第27話

 空は快晴。雲はほとんど見られなかった。暑くもなく、風もそれ程強くなく。前日の天候とほとんど遜色ないと思われた。ややもすれば、ちょっとした遠出ができそうな穏やかな日和だった。

 ダイス達一行は、やや下り坂になった道路のほぼ中央付近を歩いていた。全員が薄青色のつなぎの作業服姿と、これから仕事に行くような格好だった。が、なぜか周りに良く溶け込んでいて、それ程違和感がなかった。おまけにこの日は、薄紫色をしたネコ似の生き物も彼等と行動を共にしていた。そのこと自体は、人前で歩く姿をほとんど見せたことがなかったこの生き物にとって大変珍しいことだった。

 携帯のGPS機能を頼りに、昼の十二時十分ぴったりに兵舎の建物を出ると、この地点までやって来ていた。

 昨夜向こう側からタダで提供されたその携帯は、使い捨てといっても良い品で。使い始めて二十四時間後に電源が自動的に切れて全機能が停止する仕組みになっていた。それ故、機能面も割とシンプルで、画面と三つのタッチボタンとGPSナビ機能が付いただけの仕様になっていた。その携帯のGPSによると、目的地までは、あと約半分の工程の筈だった。

 兵舎を出た時間も、不正行為ができないようにと向こうからきっちり指定されていた。十名の出発を十分間ずつずらすことで互いに接触しないようになっていた。ちなみにダイス達は四番目にあたっていた。

 全員が道路の中央を歩いていたのにも、ちゃんとした理由付けがあった。

 一つは、車両の往来が全くなかったことや人影も皆無だったことだった。それを旨く利用してそうすることで、自分達の位置をGPS画面で分かりやすくしていたのだった。

 道路は片側一車線と、特に変わったところはなく、その両側には三角や半円形の屋根をした倉庫のような建物が連なるようにして建っていた。それが約四百ヤード(約366メートル)ぐらいに渡って続いていた。

 建物の外観は、どれも淡いベージュ色に統一されており、高さがビルの三階から五階ぐらいある上に奥行きがかなりあった。全面部には閉め切られた扉が見えていた。だが窓は一切見られなかった。

 後それ以外は何もない所だった。目印になりそうな標識は立っていなかったし、目立った緑も無ければ信号機も見当たらず、一台の車両も道路上に止まっていなかった。それ故、少しでも自分達が今どこにいるのか明らかにしようとしていたのだった。

 そして後もう一つは、周りはどうなっているのか興味があって、単に見ておきたかっただけのことで。それ以上でもそれ以下でもなかった。


 一行は縦に長い隊列になっていた。イクがひとりだけ飛び抜けて前方を歩き、残りがその後を荷物を持って続くというものだった。

 その理由は、イクだけ歩くスピードが速いということではなく。自ら志願して目的地の場所捜索を任されていたイクがGPS携帯を片手に先頭を進んでいたというのが事の真相だった。

 彼女は、どうしても熱心になる余り、足取りが速くなりがちで。そのため、一足先にいっては後続がやってくるのをじっと待つということを繰り返していた。

 

 倉庫群が途切れた辺りから、道路は一旦緩い上がり坂となり再び下るという段差構造になっていた。

 その辺りから道路の両端にはガードレールと有刺鉄線のフェンスが延々と続いていた。

 また、道路を隔てて右側に少し行った先には、わずかな木立に囲まれてパイプラインの配管施設が見え、その奥の方にはポンプ施設らしい建物が少し顔を出すように見えていた。


 もう少しでダイス達が倉庫群の端まで到達しようとしていたとき、イクは既にずっと先まで行っていた。その彼女が、ここまでの途中でずっとやってきたのと同様急に立ち止まり、振り返ると、ひときわ大きな声で叫んできた。


「もうちょっとみたい。あの辺りに目的地の場所があるみたい」


 彼女は前方へ向かって指を差しているようだった。

 ダイス達は直ぐにそれを理解すると、その方向へ目をやった。けれども目に映ったのは、それまで見てきた赤っぽい色をした荒野が遥か奥の方の山々へ向かって続いている何の変哲もない光景のみで。イクが言ったようなものは見えなかった。

