第63話

『はーい、私ですけれど。何か』


 低血圧気味の憂うつそうな低音ボイスがゆっくりと返って来た。かなり眠そうね、朝帰りでもしたのかしら。そう思ったパトリシアは直ぐにこう軽く返した。


「元気なさそうね。ねえ、どうかしたの。かつて月の乙女、光輪の淑女ともてはやされた美少女戦士アウグスティ・ユーナム・ヴァルキリアさん」


 刹那、『あらっ、まあ、嫌だわ!!』と気恥ずかしそうな声が上がると、うふふふと不敵に笑う声とともに、聞きなれた明るい声が響いた。


『そんなことを言うのはパティね! もう、止めてよ! 恥かしいじゃない』


 戻って来た声の響きから、普段見せる冷静な外見とのギャップを感じ取ったパトリシアは満足そうに微笑むと言った。


「どう、目が覚めた? ホーリー、私よ」


『はいはい。いっぺんに目が覚めましたわ、パティ。それにしても私の一番の汚点を突くなんて中々やるじゃない。その出所はたぶんゾーレね。あの口の堅い堅物から聞き出すなんて、あなたも大分腕を上げたようね』


「あら、そうかしら」


 電話先の女性にほめられて、パトリシアはにっこり微笑んだ。 やはり効果てき面だったようね。一昔のことで舞い上がるなんて彼女もしおらしいじゃない。どこにでもいる一般の女性と変わらないのね。

 パトリシアが連絡を入れたのは、紛れもなくホーリーの携帯で。アレクサンドラ・ヴィセイとは普段ホーリーが日常的に使っている偽名だった。ついこの間のこと、五年ぶりに再会した際に、長きに渡って分からなくなっていた連絡先を抜かりなく聞き出し、それからちょくちょく連絡を取るようになっていたのだった。

 ちなみに月の乙女とは、かつて非科学協会でいたホーリーが二十歳前後の若かりし頃に周りから付けられた愛称を言ったものらしかった。北欧神話に出て来る戦と美と愛を司り、また月の女神でもあったフレイヤを象徴しているようで。銀の髪に北欧系の大陸に良く見られる顔の輪郭と透き通るように白い肌。加えてフレイヤが魔法を使うことなどから、そうやゆされたらしかった。

 また光輪の淑女とは、頭の周囲に光の輪がある淑女ということで、気品がありしとやかな天使のような女性のことを意味しているらしかった。

 たまたま、そのことを彼女が酒宴の席で自慢しながら喋ったのを、そのとき同席していたゾーレが後でしらふの状態に戻った彼女へ向かって冗談で問い質したところ、突然彼女が、まるで生娘のように恥かしがって白い顔を赤らめ酷く取り乱したという話を、ゾーレと酒を酌み交わす機会があった折に聞き出していたのをちょっと思い出して、言ったらどんな反応を示すかいたずら心で試してみたのだった。


「ところで、何していたの?」


『ちょっと仮眠を取っていたの』


「今、そちらは何時?」


『ええそうね、午前の十時を回った頃かしら。今、外は小雨が降ってるわ。じゃあ、そっちは何時よ?』


「ええと、午後の六時十分よ」


『そういうあなたは今何しているの?』


「私? 私は顧客と対談中よ」


『ああ、仕事ということ?』


「ええ、そんなところね」


『ところで何か用?』 


「ああ、そうそう忘れるところだったわ。実はね、相談したいことがあって電話したの?」


『相談て?』


「ずっと前に、あなたに薦められて購入してきて貰った、あらゆる呪いから身を護るという悪魔のような顔をした四インチぐらいの小さなビニール人形のことなんだけれど。今日試す機会があって使ってみたんだけれど、全く利かなくて酷い目にあったのよ」


『それを私のせいに?』


「なにしろ使い方はものすごく簡単で、ただ単に目隠しを外せばそれで効果が発動するということだったから、間違いようはないし。それに人形はどこも壊れている様子はなかったし。だから購入先のあなたに訊けば何か分かるんじゃないかと思ってこうして電話したってわけよ」


