【Another‐Take①】愛も呪いもミエザルものがミエルとき、いとおかし


 ども。最近、自分が“買い物をしている女性がその商品を買おうか買うまいかと真剣に悩んでいる姿フェチ”だということに気付いてしまった方のペイザンヌでございます。それがつまらんものであればあるほどなお良しなんですが、残念なことにこのエッセイとは全く関係がありません(´;ω;`)


 いつも読んで頂き本当にありがとうございますm(__)m

 

 行き帰りの電車の中、お昼休みの休憩時、就寝前の一時、お暇な時にゆるーく、そして、ちょちょちょいっと読んで頂ければ嬉しいことこの上ないです

(  ̄▽ ̄)♪


 これを書く時は行きつけであります飲み屋のカウンターで書いていることもしばしばあります。


 先日もその飲み屋のカウンターで飲みながら書いていた時のことです。私はどこからか視線を感じました。


 ふと見ると、それはそれは美しい女性が私に微笑みかけているのではありませんか。ジョッキを片手に、しかも水着で。


 ……水着? 


 って、なんや、ポスターかい。

 (ー_ー;)


 しかし、私は無言で彼女を真顔でじっと見つめ返すのさ。


 さて、ここで問題です。 


 こんな私の姿をもし見かけたら、果たしてあなたはどう思うでしょうか?


 A 「視線がエロい」

 B 「なんか可哀想な人」

 C 「死ねばいいのに」

 D 「抱かれたい」


 まあ、他に一人くらいは、


“好きな人のことをポスターのネーチャンに重ね合わせている”


 トカ、


“昔の彼女のことを思い出してる”


 トカ、


 思ってくれる人がいると信じております。



 駄菓子菓子、私はその時、それらとは全く違う別のことを思い出してたのでありました。


 ほわん、ほわん、ほわわ~ん(回想シーンへ)




 その昔、専門に通っていた頃なんですが、週一で佐藤忠男さんという映画評論家が講義をしにいらっしゃってくれてたわけです。まさに日本を代表する評論家であり、今では日本映画大学の学長をされてる方ですが、その中で非常に記憶に残った回があったんですね。


 映画『無法松の一生』のとあるワン・シーンの解説です。


 この映画には板東妻三郎、いわゆるバンツマ主演の古いバージョン(1943)と、リメイクされた三船敏郎が主演のもの(1958)があるわけです。 (監督は同じ人です。稲垣浩)


 新旧ともに主人公の松五郎が“好きになってはならない”未亡人の奥さんのことを居酒屋に貼ってある女性のポスターに重ね合わせるシーンがあるのですが、


 新しいバージョンではポスターの女性に“奥さん”の顔がオーバーラップ(あの幽霊のようにほわ~んと重なる二重写しね)するんですが、昔の白黒バージョンにはそれがないのですね。もちろん当時はそういう技術がなかったというのもありますが、松五郎がただじっとポスターを眺めているだけなんです。



「それだけで松が何を考えてるのか観てる方には充分伝わるのに、リメイクされた方は新しい技術を使い“わかりやすく”しようとしたことが逆に雰囲気を台無しにしてしまっているんです」というようなことを佐藤さんはおっしゃられていました。


 私はマックスウェルシルバーハンマーで頭をぶん殴られた気がしましたね。


 佐藤さんの評論は“美しい湖の中からさらに砂金を掬い上げる評論だ”とどこかで称されていましたが、なんというのか、この講義によって映画というものの本質をそこに教えられた気がしました。

 まあ、ワタシ基本アタマ悪いんでね、バクゼンとなんですけどね……。




 んで、もうひとつ、ここからは別の話。


 まあ、これは今となってはかなり有名な話ですので既知の方も多くいるもしれませんが知らない方のために今度は“ゾクッとした”話を。


『リング』って観た方も多いと思われます。

 あの貞子の。

 日本中の“貞子”さんが親に「なんでこんな名前つけたのよ!」と震撼した(と思われる)あの映画です。


 あの映画で呪いの映像って出てくるじゃないですか? (井戸とか映っている短いカットを繋ぎ会わせた映像ですね)


 あの中に妙に記憶に残る“白い袋のようなものを被って何かを指差してる男”の映像があったの覚えてます?


 まあ、読んだ内容そのまんまなんですが、あれって監督以外のスタッフが別撮りしたらしいんですね。


 んで、その監督、“意味不明でありながらも人間が不快に思う映像”をあの呪いのビデオテープに盛り込もうとしたらしいんです。


 スタッフいわく、


「(その別撮りした監督の)最も不快だと思う映像ってのがあの“指差し男”のモデルだったんです。どうですか、『リング』以前に見てるはずですよ」 とのこと。


 だが、そう言われても質問者(著者)は何のことやらさっぱりわからなかったらしいと。


 もう皆様お気付きでしょうか。私もさっぱり気付きませんでした。


「そう、幼女連続殺人事件の宮崎勤被告が行った現場検証です。あの指の先にはね、女の子が埋まってたでしょ」


(゜Д゜)あ゛あ゛っ!!!


 な、なるほど……


……そんなミエザルものがあの呪いの映像に隠されてたとは正直たまげました。


 10代、20代にはあまりピンとこないかもしれんが、


“あまりの事件の凶悪性から被告人の顔を見せずに袋を被せて行った現場検証は当時のワイドショーや週刊誌で日本中に流れた(本文より)”わけなんですね。


 先程書いたように今でこそ有名な話なんですが、コレをおそらく公開当初に気付いた人なんてほとんどいないのではないかと。


『え? よくわかんないけど“なんか”怖い……』 

 くらいな感じではなかったかと思います。


 どうしてそれが『怖い』と頭より先に感じてしまうのか?


 なんで胸がジンとくるのか?



 小説とはまた違う技巧やテクニックを使って見せてくる側に対して、決して受動だけでなく能動的に向き合うことも映画の楽しみのひとつであり、作った人たちに対するマナーなんだなとも思いましたね。


 なんでもかんでも見せたり説明したりすればいいってもんではないのだなぁと思うのは映画だけでなく実生活でも然りなんですかね。


 恋愛ごとやプライベートも含め、シンプルにまとめるところはシンプルに、尚且つ少しミステリアスなところはミステリアスにと、そんな部分があったりした方が人生面白いのかもしれませんな。

(  ̄▽ ̄)

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