 よって、戦う場所はあんなところにあるのか。何もないじゃないか、とダイス達が、疑いの目でイクの姿をもう一度追ったときだった。イクの真正面に一台のピックアップトラックが、クラクションも鳴らさずに現れた。迷彩色をしていて明らかに軍の車両だったトラックは凄い勢いでやって来たかと思うと、イクの直ぐ前で小さく弾んだ。そうして、まさにそのまま正面衝突するのかと見えた。けれどもトラックは、その直前で急にくるりと直角に向きを変えると、埃を舞い上げながら左の方向へ走り去っていった。どうやらその辺りに本線と交わる丁字路のようなものがあり、トラックはそこへ向かったと考えられた。その日見た唯一の動くモノだった。

 そのとき誰もが、イクがそこで一旦待つものだとばかり思っていた。そこまでは別段どうということがない光景だった

 ところがである。彼女は車を見送った後、何を思ったのか、何事もなかったように再び歩みかけたのだった。

 だが次の瞬間、


「ひぃっ!」


 イクの悲鳴が、乾いた空気の中に突然響いた。

 そのときイクが倒れたのが、ダイス達の目にはっきりと見て取れた。どうやら勢い良く地面に尻餅をついたようだった。

 けれども、彼女の悲鳴は、助けてといった緊迫したソレではなくて、驚いたときに出るくぐもったアレだった。故に全員の反応がどことなく鈍かった。

 縦に長い隊列になった集団の二番手を歩いていたジスが、先ず動いた。彼は、距離は三、四十ヤードぐらいしか離れていないからそれ程急ぐ必要はないと判断して、小走りで近付いていった。生き物もほぼ同時に向かっていた。しなやかな動きで音も無く跳躍すると、数完歩でジスよりも早くイクの元へ到着していた。

 そのときジスは、イクがひっくり返ったのは、どうせ目の前を巨大な野ネズミかイタチが横切ったとか、それともそそっかしい奴だから、生きた蛇を踏ん付けたり、石につまずいたんだろうと考え、向こうへ着いたら余裕の表情で助け上げて、しっかりしろの声ぐらいは掛けてやるつもりでいた。

 生き物も然りだった。イクの実体をことのほか分析して知っていた関係で、余り深刻には捉えていなかった。

 他方、その後方を歩いていたダイスとレソーはおやっと思ったぐらいで、そのままのペースで歩き続けていた。

 それぞれ、「あいつはちょっとしたことでも本当に大げさなんだからな。いつものことだから、そう慌てることはない」「俺に罰ゲームを課した報いが下ったのさ」と別に何とも思っていなかった。


 そこまでは、どこにでもある和やかな一コマだった。だがその直後、異変が起こっているのは確かだった。ダイスとレソーの行く手をふさぐように立ちはだかった生き物が、深緑色に澄んだ瞳を二人に向けて来ると、盛りのついた猫の鳴き声そっくりに、「にゃおう」と鳴いたのだ。それは生き物との取り決めで、危険、来るなの合図だった。

 

 当然ながら、二人に一瞬緊張が走った。これは何かあったんだな、と理解した。

 

「おい、どうしたんだ」


 思わずダイスは、その場に立ち止まったままで生き物に向かって叫んでいた。直ぐにでも駆け付けられるというのに来るなというのはどういう意味なのだろうと考えていた。

 

 だがしかし返答はなかった。ただ生き物は、長い尻尾を後方でゆったりと揺ら揺らさせながら、横を見ろと言いたげに首を横に振っただけだった。

 それで、生き物の指示に従うと、何かおかしかった。

 二人ともさっぱり反応がないというか、ジスは立ったまま凍り付いたように全く動く気配がなかった。イクも倒れた状態のまま、一向に起き上がる兆しは見られなかった。

 それを見たダイスは、何のことか分からなかった。どんな災難が二人に降りかかったのか分からなかった。レソーも同じと言って良かった。唖然とした表情で首を捻っていた。

 

 数秒間の沈黙の後、しかしこのままではらちが明かないと、ダイスが口を切った。


「それでセキカ。どうすれば良い?」


 即座に生き物は、分かったと首を縦に振ると、片手で手招きする仕草をしてきた。どうやら呼んでいるようだった。


「分かった」


 そう短く返事をしてレソーと共に足を踏み出しかけたとき、再び生き物が、来るなと鳴いた。

 どういうことかさっぱり訳が分からないまま行きかけて足を止めたダイスは、生き物の方を見ると訊いた。


「おい、どうしたんだ?」


 やはり生き物は何も答えなかった。でもその代りに片手でダイスの方を差すと再び手招きした。ダイスは親指を胸に押し当て、自分を指し示すと、再び訊いた。

 

