第62話 恋愛精神年齢



 随分昔だが、三鷹市ストーカー殺人事件と言われる事件があった。当時テレビは連日報道を繰り返し、メディアに接していれば知らない人は稀であったものだ。事件が衝動的でありそして結果の悲惨さもあることから、センセーショナルになりがちなことは理解しているが、恋愛模様について考えたときに過激な報道や情報が巡ることに多少の違和感を抱かざるを得なかった。


 事件後すぐに、ネット上では被害者や加害者に関する情報が駆け巡った。そのこと自体は、何も今回の件に限らず現代社会では頻繁に見られることである。当然匿名掲示板では被害者のことを悪く言う声も少なくないし、ツイッターで被害者への侮辱をつぶやいたプロ野球選手は謹慎処分が処分が科されたようである。事件の顛末については既に多くが明らかにされてるし、事実関係について言わなければならないものなど持ち合わせてはいない。

 私個人としては、何も被害者が純真無垢であったと擁護したい訳ではないし、死者に鞭打つようなことをすべきではないと感情論を振りかざしたい訳でもない。また、マスコミのように聖人君子ぶって建前論(あるいは目をそらすこと)を展開するつもりもない。ただ、ひょっとすると性的には進んでいたとしても精神的には幼すぎたこの悲劇的な恋愛模様を、社会はどのように扱うべきなのだろうという面が少々強く気にかかっている。


 恋愛にも段階がある。子供心の抱く淡い恋愛もあるし、大人の味わい深い恋愛も、若者の情熱的な恋愛もあろう。そして恋愛は、多くの場合で感情的な高まりが理性的な判断を狂わせる。逆に言えば、理性さえも霞ませる様な感情的な高まりがあるからこそ恋愛が人々の心を捉えて離さないのも事実だと思う。

 仮にそれがなければ、恋愛というジャンルが私達の心の中に強く住み着くことはなく、社会においても重要視されることはないだろう。しかし、同時にこうした感情の高ぶりがあるからこそ理性的行動を重んじる社会関係においては恋愛の負の面を語られることも少なくない。

 実際、流出した画像などは殺人事件が生じなかったとしても彼女にとっては人生の行く末を大きく左右する存在となったであろう。目指す道は場合によっては閉ざされ、あるいは大きな障害となって一生付きまとったであろうと想像される。精神的な大人であれば、こうした社会的損得勘定を打算的に考えて理性的な行動を取ることができたかも知れないが、それができなかったと言うことは実年齢とは関係なく精神的に幼かったと見ることは出来る。

 もっとも、社会に溢れる不倫や後先を考えない恋愛にまつわる行動は年齢とは関係なく生じている事実でもあり、そもそも私達は高齢者であっても痴情のもつれで罪を犯すこともあることをよく知っている。


 結局のところ、恋愛の方法論をどの程度知っているかということが、実(肉体)年齢とは異なり、また社会(精神)年齢とも異なる恋愛精神年齢として存在し、これは人それぞれにかなり異なるということが言えると思う。恋愛精神年齢は必ずしも一般的に言われる精神年齢と相関関係があるとは言い切れない。社会的地位のあるいい大人が恋愛によりその地位を捨て去るケースをいくつも知っている。

 私たちは、「大人になれよ」という風に社会に適応する術を身に付けるように促されることは経験するが、上手い恋愛を重ねる方法をサポートされることはそれほどない。多くの場合には、同年代の間で結論の出ない禅問答のような恋愛談義を重ね、あるいは自分自身が体当たりでそれを身に付けようとする。

 もちろん、社会経験を積むことで恋愛に生かすことのできる知識や体験を得ることもできよう。しかし、多くの場合にはこれらはいくつもの苦い記憶と共にある。経験を糧として生かすことができればよいのだが、トラウマとして封印してしまったり逃げ腰になっていくのではあまり意味がない。


 人口減少社会とそれをつなげるのが正しいかどうかはわからないが、私たちは恋愛も死や性と同様に実社会と切り離したものとして捉えがちであって、他人事の物語としては知っていても自分自身で判断するような経験が不足している。

 あるいは、多くの人と付き合ってきたとしても単純に数を重ねるのではなく、より恋愛をうまく楽しむ方法を見つけられなければ意味はない。そして、こうしたことは個人の努力だけではなく社会の雰囲気がそれを後押しする形であることが大きな力となる。

 最初の三鷹市の事件に話を戻そう。世界と比べて日本がどうかを書くことができるほどの経験は私にはないが、それでも日本人の恋愛精神年齢の低下が社会的な問題としてあるのではないだろうか。そして、この年齢を上げさせるサポートが社会において絶対的に不足しているのではないかと思う。むしろサポートしているよりは他人の失敗ををあざ笑う方向に向かっている。


 もし政府やメディアが本気で日本の人口減少問題を考えているのであれば、日本人の恋愛精神年齢を上手く向上させる方策について議論を重ねる必要があるのではないだろうか。そして、同じことは個人レベルでもいえる。私たち自身も恋愛を普段の生活とは別のものと切り離して考えがちであるが、自分も社会も恋愛も全てが一体となって自分であるのだから、それぞれをバランスよく成長させることを自分自身にもそして周囲の人たちとも考えていかなければならないのだろうと思う。

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