第449話 譲れない願い⑥

「お、おい! あんた!」


 会場が大いに盛り上がる中、ライザーは近くの男性に詰め寄った。

 通路沿いの観客席で立っていた男性客。

 年の頃はライザーより少し上ぐらいの青年か。

 ミランシャの名を連呼していた男性の一人である。

 肩を掴まれて、男性はライザーの方に振り向いた。


「何だよ! 今いい所なんだぞ!」


 男性が不快感を丸出しに叫ぶが、ライザーはそれどころではなかった。


「いいから教えてくれ! なんであんたはミランシャさんのことを知っているんだ!」


「はあ?」男性は、訝しげに眉間にしわを寄せた。「そりゃあ、俺もハウル特急便を利用したことがあるからだよ」


「ハ、ハウル特急便……?」


 ライザーが困惑した様子で反芻する。


「知らねえのか?」男性は話を続けた。「ミランシャちゃんは少し前まで、この国で飛行型の鎧機兵で空輸業をしてたんだよ」


「空輸業!?」


 ライザーは目を剥いた。


「そんなものが可能なのか!?」


「可能だったんだよ。ミランシャちゃんならな」


 男性はそわそわと何度もビッグモニターと、戦う二機に目をやった。

 一方、ライザーは茫然としていた。

 空輸業の件にも驚いたが、彼女が以前にもこの国に来ていたことがより驚きだった。

 ――何故、異国の公爵令嬢である彼女がこの国で働いていたのか?

 疑問を抱くが、「けどよお」という男性の無念そうな台詞に遮られた。


「ミランシャちゃんってさ。すっげえ綺麗なのに人懐っこくってさ。瞬く間に大人気になったんだけど、一つヘコむ噂もあってさあ……」


「……噂?」


 ライザーが眉をひそめると、男性はビッグモニターの女豹のごとき、ミランシャの姿を見やり、「ぬうゥ」と唸った。


「実は、ミランシャちゃんには――いや、ミランシャちゃんもって言うべきだな。彼女も師匠の嫁さんの一人だって噂があんだよ」


 数瞬の沈黙。


「――――はあ!?」


 ライザーは目を見開いて叫んだ。


「し、師匠の嫁!? ミランシャさんが!?」


 愕然とした表情で男性の肩を掴んで揺さぶった。

 男性は「お、おう……」と頷いた。


「結構信憑性のある噂だよ。当時、ミランシャちゃんは師匠の工房で世話になってたみたいだしな。師匠のことを自分の旦那とか呼んでいたそうだ」


 その台詞に、ライザーは言葉もなかった。

 が、同時に思い出す。

 グレイシア皇国のハウル公爵家のご令嬢。

 彼女は師匠の弟と共に、この国にやってきたそうだ。

 ならば、彼女が師匠と知り合いである可能性は、少し考えれば連想できることだった。

 だが、ライザーはそれを考えないようにしていた。

 考えてしまうと、絶望しかないことが分かっていたからだ。


「……………」


 ――ガクン、と。

 生気を失った眼差しで、ライザーは両膝を突いた。

 彼の様子に、男性は憐れむような視線を向けた。


「その様子だと知らなかったみたいだな」


「あんたは……」


 ライザーは茫然とした目で男性を見上げた。


「どうして、そこまで彼女を応援できるんだ?」


 この絶望を知って、どうして彼女に声援を贈れるのか。

 すると、男性は透き通った湖のような、とても澄んだ笑みを見せた。


「確かに、俺もミランシャちゃんが師匠の嫁って聞いた時は辛かったさ。けどさ。俺が惚れたのは彼女の笑顔なんだ」


「……笑顔」


 ライザーは反芻する。

 ――そうだ。自分もそうだった。

 男性は頷き、言葉を続ける。


「彼女の笑顔は、俺にとっては太陽なんだ。彼女の笑顔を守れるのなら相手は俺じゃなくてもいい。それが俺の決意だ」


 そう言って、男性は前を向いた。

 そして両手を構えて――。


「頑張れ! ミランシャちゃん!」


 彼は、精いっぱいの声で叫んだ。

 ライザーは両膝を突いたまま、そんな男性の背中をみつめていたが、


(何を呆けているんだ。俺は)


