第394話 少女は輝く③

「ア、アッシュさん……」


 アリシアは茫然としたまま、再びアッシュの名を呼んだ。

 と、同時にララザが、アリシアの襟を離してくれた。

 アリシアは姿勢を変えて、馬上のアッシュと向き合った。


「ど、どうしてここに?」


「ん? いや、こいつをメルティア嬢ちゃんの所に届けに行くところなんだ」


 言って、荷物となっている零号の頭を叩いた。

 アリシアは眉根を寄せる。


「どうしてその子を?」


「いや、こいつ、一機で俺ンとこに遊びに来たんだが、何か訳わかんねえ思わせぶりなことを言って立ち去ろうとしたんだ。俺も少し雰囲気に呑まれかけてたんだが、冷静に考えたら、やっぱ、こいつ、思考回路が少し壊れてんじゃねえかと思ってな」


 とりあえず追っかけて確保したんだ。

 と、アッシュは続ける。


「……ムウ。マサカ、本気デニゲタノニ、捕マルトハ思ワナカッタ」


 ララザに背中を括りつけられた零号が無念そうに呟く。


「そういうことで、メルティア嬢ちゃんのメンテナンスを受けさせるために、王城まで郵送中ってとこだ。そんで、俺は俺で聞きたいぞ」


 アッシュは眉をしかめた。


「なんで、いきなり馬車が走っているような場所に飛び出そうとしたんだ?」


「そ、それは……」


 アリシアは言葉を詰まらせた。

 考え事をしていた。というよりも、何も考えないようにしていたからだ。

 しかし、そんなことをアッシュには伝えられない。

 アリシアは、グッと唇を噛んだ。

 すると、


「アリシア? どうした?」


 アッシュは眉をひそめて告げる。


「少し顔色が悪いぞ」


「え、そ、そんなことは……」


 と、答える前に、アッシュはララザから降りた。 

 そして、まじまじとアリシアの顔色を観察して呟く。


「やっぱ顔色が悪いな。体調不良だったのか。そうだな」


 アッシュは零号に視線を向けた。


「こいつを王城に届けんのは後にすっか。先に家まで送って行くよ」


「え? い、いえ、そんな……」


 唐突な申し出に、アリシアは困惑した。


「だ、大丈夫です。そこまで体調が悪い訳でもないですし、一人で帰れます」


「馬車にひかれかけといて、何言ってんだよ」


 アッシュは、少し怒ったように告げる。


「ここは遠慮なんかさせねえからな。年長者として」


「………う」


 アリシアは言葉を詰まらせた。

 確かに、馬車にひかれかけたのは事実だ。


「とにかく家まで送る。いいな」


「は、はい……」


 アリシアは、こくんと頷いた。

 アッシュも首肯すると、


「アリシア。自分で馬には乗れそうか? いや、あんまり無理はさせねえ方がいいな。悪りいが失礼するぞ」


 そう言って、アリシアの肩と太股に手を回して、彼女をひょいっと抱き上げた。


「ア、アッシュさん!?」


 唐突すぎるお姫さま抱っこに、アリシアの顔は赤くなった。

 ここは、馬車が結構な速度で行き交う大通りの近くだ。

 先程までいた大通りに比べると人通りは少ないが、それでもまだ人の目はある。周囲からは「おお~」と感嘆らしき声が零れていた。アリシアの顔がますます紅潮する。


「すまん。恥ずいとは思うが、少しだけ我慢してくれ」


「い、いえ、けどアッシュさん?」


 アリシアは、アッシュの顔を見上げた。

 この姿勢から、一体どうやって馬に乗せるのだろうか?

 ――いや、まさか、ずっとお姫さま抱っこで家まで送るつもりなのだろうか?