「俺か?」


 すると生き物は、手招きした手の指の一つを器用に立ててきた。そうだという合図だった。ダイスも、了解したと親指を立てた。ひとりで来いという意味に理解した彼は、さっそくレソーをその場に残すと用心深く近付いていった。


 相変わらず辺りはのどかだった。シーンとしていて、ヘリの羽音どころか人がいる気配さえも感じ取れなかった。本当にここが陸軍基地の中かと思わせる静けさだった。後続の車がやって来る気配もなかった。

 そこにあったのは、真っ直ぐに走る道路と、その道路に直角に交わりながら横に伸びた道路だけだった。イクとジスは、その二つの道路が交わる丁字路のほぼ中ほどに、取り残されるようにいた。

 良く見ると、イクは余程衝撃を受けたのか、白目をむいてその場で気を失っていた。口をがばっと開けた状態で足を大きく開いていたその格好は、幾ら寝相が悪いといってもそこまでしないだろうと思えるあられもない姿だった。ダイスは、イクの傍に落ちていた携帯をさっと拾い、壊れていないかどうか確認すると、つなぎ服の内ポケットへ無造作に放り込んだ。

 その直ぐ隣にジスがいた。ダイスは、だいじょぶかと声を掛けた。彼は、もうそのときには突っ立っていなかった。地面にへたり込んで、ハアハアと苦しそうに大きな息をしていた。動けないのかダイスが来ても顔を上げなかった。しかも気分が相当悪いのだろう、地面に彼が吐いたと思われるおう吐物が液溜りを作っていた。

 その光景にダイスは、一体何が起こったんだ、と周りを見渡した。すると、二人の陰に隠されるように黒いビニール袋が一つ放置されているのが目に付いた。中身が入っているのであろう膨らんでいた。どこにでもあるゴミ袋である。別に変ったものじゃない、と思ったときだった。不意にジスの震える手の指先が何かを指し示した。ダイスは何とはなしにその方向へ目をやった。

 

 次の瞬間、ダイスは言葉を失った。さっと顔色が変わった。

 ちょうどジスとイクの中間あたりに仮面のような形をしたものが落ちていた。まさかと思いながらダイスは、もう一度目を凝らした。

 すると仮面と見えたものは、どのような死に方をすればそのような姿になるのか分からなかったが、微かに開いた口、尖った鼻、目の部分のくぼみに瞳が確認でき、額や頬に皮膚のようなものがあったことなどからどうやら人の頭部の一部、それも顔の部分らしかった。おそらく後頭部は失われてしまってそのような形となったのだろうと思われた。それが、ミイラのように干からびていなかったせいで余計に生々しくグロテスクに見えており。その直ぐ傍に、色と形が人のウンチにそっくりなものや、黒焦げになった骨の一部みたいな物体も落ちていたが、状況から見て仮面みたいなものがどうも主な原因となったようだった。

 そしてその遺骸は、性別・年齢は良く分からなかったが、どうやら状況から見て、昨日の出来事において亡くなった、兵士かジスと一緒に参加した者達のどちらかのものと考えられた。


 セキカめ、あれを俺に始末させるつもりか!


 そのときダイスは、なぜ俺が、と釈然としなかった。だが時をおかずに、――あいつめ。レソーがジスの二の舞になる恐れがあると考えたんだな。そして己がやると口にくわえるしか方法がないと考えて……。それで残った俺に白羽の矢を立てたということか。

 

 そういった思考を巡らしたダイスは、問題の根本があれではしょうがないと思い直し、さっそく生き物の方に振り返ると、確認を取った。「これか? セキカ」


「ああ、そうだ」即座に良く通った人の声がした。しかもその声は、予想もしなかった直ぐ真下からだった。

 ダイスは声がした方向へ視線を向けた。すると、妖しく光る二つの眼があった。果たして生き物が直ぐ間近にいた。まさにその所業は、神出鬼没といって良いものだった。


「分かったよ」ダイスは渋々頷いた。


 そして、とにかく落ち着くことだと、一旦メガネを外し目の付近や額に浮き出ていた冷や汗を拭い、深呼吸した。それからもう一度、夢に出てきそうだったそれを恐る恐る見た。やはり間違いなく人の遺骸のようだった。

 全くもう、嫌なことをさせやがる。そう思いつつダイスは考えた。

 セキカめ、片付けろと言われてもそう簡単にいくもんか。でも、あれを二人から遠ざけなければ、何も解決しないみたいだし。やはりこのまま放っておく訳にはいかないだろうな。それに、転がっているあれに対しても良くはない。このままじゃあ、また先のトラックみたいなのがやってきたら、今度こそ引かれてぺちゃんこだ。そうなれば亡くなった人も浮かばれないだろうし。