「……そうだ」


 ぐぐっ、と片膝を上げた。

 いま彼女は戦っているのだ。

 ならば、自分がすべきことは一つだけだった。

 立ち上がろうとするライザーの様子に気付いた男性客は、ニヒルな笑みを見せてライザーに手を差し伸べた。


「立てるか? 兄ちゃん」


「ああ、立てるさ」


 グッと手を掴む。


「俺はあんたほどには割り切れないよ。まだ彼女を諦めきれない。たとえ、恋敵があの師匠であってもさ。けど、いま俺が――いや、俺たちがすべきことは……」


 そう呟き、ライザーはビッグモニターに映る愛しい人の姿を見つめた。

 懸命に戦い続ける彼女の雄姿を。

 そしてライザーは叫ぶ!


「頑張れ! ミランシャさん!」


 案外、いじましいライザーだった。



       ◆



 ――ギィンッッ!

 激しい金属音が鳴り響く。

 これで幾度目の衝突になるのか。

 《アトス》と《白牙》の戦いは激しさを増していた。

 アッシュたちの下馬評では、ミランシャがかなり優勢だったのだが、予想に反してシャルロットは接戦に持ち込んでいた。

 これもまた愛の深さのなせる業か。


『――はああッ!』


 シャルロットが叫び、《アトス》が大剣を薙ぐ!


『――クッ!』


 ミランシャは咄嗟に《白牙》に盾を構えさせた。

 ――ガァンッ!

 互いに衝撃が伝わる。

 ビッグモニターでは、二人の緊張した様子が見られた。

 まあ、多くの男性客の視線は、衝撃でたゆんっと大きく揺れたシャルロットの胸に釘付けだったが。ちなみに、ミランシャも多少は揺れたが、注目度はあまり高くない。

 彼女に対して注目されるのは、そのしなやかな脚線美だろう。

 どうしても不躾な視線が二人に集まる。

 しかし、二人に、そんなことを気に掛けている余裕などなかった。


(ああ! 扱いづらいわね!)


 ミランシャは唇をきつく噛んだ。

 実家の兵団から借用したこの機体。

 比較的にオーソッドクスな機体を選んだのだが、やはり本来の操手の癖があった。

 熟練した操手ほど愛機には強い癖が残るものだ。皇国騎士団の上級騎士にも劣らないと謳われる白狼兵団の機体ならば、これも当然だった。


(もう少し期間があれば、もっと慣れることも出来たのに!)


 大会までの期間の短さに歯噛みする。

 いかに《七星》の一角といえども、癖の付いた機体を乗りこなすには相当な時間がかかるものだ。ミランシャは完全には機体を掌握できずにいた。

 ――思考に対する、機体のわずかな反応の遅さ。

 それが隙となる。

 結果、ミランシャの今の戦闘力は、皇国の上級騎士よりも少し上程度だった。

 あと二、三日でも日数があれば、話は違っていただろうが。


 一方、シャルロットは、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。

 大剣の切っ先にまで意志が伝わるように、集中力が高まっている。

 それも当然だ。

 彼女は今、恐らく生まれて初めて自分の願いのためだけに戦っているのだから。


(私は絶対に勝つんです!)


 ――ズンッ!

 《アトス》が地を蹴って跳躍した。

 上段から大剣を振り下ろす!


『――クッ!』


 《白牙》は再び盾で斬撃を防いだ。

 しかし、恒力値で上回りながらも《白牙》の両足は大きく沈み込んだ。

 重量以上に重い一撃だった。


(今でも思います。私はどうしてあの日、あるじさまに求めなかったのでしょうか……)


 操縦棍を握りしめつつ、シャルロットは過去に想いを馳せる。

 ――あの日。

 水晶の街で迎えたあの夜。

 彼女は、彼に甘えることが出来たはずだ。

 あの街で起きた異常事態に対し、素直な不安を見せて。

 彼の優しさと罪悪感につけこんで、彼に抱かれることが出来たはずだった。

 そうしてそのまま、ずっと彼の傍にいることだって――。


『――私は!』


 シャルロットは叫ぶ!


