殴った
【修のターン】
線路の横を歩きながら帰る……普段は電車で一〇分の道のりも、歩けば一時間以上かかる。それぐらいがいい。火照った頭が冷えて、ちょうどいい。
何が起こったのか、まだ脳内の整理がついていない。でも、一つだけ。一つだけわかっていることがある。
こんな俺の告白に……「ありがとう」って言ってくれた。「嬉しい」と言ってくれた。その言葉に、一瞬、もう満足してしまった。すべて、報われた気持ち。この先どんなことが起こったとしても、一生、俺は里佳ちゃんを嫌いにならない。そんな気がした。
でも……
「ワーキングホリデー……ワーキングホリデ――――――!」
線路に向かって、全力で叫んだ。
・・・
そう、先ほどの言葉をフラッシュバックして何度も何度もぐるぐる回すと、彼女が言ったのは「ありがとう」と「嬉しい」なのだ。
それが一体、何を意味するものなのか。
もしかして、本当は……里佳ちゃん……俺のことを……
「そんなわけなーい! そ・ん・なっ! わけなーーーーーい!」
商店街に向かって全力で叫んだ。
そう、あんな綺麗な子が、俺なんかを好きになるわけがない。
でも……なんだろう? モヤモヤする……俺、すっごく、モヤモヤする。
♪♪♪
あっ、妹から電話だ。
「もしもし……なんだよ?」
今、忙しいんだよ。
「修兄……ワーキングホリデー行くの?」
「えっ!? な、なんで」
「なんでじゃないわよ! やめてよね近所で奇行に走るの。さっき友達が爆笑しながら『あんたのお兄ちゃん、線路に向かって叫んでたよ』って電話あったんだから」
そ、それは悪いことをした。
「なあ、妹よ。君も生物学上は一応、女に分類されるよな?」
「……喧嘩売ってんの?」
「友達の話なんだけど。友達が女の子に告白したんだ。勇気を出して。一度はできないって思って、一度解散したんだけど。やっぱり、このままじゃいけないって。そんな小さくも儚い勇気を振り絞って――」
「本題!」
よ、容赦ない妹の駄目だし。
「……で、その女の子の回答が『ありがとう』とか、『嬉しい』とかだったんだ。それって、どう思う?」
「うーん……まあ、社交辞令の可能性はあるけど」
「……だよなぁ」
当たり前か。あんな可愛い子が……俺になんて。
「でも、まったく可能性がないって訳でもないんじゃない? 言い方とかにもよると思うけど」
「すっごい可愛い言い方だった……って友達言ってた!」
「ふーん。まあ、その女の子も本当に嬉しかったって可能性あるけどね。告白ってされたら嬉しいもんだし。その人との間柄にもよるけど」
「……一応、嫌われてはいないみたいだけど。その日、デートみたいなこともしたし……って友達は言ってたんだけど」
「ふーん、なら、脈はあるんじゃない?」
「えっ! 本当に?」
「知らないわよ!」
「で、でも友達が言ってたんだけど、その子が『ワーキングホリデー』に行くって言ってたんだ。だから、今のまま友達でって――」
「……で、なんでお兄ちゃんが『ワーキングホリデー』って叫ぶの?」
ぐっ……しっかり者すぎる妹を持つのも厳しいものである。
「ともかく! どうだろうか?」
「まあ、それは仕方ないんじゃない。アレでしょう? 何年か外国に行くやつでしょう? たとえ好きだったとしても、付き合わないって」
「えっ! 本当に?」
「だから、知らないわよ! あくまでも一般論だから。私、そろそろ塾あるから切るね。あっ、でもその友達に言っておいて」
「……何を?」
「『頑張れよ! 童貞!』って」
見抜かれとる―――――――! 童貞のことまで―――――――!?
・・・
家に帰って来て、すぐにノートパソコンを開く。心はもう決まった。やらないで後悔するより、やって後悔した方がマシだ。好きな子と一緒にいたいから、ワーキングホリデー? 笑いたければ笑えばいい。軽蔑するなら軽蔑すればいい。だって、それが紛れもない真実なんだから。
ワーキングホリデー……行ってやろうじゃねぇか。待ってろよ、オーストラリア。
取りあえず、インターネットでワーキングホリデーの情報収集を――オーストラリア……一○○万……だとっ!?
「なんでだー! 働くのに、なんでそんな高いんだー!?」
取りあえず部屋の中で絶叫。
えっ……春行くって、あと何ヶ月あんの……さ、三ヶ月!?
貯金額……一万……後……九九万!?
「……つ、詰んでるじゃねぇか」
いやいや、待て待て。バイトすればいいんだ。ええっと……九九万÷時給千円=九九○時間÷三ヶ月=三○○時間÷二〇日=一日一六時間勤務、休みなしか。
「ふははは、余裕じゃねえか――ってできるか!」
思わず壮絶な一人ツッコミをかました。とてもじゃないが出来る計画だと思えない。時給千円のバイトなんか長時間働けるバイト少ないだろう。
こうなったら……あの手を使うしかない。
晩御飯食卓にて、それは始まった。
「で、話っていうのは?」
先手、我が母。性格強し。
「実は……ワーキングホリデーに行こうと思ってるんだ……」
「おー、ワーキングホリデーか」
父親が少し興味を示した。
「ワーキング……なんなのそれ?」
どうやら母は知らぬようだ。横文字に不信感を抱く体質のようでその表情は厳しい。
「母さん、アレだよ。働きながら語学を学んでくやつ。まぁ、留学しながら働くみたいな感じだ。修、あれ行きたいのか?」
少し得意げに、父親は話す。
「……うん。で、実は少しお金がかかるんだけど」
そう発言した時、母親の瞳がギラリと光った。
「いくら掛かるのよ?」
「……一○○万くらい」
「さっ、ご飯にしましょうか? 父さんお皿並べて」
ちょ――――――!?
