第409話 目覚める本懐⑤

 場所は変わり、クライン工房前。

 まさに、アッシュが勝利宣言をした頃。

 もう一つの戦いもまた、終焉を迎えようとしていた。

 はあ、はあ、はあ……。

 荒い息が零れる。

 オトハは、うつ伏せに倒れ込んでいた。

 小太刀はすでに手から離れ、遠くに落ちている。


「……ぐ、う」


 オトハは右腕で体を支えて、ゆっくりと上半身を浮かせる。

 次いで、ふらつく両足に力を込めて、どうにか立ち上がった。


「おお~」


 と、感嘆の声が零れる。

 ゴドーの声だ。


「苦痛を堪えて立ち上がる姿もまた艶めかしいぞ。中々そそるものがあるな。満身創痍でもなお美しい。流石は俺のオトハだ」


「…………」


 オトハは、突き刺すような眼差しをゴドーに向けた。

 しかし、意識は今にも飛んでしまいそうだった。

 何度も盾にした左腕にはすでに感覚はない。

 痛みもないが、すでに骨折している可能性もある。

 もはや勝機はない。

 だが、それでもオトハの闘志は衰えてなかった。


「……ふむ」


 ゴドーは顎髭に手をやった。

 すでに儀礼剣は不要と考えたか、懐に締まっている。


「本当にオトハは気が強いな。ここまでやられれば、普通は心が折れるものだが」


「……うる、さい」


 オトハは、絞り出すように声を出した。


「誰が、お前なんかに、屈する、ものか。お前に、穢される、ぐらいなら……」


「……死を選ぶか」


 ゴドーは目を細めた。


「お前のような誇り高い女は、確かにそれを選ぶ者が多い。だが、俺としては、それは興ざめなんでな」


 小さく嘆息する。


「まずは矜持からと思っていたが、止むを得んか。方針を変えよう。このまま自害でもされては困るからな。まずはお前を攫って俺の女にする。最初は屈辱と感じるだろうが、いずれはお前から俺を求めるように変えてやるから安心しろ」


「……お前、本当に、気持ち悪い」


 オトハは、息が絶え絶えでも、それだけは告げた。

 ゴドーは笑う。


「そう思うのも今だけだ。一月後には心変わりもしているさ」


 そう告げた直後、ゴドーはすっと消えた。

 オトハが目を瞠る。

 そして次の瞬間には、ゴドーはオトハの背後に回っていた。

 オトハは、愕然とした表情で後ろに振り向く。


「貴、様……」


「今は眠れ。オトハ」


 オトハの首筋に手刀を落とすべく、ゴドーは右腕を構えた――その時だった。


「――む」


 不意に、表情を険しくする。

 ゴドーは瞬時に左腕を構えた。

 ――ダンッ!