『ああ、そう。そのような人形、あなたに買って貰ったことがあったかしら。さっぱり記憶はないわね。それは一体いつのこと?』


「だから、ずっと前よ。もうかれこれ七年以上前になるかしら」


『そう、七年以上も前にねえ……』


「ええ、そうよ」


 そう伝えると、購入した大体のいきさつをパトリシアは一分ほどかけて簡単に喋った。


『そう、そういうこと』直ちに分かったかのような返事がホーリーから返ってきた。そうして彼女は、何かを考えるようにしばらく沈黙した。その間、ゆったりとした息遣いだけが微かに漏れていた。


 一方パトリシアは、呆気に取られて何も言えないまま目を閉じた顔を向けるテーブル席の女性をそっちのけで視線を宙に泳がせ、携帯を軽く当てた右耳に意識を集中して応えを待っていた。


 それから三十秒ほど経った頃。ようやくホーリーが『分かったわ』と口を開いた。


『あなたにそのような人形を売りつけた記憶はないけれど、大体の原因は突き止めたわ』


「それで、それは何よ」


『その手の品には、全然使わなくても保証期限というものが設定されているの。つまり、放っておくと次第に効果が薄れていき、最後には効果がなくなるって訳。物にもよるけれど三年か五年か十年に一度、メンテナンスをして力を補充してやる必要があるの。それが七年で効果が消えたというのなら、たぶんその人形は中程度か短い方に設定が切ってあったんじゃないかしら』


「そうすると効果がないというのでなくて、一時的に力が消えていたということ?」


『おそらくね。その証拠として、いつでも良いから私によこせば、すぐに元に戻して差し上げるわよ』


「ふ~ん、分かったわ」パトリシアは笑みを浮かべると、分からないなりに礼を言った。


「ありがとう」


『それで終わり?』


「いいえ、あともう一つあるの。あなたなら何でも知っていると思ってね」


『それはなーに?』


「実は人形つながりで私が酷い目に遭う原因となった、ここにいるかわいそうな相談相手の女性を何とかして助けてあげたいと思ってね。私では対応のしようが無くってほとほと困っているのよ」

 

『ふ~ん、あなたって相変わらずのお節介焼きね』


「そう言わないでよ。あのね」そう口を切るとパトリシアは自分自身が体験したこととダイスから聞いたことを併せて話した。その際、話がややこしくなるかも知れないからとして、女性の素性と自身との関係は伏せていた。


「ええと、そんなところでね。それで悪いんだけれど、何か良い方法がないかしら?」


『ふ~ん、そういうこと。事情はよく分かったわ。その女性は、目にかなり強力な呪いが掛かっているみたいなのね?』


「ええ、そうよ」


『そうねえ……。何とも難しい相談ね』


「そう……」


 パトリシアは何となく不安になった。幾ら彼女でも万能とは言えないかと思った。

 そんなとき、果たして返事が余裕のある口振りでホーリーからあった。


『ちょっと待ってくれる。今調べているから。そう時間はとらせないわ。直ぐ横に二人も助手がいるんだから』


「あ、そう。ありがとうホーリー」


 三人がかりで資料を調べているのが分かったことで、良くも悪くもけっこう早く結果が分かるのではないかとみてパトリシアは安堵の表情を浮べると、思わず礼を言っていた。

 二人の助手とは、彼女の養女で、もうすぐ学校へ行っても良い年頃になっていたユーニとユーリの姉妹とみて間違いなく。二人ともまだ小さいのにホーリーの助手を務めているなんて、いつの間にそんなしっかり者になったのかしらと感心していた。

 すると、案外早く結果が出たと見えて、一分もしないうちに『お待たせ、パティ』と返事が届いた。


『電話だけじゃあ直接的な診断ができないから正確な判断はできないんだけれど、何とかなりそうよ。

 あなたの見立てでは、強力な呪いがその女性の目に掛かっているということだったけれど、あなたから聞いた症状をここにある資料を参考にしてよくよく検証してみると、どうも違うみたいよ。

 その女性は生まれながらに持っていたのではなく、数年間の修行を経てそのような症状が本人の意思にかかわらず出るようになったということだから、元々埋もれていた才能が修行によって開花したのは良いが、余りに急激にそれをやり遂げたものだから、本来身体が持っている力のキャパシティが追い付かなくてそうなっているんじゃないかと考えられるわ』


