第14話

 ちょうど真っ直ぐに伸びた道路の突き当たりがどうやら基地の入り口のようだった。その付近には、人目に付き易いように、オレンジ色をしたカラーコーンが幾つも横に並べられているのが見えていた。

 

 あそこだな、とダイスは車を運転しながら呟いた。もう直ぐだな――。

 それもその筈で。途中まで道路の周辺に見えていた、緑一色の自然の中にハイカラな建物が融け込むかのように点々と建ち並ぶのどかな風景が急に途絶えたこと。それまで時折り現れては消えていった速度制限を示す電光標識の数字が三十五マイルから二十五マイルに変わっていたこと。そして、広範囲に渡って有刺鉄線のフェンスに周囲が囲まれた一帯が現れたからだった。

 

 ともかくもこれらのことは、一般常識を持った者なら誰もが察しが付くことで、果たして彼の判断は当然のごとく間違っていなかった。

  直に、その彼の目の前に姿を現わしたのは、中型プロペラ旅客機が余裕で着陸できるかもと思えるほど幅がある道路の行く手を遮るように設置された巨大な開閉式の門だった。結局、そこの地点が基地の出入り口にあたるらしかった。

 そのとき門の右半分だけが開かれており、カラーコーンはその手前に置かれていたものだった。どうやらカラーコーンが置かれていた理由は、開いた地点へ車両が直接入っていかないようにするためのようだった。


 そうこうする間に、カラーコーンが並んだ付近に設置されていた一時停止を促す看板に従い、ダイスがその一つ手前でワンボックスの車を停止させると、門警備の詰め所らしい建物から五人の兵士が出てきた。その内の最初に出てきた二人は武装していた。いずれもまだ少年のあどけなさが残る色白の若者だった。

 いよいよだな、とダイスは思った。

 案の定、直後に四人が揃って小走りでやって来ると、ダイス達の車両を遠巻きに取り囲むように立っていた。彼等はなぜか誰も近付いて来なかった。こういう場所に来るのが生れて初めての経験だったダイスは呆気にとられた。一瞬だけ心の中に緊張が走った。車内の三人も同じ様子で。いずれもどことなく顔の表情が硬かった

 そのような中、最初に口をきいてきたのは、少し遅れるようにして歩いて来た、背が高くてがっしりした若い男で。真っ黒に日焼けして引き締まった顔に銀縁のメガネを掛けていた。彼は四人のリーダーらしく階級章が明らかに違っていた。

 男は片方の手に薄い青色のファイルを持ち車の傍までやって来ると、窓越しからダイスが見せた通行パスを遠目からちらっと見ただけで顔を背け、良く通るはきはきした声で、


「規則ですので周辺の点検と部外者の有無を確認させて頂きます」


 と、その場でダイスに告げて、綺麗にひげを剃り上げたあごをしゃくって周りの四人に命令した。たちどころに武装した二人の兵士が車に向けて銃を身構え、残りの二人が目視や棒状をした探知器を使ってダイス達が乗った車を調べ始めた。そうして一分もしない内に彼等から首を横に振る合図があった。

 どうやらそれは異常無しの合図だったらしく、目でそれを確認したリーダーらしき男は無言で小さく頷くと、すぐさまやや前屈みの姿勢で基地内の前方を指で示しながら、車越しに声を掛けてきた。


「入って暫く行くと直ぐ右手に広い空き地があります。周囲にスポーツ競技場にあるような照明塔が数基見えていますからすぐ分かります。たぶん既に前任者の車両が止まっている筈です。そこを駐車場代わりに使って下さい。会場はその反対側にある白い建物です。直ぐ分ります。ま、それでもという人のために駐車場から赤の地に白矢印の標識が所々に立ててありますからそれに従って進んで下さい。

それから先のことは私には解りかねますので、向こうへ行ったときに、確か詳しい書面が出ているかと思いますのでそれを見て下さい。それでも分からないというのならその辺りを警備している者をつかまえて訊いて下さい」


 男がダイスにそう伝える合間に、先に車体を検査した二人の兵士により、前方への進行を妨げていたカラーコーンがすみやかに横に寄せられていた。

 そうして男が最後に無表情で言った言葉、「どうぞ、行ってくれて結構です」にダイスが形だけ愛想良く一礼して、「では、これで」と言い残すと、素早く車のエンジンをかけそこから離れていた。ほんの五分ぐらいの間の出来事だった。 

 晴れて入り口のゲートを通過すると、そこは荒野みたいな何もない殺伐とした自然が広がっていた。そこを一本道が延々と真っ直ぐに続いているのである。基地はとにかく、広いという以外に言葉が見当たらないくらいどでかいようだった。

 陽が淡い青空のちょうど真ん中近くで眩しく輝いていた。もう直ぐ昼時だなと思ったダイスは、期待と不安を胸に大きく息を吐いた。

 すると車内の三人もそれまでの緊張が解けたのか、彼等からほっとしたという息使いが聞こえてきた。それまでシーンと静まり返っていた車内が何となく和んだ空気となった。ダイスは自然と苦笑いをした。


 これまでと違い速度規制がなされていなかったので、ダイスは平均速度五十マイル(時速80キロ)で真っ直ぐな一本道を走った。

 もっとスピードを出しても良かったのだが、嬉しさで思わず舞い上がり、ここまで来てもし事故でも起こしたら目も当てられないと考えて自重していた。

 およそ十二分ぐらい走ったとき、ようやく整地されたような地帯が現れ、次いで周囲に周りを取り囲む城壁やフェンスといった隔壁がある白い建造物のようなものが見えてきて、その後に銀色に輝く半円月形、ドームのような形の建物、屋根の高い倉庫のような建物、それから普通に見られる箱型の建物などが整然と建ち並びと、どうやら基地らしい景色が見えてきた。

 その間、不思議なことに対向車も後続車も先行車にも一切遭わなかった。

 そのことをダイスは、大会前日の昼前に来たのが原因なのかな、と考えて深く気に留めていなかった。


 だがともかくも、そこは目的の基地であるのは間違いのないことのようだった。

建物が集合して建つ直前の道路の片端に見えた横長の大理石か何かでできた石碑のようなものに、翼を広げた鷹か何かの鳥をかたどった紋章と陸軍第二十七師団の文字が深く刻まれてあるのがはっきりと認識できたからだった。