 直後に襲い来る強い衝撃。


「……ほう」


 左腕を構えつつ、ゴドーは間合いを取った。


「……何者だ?」


「……それは、アタシの方が聞きたいわよ」


 そこいたのは、騎士服姿のミランシャだった。

 長い右脚を水平に伸ばして構えている。

 ゴドーを襲った衝撃は、ミランシャの水平蹴りだった。


「――オトハさま!」


 言って、もう一人の人物もオトハの傍に駆け寄った。

 メイド服姿のシャルロットだ。

 シャルロットは、今にも崩れ落ちそうだったオトハの体を支えた。


「あなた、一体誰よ?」


 ミランシャは蹴りの構えを解いて、ゴドーを睨み据える。


「……ほう」


 すると、ゴドーは顎髭に手をやり、まじまじとミランシャを観察した。


「これはまた見事な美貌の持ち主だな。胸こそオトハにかなり劣るが、すらりとした両足に申し分のない腰つき。尻の肉付きもよい。何より気が強そうなところが俺好みだ」


「……うん。とりあえず、あなたが変態であることは分かったわ」


 うんざりするような眼差しで、ミランシャは告げる。と、


「気を、つけろ。ハウル。そいつは……」


 その時、シャルロットに肩を貸してもらっていたオトハが口を開く。


「《九妖星》の、一人だ。それも、恐ろしく、強い」


 その台詞に、ミランシャは勿論、シャルロットも表情を険しくした。


「まあ、そんな気はしていたけどね」


 ミランシャは、静かに腰の短剣に手をやった。

 あのオトハをここまで追い込む相手だ。

《九妖星》以外には考えられない。


「………ん?」


 しかし、オトハの台詞に、目を丸くしたのはゴドーだった。


「いや、待て、オトハよ。誰が《九妖星》だ?」


「……な、に?」


 オトハは満身創痍ながらも眉をしかめた。

 ミランシャ、シャルロットも同様の表情を浮かべている。と、


「俺は《九妖星》ではない」


 ゴドーは告げる。


「俺の《黒陽社》における称号は《黒陽》だ。《九妖星》の主。《黒陽》のゴドー」


 そこで、ニヤリと笑う。


「お前の主にもなる男の名だ。きちんと憶えておけ」


 ――シン、と。

 空気が張り詰める。

 オトハも、ミランシャも、シャルロットも。

 全員が、ただ茫然としていた。

 沈黙が続く。と、ようやく、ミランシャが口を開いた。


「……ちょっと、オトハちゃん……」


 視線はゴドーに向けたまま、オトハに尋ねる。


「なんか、想定する中でも最悪の名前を聞いた気がするんだけど?」


「い、いや、これは……」


 オトハも困惑した様子で返す。

 シャルロットは、もう眉をしかめるだけだ。


「フハハッ! まあ、俺がこの名を告げることなど滅多にないからな!」


 言って、ゴドーは胸を張る。

 が、おもむろに両腕を組んで。


「しかし、この状況は、あまり宜しくないな」


 ミランシャに目をやる。


「その美貌と、燃えるような赤い髪。察するにお前はミランシャ=ハウルだな。レオスが執着するハウルの爺さんの孫娘。噂に名高い《七星》の三美姫の一人か」


「……美姫とか言われると恥ずかしいんだけど、その通りよ」


 ミランシャは困惑した顔で返す。

 ゴドーは再び、吟味するように彼女を観察した。


「本来ならば、今日はオトハを俺の女にする予定だった。その運命だったはずなのだ。しかし、どうも話が違うな」


 ゴドーは首を傾げた。


「『再会の時』とは今ではなかったのか? オルドスの予見は読み違えると全然違うことになるからな。ふ~む」


 しばし、あごに手をやって唸る。

 そうして、


「まあ、いい」


 ゴドーは決断した。


「やはり今回はまだ時機ではなかったのだろう。ここはお暇することにしよう。だが、ただオトハを痛めつけるだけで退くのも何だしな」


 そう言って、ゴドーは、ミランシャを指差した。


「決めたぞ」


「……何をかしら?」


 ミランシャは、鋭い瞳でゴドーを睨み据えた。

 そんな敵意を宿した眼差しを前に、ゴドーはニヤリと笑った。


「ミランシャ=ハウル。お前も俺の女にすることにしよう」


「…………は?」


 眉をしかめるミランシャに、ゴドーは両手を広げて答える。


「お前も俺の妻にするのさ。まあ、今すぐではないがな。オトハが十二番目。お前が十三番目の妻ということだ」


