第六章 願い事一つだけ

第433話 願い事一つだけ①

「……………は?」


 クライン工房隣の大広場。

 やって来るなり陽気な笑顔で、「オレと決闘しようぜ!」などと告げてきたレナに、当然ながら、アッシュは眉をひそめた。


「お前、何言ってんだ?」


 当然の質問が出てくる。

 その場にいるサーシャや、オトハ、ユーリィもキョトンとしていた。

 すると、レナは、グッと右拳を固めてこう言った。


「まどろっこしい真似はもう止めだ」


 男前に笑う。


「ここは傭兵の流儀で行こうじゃねえか」


「いや。俺は職人だぞ。なんで傭兵の流儀が出てくんだよ」


「まあ、いいから聞けよ」


 アッシュのツッコミを切り捨てて、レナは言葉を続ける。


「アッシュも元傭兵なら、傭兵にとっての決闘って知っているよな。互いに対等な何かを賭けて戦うやつだ」


「そいつは知ってるが……」


 何となく昔を――初めてシャルロットと出会った日を思い出して、アッシュは少し頬を引きつらせた。まさしく、あれこそそうだった。

 結果、シャルロットは今、この国に来ているのだ。


「オレは、アッシュをオレの仲間にしたい」


 レナは、真っ直ぐアッシュを見据えて告げた。

 真剣な彼女の様子に、アッシュも、オトハたちも面持ちを改めた。


「けど、そのためにはアッシュは店まで畳まねえといけねえ。そいつは決断するには重すぎるだろ。だからさ」


 レナは右の拳を突き出した。


「鎧機兵戦で決闘だ。オレが勝ったら、アッシュはオレの仲間になる」


「いや、お前な……」


 ボリボリと頭をかくアッシュ。


「俺の賭けるものは転職とこの店か? 重すぎんだろ。そもそも仲間の件はもう断ったじゃねえか。決闘を受ける理由がねえよ」


「話は最後まで聞けよ」


 レナは、拳をアッシュの胸板に押し付けて告げる。


「この店を賭けるんだ。オレだって相当の代価を用意するさ」


 アッシュは眉根を寄せた。


「……一体何を……あっ」


 そこで思いつく。


「もしかして《夜の女神杯》の優勝賞金か? 確かに金貨二百枚は相当な大金だが、流石にこの店と釣り合いは……」


「それじゃねえよ」


 レナは、かぶりを振った。


「それは、アッシュが傭兵に戻るための支度金にするんだ」


「いや。勝手に支度金にすんなよ」


 アッシュは苦笑いを浮かべた。

 次いで、純粋な疑問としてレナに尋ねた。


「けどよ。ならレナが賭けるもんってなんだ? 何を賭けるつもりなんだ?」


「おう! よくぞ聞いてくれた!」


 すると、レナはニカっと笑って答えた。


「オレ自身だ!」


 一拍の間。


「……………は?」


 アッシュは眉をひそめた。

 サーシャ、オトハは目を丸くし、ユーリィは少し表情が消えた。


「そう! オレ自身さ!」


 レナは、自分の豊かなおっぱいをポンと叩いて、再度宣言した。


「アッシュが勝ったら、オレを好きにしてもいいぜ!」


「す、好きにって……」


 と、これはサーシャの声だ。

 口元を両手で押さえて、耳まで真っ赤にしている。

 一方、アッシュは半眼だった。


「……お前な。自分が何を言ってんのか、分かってんのか?」


「ああ! 当然分かっているさ!」


 レナの態度は揺るがない。

 満面の笑みのまま、アッシュに向かって大きく頷いた。


「アッシュの店の等価だからな。覚悟はしてるよ。オレを好きにしていいぜ。負けたら傭兵は引退だ。タダ同然の店員としてコキ使ってくれていい」


「……ああ、そういう意味かよ」


 それはそれで問題のような気はするが、アッシュが少し表情を和らげた。

 ――が、レナの台詞はさらに続いた。

 グッと親指を立てて。


「もちろん、エッチなことだって込みだぞ」


「……………………………おい」


「体力には自信があっからな! 毎晩だって覚悟済みだ! アッシュが望むのなら挟むし、どんな体位だってOKだぞ! 子供だってむしろ望むところだし――」


「おい。待てレナ。ステイだ。レナ」


 アッシュは額に青筋を立てた。


「お前、何を言ってんだ?」


「え?」レナはキョトンとした。が、すぐにポンと手を打って彼女は笑った。


「大丈夫。オレの初めては全部アッシュのもんだぞ。キスだってまだなんだ。だって、オレはまだ処女で――」


「うん。ステイ。レナ、ステイ。ちょいと歯を喰い縛ろうな」


 そして次の瞬間。


「――わふんっ!?」


 非常に珍しく。

 というよりも、生涯で初めて、女の子の頬をはっ倒すアッシュの姿がそこにあった。