 尚、駐車場代わりに使用して下さいとリーダー格の兵士が話していた空き地は、彼の言う通り、いとも簡単に見つかった。周囲に目印と聞いていた六基の巨大な照明塔が見えたことと、既にその場所に車が複数駐車していたからだった。そこは何の変哲もない土のグラウンドだった。少し緑が少ない気がしたがどこにでもある風景が広がっていた。

 そこには五十台前後の車両が点々と散らばるように既に止められていた。その中、ダイスは周りでひときわ目立っていた派手なゴールド色をしたスポ-ツカーの横に車を止めた。

 次の瞬間、ここまでやって来るまでに様々な事があって、ようやく辿り着けたことでダイスは、ほっと息をついた。そこで改めて不安と期待が交錯した。

 けれども、来た以上は何としてでも賞金を手にしなければならない。でないと会社は今月は持っても来月、再来月まであるかどうか分からない。そうなるとジスとレソーには悪いが会社を閉めなくてはならない。そして、こっちは娘と二人で別の場所へ移転してまた一から出直しだ。そうならないようにするためには賞金をどうしても手に入れて帰らなければならないんだ。そういった固い決意を胸に車を下りたダイスは、無生物化してしまったまま全く動き出す気配のない生き物をまたいつものことだからとそのまま車内へ残すと、同じく下車した三人の若者を引き連れ、ちょうど反対側に見えた白い箱型の建物へ向かって歩き出した。

 駐車場の土の地面が途絶えたところは二車線幅の道路になっていた。その路が建物と建物を結ぶように続いていた。無論、目指す建物の方向へも向っていた。矢印が描かれた立札のようなものが 建物まで点々と立ててあり、そこまでおよそ三、四百ヤード。真っ直ぐに歩いて向かって、およそ四、五分くらいかといったところだった。

 明るく澄んだ空と眩しい太陽。春の快い暖かさが感じ取れる、風がほとんど無いのどかな昼時だった。そのときその場に人影がなかったこともあり、


「嗚呼、やっぱり広いなあ」とレソー。


「本当だ」とジス。


「どこの方へ行けば良いのかしら」とイク。


「矢印を書いた立札が有るだろう! それを見ながら行けばいいのさ」とジス。


「それ位は判るわよ」とイク。


 などと三人が揃って勝手気ままなことを口にするのを背中で聞きながらダイスは意気揚々と歩を進めた。

 ところが途中で、きょろきょろと周りを伺いながら、先を急ぐように先頭を歩いていたダイスの足取りが徐々に首を傾げる仕草をするようになると、やがてゆっくりとなった。何かしらの違和感を抱いたからだった。

 その直ぐ後ろを歩いていたジスもレソーもイクも同じようなことを感じ取ったみたいで、彼等も自然と追随してしまっていた。そんな中、ジスが不思議そうにダイスの背中越しに訊いて来た。


「ダイスさん、何か変ですね」


「ああ」ダイスは振り返らずに相槌を打った。


 確かにな。全くその通りだ、とそのときダイスは思った。やはりここは基地なんだろうかと疑問が浮かんだ。

 何が変なのかというと、余りに静か過ぎる上に陸軍の基地に当然としてあるべきものの姿が全く見えないのである。

 それというのも、基地と言うからには、戦車や装甲車や兵士の一団を見掛けるものと期待していたのに、一切そのようなものは見掛けないし。滑走路らしきものが遥か彼方にあるのは来るときに既に分かっていたが、そのときはどういうわけなのか離陸する機体はなかった。まるで飛行場が一時休憩を取っているかのように静かだったからだった。

 だが次の瞬間、遥か遠くの方で数人の兵士の集団が辺りを見回っている姿を、クリクリとした茶色い目を輝かせたイクが、声のトーンをひと際高くして、「あれ、兵隊さんじゃないの?」と確認を取ってきたときには疑問が一挙に晴れた。今は昼時だから基地全体が休憩に入っているんだろうという結論に落ち着き、全員がやっと安堵した気分になった。

 だが逆にそれが分かったことでダイスを含む三人の男は半ばがっかりした。ここまで来て本物の戦車や装甲車が見られないことを残念に思ったのである。だが三人は直ぐに頭を切り替えてしっかりとした足取りで再び歩き始めた。けれどもイクだけは例外だった。彼女は全てのものが物珍しく映るのか、何でもないことにも興味を示しては嬉しそうにはしゃぐ幼い子供のように、辺りを見て回っては満面の笑顔できゃっきゃっと奇声を発しては喜びを表現して歩いた。

 一頃、景気がすこぶる良かった時期に海外にまで出掛けて仕事をしていた男達と違って、彼女自身がみんなと揃って、これほど遠出をしたのは生まれて初めての経験で、つい浮かれていたと思われた。


 ひと際大きく思えた白い建物の手前には鮮やかな緑色に萌えた芝生が自生していた。その周辺にはバナナの葉に似た葉を持つシュロの樹が植え付けられていた。

 途中、途切れ途切れであったが、どこからかチッチチと小鳥が可愛いらしい声で鳴く声がしていた。だが四人の耳にはあいにくと届いていなかった。


 コンクリートの階段を五段ほど昇ったところに建物の玄関口があった。その奥の方には中の様子が見え難い全面ブロンズガラス張りの玄関が見えていた。

 足取りも軽く階段を上ると、四人は玄関口へ向かった。建物の玄関には両端を巨大な円筒形の柱で支えられた車寄せが設けられており、どこかホテルのような趣があった。だがしかし、不思議と人の出入りが無かった。


◆◆


「ダイスさん、誰も来ませんね」立ち尽くしたジスが首を傾げるように言った。


「ああ」渋い顔でダイスはため息をついた。


 二人は既に十分近くも建物の玄関前にいた。もっと詳しくいえば、ブロンズガラス製の扉から少し離れた階段付近で、誰かがやって来ないかと建物の周辺を見回していた。レソーも一緒にいた。彼はジスの直ぐ傍で怪訝な顔をして立っていた。一方、イクはというと、三人から離れて玄関扉の付近にいた。そこで彼女は顔を扉のガラス面ぎりぎりに近付けて建物内を覗き込んでいた。 時刻は午前十二時を回った頃だった。