「ふ~ん、そう。話は良く分かったわ。その線は当たっているかもね」


 ホーリーから出た至極まっとうな答えに、パトリシアはなるほどと頷くと、女性のほうへ一瞬振り向いた。女性は何となく心配そうな表情で目を閉じていた。パトリシアは携帯を耳元に保持したまま、すぐさま気を回して彼女に微笑みかけると、電話口からホーリーに向かって話しかけた。


「それでは、どうすれば良いの?」


『そうね、薬物投与といった化学療法と魔法アイテムを主体に身体に身に着けて防護する物理療法の二通りの方法が考えられるわ。

 ただ、化学療法は直接私がこの目で診ることができないから、お薦めはできないわ。 あなただって、その人物の身体に異常が起こったら困るでしょ。

 それでなんだけれど、物理療法ではどうかと思ってるの。

 それにつけてもあなたはとても運が良いわ。ちょうど私の手持ちの品にそれにきっちり合いそうな品があるんだもの』


「それで、あなたの見立てだとどのくらい掛かりそう?」


『ああ、お代のこと?」


「そうよ」


『それのことなら心配はいらないわ。今回は無料よ。無料にして差し上げるわ。その代わりと言っても何だけれど、あとでどうなったか結果を教えて欲しいのよ』


 その瞬間、パトリシアに嫌な予感が走った。これはきっと何かあるわね。

 案の定、ホーリーは、


『その品はね、指輪とブレスレットとアンクレットがセットになったものなの。もちろん普通の品ではなくて魔法のアイテムなんだけどね。しかしそのアイテムというのが問題でね……』と言い添えた。


 その含みのある発言に、これは間違いなく何かあるわねとパトリシアは思わず眉をひそめた。そして訊いた。


「何か難題でも?」


『ええ、少しね』


「それって何なの? じらさないで教えてよ」パトリシアは語気をやや荒げると催促した。


「何か言い難いことがあるの? まさか臨床試験品とか無料サンプル・試供品の類じゃないでしょうね」


 その直後、『慌てないで、話すから』とホーリーが余裕たっぷりに言ってくると、その理由をいたずらっぽい声で明かした。


『実はそのアイテムというのはね、身に着ければ必ず不幸になるという呪いがかかるいわくつきの品なのよ』


「何よ、それ」


 パトリシアは唇を歪めた。呆れて物が言えなかった。てっきりホーリーが冗談で言っているのだとばかり思っていた。

 しかしどうやら冗談でなさそうで、本人は至って普段の声で口を開いた。


『どう、驚いた? つまりね、呪われた品だとか悪魔がかりのの品と呼ばれているものなのよ』


「ホーリー、そんなもので本当に利くの? あなた、試してみたことはあるの?」


 思わずパトリシアは訊いていた。


『ああ、そのこと。もちろん無いわよ。何ならあなた、試してみる?』


 人ごとのように言って来たホーリーの余りにも無責任な言動に、パトリシアは「馬鹿なことを言わないで」と一蹴した。それに対して、ホーリーはうふふふと低い笑い声を漏らすと、


『ごめんなさい、悪かったわ』と笑いながら謝って来た。そして改めて普段の落ち着いた口調に戻すと、


『でもね、誤解しないでちょうだい。単なる思い付きで言ったわけじゃないの。この私でさえ、人を不幸に陥れることしか役に立たない品にこんな利用価値があっただなんて驚いているくらいだもの。

 実は過去の文献記録に、あなたの相談者と似た症例にそれをおこなって治したという記述が載っていたの。

 それに拠ると、はっきりとした理由付けはできないとした上で、重度の感染症にかかりあらゆる治療が効かない場合や、原因不明の病が長引いているときや、何者かに憑りつかれたような症状があるとき、尋常でない力が本人の意思に関係なく周りに発現したとき、また場合によっては、一見して矛盾するように思える虚弱体質や歯痛や恐怖症や小心症の治療にも効果があると記載されていたの。