『あなたに勝って! この大会で優勝して!』


 《アトス》が竜尾を《白牙》に叩きつける。


『彼にご褒美をもらいます! お願いを聞いてもらうんです! 私は今度こそあるじさまのものになります! あるじさまと結ばれるんです!』


 それは、まさに身も蓋もない宣言。本音そのものの台詞だった。

 普段は控えめな彼女も、戦闘という熱気の中で、本心がつい口から出たのだ。

 観客席では「まあ! シャルロットったら!」とリーゼが口元を押さえて目を丸くし、ジェイクが青ざめて「――ガハッ!」と胸を押さえていた。コウタが慌てて「し、しっかりするんだ! ジェイク!」と叫んでいるのが印象的だった。


『おおっと! これはスコラ選手の爆弾発言! どうやら、スコラ選手は優勝するとご褒美がもらえる模様です! 彼女の本業は現役のメイドさんとのこと! もしや、これは主人との道ならぬ恋なのか!』


 と、司会者が意気揚々と語る。

 観客席は沸いた。意外にも男性客ではなく女性客の黄色い声だ。

 その様子を、アッシュは遠い眼差しで眺めていた。


「……アッシュ」


「……クライン」


 両隣から、愛する女性たちの声が聞こえてくる。

 オトハが腕を組んで、ジト目で尋ねてくる。


「いつ、そんな約束をしたんだ?」


「い、いや? シャルとそんな約束をした覚えは……」


 アッシュがしどろもどろになっていると、今度はサクヤがジト目を向けてきた。


「勝ったらお願いを聞くって……サーシャちゃんとレナの話だよね? もしかしてサーシャちゃんとレナ以外にもその話って適用されているの?」


「えっ? そ、そうなのか?」


 サクヤの指摘に、アッシュは目を丸くした。

 確かにあの二人とは約束した。

 しかし、どうしてその話がシャルロットにまで伝わっているのか……。


「……アッシュ」


 と、ユーリィまでがジト目を向けてきた。

 いや、彼女の場合はアッシュの前まで移動している。


「ずるい。出場者だけご褒美を用意するのは。やっぱりここで抱っこして」


「いや! だからそれはダメだからな!」


 アッシュは膝の上に乗りかかろうとするユーリィの両頬を押さえた。

 ともあれ、戦闘は続く。


『――うっさいわね!』


 今度は、ミランシャが吠えた。


『アタシの方は本当に切羽詰まっているのよ! シャルロットはこれからずっと傍にいられるじゃない! アタシはまた帰国しなきゃならないのよ!』


 ミランシャの叫びと共に《白牙》が駆ける!

 瞬く間に間合いを詰めて、長剣の刺突を繰り出した。《アトス》は、咄嗟に大剣の剣腹で受け止めて事なきを得る。

 しかし、間髪入れずに《白牙》は盾で《アトス》を殴りつけた!


『――くうッ!』


 愛機を大きく揺さぶられて、シャルロットが呻く。

 ミランシャは、なお叫ぶ。


『アタシは今だけなの! 今しかないの! 当分彼には会えないのよ! だからお願いを聞いてもらうのはアタシ! 彼に愛してもらうのはアタシなの! それに、アタシはもう覚悟だってしてるんだから!』