 自動的に開くと思われたガラス製の扉がなぜか開かず、四人はそこに立ち止まったまま足止めを食っていたのだ。

 立札から見てどうやら中へ進むようになっているらしかった。が、普通に歩いていっても開かず、扉の正面にじっと立ってみてもうんともすんともいわなかった。もちろん、ガラス製の扉は隙間なくぴったり閉ざされていた。おまけに取っ手や扉を引き開けるために指を掛けるへこんだ部分もないときていた。扉の直ぐ手前の天井部に防犯カメラが二基取り付けてあったので、そのカメラの方に顔を向けてみたりもしたがやはり無駄だった。加えてそれ以外の出入り口はないようだったし、建物に窓はあるにはあったが全て閉まっていて、おまけに周囲に厳重にフェンスが張られていた。常識的に考えて分からないことだらけだった。

 だからといって、誰かに尋ねようにもその付近に誰もいないのだからどうしようもなく。最後は力づくで開けるしかなかったが、扉を壊せば大騒ぎになることが分かり切っていたから中々実行に踏み出せず。全員が閉口していた。


「ふ~む、困ったな。壊れてしまったのかな?」


 ダイス達は経験的に、扉の精密な部分に何かしらの不具合が生じたに違いないと考えていた。

 事の発端は少し前、上機嫌だったイクが調子に乗って、扉の前を歩いていた三人の後ろからトンボをきって突っ込んできたことによっていた。

 それまでにも彼女は、長時間車内で閉じ込められていたので身体のあちこちがなまったからそれをこの場で解消すると称し、ストレッチ体操やら周辺に人気がなかったことを良いことに常識を超えたハイジャンプを三人にみせたりしていたが、そのときはそれらに加えて自分の身軽さを自慢するかのように、体操選手が床運動でみせる倒立や前転・後転といった回転技や宙返りをみせつけていたのだった。

 ところがである。魔が差したというべきか、つい調子づいたイクが何を思ったのか勢いのついたまま三人の間に突然割り込み、それを避けきれなかった彼等が折り重なるにように倒れ、開く前の扉を強く押してしまっていた。だがそれでも扉は頑丈でどこも壊れたという風なことはなかった。ところがそれからというもの、どのようにやろうと扉が開かなくなっていたのである。


「全然よ、父さん。誰も来る気配がないみたい。やはり休み時間なのかな?」


 ブロンズ色のガラス扉に顔をぴったり添わせ、中の様子をなめるように伺っていたイクが急に叫んだ。けれどもダイスは、聞こえていないという風に応えなかった。彼女に背を向けたまま、ただ一点だけを見つめていた。ジスもレソーも一緒だった。 彼等の視線の先には、こちらに向かって歩いて来る一つの黒い人影があった。人影は、ワンレングスボブカット風のヘスタイルと全身をレーシングスーツのような身体にぴったりフィットする服装に身を包んだボディのラインからどうやら女性らしく、身長も人並みで、年齢はその若々しい服装からみて二、三十代ぐらいかと思われた。


「どうします? 社長」ダイスを社長と呼ぶ癖がついていたレソーが口を切った。


「そうだな。一応言うだけは言っておかないとな」


「そうですね」


 そう話す内に、人影が近付いて来た。化粧気がなかったのに女性特有の雰囲気が見て取れたことから、人影はどうやら思った通り女性らしかった。彼女は黒い髪に小麦色の肌をしていた。また身長は、大体の感じで五フィート八、九インチ(173から175センチ)ぐらいかと考えられた。年齢も端正な顔立ちの様子から二、三十代でほぼ合っているようだった。彼女は片方の手にゴルフクラブケースのようなものを持ち、背の部分には中型のリュックサックを背負っていた。それらが全て黒で統一されていた。

 その姿かたちと単身でやって来ていること。並びにその堂々とした貫禄がある歩き方などから、たぶんこの人は男勝りの性格だろうな、とダイスは思った。そのとき併せて、普通の一般人じゃなくて兵士の方が本当は都合が良かったのに、という思いも頭の中に浮かんでいた。何かあったときに兵士を呼び止めて相談するようにと伝えられていたからだった。でも残念ながらそうでなかったことに幾分がっかりしたダイスだったが、例えそうでなくても一ヶ所に多数の人間が集まっていれば、いずれ向こう側から近付いてきて声を掛けて来るに違いないから問題無いと頭を切り替えていた。


 女性は建物の階段の直ぐ手前まで来てダイス達と目が合った途端、彼等を一瞬だけじろっと睨んだ。だが直ぐに視線を逸らせると、何もなかったように階段を上り切りダイス達の前を通り過ぎようとした。

 そのとき、


「あのう、すみませんがちょっとお聞きして宜しいでしょうか?」


 思い切ってダイスは、へりくだった言葉使いで女性に声を掛けた。そのような言葉から入ることにしたのは、他の何よりも是非尋ねて確認をとっておきたいことがあったからだった。

 他方、見知らぬ男からの問い掛けに、女性は無言ではたと立ち止まると、顔だけをダイスの方向へ向けた。その表情はいかにも迷惑だといっているようだった。 それでもダイスは続けた。


「あのう、明日、大会があると聞いてやって来たのですが本当にあるんでしょうか?」


 ダイスの問い掛けに、一旦女性は不思議がる表情でダイス達四人をじろっと見回し、最後に首を傾げる素振りを見せると、面倒臭そうに答えた。


「ふ~ん、あれのことね」


「あ、はい。そうです、映画関係者の主催でプロのスタントの方々が大勢出る大会だそうなんですが」


「は?」一瞬女性は目を白黒させた。日に焼けた端正な顔立ちがのっぺりしたようになった。「何ですの、それ?」


 彼女のその表情にちょっと戸惑ったが、ダイスは真顔で続けた。


「いやあ、聞いていませんか? これです、見て下さい」


 そう言うと、オーク色をしたジャケットの裏ポケットから一枚の折り畳んだ紙片を取り出し、広げて女性の前に差し出した。それはパソコン画面をそっくりそのままコピーしたものだった。そこには、“命の保障なし。2時間の間、銃弾の中を逃げ延びた方に成功報酬$800万ドルを差し上げます;参加料$1,000;見物料$10,000~”の見出しと、その開催期日。あとは場所名と住所とそこまでの案内地図と注意書きが記されていた。