 普通なら思い浮かばないことなんだけれど、昔の人は発想力が豊かと言うべきか勇気があるというべきか、感心するわ』


「でもね……」


『ええ、あなたの言いたいことは分かるわよ。効き過ぎないかということでしょ。その点は心配しないで。もしか何かあったときは外せば良いだけよ。私を誰だと思っているの。きっちり調整はしておくわ。

 それに効き過ぎるということは無い模様よ。この手の呪いの強弱は即効性があるか緩やかに効くかの差だけらしいみたいだから』


「でも……」


『ああ、それでは他の力も消えてしまうんじゃないか、ということなのでしょ。そのことは多少目をつぶって貰わないといけないかも知れないかもね。でも永久に消えるわけじゃないのだから良いんじゃないの。必要なら一時的に外せば良いだけなのだから。

 それで、もしダメと言うのなら化学療法しかなくなるけれど、その場合、安全を期するために私が直々に会いに行って診断しなければならなくなるから、それ相当の費用と時間が必要となるけれど、それでも構わない?』


「ふ~ん、そう」


 パトリシアは力のない声で応えると、考えるようにう~んと首を捻った。何かしら向こうの都合の良い方向へ誘導されているように感じたからだった。

 そうしてパトリシアは聞こえないように呟いた。さてどうしたものかしら。

 

『先に言っておくけど、何も初めから企んであなたに薦めているわけじゃないのよ。先にあなたが話した例の呪い返しの人形のことが頭にあったものだから、偶然の成り行きでそれが良いんじゃないかと思っただけよ』


 すぐさまパトリシアの心中を見透かしたかのように、ホーリーが補足する。


「ふ~ん、そう」


 少し間をおいて、パトリシアはふと思い浮かんだ疑問を尋ねた。


「なぜそんな品をあなたは持っていたの?」


『ああ、そのこと』ホーリーはこともなげに応えた。


『きっちり話すと長くなるから要約すると。そう、いつだったかしら、とある老舗の魔道具屋が店仕舞いするというので出掛けて行ったんだけれど、目を付けていた品は既に売れてしまっていて、残っていたのは、どう使って良いか迷ってしまうガラクタばかりでね、私も買う気が失せてもうこれ以上いてもしょうがないから帰ろうとしたの。

 そういうときだったわ。私達客の心を読んだ店側が、それまでバラ売りをしていた品をカゴに詰めて一まとめ幾らと云った抱き合わせ販売で売り始めたの。それも総額の七割引、八割引という大割引でよ。まるで投げ売りをするようだったわ。その為か一気に客が飛び付いちゃって、たちまち押すな押すなの大盛況よ。

 でね、私も気になったから少し見て回ったの。そしたらその中に欲しいと思っていた品物が含まれているカゴを見つけて、ついそれだけを目当てに買っちゃったの。その中におまけのようにあったのが例のセットという訳よ。

 何れもれっきとしたいわれとその効果を証明する証明書が付いていて、かなりの魔力を秘めているのは確かなんだけれど、不幸を招くアイテムなんて誰が好き好んで買うのという訳よ。私だって進んで買おうとは思わないもの。

 そうは言っても買ってしまった以上、無下に棄てる訳にはいかないし、また飾って措く訳にもいかないし。それで魔法アイテムの保管庫の隅にずっと放りっぱなしにしていたの。以上よ』


「ふ~ん」


 パトリシアの視線の先は自然と女性の方へ向かっていた。

 見れば、戸惑いを見せていると思いきや、パトリシアの様子から何かを察したのか、目を閉じた女性はにっこり笑った。それは全てをお任せしますと言っているかのようで。そう理解したパトリシアはようやく決断すると言った。


「分かったわ、あなたを信じるわ」


『そう、それじゃあ決まりね』


「ええ」


『それじゃあ直ちに航空便でそちらへ送るから住所と宛名のデータを送ってちょうだい』


「ねえ、品物が届くまでどれくらいかかりそう?」


『それは私にも分からないわ』


「それは困るわ。私も相談者も事情があって、そう長く待っていられなくてね。できるだけ早く届けて欲しいのよ」


『じゃあ、どのくらい?』


「そうね、二十四時間以内。無理かしら?」


『いや、そうでもなくてよ。世話になっているあなたの為だもの、ここは奮発して特別な方法を使ってあげる。私が知っている裏のルートの業者を使って送るとするわ。これだとそうね、通常なら一両日中に、あなたが指定する国の地域にある最寄りの運送業者の配送センターへ持ち込んでくれる筈なんだけれど、それを早めてあなたの意向通りにして上げる。あとはそこから品物が届く筈だから着払いで受け取れば良いわ』


