、男性には理性を求めた本作、今でこそ見直してみる価値がある一本かも。悲しいことにこういった事件多発、風潮までも日本では若干の遅れを経て“輸入”してしまうんですよね。ケリー・マクギリス主演、そしてジョディ・フォスターの出世作。

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