「最後まで聞いてくれよ。もちろんバイトする。この春休みは全部バイトに当てる。できるだけ稼ぐから」
「……いくらぐらいよ?」
「五〇万くらいなら頑張れば」
そう言うと、母は大きくため息をついて再び食卓に座った。
「……修、あんたには話してなかったわね。この機会に話しておこうと思うの。お父さんね、平社員なの。で、私たちは……貧乏なの」
生々しい話されてる―――!
「お父さんが会社の役員クラスならいいわよ。役員クラスなら。でも、平社員なの。それが、現実なの。でも、私はお父さんには感謝してるわ。例え平社員でも、ちゃんと給料振り込んでくれて。奨学金借りれば、あんたも美幸も大学生までは送ってやれる。中々のもんだと思ってる。たとえ平社員でも」
あ、あんまり平社員とか言ってやるなよ。
父親も思わず苦笑いを浮かべている。
「わかるわね? 修。貧乏人には、貧乏人なりの勉強方法があるの。二宮金次郎見てみなさいよ。貧乏だったのよー彼は。それが、あんなに立派になって」
まるで、二宮金次郎を友達のように語る母親。どうやっても、この母親を説得できる気がしない。
「まぁまぁ、母さん。そんな頭ごなしに。修だって、何も不純な動機で行くわけじゃないんだから。修、俺はいいと思うぞ」
お……親父様……すいません、不純な動機です。
「お父さん……」
意外だったのか、母親が唖然としている。
「今時の大学生の若者なんて、女のケツ追っかけてる奴ばっかだよ。そんな中、修は自分の将来のことを真剣に考えてる。父さん、実はお前に感心したんだ」
すいませーん! なんか、超絶すいませーん!
「……誰のせいよ」
ボソっと母親がつぶやく。
「か、母さん?」
「誰のせいだって聞いてんのよ!」
キレたー! 母親が、キレたー!
「あたしがどんな想いであんたを立てたか分かってんの!? あなたの給料が少なくて、私が家計をこんなにやり繰りしてんのに……あんたの甲斐性がないから私がどんだけ苦労して子供たちに我慢させて……私が悪者ですか? あなたの給料が少ないのは私のせいですか? 修がワーキングなんたら行けないのも、全部私のせいですか?」
修羅場ー! おとーさーんごめんなさーい!
「……すまん! 全力ですまん! それについてはもう弁解のしようもない。母さんには本当に苦労をかけてる」
全力で頭を下げている親父の背中は、なんだか悲しかった。
「はぁ……はぁ……わかればいいのよ、わかれば」
やはり、この母親を倒すにはレベルが足りなかった。あきらめて席を立とうとすると、
「しかし……どうか、修を行かせてやって貰えないだろうか?」
い、いつもと違って親父が粘ってくれている。いつもは、『母さんの言うとおりだよね』とか言って、犬の散歩に逃げていくのに。
「……」
母は黙ったまま睨んでいる。
「大学の頃の勉強ってのは一生もんだ。社会に出たら、もう勉強したくてもできない。大学が一番自分の学問に集中できるんだ。俺が……そうだったから。俺は……修に、思いきり学問させてやりたいんだよ」
その親父の言葉に思わず胸が熱くなる。
親父は、聞くところによると学生運動を昔やっていたらしい。大学に8年在籍し、哲学本がぎっしり。中々の親不孝ぶりを発揮していたらしい。
そんなことを言ってくれるのは、自分が学生の頃を重ねているからなのだろうか。
「……」
母親は、無言だ……いつもなら鉄拳制裁なのに……これは、もしかしたら……
その時、
「ただいまー」
妹が帰ってきた。
「ねぇ、デカイ声出すのやめてよ。近所に丸聞こえじゃない」
「な、なぁ。美幸。お前はどう思う? 修が、ワーキングホリデーに行きたいって言うんだ」
父親が妹に助けを求めた。
「ああ、あの友達の話? やっぱ、修兄なんじゃん。別にどうでもいいけど、好きな子いるからってワーキングホリデー行くってどうなの?」
妹―――――! おい妹―――――――!
「まっ、どーでもいーけどー。お母さん、塾行くからご飯早くしてね」
すべての盤面を容赦なくひっくり返して、妹は階段を駆け上がっていった。
こ、怖すぎて……親父の顔が見れない。
「修……お前は……女のケツ追っかけに……ワーキングホリデー行くのか?」
父親の問いかけは、酷く冷静だった。
もう、こうなれば正直に打ち明けるしかない。
きっとわかってくれるはずだ。熱い想いがあれば、きっと。
「父さん、聞いてくれ。ああ、そうだ。それは本当だ。好きな子が出来た。好きな子が出来たから、俺はワーキングホリデーに――」
初めて父が殴った。
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