第528話 蘇る災厄⑤
――ズザザザ……。
木々を砕いて、地を削り。
それは、ゆっくりと大樹海を進んでいた。
途方もなく巨大な体を蠢かせる。
「…………」
おもむろに動きを止めて、それは鎌首を上げた。
……ここは知っている。
十年、百年、三百年。
自分が、ずっと生きてきた森だ。
自分は眠るのが大好きなので、大半を夢の中で過ごしたが、この故郷とも言える森の匂いは、鼻がしっかりと憶えている。
だからこそ、困惑する。
あの日、自分は死んだ。
あの忌まわしい白くて硬い奴に、殺されたはずだ。
首を切断されたのである。
首と同時に意識も断ち切られ、自分は真っ黒な世界へと落ちていった。
そこから先は、微睡のような世界だ。
眠りと違う。意識が半分ほど解けたかのような感覚だ。
この感覚は嫌だった。
眠りたいのに眠れない。
自分は、眠りを邪魔されるのが一番嫌いだった。
眠ることも出来ず、暗闇の中を漂う。
そんな不愉快な時間が、どれぐらい続いたことだろうか。
時間の感覚も分からない。
どうしようもなく億劫になっていた時、その声は聞こえた。
『嘆かわしい』
暗闇の奥から届く声。
一度も聞いたことはない声だ。
けれど、とても不機嫌であることが分かる声だった。
『貴様には、期待しておったというのに』
声はそう告げる。
強い不快感を覚えた。
この声は、自分を馬鹿にしている。
言葉の意味は分からないが、それをはっきりと感じ取った。
一体、何様だというのか。
アギトを開き、威嚇したいところだが、自分にはすでに首がない。
忌まわしい。忌まわしい。
それもまた不快だった。
『ふん。怒りまでは失ってはおらんか』
声が言う。
『その覇気があるのならば、一度のみ機会をやろうではないか』
そんなことを告げてくる。
全く意味が分からない。
そもそも、言葉が分からないのだから当然だ。
不快になるだけの声。無視しようと思った矢先だった。
突如、暗闇の奥が照らされ、光が視界を埋め尽くしたのだ。
こんな光は初めてだ。
困惑するが、同時に本能が察する。
この光の向こう側。
この光を道標にすれば、自分は戻ることが出来ると。
必死に進んだ。
瞳を閉じ、それでも突き刺してくる光の元へと突き進んだ。
そうして気付いた時、自分はこの森に戻って来ていた。
懐かしきこの世界に。
風の感触、土の匂い。
久しく失っていたモノだ。
彼は、その感覚を堪能するように、しばらく樹海を彷徨っていた。
その際に気付く。この視界の高さ。全身に漲る力。
恐らく自分は、最期の弱体化した姿ではない。全盛の姿に戻っているのだ。
「シャアアアアアアアアアアア―――ッ!」
喜びの咆哮を上げる。と、周囲から獣が逃げ出した。
鎌首を向ける。
大きな猪だ。喰らえば、少しぐらいは腹の足しになる。
……喰らっておくか。
が、そう考えた時、ふと気付く。
自分は今、寝ていない。はっきりと目を覚ましている。
だというのに、あの忌まわしい空腹感がない。
自分が最も嫌う感覚だ。
かつて、起きている時は、それに、ずっと苛まれていたというのに。
と、その時、
『それは封じさせてもらった』
再び声がする。
暗闇の中で聞いた声だ。
周囲を見渡す。木々に覆われているが、誰かの影はない。
舌を動かして熱も探ってみるが、近くに生物はいないようだ。
この声の主は、近くにはないと察した。
『貴様には、使命がある』
声は言葉を続ける。
『王の器となる大いなる使命だ。だというのに、食事なんぞに没頭されても困るのでな。しばらくは、空腹感を封じさせてもらったという訳だ』
と、そこまで語って声の主も気付く。
相手に、全く言葉が通じていないことに。
『……ふむ』
声は苦笑混じりに呟く。
『知能の高い固有種であっても、流石に人語までは理解できぬか』
「シャアアアアアアアアアアアアア―――ッ!」
威嚇の咆哮が、樹海に響く。
『言葉は分からずとも、怒りは覚えるか』
声の主が『ふむ』と呟く。と、
『まあ、良い。我が術は成功したようだ。ならば、使命を果たしてもらうぞ』
――パチン。
不意に、そんな音が樹海に響いた。
『王となれ。それがお前の使命だ』
声はそう告げる。
その後、声は聞こえなくなった。
しばしの静寂。
おもむろに巨体が動いた。
木々を砕き、真っ直ぐに進んでいく。
――王になれ。
その言葉だけは、どうしてか理解できた。
まるで脳の奥底に、直接刻まれたかのように。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッ!」
轟く咆哮。
分かる。分かる。
この匂いが教えてくれる。
この先に『敵』がいる。自分が王になるのに邪魔な『敵』が。
それを倒さねばならない。
出なければ、自分は王になれない。
疾く早く。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッ!」
彼は、かつてないほどの躍動を見せた。
大地を激震させ、邪魔な木々も獣も弾き飛ばす。
それらは、全く歯牙にもかけない。
最も近い道を。
ただただ、真っ直ぐに突き進む。
かつて、災厄と呼ばれたその力を余すことなく開放して。
巨大なる蛇は、大樹海を走破する――。
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