 アッシュの体力と腕力なら、簡単にこなしてしまいそうだが……。

 と、そんなことを考えていたら、


「ララザ。この子を乗せたい。少し屈んでくれ」


 アッシュがそう言った。

 すると、ララザが前脚を屈伸させたではないか。

 アリシアは目を丸くする。


「え? この子、今ので理解したの?」


「ララザは賢いからな」


 言って、アッシュは、アリシアをララザの鞍に座らせた。

 ララザは彼女の体重を感じ取ってから、前脚を立ち上がらせた。

 アリシアは馬上の人となる。ただ、彼女は鞍の前の方に乗せられていた。


「え、えっと、アッシュさん?」


 アリシアは困惑する。と、


「悪りいな。少し狭いが我慢してくれ」


 アッシュが鐙に足をかけて、ララザの上に乗った。

 鞍に跨る。アリシアのすぐ後ろだ。

 そして、アッシュは両手で支えるようにして手綱を握った。

 前にアリシアをちょこんと乗せるような形。

 要は、アッシュが普段よくユーリィを乗せる時の姿勢である。


「ア、アッシュさん!?」


 アリシアが慌てて、振り向いた。

 アッシュは苦笑しつつ答える。


「後ろだと、もし意識とか薄れたりしたら落ちるかもしんねえからな。窮屈だと思うが、しばらく我慢してくれ」


 そう言って、アッシュはララザを進ませ始めた。

 アリシアは、口をパクパクと開くだけだ。


「ほら。危ねえから前を見とけって」


「は、はい……」


 アリシアは言われるままに前を向いた。

 そうして、二人はララザに乗って進んだ。

 普段なら大喜びしそうな状況なのだが、アリシアはずっと無言だった。

 胸中では、ずっとさっきまで考えていたことが渦巻いていた。


 ――自分は、きっとアッシュには選ばれない、と。


「…‥アリシア? どうした? やっぱしんどいのか?」


 全く口を開かないアリシアに、アッシュが話しかける。

 それでもアリシアは無言だったが、馬に揺られて十数秒後、不意に言葉が零れた。


「……仮に」


「……ん?」


 アリシアは、視線をララザのたてがみに落として言葉を続ける。

 不安が、今まさに溢れようとしていた。


「そう、仮に……仮にですよ。もし私が望まない政略結婚の道具にされそうだったら、アッシュさんはどうしますか?」


「……おい」


 アッシュは眉をひそめた。


「何だ? もしかしてそんな話が挙がってんのか?」


「いえ。違います」


 アリシアは、アッシュに表情を見せないようにかぶりを振った。


「仮の話です。ほら。演劇とかによくあるじゃないですか。花嫁を結婚式の土壇場で攫うってやつ。私がヒロインで、アッシュさんが主人公だったらどうするのかな、って思ったんです。ただの虚言遊びですよ。気軽に考えてください」


