第487話 二人の未来③

「……アッシュ。遅い」


 その時、ユーリィが、ポツリと呟いた。

 場所は観客席だ。隣の席にはサクヤ。一つ離れた席にオトハの姿もある。

 ユーリィは、熱気に包まれた周囲を見渡した。

 自席のみならず、通路にも立って、興奮している観客たち。

 しかし、そのどこにも、アッシュの姿はなかった。


「……もうじき、メットさんの試合が始まるのに」


「確かに遅いな」


 オトハも呟く。


「しかし、フォクス選手のことは思うところもあるからな。もしかしたら、そのままミランシャと一緒に観戦する気なのかも知れない」


「さっき言ってた《焦熱》ってやつよね」


 と、オトハの呟きに続くのは、身を乗り出したサクヤだった。

 ユーリィ越しに、長い髪を垂らしてサクヤが問う。


「初めて聞いたけど、傭兵の間だと有名な話の?」


「まあ、そこそこはな」


 オトハは、苦笑を浮かべた。


「なかなか実力がつかない新人が、思わず手を出してしまうから、鎧機兵乗りでは最初に注意される話だな。それにしても」


 そこで、オトハは腕を組んだ姿勢のまま、小さく嘆息した。


「ミランシャの奴め。いくら不慣れな機体でも敗北するとは情けないぞ。油断しすぎだ。クラインの奴に少し叱られればいいんだ」


 実際は叱るどころか、とんでもなく甘やかされまくっているのだが、流石に、オトハにも気づきようがなかった。


「まあ、不意打ちっぽかったしね。けど……」


 一拍おいて、サクヤが微笑む。


「オトハさん。いつのまにか、ミランシャさんを名前で呼ぶようになったわね」


「……え?」


 オトハはキョトンとした。


「うん。確かに」


 サクヤの隣のユーリィも頷いた。


「みんなを名前で呼ぶようにしようとは言ってたけど、まさか一番仲が悪いって言ってるミランシャさんからになるとは意外だった」


「い、いや……」


 オトハが、少ししどろもどろになった。


「そ、その、何となくだな……」


「あ、そっか」


 ユーリィが、ポンと手を打つ。


「オトハさんが、さっきから、ミランシャさんに厳しいのも、ミランシャさんのことを心配しているからなんだ」


「あ、なるほど」


 サクヤも、柏手を打った。

 そして双金コンビは、同時にオトハの方に目をやって告げた。


「「オトハさん、ツンデレ」」


「う、うるさいな!」


 オトハは、顔を赤くして叫んだ。

 と、その時だった。


『レディース&ジェントルメーーーン! 長らくお待たせいたしました! これより《夜の女神杯》! 決勝戦を行います!』


 司会者が声を張り上げた。

 途端、「「「おおおおおおおおおおおおおおおお――ッッ!」」」と大歓声が上がる。

 同時に二つの門から、それぞれ選手が入場してきた。

 ビッグモニターにも映される。

 互いに緊張した面持ちの、サーシャとフォクス選手だ。

 オトハたちは、舞台に目を向けた。

 いよいよ決勝戦が始まろうとしていた。



       ◆



 その大歓声は、廊下を歩くレナの耳にも届いていた。

 おもむろに天井を見上げる。

 どうやら、決勝戦が始まったようだ。


「……始まったようだな」


 隣を歩くアッシュも、一瞬、足を止めて天井に目をやった。

 その横顔に、レナはドキッとする。

 レナは、ずっとアッシュの腕を掴んだままだった。

 通路で出会った時にしたように。

 しっかりと腕を取って、身を寄せている。

 けれど、心の中は、その時と同じとは言えなかった。

 ずっと、心臓が高鳴ったままなのだ。


 再会の日から、アッシュに抱き着いたことは数知れない。

 だというのに、今は腕を取るだけで緊張していた。


(うわ、うわ、静まれ! 静まれ! オレの鼓動!)


 何とか自制しようとしているが、無理だった。

 なにせ、遂に――。


(宣言された……アッシュの女って、宣言された……)


 カアアアっと頬が赤くなる。

 前を歩く案内役の男――ラゴウ=ホオヅキや、その主君という人物から、レナを守るための方便だというのは、流石に気付いていた。

 しかし、それでも、遂に宣言されてしまったのだ。


(うわああ、うわあああ……)


 声も出せず、顔だけが熱くなってくる。

 きっと今、自分は妹そっくりの表情をしている。

 時折、レナの義弟となる予定の青年相手に、頬を染めていた妹と。


「(……レナ)」


 その時、アッシュが小さな声でレナに語りかけてきた。


「(大丈夫か? 緊張してんのか?)」


「(だ、大丈夫だ!)」


 赤い顔のまま、レナも小声で返す。


「(あいつや、これから遭う奴が危険なのは分かってる! 油断なんかしてねえ!)」


「(……そっか)」


 アッシュは面持ちを優しくした。

 それから、空いた右手でレナの前髪を撫でた。


「(頼りにしてるぜ。けど、無茶なことだけはすんなよ。状況は俺が見るから、俺の判断を信じてくれ。それと――)」


 そこで、アッシュは真剣な眼差しでレナを見据えた。


「(お前は俺が守る。それだけは必ずだ)」


 そう告げてくる。

 レナは大きく目を見開く。

 全身が、ゾクゾクと震えた。

 それは今まで感じたことのないような感覚だった。


(………ふあぁ)