 まあ、正確に言えば、レナの頬を殴打にならない程度で荒く掴み、そのまま横に放り投げたというのが正しいのだが。


「何すんだよ! アッシュ!」


 当然、無傷でレナは戻ってきた。


「それは俺の台詞だ!」


 アッシュは再び青筋を浮かべた。


「いきなり何口走ってんだよ、てめえは!」


「え? だって、アッシュは大きなおっぱいが好きなんだろ?」


 自分の豊かな胸を両手で挟みつつ、純真な顔で、レナはそんなことを言ってくる。

 アッシュはさらに怒鳴った。


「誰情報なんだよ! それは!」


「え? サクだけど?」


「――サクヤあッ!?」


 驚愕するアッシュをよそに、レナはオトハとサーシャを指差してさらに告げた。


「それに、オトハもサーシャも、おっぱい大きいし」


「え」「い、いや……」


 いきなりそう言われて、サーシャとオトハが顔を赤くした。


「なあ、オトハ」


 レナは、オトハに視線を向ける。次いで、とんでもない質問をしてきた。


「サクから聞いたんだけど、オトハってもうアッシュとエッチなことしたんだろ? どんな感じだったんだ?」


「―――――え」


 一瞬ポカンとするオトハ。が、すぐに、


「――なななッッ!?」


 激しく狼狽して後ずさった。対し、レナはどんどん前に進んでいく。


「なあなあ。どんなんだったんだ?」


 穢れのない無垢なる眼差しで、レナが聞いてくる。

 オトハは後ずさりしながら、何度もアッシュに視線を送った。

 オトハの瞳は、ぐるぐると回り始めていた。


「その、私と、ク、クラインは……トウヤは……」


「お、おい! オト! やめろレナ! オトはその手の話に弱いんだ!」


 慌ててアッシュが止めようとするが、オトハは完全にパニックになっていた。

 自分の胸元に視線を落とし、二度に渡る夜を思い出して……。

 ――ぷしゅうう……。

 そんな音が出そうなぐらい、頭から湯気を出した。

 そして、大きな胸を隠すように両手で覆って、その場に座り込んだ。

 三角座りで視線は地面を向いている。完全に停止状態だ。


「オ、オトっ!?」


 アッシュもつられて顔を赤くした。

 すると、レナは、それ見たことかと胸を張った。


「やっぱそうじゃねえか。アッシュは大きなおっぱいが好きなんだ」


「止めろっ!? 風評被害だぞっ!? それっ!?」


 アッシュが叫ぶ。と、


「――異議あり!」


 ユーリィが手を上げて、声を張り上げた。


「ん? 何だよ。がきんちょ」


 レナがそう言うと、ユーリィはムッとした顔で答えた。


「確かにアッシュは大きなおっぱいが好き。それは認めざるを得ない」


「おおォいっ!? ユーリィ!?」


 アッシュは、愕然とした顔で愛娘を見やる。

 一方、可愛い愛娘は「だけど!」と言葉を続けた。


「アッシュは性格重視! それはすべてに優先されることなの!」


「……ふん」


 しかし、その異議をレナは鼻で笑った。


「確かにアッシュは性格重視かも知んねえ。けど現実を見ろ。あれを見てみな!」


 レナは、座り込むオトハを指差した。ユーリィは目を瞠った。


「そしてあれも見ろ!」


 次いで、サーシャを指差した。主に胸部を。

 サーシャは「え、えっと……」と顔を赤くして肩を震わせた。


「そんでサクを思い出せ!」


 レナは、トドメとばかりにユーリィの眉間を指差した。

 ユーリィは、愕然とした表情を浮かべた。

 続けて、恐る恐る自分の胸元に視線を落とす。

 確実に成長はしている。凹凸もあって今も膨らみかけだ。

 けれど、サクヤの胸を思い出して……。


「………………ぐふ」


 絶望の表情を浮かべるなり、その場にガクンと座り込んだ。


「――ユーリィ!?」


 愛娘の撃沈に、アッシュは駆け寄ろうとする。

 ――が、


「なあなあ、アッシュ」


 忍び寄ってきたレナに、片腕を掴まれてしまった。

 続けて彼女は豊かな胸を目いっぱいに押し付けて、こう告げた。


「アッシュは、大きなおっぱいが好きなんだろ? な、いいだろ。ちょっとだけ。ちょっとだけだから決闘しよ? ちなみに、オレが勝った場合でも夜の件はOKだ。オレはアッシュが好きなんだ。アッシュだけの女になるつもりなんだ」


「お前、さりげなくとんでもない宣言をしてきてんな!?」


 直球で愛の告白をされて、流石にアッシュも顔が少し赤くなる。

 一方、レナは変わらず直球だ。さらに胸を腕に押し付けて。


「うん。オレはアッシュの女になるんだ。そこは確定だな。あとはアッシュが傭兵になるかどうかなんだよ。なっ、いいだろ? 決闘ぐらい。だって、勝っても負けても、アッシュはオレのおっぱいを好きに出来るんだぜ」


