第344話 そして再会③

 静寂が、草原に訪れる。

 真紅の鬼と、悪竜の騎士は、静かに対峙していた。

 ここに至っては、互いに小細工はしない。

 最強の闘技をぶつけ合うのみだ。


 そして――。

 動き出したのは、悪竜の騎士の方だった。


 重心をゆらりと落とし、無音の加速をする。《天架》の上を滑走し、真っ直ぐ《朱天》へと突き進む!

 対し、《朱天》はさらに拳を固めた。

 互いの距離は、十セージルも離れていない。

 間合いは瞬時に重なった。

 悪竜の騎士は滑走の勢いのまま、両腕を振るった。

 繰り出す闘技は、《朱天》の左腕を奪った《残影虚心・顎門》だ。

 それも、両腕による攻撃。四十八連に及ぶ斬撃だった。

 双頭の魔竜がアギトを開き、同時に食らいついてくる。

 その圧力は、空間さえも軋ませた。


 一方、《朱天》は、とても静かだった。

 猛々しい、真紅の姿は変わらない。

 されど、その姿は清流を思わせるほどに、穏やかだった。


 ――ただ、静かに。

 真紅の拳を前へと突き出した。


 それは、まるで崩壊する星のようだった。

 魔竜の牙と星が、正面から衝突する。

 星の力場に触れた炎の剣は一瞬で粉砕された。しかし右が砕ければ左。左が砕ければ瞬時に再生させた右。魔竜の牙は幾度でも蘇る。

 四十八の斬撃。それは瞬時に終わった。だが、悪竜の騎士の斬撃は止まらない。機体が火花を散らそうが、意志が続く限り連撃を繰り出した。

 炎刃の嵐が吹き荒れる。

 二つの力の激突は、凄まじい衝撃を生み出した。

 人間など、立っていられないほどの衝撃波だ。

 事実、遠く離れているサーシャ達でも驚きの声を上げていた。

 この瞬間、一番危ういのは二機の近くにいるオトハなのだが、彼女は少し呻きつつも、しっかりと立っていた。

 何故なら《朱天》の後方にいたからだ。

 彼女自身が移動した訳ではない。

 意図的にアッシュがこの位置になるように、配慮したのである。

 そして《朱天》の巨体が防壁となって、衝撃から彼女を守っていた。


(……しまったな)


 耳を劈くような衝撃の中、オトハは自嘲する。

 正直、これほどの戦いになるとは考えてもいなかった。

 このレベルの戦いに、生身のままで立会人をするなど迂闊としか言えない。

 戦闘前に《鬼刃》に乗っていなかったのは、本当に失敗だったと反省する。

 が、同時に。


(もう。まったく。お前ときたら)


 こんな状況でも、彼女の身の安全を気遣い、忘れずにいてくれるアッシュの気持ちがとても嬉しかった。


(いずれにせよ、決着がつくな)


 オトハは、目を細めた。

 衝撃は、すでに収まりつつある。

 オトハの瞳に映る《朱天》の背中に変化はない。

 かといって、悪竜の騎士が吹き飛ぶような音もしなかった。

 そうして――。

 遂に、衝撃は止んだ。

《朱天》は、拳を突き出した状態で静止してた。

 対する悪竜の騎士の方は――。


 ――ズシン、と。


 両腕に持つ処刑刀の切っ先を、地に落とした。

 炎は揺らぎ、消えていく。両腕の光もすでに消えていた。

 肩を落とす悪竜の騎士は動かない。

 もはや、身じろぎする余力さえもないようだ。

《朱天》の全身の光も、徐々に収まり、漆黒の機体に戻っていく。


『……これがお前の答えか』


 アッシュは、愛機の右腕に目をやった。

 最強の闘技――《虚空》を放った右腕には、二本の裂傷が刻まれていた。

 双頭の、魔竜の牙の痕である。


『……うん。どうだったかな?』


 と、悪竜の騎士が、尋ねてくる。

 それは、あどけない少年の声だった。


(まさか、このレベルの《虚空》に食らいつくか)