 数瞬の沈黙。

 ミランシャは真顔でゴドーを見据えたまま、オトハに問う。


「オトハちゃん。何なの? この気持ち悪いおじさんは?」


「……私が、聞きたい」


 疲労困憊であっても、うんざりした様子で答えるオトハ。

 ちなみにシャルロットは、自分に飛び火しては堪らないので無言を貫いている。

 すると、ゴドーが「フハハハハッ!」と腰に両手を当てて笑った。


「ともあれ、今回はここで俺はお暇しよう。未来の妻達を前に名残惜しいが、あまり時間をかけすぎては《双金葬守》も帰ってくるかもしれん。奴だけは俺も怖いからな」


 そう言って、ゴドーは背を向けて歩き出す。

 一見すると隙だらけの姿だ。しかし、ミランシャは斬り込めなかった。

 斬り込めるイメージが持てなかった。


「ふふ、ではな」


 ゴドーは一度だけ振り向いた。


「オトハよ。ミランシャよ。次こそは二人とも可愛がってやろう」


 ――ぞわわ。

 ミランシャとオトハは、背筋を寒くした。そうこうしている内に、ゴドーの姿は道沿いにどんどん遠ざかっていき、遂には視界から完全に消えてしまった。

 それを見届けて、


「……行ったみたいね」


 ミランシャは、小さく嘆息した。

 が、すぐに顔色を変えると、オトハの方に振り向いて、


「色々と話を聞きたいところだけど、まずは大丈夫? オトハちゃん」


「……大丈夫、だ、と言いたいところだが……」


 オトハは、シャルロットに支えてもらいながら、ミランシャに近づいていく。


「……流石にキツイ。助かった。すまない、ハウル」


 そう言って、頭を下げようとするが、やはり体力を相当消耗しているのだろう。そのまま倒れ込みそうになる。


「――オトハさま!」


「――オトハちゃん!」


 シャルロットが焦り、ミランシャは咄嗟に前に出てオトハの体を支えた。

 慎ましくはあるが柔らかい胸で、オトハの頭を、ポフンと受け止める。


「本当に大丈夫? オトハちゃん」


「……本当に、キツイ」


 オトハは、虚ろな眼差しでそう呟いた。

 それからポツポツと。


「……私は、こないだ甘えたから、今回は彼女のターンだ。それは、分かっている。分かっているんだが……」


 オトハは、ミランシャの胸の中で呟き続けていた。


「こんなにも、酷い目にあったのだ。私だって……」


 そこで、少しだけ頬を膨らませた。


「少しぐらいクラインに甘えたい」


 本音を零す。


「……あらら」


「……まあ」


 ミランシャも、シャルロットも目を丸くする。

 すでに意識が朦朧としているのか、こんな素直なオトハは初めて見る気がする。


「まあ、それはユーリィちゃんに怪我を直してもらってから交渉しなさいよ」


 ミランシャは苦笑を浮かべつつ、オトハの頭を撫でた。


「……むむむ」


 オトハはムスッとした。

 何となく可愛くて、ミランシャは彼女の頭をギュッと抱いた。


「まっ、いずれはアタシも甘えるんだけどね」


 と、自分のアピールも忘れない。


「うる、さい。まずは私から、だ……」


 最後まで負けん気の強さを見せて、オトハは気を失った。

 そろそろ限界だったのだろう。


「ミランシャさま」


 シャルロットが、ミランシャに告げる。


「王城までの馬車を手配します」


「ええ。お願いね。シャルロット」


 オトハの負傷と疲労は、かなり深刻なものだ。

 ここは鎧機兵で移動するより、馬車を用意した方がいいだろう。

 シャルロットは「承知しました」と言って、近くの農家に馬車の借りに行った。

 残されたのは、ミランシャと、彼女の腕の中で眠るオトハだけだ。


(それにしても、オトハちゃんをここまで追い込むなんて……)


 ミランシャは、神妙な顔つきで双眸を細めた。

 ――《黒陽》のゴドー。

 恐るべき男だ。最大級の警戒をすべき相手だろう。


「しかも、何故かアタシまで、とばっちり受けたみたいだし」


 事情はまだよく分からないが、どうやら自分もターゲットにされたらしい。

 ミランシャは、眠るオトハの頭を撫でた。


「アシュ君」


 そして空を見上げた。


「サクヤさんだけじゃないのよ。ちゃんとアタシ達のことも離さないでね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る