 一拍おいて、彼女は声を張り上げた。


『この機会に、あのクソお爺さまも黙らせてやるわ! あのクソお爺さまだって、相手なら甘い顔をするかもしれないじゃない!』


 一瞬の沈黙。


『――ミランシャさま!?』


 シャルロットは目を瞠った。


『まさか、そこまでお願いする気だったのですか!?』


『そ、そうよっ!』


 ミランシャは、どもりながらも返した。


『ひ、一晩だけじゃないんだから! 確信するまでよ! そう! アタシは彼にいっぱいお願いするの! 誰にも邪魔なんかさせないわ!』


 ミランシャは顔を真っ赤にして再び叫んだ。


『彼に愛されるのはアタシなんだから!』


「「「―――ぐはっ」」」


 彼女の叫びに、血を吐いたのは観客席にいたミランシャ派の男性客たちだった。

 ライザーもまた片膝を突いて、荒い息を繰り返している。

 今にも、奈落の底にまで落ちていきそうな顔色だった。

 ミランシャを愛する彼らには分かる。

 今の発言による彼女の本気度が。

 一方、アッシュは、


「へえ……」


 どうにかユーリィを自席に座らせてから、ポツリと呟いた。


「ミランシャの奴、この国に好きな男がいたのか」


「「「―――え?」」」


 サクヤとオトハ、ユーリィの声が重なった。

 アッシュは、少しだけ不快そうに眉をしかめた。


「けど、一体どんな野郎なんだ? いや、あいつが本気で惚れてんのなら俺が口出しするような話じゃねえんだが、あいつは結構箱入りだしな……」


 と、あごに手をやって考え込んでいる。


「え? ちょっと、ちょっと待って。トウヤ?」


 サクヤが、思わず昔の名で呼んだ。

 少し青ざめつつ、サクヤはクイクイと隣に座るアッシュの袖を引っ張った。


「今のミランシャさんの宣言。トウヤの中でどんなふうに解釈されたの?」


「……へ?」


 アッシュはサクヤを見つめて目を瞬かせた。それから両腕を組んで。


「いや。ミランシャの奴も、この大会で優勝したら、誰かに願い事を聞いてもらえるってことなんだろ。話の内容からして、多分惚れた男と約束したみてえだな。あいつにそんな奴がいるなんてちょっと意外だったよ。本当にどんな野郎なんだろうな……」


 と、そんなことを宣う。


「ト、トウヤ?」


 サクヤは、唖然とした。

 彼が、ミランシャに惚れた異性がいるということで、少なからず不快感を抱いているのは分かる。最後の台詞では、その感情が隠せずに滲み出ていた。

 ミランシャもまた、彼に大切に想われている証だ。

 ただ、その相手の異性が自分であるとは思ってもいないようだ。


「……ほ、本気で言ってるの?」


 サクヤは、軽く喉を鳴らした。

 その様子に、ユーリィが額に手を当ててかぶりを振る。


「これが、アッシュの通常運転……」


「え、け、けど、昔はここまで酷くはなかったよ?」


 と、サクヤが前に覗き込んでユーリィに告げた、その時だった。


「……


 不意に、アッシュは本名で呼ばれた。

 サクヤではない。オトハだ。

 アッシュは、大きく目を見開いた。


「オ、オト?」


 アッシュは困惑する。

 オトハは、極めて不機嫌そうな様子でアッシュを見つめていた。

 彼女がその名で自分を呼ぶのは特別な時だけだ。

 それを、今ここで呼ぶとは――。


「私はミランシャ=ハウルが嫌いだ」


「お、おう。そっか」


 淡々と語るオトハに、アッシュは気圧される。


「あいつとは色々と張り合っていたからな。大分マシになった今でも好きになったとは言い難い。だが、それでもあいつには恩がある。今となっては同志でもある。だから」


 オトハは、ムスッとしたアッシュの片頬を引っ張った。


「この現状は見過ごせない。トウヤ。まず、あいつにそんな男はいないということだけは理解しておけ。そしてこの大会が終わったら、ミランシャについて話がある。いいな」


「お、おう。分かったよ」


 頬を引っ張られたまま、アッシュは頷く。

 その様子に、ユーリィとサクヤは少し驚いた。


「意外。オトハさんがミランシャさんをフォローしている」


「けど、オトハさんとミランシャさんって、そこまで仲は悪くないと思うよ。性格がかなり違うから少し折り合わないだけだと思う」


 と、双金コンビは言う。

 ともあれ、ミランシャの件は、オトハに任せておけば大丈夫だろう。

 サクヤたちは、再び舞台に目をやった。

 ほぼ同時に響く大声援。

 戦闘は、まさに佳境に入ろうとしていた。

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