第570話 太陽の王と悠久の乙女➄

 軽く朝食をとった後、《朱天》は大樹海を跳躍して進んでいた。

 大樹の枝から枝へと移動する。

 落下のリスクのある移動方法だが、それでもこのルートを使うのは、地表よりもこちらの方が魔獣との遭遇率が低く、速く移動できるからだ。

 今も枝を蹴って跳躍する。


 そんな中、


「……仮面さん」


 アッシュの背中を掴むルカが尋ねる。


「このまま、『ドラン』を抜けるの、ですか?」


「そうしたいところだが……」


 アッシュは操縦棍を強く握って渋面を浮かべる。


「あの爺さんがこのまま見逃してくれるかだな」


 ルカの予想外の行動力のおかげで救出は出し抜くことは出来た。

 しかし、流石にもうルカの脱出には気付いているはずだ。

 あの老人が何かを仕掛けてくる可能性は高かった。


「それに」


 アッシュはルカに問う。


「あの爺さんだけじゃねえ。爺さんの師匠とやらもいるんだろ?」


「は、はい」


 ルカは頷いた。


「会うことはなかった、です。けど、あのお爺さんのお話だと、他にもお爺さんのお師匠さまみたいな人がいるみたい、です」


「……あの爺さんの師匠か……」


 アッシュは双眸を細めた。


「どう考えても厄介なのは確実そうだな」


 出来れば関わりたくないが、恐らくそうもいかないだろう。

 今回の騒動の真相も気になる。

 そして蘇った《業蛇》のこともだ。

 その老人たちが関わっているのは間違いないだろうが、いずれにせよ放置は出来ない。

 あの蛇が生きていると、再び《大暴走》が起きるからだ。

 絶対に討伐しておかなければならない相手だ。


 しかし、今の《朱天》は万全とは言えない。

 何より、ようやく救出できたルカを連れたまま、戦闘は避けたいところだった。

 この場はどうにか脱出し、後日、オトハと一緒に討伐するのがベストだろう。


「とにかく今は急ぐか」


《朱天》はさらに加速する。

 竜尾を揺らして漆黒の鬼が大樹の間を飛翔する。

 しかし、それも長くは続かなかった。


(………ち)


 アッシュは内心で舌打ちする。


「……ギャワッ! ヘンジン!」


 と、後方の荷物につかまったオルタナが翼を広げて叫んだ。


「……ユウカイハンダ!」


 オルタナも優れた望遠機能でその姿を確認したようだ。

 ルカが「え?」と目を瞬かせる。


「……ルカ」


 アッシュは静かに声を掛ける。


「余計なことに出迎えてくれるようだ」


「………あ」


 その台詞に、ルカもようやくその姿に気付いた。

 向かう先の枝に一人の老紳士が佇んでいることに。

 ――ウォルター=ロッセンである。


「……仮面さん」


 ルカはギュッとアッシュの背中に掴まった。


「どう、しますか?」


「折角の出迎えだ」


 アッシュは不敵な笑みを浮かべる。


「乗ってやろうじゃねえか」


 言って、《朱天》がウォルターの立つ枝に降り立った。

 着地の衝撃を受け流したこともあるが、巨大な枝は超重量の鎧機兵が乗っても、ビクともしない。無論、ウォルターにも影響はない。


「これは、これは」


 ウォルターは恭しく一礼した。


「久しぶりですな。王女殿下の騎士殿」


『はン』


 アッシュは鼻で笑った。


『確かに久しいな。まさか俺の前にまた出てくるとは思わなかったがな』


 そう告げて、双眸を細める。


『塵にされる覚悟が出来たってか?』


「ふはは。相変わらず怖い青年だ」


 ウォルターは朗らかに笑う。


「老い先短い身ではあるが、自殺願望はない」


 そこで《朱天》を、その奥を見据える眼差しを向けて。


「そこで強気に出るということはやはり王女殿下はすでに君の腕の中かな?」


『……ああ』


 アッシュは答えた。


『ルカは取り戻した。ここでお前を塵にしねえ理由はねえよ』


「……ふむ」


 ウォルターはあごに手をやった。


「太陽と月は惹かれ合うか。流石は我が師。慧眼である。しかし」


 一拍おいて。


「ここで殺されるのは堪らんな。そもそも今回の黒幕は私ではないのだから」


『……なに?』


 アッシュは眉をひそめた。

 が、すぐに『ああ。なるほどな』と得心がいく。


『黒幕はルカから聞いたお前の師匠って奴か?』


「いかにも」


 ウォルターは苦笑を浮かべた。


「今回の一件はすべて我が師の意志によるものだ。私は説明されることもなく無理やり駆り出されたにすぎん」


 そこで深々と嘆息した。


「我が師の奔放さには私も霹靂しているのだよ。だが」


 ウォルターは改めて《朱天》を見据えた。


「偉大なる御方であることは事実だよ。そして師は君に興味があるようだ」


『……なんだと?』


 アッシュが眉をしかめた。

 すると、ウォルターは再び一礼し、


「我が師が君に挨拶をしたいそうだ」


 そう告げて、片手を右上へと向けた。

 その直後だった。

 ウォルターが手を向けた先に黒い闇が生まれた。

 人が通れるほどの空洞だ。

 そこから一人の人物が現れる。


 年齢は二十代前半ほどか。

 漆黒のローブを纏った、右手に大きな樫の木の杖を持つ人物だ。

 右側が黒、左側が白という奇妙な髪。顔の右半分は髑髏の仮面で覆っている。


 ――深淵の魔術師。

 ウォルターの師にして、西方天・ラクシャである。


 ラクシャが現れ出たのは宙空。

 大樹の枝より三セージルほどの高さの位置だ。

 普通ならば重量に従って落下する。

 しかし、魔術師はまるでそこに地面があるかのように歩き出す。

 その様子は不可視の階段か。


 コツコツコツ、と。

 降りてくる足音まで聞こえてきそうだ。

 そのまま枝に降り立つと、魔術師は《朱天》に視線を向けた。

 あまりに異様な登場に、アッシュとルカは表情を険しくしていた。


 そして、


「お初にお目にかかる」


 深淵の魔術師は、弟子同様に恭しく頭を垂れて名乗りを上げた。


「我が名はラクシャ。西方天・ラクシャである」








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