 その紙片を女性は一目見るなり、「私もその広告を見て来たのです。それが何か?」と逆に冷静に訊いてきた。

 女性のその容姿と受け答えから、彼女はプロのスタントマンなのだろう、と即座に思ったダイスは、女性に素朴な疑問を問い質した。


「するとあなたはプロのスタントマンなので?」


 その問い掛けに女性は考えるような仕草で首を傾げた。

 私ってそう見えるのかしら。でもプロのスタントマンといわれてもね。


「何か誤解されているようですね」


 そう応えると、目の前の中年男と、その服装から町中でぶらぶらしている若者としか見えなかった三人をちらっと覗き込んで苦笑した。そして、どちらかといえば歯切れの良い上品な口調でこう言い添えた。


「どこでそのような情報を知り得たのか知りませんが、たぶんそのような大会は開かれる予定は無いと思います。明日開かれるのはそのような大会ではなくて一般の方では無理な大会ですのよ」


 ダイスは、女性が何を言っているのかさっぱり分からなかった。赤黒く日焼けした頬を少し引きつらせて訊き返した。


「はあ? それはどういうことで?」


 女性はこともなげに言った。


「この募集を見て来たとすれば私がここでどんなにお話しても納得して頂けないかも知れませんから、直々にあなた方の目で確かめた方が宜しいですわね。私もそこまで行くつもりですから一緒に行きましょう」


 そう話して歩みかけようとした女性にすぐさまダイスが当惑した表情で、「といってもですね」と応じた。


「実はそのう、入り口の扉がどうも故障したらしく動作しないんです」


 そうしてこれまでのいきさつを短く説明した。すると女性は無言で成る程と小さく頷いた。さっそく、原因を作った白のブラウスにデニムのパンツ姿のイクが女性の方へ振り向いて、罰が悪そうにぺこりと頭を下げた。そして人懐っこそうに笑いかけた。女性はにこりとイクへ微笑みを返した。

 だが正直なところ、一般人ではおよそ知り得ない裏サイトの広告をどのようにして調べたのか不思議に思いながらも、ともかく大勘違いをしてやって来た家族連れだろう四人に開いた口が塞がらず、思わずぷっと吹き出しそうだったのを必死でこらえて、わざとそのような笑みを含んだ表情を作って誤魔化していたのだったが……。


 女性は、名をレイミー(若しくはレーミー)・ブラントと言い、賞金稼ぎを生業にしていた。といってもただの賞金稼ぎではなかった。異能者の集まりであるスタン連合に属する、れっきとした能力者であった。

 今現在は独りで、女だてらにかようなしがない賞金稼ぎに身を置いていたが、元を辿ればアルタミラの宝石という名の千八百年間続いた名門の、しかも連合への忠誠度では常にAランクに位置付けられていた組織の一員だった。

 組織は総勢九名で、規模はそれ程ではなかった。が、全員が歴戦の強者で占められていた。そのような中、彼女は切り込み隊長の重役を任され、全身全霊を傾けて勇猛果敢に任務を全うしていた。

 ところが一年と八ヶ月前のこと。伝統と格式と誇りだけではやっていけない時代となったということなのだろうか、それとも他の団体、同盟アストラルやクロトー機構に属する組織になわばりを荒らされないようにする為の策なのだろうか、そのあたりの理由は定かではなかったが、突如として所属する組織に合併話が持ち上がった。

 その案を持ち出してきたのは、あろうことかスタン連合モラル指導委員長として連合内の争いをなくす改革を推し進めてきた、連合の重鎮でもあった人物であった。更にその人物が代表を務める組織と女性が所属する組織とは遠い親戚関係にあたり、互いに深い縁を持っていたのだった。

 仲介相手がそのような大物の人物では無下に断ることもできず、すぐさま合併相手とトップ会談が持たれることとなった。合併相手先とは、構成人員が四十人を超えるさる大手の組織で、歴史も千二百年余りと古く、そん色がそれ程ない老舗だった。そのときの合併条件は対等合併。しかし現実的には、大きいものが小さきものを飲み込む吸収合併といった方が良かった。それでも断れなかったのは、連合への忠誠と合併を取り持った人物の説得だった。果たして合併はすんなりと行われ、女性もその大手の組織の一員となったのだった。

 ところが二ヶ月ほどして、彼女は組織を離脱した。表向きは武者修行に出たいからという理由で。だが本心は違っていた。それまでの少人数であったことからくる家庭的な雰囲気が大層気に入っていた彼女にとって、いきなり大所帯となったことからくる人間関係と組織内の規律にどうしても馴染めなかったのである。

 また武者修行の件も組織が体裁が好いからとそうしたに他ならなかった。それだけの理由で組織を抜け出ることができないのは分かり切った事実で。それを十分心得た彼女が恥を忍んで、もう良い年齢だし、そろそろ一生寄り添える連れ合いを見つけたいから旅へ出たいといった趣旨の大胆な宣言をして、ようやく許されたのだった。

 だがそうはいってもそれだけの事情で組織がそう易々と脱退を認めるのはあり得ないことで、そこには深い裏事情があった。彼女は二十代後半より何十度となく異性と交際をしようとした経緯があったのだが、その度に彼女自身の理想の高さから全て破綻になっていた。そのことは新しい組織内でもかなり有名で、お前に見合う相手は十年経っても百年経っても現れないと陰口を叩かれる始末だった。それ故、彼女の申し入れには組織も渋々であるが応じざるを得なかったというのが真相だった。

 その後、二十年間に渡り在籍した組織を円満に去った女性は、どこの組織にも所属しないフリーの賞金稼ぎの生活を勝手気ままに送っているのだった。


「故障ねえ……」


 そう呟くと、笑いたいのを押し殺すようにして女性は玄関口めざして歩いて行った。性分で、信じるより先にこの目で確かめたいと思ったからだった。一歩一歩前へ進みながら、本当かしらと疑った。

