第526話 蘇る災厄➂

「…………」


 翌朝早く。

 エルナス湖の岸辺にて。

 アッシュは、《朱天》を再召喚していた。

 昨夜は『家』の偽装を優先させたため、《朱天》を含めたすべての鎧機兵は、一旦送還させていたのである。

 しかし、相棒を再召喚した途端、アッシュは眉をひそめることになった。


「……おい。相棒」


 思わず、相棒に声を掛ける。

《朱天》は両膝をついて鎮座している。

 アッシュが注目するのは、その胸部装甲だった。

 いつしか、相棒の装甲に張り付くようになった太陽の紋章。

 装甲を差し替えようが、決して剥がれない例の怪奇現象的な紋章である。

 その太陽には、日輪に沿って、九つの宝玉が配置されている。

 問題は、その宝玉だ。


「……またかよ」


 アッシュは、頬を引きつらせた。

 九つの宝玉。昨日までは確か紅い宝玉は四つだった。

 だが、今日、召喚した相棒の胸には、五つ目が紅く輝いていた。

 現在、クライン工房には、オトハが留守番しているはずだが、彼女がこんな悪戯をするはずもない。一緒にいる九号ならしそうな気もするが、自分で悪戯の結果が確認できないのではやる気も起きないだろう。


 またしても、怪奇現象が起きたということだ。

 アッシュは、嘆息した。


「マジで訳が分かんねんだが……」


 ボリボリと頭を掻く。

 それでも、そろそろ気付いたことがある。

 この九つの宝玉。恐らくだが……。


(もしかして、俺が大切に想っている相手の数なのか?)


 確証はないが、そんな気がした。

 そう感じたのは、紅い宝玉が増えたタイミングだ。

 サーシャ、レナと結ばれた後、この紅い宝玉が増えたのである。

 そうして昨夜を迎えて。

 紅い宝玉は、もう一つ輝くようになった。


「……いやいや」


 アッシュは、渋面を浮かべた。

 勘違いと思いたい。

 しかし、三度続くと、偶然とも言い難かった。


「いや、あのな。相棒」


 アッシュは《朱天》を見やる。


「仮にそうだとしたら、なんでお前がそれを明示するんだよ」


 と、ツッコむが、鎧機兵である《朱天》は当然ながら答えてくれない。

 まあ、この怪奇現象自体は《朱天》のせいでもないので、問い質すことのもお門違いだろう。それよりも気になるのは、この推測が正しい場合だ。


「……いや、嘘だろう?」


 アッシュの頬に、冷たい汗が伝う。

 宝玉の数は九つ。それはすなわち――。


「俺には、九人の嫁候補がいるっていうのか?」


 この宝玉一つ一つが愛しい女性を示しているのなら、そういうことだ。

 少なくとも、現在、紅い宝玉と同じ数だけ、アッシュには、生涯を共にすることを決めた女性がいる。

 嫁が五人。これも大概な人数だが、宝玉が示すなら、残り四人もいるということだ。

 その内、二人は心当たりがある。ミランシャと、ユーリィだ。

 彼女たちには、はっきりと想いを伝えられている。

 アッシュもまた、彼女たちのことは、とても大切に想っている。

 確かに、ミランシャたちとは、その可能性はあった。


 しかし、残り二人とは――。


「……一体、誰なんだ?」


 この期に及んで、そう呟くアッシュ。

 と、その時だった。


「……あ、あるじさま」


 不意に、後ろから声を掛けられる。

 声で分かる。シャルロットだ。

 振り向くと、そこにはやはりシャルロットがいた。

 慌てて起きたのか、彼女らしくなく、少しメイド服が乱れている。


「おう。おはよう。シャル」


「は、はい。おはようございます」


 シャルロットは、緊張した面持ちで頷いた。


「まだかなり早いだろ? もう少し寝てても良かったんだぞ」


 今朝、アッシュが目を覚ました時、彼女はアッシュのベッドの隣にいた。

 いつもなら誰よりも早く起きるシャルロットが、スゥスゥと寝息を立てている。生まれたままの姿で、ぐっすりと眠っていた。

 起こすのは可哀そうだ。

 微笑を浮かべて、アッシュは彼女の髪を一撫でし、一人、この場に来たのである。


「い、いえ。私はメイドですので」


 シャルロットは言う。


「皆さまが起きる前に、朝食を用意しなければなりません。仕事はしっかりとしなければなりませんから」


「はは。シャルは変わんねえな」


 アッシュは笑う。

 それから、シャルロットの元へと近づいて、


「けどな、シャル」


 アッシュは、シャルロットの首筋に触れて、耳の下に手を添えた。

 シャルロットは「あ、あるじさま……」と息を呑んだ。


「ホントに今日ぐらいは、無理しなくてもいいからな」


 その声は、とても優しかった。

 シャルロットは陶然とした表情で「はい」と言いかけるが、


「い、いえ。私はメイドですから」


 甘える時は甘える。昨夜のように。

 しかし、仕事は仕事なのだ。

 そこだけは譲らず、そう答えた。

 アッシュは、再び「ははっ」と破顔した。

 流石は、シャルロットだ。

 彼女のこういったところは頼もしくもあり、愛しくもある。


「分かった。なら頼むよ」


「承知いたしました。ところであるじさま」


 シャルロットは小首を傾げた。


「どうして朝からこの場所に?」


「おう。そうだな」


 アッシュは、湖の岸辺の一角に目をやった。

 かの怪蛇が息絶えた場所だ。


「昨日は暗くて、とりあえずで片づけたんだが……」


 そう前置きして、こう告げる。


「どうにも嫌な予感がする。出発する前にもう一度、調べておきたかったんだよ」

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