第24話 愛情は与えるものか受け取るものか



 男性は、愛情を支配欲の延長線上に位置づけることが多く、女性は自らが受けるものとして理解していることが多いのではないか? 

 これはあくあまで極論である。


 支配欲という言葉が適当でなければ、愛情を与える存在でありたいという考え方。

 女性側で言えば、愛情は受ける存在でありたい。


 与える側からすれば、愛情を与える存在は一人でなくても良い。

 もちろん、最も愛するものはいる。

 しかし、機会があれば別の相手にも愛情を分け与える。

 与えると言うのは、伝達の一方通行である。すなわち、支配の一体系ではないかと思うのだ。


 受ける側も、様々な相手から受けることは可能である。

 しかし、受けるためには与えられなければならない。

 多くのものから与えられる存在であればそれもあり得るが、一人から与えられる存在であれば、それが全ての関係性となる。


 それは、愛情を主体的に捉えるか、受動的に捉えるかという違いでも表せる。

 主体的な愛情は、自由に振りまける。それを抑制するのは社会的な規範である。

 受動的な愛情は、受け入れる自由は有している。しかし、主体性がなければ自らそれを得に行くことは難しい。


 もちろん、男性でも受動的な人もいるし、女性でも主体的な人も多い。

 だから、世の中の全てをこれで分類することは叶わないだろうが、傾向としては愛情に向き合う姿勢の違いと考えることは可能ではないか。


 恋愛や結婚は、愛情を一人に注ぐという約束である。

 しかし、主体的なそれは機会があれば破られやすい。

 受動的なそれも機会があれば破られるかもしれない。

 問題は、自らが動くのか、来るのを待つのかの違い。

 もっとも、経済的な縛りや外出の有無などの基礎条件も大きく絡むので、主体性・受動性が全てではない。


 ただ、主体的であるからこそ、浮気という形でそれはばらまかれる。


 もっとも、現代社会において男性のみが浮気性だというのは、もはや都市伝説に近いのではないだろうか。男女の社会進出が均等に近づき、男女の地位もそうなれば、結果的に主体的な行動をする割合も近づいていく。

 若いカップルの内ならともかく、年齢を経れば女性の方が主体的かもしれない。


 もっと根本的な問題について最後に触れておく。

 男性が浮気をする。。。すなわち、その相手の女性は浮気相手である。

 だとすれば、男性の方が一方的に浮気をしているとは言い切れない。

 もちろん、浮気相手の女性が何も知らなかったというケースもあるだろう。

 しかし、仮に相手のいる男性だと知って付き合っているとすれば、、、、

 それが浮気という関係だと知りつつ付き合うわけだ。

 その当人にとっては浮気ではないが、浮気を幇助していると言うことでは何ら変わりはない。

 男性が一方的に浮気性とはやはり言えないようにも思う。


「浮ついた心を責めるのは嫉妬、裏切りを責めるのは信頼への代償である。」

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