 すると、ガラス張りの扉が何事もなかったかのように左右に開いた。一応気配りはした。が、何も変わった様子はなかった。それでさっそうと女性は中に入った。扉が開いたと同時に扉の奥の天井部に、玄関口の天井に取り付けられていたものと全く同じモデルの半球体をした二台の防犯カメラがなぜかそのとき取り付けられてあるのに注目して、たぶんあれが原因ね、と歩きすがら思った。


 一方、悠然と奥の方へ歩いて行く女性を内心驚きながら見たダイスは扉を壊していなかったことにほっと安心した気分でこれ幸いと彼女の後へ続いた。その直ぐ後をイクとジスとレソーの三人も訳が分からないまま付き従った。全員が通過した直後に扉は何の異常もなく静かに閉まった。

 五人が入ったところは、天井がやや高めで二台の大型車両が余裕ですれ違うことができるぐらいの幅がある広い通路になっていて、まだ日中ということもあり照明は絞ってあった。それでやや薄暗かった。またその両側は白いペイントが施されたコンクリートの壁が続き、不要な通路や隠したい場所は同色のシャッターと防火扉で閉め切ってあった。他に目に付いたものと言えば、壁の所々に貼り付けていた例の矢印が描かれたポスターぐらいなものだった。通路には人影はなくがらんとしていた。


「あのう、ちょっと待って下さい」


 そう声を掛けながら、ダイスは通路の中ほどを歩いて行く前方の女性を小走りで追いかけ、直ぐに追い付くと、その横に並んで歩き始めた。


「すみません」

  

 ダイスは短く刈り揃えた頭に手をやると横を歩く女性に小さく頭を下げ、にこやかにほほ笑んだ。


「一体何をなさったので?」


「何もしてませんわ」


 女性は何食わぬ顔で前方を見つめたまま応えてきた。


「でも」ダイスは不満げに言った。「どうして……」


「でもどうしてと言われましてもね」


 そう言って女性はちらっとダイスの方を向いた。そしてこう切り出した。


「この手の建物は防犯装置も特殊なのが当たり前ですのよ。これはあくまで私の憶測なのですが」


 そう断ると、神妙に耳を傾けたダイスに、これまで気が付いたこと、――――


 当初ガラス扉を見たとき、若い女の子がその前で立っていたが扉は閉まっていた。そのことから、扉が開かないのは扉自体が故障したと彼等が思っていたのはまず虚言ではないだろう。しかし私がすんなり通れたから故障ではなかった。考えられるのは、内部か外部にあった防犯カメラが何らかの法則で彼等を不審者と判断し、侵入を扉を閉ざすことでブロックしたらしいということ。

 彼等の話の通りだとすれば、四人は扉の前で倒れ込んだ。つまり不審な行動を取ったということ。その後、扉が動かなくなった。そしてどのようなことをしようとうんともすんともいわなかった。ところが私のときは四人が直ぐ近くにいたにもかかわらず簡単に開いた。つまりそのことは外の防犯カメラより内部にあったカメラが大きく影響しているらしいということ。

 そう考えると、この監視システムは一度効果が発動すると第三者が通過するまで解除できない仕組みになっている可能性があるということ。或いは不審者と見なされた者達が一度その場を離れてから改めてもう一度通過しようとしなければ旨く通れない仕組みになっているかも知れないということ。

 そうすると、内部にあった二台の防犯カメラは、例の電子の目、即ち画像処理技術を駆使して侵入者を不審者かそうでないかを判断する特殊なものだった可能性があるということ。

 こういった特殊なセキュリティーシステムは、このような軍事基地などの場所で使われていても不思議ではないから十分この仮説は成り立つ。――の中から原因と思われた個所だけを抜粋して話したのだった。


 ダイスはというと、彼自身は元々技術者の端くれだったので、直ぐになるほどと理解した。同時に、この人は何者か知らないが中々頭が切れそうだ。それならもう一つの疑問を訊いても答えてくれるかも知れないと、果たしてわざと首を傾げると遠慮がちに尋ねていた。


「ところで、ここへ来るまでに兵隊さんも軍事車両も全く見かけませんでしたし、ここにも人がいないみたいですが、一体どうしてなんでしょうかね?」


「ああ、そのことですか」女性は歩みを止めずにこともなげに言った。「明日の大会に備えてここのキャンプ地の住人全員が軍の車両ともども離れた場所へ引っ越したんです」


「じゃあ一体どこへ行ったので?」


「それは私にも詳しくは分かりません」


「そうですか、なるほど……」


 そこで初めて二人の会話が途切れた。おせっかい焼きの一面があった女性に、もうこれ以上見知らぬ男に親切心を見せても、と自制心が働いた結果だった。

 実は彼女、この基地は総面積が九千八百九十平方キロメートル、つまりおよそ百キロ四方の広大な敷地面積があること。この基地では軍関係者(軍人並びに軍属とその家族)と一般人を含めて、約四万八千人が生活していること。また今歩いて中を進んでいるこの建物は、基地の事務局を兼ねると同時に将校クラスの上級兵士の官舎やオリエンテーションルームや会議室に使われているところということまで、ことのほか詳しく調べ上げていた。それどころか住人がどこへ去ったかも大体の目星をつけて知っていた。

 加えて、通常なら前日の夕方ぐらいが普通か最善なところを、それより六時間余り早目にやって来ていたこともたまたまの偶然でなく計算づくのことだった。


 そうこうする間に、通路の先がひと際明るくなったと思うと、だだっ広い大広間のような空間が現れた。そこは通路の数倍の高さがある天井を壁では無く、何十本もの太い柱で支えていたところで、一度に二千人以上が余裕で入ることができそうな、がらんとした広い部屋になっていた。