 全恒力の七割を収束させて放つ破壊の剛拳。それが《虚空》だ。

 しかし、実際のところ、アッシュが全力で《虚空》を放つのは稀だった。

 決戦後の戦闘や伏兵を警戒し、五割~六割程度に抑えているのである。

 本当に七割――いや、それ以上にまで至ったのは、最近で言えば、聖骸化したユーリィと対峙した時ぐらいか。

 そして、今回は、あえて六割強にまで引き上げたのだが――。


(まったく。大したもんじゃねえか)


 愛機の右腕を、双眸を細めて見つめつつ、


『……ああ、確かに見せてもらったよ』


 アッシュの操る《朱天》が、ゴツンと悪竜の騎士の頭部を軽く叩いた。

 兄が弟に、そうするように。


『お前は、もっともっと強くなれる。俺が保証するぜ』


 アッシュは、二カッと笑った。

 が、すぐに申し訳なさそうに眉をひそめて。


『しかし、すまなかったな。メルティア嬢ちゃんには本当に悪いことをした。随分と怖い目に遭わせちまっただろう?』


『い、いえ。お気になさらないでください。お義兄さま』


 悪竜の騎士の中から、少女の声がする。


『流石に《ディノス》がここまで追い込まれたのは初めてですが、その、こういったことは本当によくあることですから』


『……よくあるのか?』


 アッシュがそう尋ねると、


『は、はい。これまでも、気付けば大体こんなことに……』


 おどおどとした様子で、メルティアが答える。

 アッシュは、う~んと呻く。

 何とも共感できてしまう。

 これもまた、血筋というものなのだろうか。


『いや、その、ボクも、色々と気をつけてはいるんだよ?』


『はは、それは分かるよ。俺も大概な人生だしな』


 少年の声に、アッシュは苦笑した。

 いずれにせよ、今度こそ仕合は終わりだ。


「クライン」


 その時、オトハが声をかけてきた。

 二機の近くで両腕を組む。


「今度こそ、終わりを宣告してもいいんだな?」


『おう。待たせて悪かった』


 アッシュは、オトハに視線を向けた。


『なんか、昨日からオトには迷惑をかけっぱなしだな』


「……それは今さらだろう」


 オトハは大きな胸を軽く揺らして、嘆息した。

 昨夜は、それこそ身も心も捧げたのだ。

 自分は名実ともに、すでにアッシュの女なのである。

 今さら、この程度の迷惑など、些細なことだった。

 ただ、次の台詞には流石に動揺した。


『ああ、そうだ。オトとのことは説明しねえとな。ユーリィにもちゃんと……』


「え」


 一瞬、目を瞬かせる。

 そして、


「いや待て!」


 オトハは、青ざめた。

 昨晩のことに、一切の後悔はない。

 何度もしていた妄想シミュレーションよりもずっと激しくて、灼熱みたいに熱くて、とんでもなく消耗したが、長年望んでいたことだ。


 ――そう。遂に、願いが叶ったのである。


 自分は今、アッシュに愛されていると自信を持って言える。

 しかし、それに至ったことを、ユーリィ達に伝えるとなると……。


「それはとりあえず待て! しばらくは黙っていろ! 私にも色々あるんだ! タイミングは私が図る! ハウルの態度も気になるし!」


『……? それって、どういう意味だ?』


 アッシュは、首を傾げた。悪竜の騎士の中で話を聞いている少年、少女も話の筋が分からず、不思議そうな雰囲気を出している。


「とりあえず黙れ! いいな!」


 そう言い切り、オトハは片手を上げた。


「では、これにて!」


 そして、少し赤い顔の彼女は宣言する。


「アッシュ=クラインと、コウタ=ヒラサカの立合いを終了する!」

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