 そのように考えをまとめたダイスは、直感的に行動に移した。

 先ず、路上を見渡し、遺骸を移動させることができるものが何か落ちていないか探した。だが何もなかった。次に、道路の両端を見た。ガードレールがあった。そこから一フィート(30センチ)ぐらい離れたところに有刺鉄線のフェンスが立っていた。

 生き物の視線を感じながら、よし、分かった、とダイスは頷くと、イクとジスがいた場所の反対側に回り、最初に目に付いた黒いビニール袋から処理を開始した。

 とりあえず持って見ると、袋はずっしりと重く、しかも下の方が縦に大きく裂けていて、その隙間から軍靴か何かのつま先部分が見えていた。それで、しっかり閉じられていた袋の口の部分を持つと、中身が出ないように注意しながら道路の端にそっと引きずって行った。そしてガードレールに沿わせるように置いた。本当はフェンスとガードレールの隙間に持って行きたかったのだが、袋が破れていたので予定を変更していた。

 それが一段落すると、いよいよ問題のものに取り掛かった。

 持ってきた手さげバッグの中から汗拭き用に用意してきたハンドタオルを無造作に二枚取り出した。それを重ねてつかむつもりだった。

 だが、つかんでからどうすれば良いか分からなかった。袋の口を開けて戻すのは、他にも同じものが中にあると考えると気が引けた。それで、横に置いておこうと考えた。

 一旦息を大きく吸い込み呼吸を止めると、その物体にタオルを被せるようにして両手でしっかりつかんだ。すぐさま何とも言い難い感触が手に伝わった。これまでにも親戚や会社関係の葬儀に立会い、冷たくなっていた死人の顔に触れたことがあったが、ここまで力を込めて触ったのは初めてだった。余り良い気持ちがしなかった。が、何も考えないようにして、一気に袋のところまで運んだ。他の何か分からないものもついでに同じようにした。一分も要さずにこれらを全て行うと、それまで溜めていた息をようやく吐き出し安堵した。

 その間に、イクの意識が戻っていた。どうやら生き物が介抱したらしく。彼女は、普段と変わらない表情であっけらかんとしていた。けれども、腰が抜けていて直ぐには立てなかった。

 ジスの場合は意識があったものの、精神的ショックが大きいようで、別の意味で厄介だった。その顔は青ざめ、目が虚ろで口数は更に少なく、喋っても何を言っているのかほとんど聞き取れないほど呂律が回っていなかった。足元も、泥酔しているかのようにおぼつかなかった。

 もうその頃にはレソーも傍にいて、気遣いの言葉をジスとイクに掛けていた。

 だが二人とも歩くことに故障があったので、それからが大変だった。結局のところ、イクはダイスがおぶって行くことにし、ジスはレソーが肩を貸すことで、何とか話がまとまった。

 そうこうする間に、別の三人組がとうとうやって来て、ダイス達を追い越していった。

 彼等は少し変わっていて、全員が黒いスーツにピンク色をしたウサギのマスクを被ってキャリーバッグを引いていた。おまけにその一人がペットらしいオレンジ色をした小鳥を肩にのせていた。彼等は、ダイス達に目もくれずに立ち去っていった。

 

 彼等を見送った後、ダイス達一行はようやく出発した。けれどもそう云った理由で、ダイスもレソーも手がふさがってしまっていたので、今度は生き物がイクの代わりを務めることとなった。もちろん生き物は携帯のGPSを使わなかった。これまでに目的地へ向かっていった四組の痕跡を辿れば自ずと着くだろうというのが生き物の論理で。凄く的を射ていると言って良く、ダイスは全てを薄紫色の小動物に任せていた。

 

 最初から分かっていたらそんなにびっくりしなかったけれど、突然見せられたからああなった、というのが、道すがらイクが述べた言い訳だった。

 そう聞いてもダイスは、単に強がりを言っているだけだろう。これで二人とも大それたこと(人殺し)はできないのは分かったと安心していた。しかしその一方、これで本当に大丈夫なのかと一抹の不安も感じていた。

 

 陽が照り付ける下、立てた長い尻尾を優雅になびかせながら、さっそうと先頭を歩いて行く薄紫色をしたネコ似の動物を尻目に、ダイスはともあれ思った。

 でも、あいつがやれると言っているのだからな。まあ、何とかなるだろう。

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