 その中で、ちょうど中央寄り位の位置に白いパーテーションパネルで四角く仕切られて一つの部屋のようになった一角があり、矢印がその方向を指していた。


「あそこみたいですわね」女性が呟いた。


 気が付くと彼女は少し前方をさっそうと歩いていた。


「あ、はい、そのようですね」


 そう応じたダイスは、やれやれ、とうとうやって来たな、と思った。だが次の瞬間、女性の一言を思い出して、期待より寧ろ不安で胸が高鳴った。


 四角い仕切りの角にパネル一枚分の隙間が作られ、そこが出入り口になっていた。よって全部で出入り口は四ヶ所あった。広い空間内にこぢんまりとした区画を設け、しかも複数の出入り口が作ってあるという、選挙のときの投票所のようにも見えるこのやり方は、大勢の人々が大挙して押し寄せて来ても容易に処置が可能といって良いもので、かなり理に適ったものだと見て間違いなさそうだった。

 ちなみに、一行が入った区画の内部は五、六十人も入れば満杯になりそうなそれほど広くない空間だった。その中央付近に折り畳み式の長テーブルを二脚縦に置いてほぼ四角く並べた箇所があり、その上に目立つようにタブロイド紙ぐらいの大きさの黄色の紙面が山積みにされて載っていた。そのような山が全部で四つあった。

 その紙面には建物の見取り図と部屋の番号が記されており、同時に描かれていたほんのちょっとしたイラスト画から、受け付けで貰った磁気カードの番号が部屋の番号とどうやら一致しているようだった。

 そして四方のパネルのちょうど中心部付近に、これも良く目立つタブロイド紙ほどの大きさの紙面が一枚ずつ貼り出してあり、ざっと見たところでは四ヶ所の貼り紙はどれも同じもののようだった。

 さっそく女性とダイス達はその場の雰囲気で互いに愛想笑いを浮かべると、中で二手に分かれた。ダイスは三人の若者を引き連れると一番先に目に付いた手前のパネルの紙面へ向かった。一方、女性はその反対側へ歩いていった。それぞれが背中を向ける格好で、同じことが書かれた紙面を見ることとなった。


(さてと、どんなことがのっているのかな?)


 即座に、持ってきた度の入るメガネを掛け、片方の手で位置を微調整すると、ダイスはその紙面へ簡単に目を通した。先ず一番最初に“規約”と文字が出ていて、その下に難しい単語や表現の慣用句が並んでいた。そこにはざっとこう記されていた。


*被験者とは、報酬を目的でこの競技に参加するものを云い、験者とは、この競技が円滑に実施されるのを補助するものを云い、この場合は兵士を云う。

*験者はあらゆる種類の車輌及び武器等の使用を認められる。 

*但し、車輌及び武器等はこの基地に有るものに限る。

*被験者は死亡或いは怪我をしても補償等は受け付けられない。

*この大会の実施時間は120分間とする。

*被験者は防御をすることは認めるが攻撃は失格となる。被験者が防御により験者側が傷を負った又は死亡したと認知された場合も審査対象となる。

*被験者が全員死亡した場合は、賞金の支払いは無効となる。

*被験者は決められた場所より同時に開始する。

*最終的に生き残った3名に各800万ドルを授与する。

*競技後、達成者が多数出た場合、後日何らかの方法で最終の人数を3名に絞り込む。

*予定は主催者の意向により変更される場合がある。

*最後に、…………


 当初ダイスは何のことやら分からず口をあんぐりさせた。が、何度か読み返す内にじわじわと顔から血の気が引いていった。そして明日開かれる大会の概要が見えた気がした頃には、そんな馬鹿な、と青ざめていた。

 女性が言ったように、そこには映画関係者主催のオーディションの欠片もなかった。要は、二時間の間兵士の訓練の的になって、そこから逃げ延びるということだった。しかも疑似弾を使った模擬演習ではなく、本物の実弾を用いた実戦形式の訓練で行われ、そこから生き延びた者だけに賞金が与えられる仕組みになっているらしかった。


(何だか知らんが偉いところへ来てしまったみたいだぞ)


 ダイスはめまいのようなものを感じ、何度も大きなため息をついた。こんなはずでは、と思った。

  終いには、紙面の最後尾に良く目立つように太い文字で記されていた、“これを読んで参加を辞退される方は速やかにお帰り下さい。但し、このことはご自身の名誉のために他言無用になされた方が宜しいかと。また参加料は返還しませんのであしからず”の注意書きが頭から離れなくなっていた。


 ちょうどそのときだった。「父さん、どうかしたの?」「ダイスさん!」「社長!」と聞き覚えのあるあっけらかんとした男女の声が背後から不意に響いた。 その声に、暫くの間意識がもうろうとなり棒立ちになったまま視線を泳がせていたダイスははっと我に返った。すぐさま振り返ると例の三人が不思議そうな顔をして立ち尽くしていた。


「いや何でもない」


 とっさに蒼白な顔で彼は首を振って誤魔化した。すると少し離れた後ろの方で背中を向けて立っているキュートなボブヘアの例の女性の姿がちらっと目に入った。彼女は独りでまだ食い入るようにしてじっと紙面を覗き込んでいるようだった。

 ダイスは、あの人はどうするつもりなんだろうなと思いながら三人の方向に視線を戻すと、改めて口を開いた。


「お前達、こりゃちょっとやばいみたいだぞ」


 そう伝えると、一体何のことと首を傾げる三人に向って紙面の内容を簡単に説明した。彼等は目を白黒させ熱心に聞いていた。が、ダイスが次第に弱気な発言を繰り返すにつれて、その表情は少しずつ重い雰囲気を帯びていった。