 思わず喉を鳴らした。

 なんと答えていいのか分からないぐらい、頭の中が真っ白になった。

 レナは深く俯いて、ただただ、こくんと頷いた。

 やけに大人しくなった元気娘の様子に、アッシュは少し心配になりつつも、ラゴウの後を追った。ラゴウは黙々と歩を進めている。

 廊下を進んでいくにつれて、アッシュは眉根を寄せた。


(確かこの先は……)


 そう考えた時、


「この先だ」


 ラゴウが、不意に足を止めた。

 アッシュも足を止めて、双眸を細める。レナも緊張した顔でその先を見据えた。

 そこは左右に開かれる扉の前だった。扉の横にはボタンが設置されている。


「……おいおい。ここは」


 アッシュは、苦笑いをした。


「流石は社長さまだな。随分と贅沢なことだ」


「王には王の相応しき場所があるものだ」


 アッシュの皮肉に、ラゴウは無表情で応える。

 アッシュは「ふん」と鼻を鳴らした。


「……アッシュ」


 レナが顔を上げて、アッシュの横顔を見つめる。

 自然と腕を掴む力も強くなっていた。


「では、行くぞ」


 ラゴウが言う。

 次いで、ボタンと押した。

 すると、チン、と音を立てて自動的に扉が左右に開かれた。

 中は小さな小部屋だ。自動昇降機――闘技場に新たに設置されたエレベーターだ。

 これは、各VIPルームに一基ずつ設置されたものだった。

 ラゴウが、まずエレベーター内に入り、アッシュとレナがそれに続く。

 内部にもボタンがあり、ラゴウはそれを押した。扉がゆっくりと閉まる。

 その後、微かな浮遊感。エレベーターは上昇していった。

 VIPルームは闘技場の最上段にある。十数秒ほどで到着した。


 チン、と扉が開かれる。

 やや暗い室内。絨毯が敷き詰められた床に、大きなソファ。壁側には様々なワインが陳列されたワインバーもある。かなりシックな部屋だ。

 そして最も特徴的なのは、壁一面ほどの巨大なガラスだろう。

 そこからは、舞台や観客席が一望できた。


 アッシュは視線をソファに向けた。

 そこには、一人の男がふてぶてしい様子で腰を下ろしていた。

 愛用の黒いカウボーイハットを目の前の大理石の机の上に置いた、トレジャーハンターを彷彿させる男だ。


「主君」


 ラゴウが入室し、頭を垂れる。


「《双金葬守》を案内してきました」


「おう。そっか」


 男が振り向いた。四十代半ばの、愛嬌のある笑みを見せる男だった。

 男は「おおっ!」と目を見開いた。


「そこにいるのはレナ選手か!」


 真っ先にレナの姿を見つけて、口角を緩める。


「実物を見ると、本当に美少女だな! 胸の大きさは、オトハやサーシャちゃんにも劣らんぞ! ミニマムな肢体でありながら、実に絶妙なバランス! これはもう一種の芸術とも言えるな! 素晴らしいぞ!」


 いきなりそんなことを言い出す男に、レナは渋面を浮かべた。


「……アッシュ。こいつ、なんだよ?」


「ああ~」


 アッシュは、額に片手を当てた。

 どうも会うたびに、この男は頭を悩ませてくれる。


「こういう親父なんだよ。けど、気をつけろ。これでもこいつは怪物どもの親玉だ」


 言って、レナを連れて前に歩き出す。

 そしてまずは、レナをソファに座らせる。

 緊張した様子の彼女は、ちょこんとソファに鎮座した。

「おおっ!」と、男がわしゃわしゃと両手の指を動かしてレナに近づこうとするが、


「お前は少し自粛しろ」


 そう告げて、ドスンッ、とアッシュがレナの隣――要は男とレナの間に腰を下ろして、足を組んだ。邪魔をされた男が不快そうに眉をしかめた。


「少しぐらい間近で見てもよいだろうに」


 男は、背もたれに両腕をかけた。

 同時に、ラゴウが男の後ろに控える。


「まったく。融通が利かん男だ。まあ、レナ選手を随伴させてきたことは評価するが、どうせなら、オトハとミランシャも連れてくれば、なお良かったのだがな」


 主君の台詞に、ラゴウは小さく嘆息した。

 無茶を言う。流石に《七星》を三人も招けるはずもない。

 しかし、ラゴウ以上に、気分を害したのはアッシュだった。


「……うっせえよ」


 殺気さえ宿した声で告げる。


「オトや、ミランシャを……特に、オトをてめえに近づけるとでも思ってんのか?」


 あまりに剣呑な雰囲気に、レナは緊張し、ラゴウは警戒した。

 一方、男は肩を竦めて。


「ああ。そう言えば、オトハはお前の女になったのだな。まあ、それはそれで俺としては寝取る楽しみに変わっただけだが」


 堂々とそう言い放つ。

 殺気が、さらにVIPルームを満たした。

 ラゴウは双眸を鋭くし、レナはかなり委縮する。彼女にとっては、まるで魔獣のアギトの中にいるような気分だった。

 だが、男は飄々としたもので。


「ふん。少しは獅子の顔になったか」


 そう嘯いてから、ラゴウに「《双金葬守》とレナ選手にワインを」と告げた。

 ラゴウは「は」と告げて、ワインバーに向かった。

 アッシュは小さく嘆息して、男――《黒陽社》の長・ゴドーを睨みつけた。


「さて。ゴドーのおっさんよ」


 本題を告げる。


「どうしてご招待していただけたのか、話を聞かせてもらうか」

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