「お前な!? それはそれでセクハラなんだぞ!?」


 もう一度放り投げてやろうか、と考えた時だった。


「先生。落ち着いてください」


 唯一健在であるサーシャが、そう声を掛けてきた。


「ここは私に任せてくださいませんか」


 愛弟子は穏やかに微笑んで語る。アッシュは「お、おう」と頷いた。


「……何だよ。サーシャ」


 敵の気配を感じ取ったか、レナがアッシュの腕を離して、サーシャの前に立つ。

 サーシャは微笑みを絶やさずに、


「先生が大きなおっぱいが好きなことは、とても良いことですが――」


「え? メットさん……?」


 アッシュの困惑の声を無視して、言葉を続ける。


「自分の人生すべてを賭ける決闘なんて、同じ女性として見過ごせません」


 実は以前、自分も同じような決闘をしたことがあるのだが、サーシャは棚に上げた。

 そもそもレナの知らないことであり、全く関係のない話だ。

 サーシャは話を続ける。


「いきなり決闘というのもやりすぎだと思います。だからこうしませんか?」


 一拍おいて。


「《夜の女神杯》」


 サーシャは、悪戯っぽく頬に指を当てて告げた。


「そこで優勝した人が、先生に一つだけ何かをお願いできることにするんです」


「……へえ。面白れえことを言うな」


 レナは不敵に笑った。


「要はオレが優勝したら、アッシュに決闘をお願いするってことか」


「はい。そういうことです」


 サーシャは、にっこりと笑って答える。

 まるで聖女のような微笑だが、そこには揺るがない意志があった。

 レナは、双眸を細めた。


「……面白しれえな。サーシャは」


「そうですか?」


 小首を傾げるサーシャに対し、レナは笑った。


「いいぜ! 受けてやらあ!」


 レナは、話に置いてけぼり状態のアッシュに目をやった。


「お前もそれでいいよな! アッシュ!」


「お、おう?」


 それは困惑の声だったのだが、レナは承諾と受け取った。


「決まりだな!」


 ニカっと笑う。


「今日は帰るよ! オレの愛機は明日取りに来るからさ! メンテナンスの方、しっかり頼むぜ! アッシュ!」


 言って、レナは走り出した。

 元気娘の姿は、みるみる内に見えなくなった。

 それを見届けてから、サーシャは、アッシュに微笑みながら告げた。


「それじゃあ、それでよろしくお願いしますね。先生」


「え、いや、それでって……」


 アッシュが困惑していると、サーシャは両の拳を固めて宣言する。


「大丈夫です。私が先生のお店を守りますから」


「あ、そういうことか」


 ようやく得心がいく。

 サーシャは、まず自分から決闘を引き受けてくれたのだ。サーシャが勝てればよし。負けても次はアッシュが控えている。二段構えの構図だ。


「ああ、悪りい……」


 ボリボリと頭をかきながら、サーシャの元に近づいていく。

 何というか、色々と暴露された気分でまだ顔が少し熱い。ちらりと目をやると、ユーリィもオトハもまだ座り込んでいた。


「メットさんは全然関係ないのにな。レナの奴も無茶苦茶言ってくれるよ」


「ふふ、気にしないでください」


 サーシャは微笑む。


「それに、私が優勝したら、お願い事を聞いてもらうのは一緒ですから」


「うわ。そうなるのか」


 アッシュは、ポリポリと頬をかいた。


「まあ、そん時はお手柔らかに頼むよ」


「ふふ、そうですね」


 そこで、サーシャは視線を落とすように、自分の胸元に目をやった。

 数瞬の沈黙。

 サーシャは顔を上げると、にへらと笑った。


「ふふふ、そこまで無茶な願いは言いません。ただ、先生……アッシュにしか出来ないことを願うつもりですけど」


「ん? そうなのか?」


 アッシュは、小首を傾げた。


「はい。私のお願い事はその時まで秘密ということで。それじゃあ先生」


 サーシャは、ぺこりと頭を下げた。


「今日の講習、ありがとうございました。今日はこれで失礼します」


「おう。復習も忘れずにな」


 アッシュは、ポンとサーシャの頭に手を乗せた。

 愛弟子は嬉しそうに微笑む。


「はい。では、失礼します」


 言って、クライン工房の壁沿いに置いてあったブレストプレートを装着し直し、ヘルムを脇に抱えると、サーシャもまた去って行った。

 その場に残されたのは、アッシュと、未だ沈黙するオトハとユーリィだけだ。

 アッシュは、しばし困った顔で二人を見つめていたが、


「……あれ?」


 ふと、気付く。


「願い事って……なんか、俺にメリットが一つもなくねえか?」

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