「……それじゃあ、父さんは諦めて帰るっていうの?」


「しょうがないだろう、イク。父さんだってお金は欲しいさ。だがお前達に酷い目に遭って欲しくない。判ってくれるよな」


「そう言ったって父さん、せっかく張り切って来たのに……」


「そういうな。とにかく危険なんだ。出ると兵隊さんに銃で撃たれて、あっという間に命が無くなるんだ」


「そう言われても……。他の二人は知らないけど、あたしだったら兵隊さんぐらいギャフンといわせることができるわ」


「馬鹿だな、お前は!」


 横から一緒に聞いていたジスが、いつもの歯に衣着せぬイクの物言いに、呆れたように口を挟んだ。


「この場合はギャフンといわせたらダメなんだ。逃げなきゃダメなんだ」


「あらっ、そう?」イクは悪びれる様子も無くジスの方を向くと言った。「それじゃあジス、あんたはどう考えているのよ!」


「俺か、俺はどうだっていいんだ。逃げるだけならやってもいいし、帰るんだったら帰ってもいいと思っている」


「ふん、そう」頷いたイクは、今度はレソーの方を向くと尋ねた。「それじゃあレソー、あんたはどうよ?」


 レソーはう~んと少し考えると言った。「俺は社長に従うよ。それでいいだろう?」 


「ふ~ん、そういうこと」


 当人の方を向いたまま、イクは悠然と受け流した。だが、何をビビッているのよと内心は穏やかでなかった。それならばと、彼女は蛇のような目でほほ笑むと言った。


「それじゃあ、あたしにも従うってことよね?」


「なんでだ、なんでそうなるんだ? イク」


 謎めいたことを訊いて来たイクにレソーが怪訝な顔をした。


「どうして俺がお前に従わないといけないんだ!?」


 そう語気を強めて言ったレソーにイクはすまして答えた。


「だって、父さんが引退したらあたしが社長になる訳なのよ。そしたらどうなるわけよ?」


「じゃあどうしてダイスさんが引退するんだ。そのへんがおかしいだろうが!」


 同じくイクの意図が分からなかったジスが再び口を挟んだ。瞬間イクはにんまりすると二人をじろっと見回し、父親を少し気にしてなのか声をひそめると、


「あんた達って本当に馬鹿ね! 会社が経営不振になったらどこの会社も社長が代わってるじゃん。今はうちの会社も同じく経営がピンチなのよ。これってどういうことか判ってんの。あんた達が不甲斐ないからよ。あたしは父さんと違って甘くないからね。あたしが社長になったら、あたしとセキカでバンバン行くわよ。判ってんの! 二人共」


「……」


 年下のイクのいつものペースにはまった感があった大の男二人が頭を垂れてしゅんとなった。とはいっても、イクがダイスの娘だからという理由で大人しく押し黙ったのではなく、彼等はこういった彼女の生意気で気の強いところと時折り見せるしおらしいところのギャップが不思議と気に入っていた。そのときも内心ではそれほど嫌な気がしていなかったし、むしろ心地良かったほどだった。

 それを知ってか知らでかイクは上機嫌でにこやかに続けた。


「父さんはああ言ってるけど、あんた達は本当はどっちなのよ。あたしは出る方に賛成なんだけど、この際だから二人共、出るか出ないかここではっきりさせなさいよ」


「そういわれてもなぁ」「そうだよなぁ」


 口を揃えてそう言った二人は困ったように顔を見合せた。そんないかにも頼りない感じの二人をイクは呆れたようににらんだ。


「ほんと、男らしくないんだから」


 そう不満を漏らすと口を尖らせた。そのとき、


「もう良い」と今度は、その傍から渋い表情で三人を眺めていたダイスが口を挟んだ。「イク、しょうもない話をするんじゃない」


「でも父さん……」


「ああ、分かってる。だからこの際だからここに貼ってある記事を携帯で撮ってセキカに見せて意見を仰ごうと思う。それから出るか出ないか決めても遅くないだろう」


「う、うん」何となく納得したような表情で小さくイクが頷いた。横にいたジスとレソーの二人も無言で頷いた。


 結局のところ、その場で参加するか否かの話し合いはまとまらないまま、とにかくここから出ようということになった。

 パネルで区画化された個室を離れるにあたって、ダイスはふと周りを見渡した。人影はやはりなかった。例の女性も消えていた。何も言わずに立ち去った状況から判断して、おそらく自分にあてがわれた部屋へ一足先に行ったのだろうと思われた。


 数分後。一旦車の方へ戻る道すがら、肩を並べて仲良く歩いていく三人をよそに、その少し後方を一人で続いたダイスは、思っても見なかった展開に戸惑っていた。自問自答せずにいられなかった。


 あの人は諦めて帰れと言ったがこっちは既に千ドルという大金を払ってしまっている。だがそうはいっても金と命を天秤に掛けたなら、やはり命が優先だ。高い授業料だったと考えれば諦めがつく。

 それにしたって、攻める側は基地中にある武器を使い放題だなんてな。つまり普通に戦闘ヘリや戦車が出てきたり、場合によっちゃあ爆弾やミサイルだって平気で使ってくるんだろうな。ああ、それはないぜ。

 てっきり模擬爆弾と偽の銃弾を使ってのオーディションだと思っていたのに。これじゃあ二時間の間逃げ回るなんて、どう考えたって無理な相談だ。

 嗚呼、さてと。この後戻ってどうするかだが……。はっきり言って問題は帰ってからだな。

 もうそろそろ法人相手の仕事はこれぐらいで見切るべきなのかな。

 今は昔みたいに全てこちらに一任ということはなくなったからな。いつも作業の途中で次から次へと内容の変更や値引きの交渉をされては、仕事を請ける度に赤字が出るか、出なくたってトントンが関の山で、全く儲けが出ないんだからな。このまま続けたって先が見えてる。

 その代りとして、ここいらで今まで副業としてやってきた個人相手の仕事をメインにしてみるかだが……。そうはいっても顧客がやって来るのをじっと待つだけでは競争相手も多いことだし。それに常時仕事があるわけでもないし。この点を解決しなければ、また同じように赤字になってお先が真っ暗だぜ。 

 やはり一番良いのは、手っ取り早くまとまった金が入ることなんだが。これが中々難しい問題なんだよなぁ。


 物思いにふけったダイスが、暫くして気が付いたときには車を止めた駐車場へ戻ってきていた。その途中で何人もの男達とすれ違った記憶があった。ようやく人が集まり出しているらしく、駐車場には始めになかった見知らぬ車両が増えていた。

 ところで四人が乗って来た白のワンボックスカーは、スポーツカーの真横に止めていたので思った通り直ぐに見つかった。彼等は車の手前までやって来ると、ダイスがさっそく車のドアを開こうとリモコンキーを操作した。見る間に後部座席のドアが自動的にゆっくりとスライドした。すぐさま開いた内部を四人が覗き込むと、あたかも石像のように無機質化して存在感がまるでなかったネコ似の生き物の姿が座席の端に腰掛けた状態で現れた。