「ありがとう、ホーリー。やっぱり持つべきものは友ね」


 その発言に、ふふんと屈託のない笑いをホーリーが漏らすのを聞きながら、パトリシアはにこやかに笑いながら付け加えた。


「ところで最後にどうしても聞いておきたいことがあるんだけれど」


『何よ?』


「そのような不幸を招く品があるのなら、同じように幸福を招く品だってあるんじゃないかと思ったんだけど」


『ふふん、それもそうねと言いたいけれど、仮にそういう品があったなら、この私が真っ先に欲しくてよ』


 ホーリー流の見事な切り返しに、なるほどねとパトリシアは思わず白い歯を見せて笑った。

 そして、同じく笑いが起こっていた電話の向こう側に向かって声を掛けた。


「じゃ御願いするわね」


『ええ、任しておいて』


 短い日常会話と共にそのようなやりとりをして用事を済ませたパトリシアは直ぐに携帯を切ると、向かいの席でたたずむ女性へ笑顔で向き直った。そしてにこやかに、


「エリシオーネさん、安心してちょうだい。その目のことは何とかなりそうよ」と優しく話しかけた。


「そうですか。お手数かけてすみません」女性はホッとした表情で応じた。


 続いて腕時計で時刻を確認した。時間が経つのも早いもので、知らぬ間に午後の七時過ぎとなっていた。

 もうこんな時間と周りを一瞬振り返ると、外はすっかり日が暮れたと見え、二ヶ所の窓に掛かるカーテンの隙間から暗闇がはっきりと見て取れた。少し日が落ちるのが早過ぎやしない? 早く戻らないと。

 意を決したパトリシアは、それからてきぱきと動いた。

 あたかも場を仕切るかのように、手に持った携帯で別の部屋で待機するダイスを呼び出して事情を説明した。ダイスは人の良さそうな顔で快く受け入れた。それどころか、どうしても断れない用事があるからとピエト地区にあるコンベンションセンター付近のホテルで一泊してから次の日の昼に戻る予定だと尋ねられるままに正直に伝え、部屋を出て行こうとするパトリシアに向かって、


「あそこまではかなりの道のりですね。私も仕事柄何度も行く機会がありましたから良く分かります。

 今から出ますと、向こうへ着くまでには行き慣れた私でもかなりの時間がかかります。ましてや真夜中に慣れていない道を行くとなると、幾らカーナビの補助があるにしても、何が起こるか分かりません。もしホテルの予約を取っておられないのなら、ここは安全策を取って、どうですパトリシアさん、あなたも泊まっていかれては。そうして明日、陽が昇ってから発たれては。

 なーに、二階に私の娘の部屋と普段使っていない部屋が空いています。どちらでも好きな方を使って下さい。食事の方は、何分と男所帯なもので、お二人の口に合いそうなものはできそうにありませんが、それでもゆっくりできること請け合いです」と勧めてきた。


 そのときパトリシアは思わせぶりに、「そうですわねえ」と言葉を濁した。

 こんなに早く真っ暗になるとは夢にも思っていなかったので、ダイスの意見も一理あると考えてのことだった。もしかすると道に迷ってしまって、しまいには車中で一泊といった状況になりかねないかもね。

 それに加えて、このままかたくなに固辞して立ち去れば、信用されていないんだという嫌な思いを女性にさせることはもちろん、更には冷たい人という印象を持たれてしまいそうで。相手の身になって考えるとそれだけは絶対に避けなければならない。

 そのような気持ちが働いて、まだ時間はたっぷりあるのだから予定が少々狂っても問題ないわと、パトリシアはそれとなく空気を読むと、ダイスの申し入れに快く同意していた。


「ダイスさん、あなたのおっしゃる通りかもしれませんわね。じゃあ、お言葉に甘えてそうさせていただきますわ」

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