「……う~ん。そっかぁ」


 アッシュは少し天を仰いだ。


「アリシアが政略結婚かぁ……」


 数瞬ほど考える。そして、


「少なくとも、俺は花嫁を攫うような真似はしねえだろうな」


「…………」


 ある意味、予想していた台詞だが、アリシアの胸はズキンと痛んだ。

 やはり、彼にとって私は――。

 と、思った時だった。


「まずはアリシアの親父さん、お袋さんと話をするな」


「……え」


 アリシアは顔を振り向かせて、視線をアッシュに向けた。

 アッシュは苦笑を見せる。


「次は政略結婚の相手とか。どんな理由でそうなったかは知らねえが、政略結婚以外で解決できる方法がないか相談する。必要なら説得もな」


「ア、アッシュさん……?」


 アリシアは瞳を瞬かせた。


「いや、だって花嫁を攫えば、当然、親父さん達にも相手先の家にも迷惑かけるだろう? それにアリシアも親父さん達と二度と会えなくなるかもしんねえし」


「え、け、けど……」


 アリシアは、動揺しつつも尋ねる。


「それでも、解決できなかったとしたら?」


「まあ、そん時は力尽くだろうな」


 アッシュは一瞬の迷いもなく答えた。


「親父さん達には悪りいとは思うが、明らかにアリシアが望んでねえことなら、とても見過ごせねえよ。手を尽くしてダメなら、もうお前を攫うしかねえだろ」


「アッシュさん……」


 アリシアは目を見開いた。

 その顔を見て、アッシュは「ん?」と眉根を寄せた。


「おい。まさか俺がアリシアを見捨てると思ってたのかよ?」


「い、いえ、それは……」


 今日、何度目なのか、アリシアは言葉を詰まらせた。

 アッシュは、半眼でアリシアを見据える。


「その反応はマジでそう思ってやがったな。あのな」


 アッシュは苦笑いしつつ、アリシアの髪にそっと手を添えて、彼女の側頭部を自分の胸板に優しく当てた。アリシアの心臓がドクンと跳ねた。


「俺はさ。これまでの人生で結構いろんなものを無くしている」


 黒い瞳を細めて、アッシュは語る。


「だからこそ、大切なモンはもう失いたくねえのさ。その大切なモンの中には、当然お前だって入ってんだぞ。多少の無茶は当たり前ぐらいの付き合いだと思ってんのに、自分が見捨てられるなんて思われていたら、むしろ俺の方がショックだぞ」


「……………あ」


 アッシュの優しい声が、耳朶を打ち、アリシアの唇から吐息が零れ落ちた。

 途端、アリシアの背筋に、まるで雷に打たれたような感覚が奔った。

 蒼い瞳を大きく見開く。

 体と心を貫いたその光は、心を覆っていた淀みを一気に晴らしていく。


「アッシュさんは……」


 その台詞は、自然と彼女の唇から零れていた。


「私のことを、みんなと同じぐらい大切だと思ってくれているんですか?」


「ん? だからそう言ってんじゃねえかよ」


 アッシュは破顔した。


「それより前を見とけって。危ねえから」


「……はい」


 アリシアは視線を伏せて頷くと、前を向き直した。

 そうして数秒ほど進んでから、

 ――ポスン、と。

 彼女は、アッシュの胸板に後頭部を乗せてきた。

 体も預けて脱力リラックスしているのが分かる。ようやく緊張を解いてくれたようだ。

 アッシュは微笑み、ララザを進ませる。


 ただ、この時、アッシュは気付いていなかった。

 周囲の視線――特に男性の通行人の視線が、一度は自分達に向けられていたことに。


 アッシュにしろ、アリシアにしろ、この国では結構な有名人だ。

 二人で街を歩けば、注目を集める。

 特にアリシアは《業蛇》討伐の英雄の一人であり、騎士学校内は勿論、校外にもファンクラブがあるほどだ。たまたまだが、通行人にもそのメンバーがいた。


「アリシア、さん……?」


 ポツリ、と零れる通行人ファンの声。

 通行人達の視線は、特に、アリシアに集中していた。


 ――この時、アリシアは微笑んでいた。


 頬は微かに赤く、蒼い瞳を潤ませて微笑んでいたのだ。

 そして力を抜き、自分のすべてを背中の男――アッシュに預けているのである。

 時折、安らかな顔で瞳も閉じる。

 絹糸のような、長く美しい髪が風で揺れた。

 あまりにも幸せそうな彼女の微笑みに、通行人達は目を奪われた。


「そ、そんな……」「う、うそ、だろ……」


 その場に居合わせた、ほとんどの男達がこう思った。

 あれは、きっと『事後』の帰りに違いないと。

 蕩けるほどに、深く愛された後なのだと。


「……ウムハ、スゴイナ」


 一方、零号はそれらの視線に気付く。


「……マサカ、最初ノ乙女ノ案件ヲ、カカエツツ、ホカノ乙女マデ、落トシ二、カカルトハ。ヨモヤノ、三人目ト、同時コウリャク、ナノカ?」


「ん? いや。だからお前は何を言ってんだ?」


 アッシュは視線を零号に向けて、眉をしかめる。

 その間も、アリシアは、幸せの微笑みを浮かべて、アッシュに身を任せていた。

 アッシュは、周囲の怨嗟にも似た嫉妬の視線に気付かない。

 そんな呑気な主人を乗せて、ララザは欠伸をしつつ、エイシス邸を目指すのだった。


 ちなみに、この一件は、遂にあの流れ星師匠が、アリシア嬢を完全に落とした、お持ち帰りにしたと噂になるのだが、それはまた別の話だった。

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