「すまない。待たせたな、セキカ」


 車の脇に立ったまま開口一番、そう生き物に声を掛けたダイスに、当の生き物は切れ上がった両眼をゆっくりと開けると、重い口を静かに開いた。そして半ば当然のように話し掛けてきた。


「で、どうであった?」やや低いが良く通る男の声が響いた。


「ああ、ダメだ」ダイスは即座に首を振ると言った。「どうも俺が勘違いしていたようなんだ」


 さらに、あれこれ話すより見て貰う方が手っ取り早いだろうと携帯を生き物の顔の前に持っていき、「セキカ、これを良く見てくれ」と向こうで撮影した画像を見せた。そして訊いた。


「これが大会の規約らしいんだ。お前ならどう思う?」


 生き物は深緑色をした小さな瞳でダイスが差し出した携帯の小さな画面を一瞬だけ見つめると、ほんの少し黙った。そして、ダイスを始めとしてジス、レソー、イクの全員が少し前に身を乗り出し、硬い表情でじっと息をひそめて見守る中、何もなかったかのように一度瞬きをすると再び口を開いた。


「それで私にどうせよと?」


 いつもと変わらぬどっしりと落ち着いた声にダイスは何を訊くべきか一瞬迷った。が、最終的に一番知りたいことを訊いていた。


「実は、そのう、セキカ。この内容で、もし三人が出たとすればどうなると思う? やはり出ない方が無難だろうか?」


「それを私に判断せよと?」


「ああ、その通りだ。どうしても娘が出たいというんでな。お前から言ってやって欲しいんだ。それなら納得すると思うんでな」


「ふ~む、そういうことか」生き物はダイスの周辺で聞き入る三人の顔をちらっと見渡すと、小さく頷いた。そして沈着な声で言った。


「それ程難しいことでないように思える。一度やって見れば面白いかも知れないな」


「え、それは本当か!」


 生き物のその言葉にダイスの目が一瞬点になった。まだ望みがあるということかと頬が少し引きつった。同時に他の三人の顔にも何らかの変化がはっきりと出た。

 けれども生き物は四人の反応など興味がないという様子だった。全く同じ調子で続けた。


「ああ。この私がみたところ、それほど難があると思われない」


「でもセキカ、これはどうみたって厳しくないか」ダイスはまだ信じられないという目で生き物を見た。


「何て言ったって本物の軍隊が相手なんだぞ。おまけに向こうが決めたルールが酷すぎる。向こう側の人間を怪我させたら失格になるのに、こっちは命を取られても文句を言えないんだぞ!」


「ああ、分かっている」生き物は強い存在感を放ちながら明言した。「無策ならお前の言う通り、まず無理だろう。だが確実な作戦を立てるなら光もみえてくる」


「というと……」


「先ずは、三人を一人に絞ることだ。次に、一番この状況に見合った人物を選抜することだ。最後に、どのような行動を取るかということだが……」


 その直後。「あ、悪いセキカ」


 ダイスが途中で話を遮った。生き物は元々思慮深い性格で、あやふやな思い付きや推論だけで話をすることは滅多にないことを良く知っていたので、これは間違いなく脈があるなと読んだからだった。


「すまないが続きは別の場所でして貰えないかな。どうもここではな。人が集まってきたみたいだし」


 ちょうどそのとき、後ろの方で複数の車が通過する音がしたかと思うと、何台もの乗用車が数珠つなぎのようになって近辺を走行して行くのが、否が応でも彼の目に入ったからだった。

 実のところ、生き物とダイス達の会話は、生き物が人の言葉で喋るのを外から見て分からなけばそれで良いだけで、どこでやろうと問題なかった。事実生き物は、外から見るとネコの鳴き声にしか聞こえないように自等の声に細工を加えていた。おまけに、人が自分達のペットに話し掛けることなど珍しいことではなかったので、いつどこでも不審がられたことがなかった。

 故に、このままずっと生き物と話し合っていても周りから不審には思われない自信があったが、ここはやはり当たり障りのない行動を取るべきだろうと慎重になり判断した結果だった。 

 そのダイスの意図を即座に汲んだのか生き物も大人しく頷いた。


「それじゃあセキカ。今回はお前にも一応の責任がある筈だから、一緒に来て手伝ってくれるんだろうな」


 そうダイスは素早く念を押した。何を頼んでも煮え切らない態度を取るか非協力だった生き物の気が変わらない内に言いくるめてしまおうとちゃっかり考えたからだった。それから上着のジャケットの左ポケットをさぐって荒っぽく折り畳まれた黄色の紙を取り出した。戻る途中、ダメ元でポケットの中に突っ込んできた建物の見取り図と割り当てられた部屋の位置が記された紙片だった。


「さあ、行こう。そうと決まったからには今日は泊まりだな」ダイスは振り返ると、後ろの三人に向って、しっかりした口調で呼び掛けた。


「おい、荷物を忘れるなよ。あ、それと勝手に行くんじゃない。みんなで一緒に行くんだ」


 話はそこで終わった。後は車に積んできた食料と着替えを持って指定された部屋まで行くことだけだった。話の続きはそこでして貰うことにした。

 さっそく自分達の荷物をにこやかに手にした三人を尻目に、自分の手荷物を持ったダイスは車を締め切ると、後頭部あたりをもう片方の手で一発軽く叩いた。

 もしこれで大金が転がり込んで来たなら、その金で新しい生活が始められるんだと思うと夢のようで、正直いって嬉しかった。あたかもそれは、極悪人と恐れられた海賊が埋めたいわくつきの宝をこれから掘りに行くような、或いはいわくつきの大金を手に人生をやり直すため、どこか遠くの方に逃避行するような、わくわくする気分だった。自等の頭を叩いたのは、そのようなはらはらどきどき感と浮わついた気持ちが入り混じった感情をどうにか抑え込もうとした行為だった。


 そうして準備が整い次第一行が歩み出したとき、急に周辺が騒がしくなり車の出入りや人の往来が頻繁になって来た。午後の二時を回った頃だった。



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