幕間二 あの日の密談

第240話 あの日の密談

 その日の夕暮れ時。

 アッシュは、鎧機兵を引き渡したお客さまの見送りをしていた。

 お客さまの姿が徐々に遠ざかるその場所は、クライン工房前の公道だった。


「さて、と」


 完全にお客さまの姿が見えなくなり、アッシュはこきんと肩を鳴らした。

 これで本日最後の仕事も終了だ。今日はもう来客もないだろう。これからガハルドに会いに市街区まで行く予定もあるので、少し早いが店仕舞いだ。


「しかし、ガハルドのおっさんか」


 アッシュは思わず苦笑を浮かべた。

 正直あまり良い予感がしない。なにせあの騎士団長ときたら本当に腹黒いし、今回の一件を伝えにきたライザーの話によると、今日は他にも客人もいるそうだ。そのことも嫌な予感に拍車をかけていた。

 とは言え、ガハルドには何かと借りがある。それにアリシアの父親でもあるし、彼の頼みを無下にするのは心苦しかった。


「ま、これも人付き合いか」


 そう呟いてアッシュは納得した。

 そしてクライン工房へ戻ろうとした時だった。

 ガラガラガラ、と。

 不意に豪勢な馬車がゆっくりと減速して停車したのだ。

 ここは公道。それも外壁の門にも繋がる道だ。馬車が通るのは珍しくないが、アッシュの前でわざわざ止まったということは来客だろうか。

 アッシュは足を止め、まじまじと馬車を見据えると、おもむろにドアが開いた。

 そしてそこから出てきた大柄な貴族の青年の姿を目の当たりにして……。


「へ?」


 アッシュは軽く目を剥いた。


「ういーっす。商売繁盛してっか、師匠」


 音もなく閉めたドアを背に、貴族の青年は陽気な声をかけてくる。

 豪勢な貴族服や馬車には似合わない軽い口調だった。


「え? お前、ザインか?」


 と、アッシュはキョトンとした表情で尋ねる。

 眼前に立つ体格のいい貴族の青年はアッシュの顔見知りだった。

 友人のライザーを通じて知り合った人物。

 闘技場において『グレイテスト☆デューク』と名乗る名物選手である。

 しかし、今の彼の姿は――。


「おいおい何だよ、その格好。もしかして新しいコスチュームなのか?」


 正直あまり似合っていないな、と内心で思いつつ、そう尋ねる。

 すると、貴族の青年――ザイン=ガロンワーズはパタパタと片手を振り、


「いやいやコスチュームなんかじゃないさ。これは俺の言わば公用の仕事着だよ。ほら、酒場でライザーも言ってただろ。こう見えても俺は公爵なんだってば」


「……は?」アッシュは再び目を丸くした。


 そして反射的に記憶を探る。

 確かに、初めて会った酒の席で、ライザーがザインのことを「いやあ、こいつってこの図体で公爵さまなんですよ」と紹介していたような気がするが……。


「えっ、あれってネタじゃなかったのか? お前ってマジで公爵なの?」


「いや、その反応はひでえよ。少しも信じてなかったのかよ」


 と、ザインが両腕を組んで憤慨する。

 闘技場での変人ぶりを知るアッシュとしては唖然とするだけだ。

 しかし、今ザインの着ている服は、衣類に疎いアッシュでも分かるほど上質な物だし、彼の後ろに停車している馬車も最高級品の代物だ。


「……マジ、なのか?」


 アッシュはたじろぎながらも理解した。

 どうやらザインは本当に公爵家の人間だったということらしい。だが、同時にそれは筋肉を見せつけて「グレイテストオオォ……デュ――――クッッッ!!」と叫ぶ変人がこの国の最高位の貴族であり、王族に連なる人間だということなのか。


(……おおう)


 アッシュは少し目眩がしてきた。

 が、ザインはそんな反応に慣れているのか、「ははっ」と笑い、


「まッ、そういうことなんで、改めてよろしくな! 師匠!」


 ポンとアッシュの肩を叩いた。

 アッシュは一瞬だけ呆然としていたが、すぐに苦笑をこぼした。

 皇国でもそうだったが、つくづく自分は公爵家と縁があるようだ。

 脳裏に赤毛の姉弟や、赤髭の老人の姿が思い浮かぶ。


「まあ、いいけどよ」


 それはともかく、こんな時間帯に、こうしてザインがここに来たのは何か理由があるのだろう。早速アッシュは本題に入ることにした。


「で、何の用だよザイン。あ、もしかして懐中時計と仮面を取りに来たのか?」


 真っ先に思いついた用件がそれだった。

 アッシュは懐からザインの愛機・《デュランハート》の召喚器である懐中時計を取り出す。これに加え、あの日押しつけられた仮面は未だアッシュの元にある。


「おっ、《デュランハート》の召喚器か。それは返しといてくれよ」


 言って、ザインはアッシュから懐中時計を受け取って懐にしまう。

 それからアッシュの顔を見やり、


「けど、公爵仮面デューク・ド・マスクの方はもうしばらくだけ預かっておいてくれよ。いずれ師匠に必要になるような気がするしな」


「……いや、あの仮面そんな名前だったのか」


 アッシュは苦笑を浮かべた。が、すぐに「まあ、預かるのは別にいいが、いずれ必要になるってどういう意味だよ?」と尋ねる。

 すると、ザインはあごに手をやり、


「う~ん。仮面のことも含めて、実は師匠に二件ほど用があるんだよ」


「二件の用だって?」


 アッシュが眉根を寄せる。ザインの雰囲気から少し厄介事の匂いを感じ取ったが、結局人の良いアッシュは「一体どんな用だよ?」と友人に用件を尋ねた。

 対するザインはおもむろに首肯し、


「なぁ師匠。師匠が俺の代わりに闘技場で戦った女の子のことを憶えているか?」


「ん? ああ、最近のことだしな。そりゃあ憶えているよ」


 アッシュが両腕を組んで答えると、


「実はあの子、この国の王女さまだったりするんだ」


「…………は?」


 アッシュの目が点になる。


「あの日さ。王宮で王女さまが行方不明になるって事件が起きたんだよ。それがまさかこっそり抜け出して闘技場に出場しているとは夢にも思わなかったけどな」


 当時の騒動を思い出し、ザインが苦笑を浮かべる。


「いやいや、何だそりゃあ? あの子が王女って訳分かんねえよ」


 と、アッシュが戸惑うような声を上げた。

 するとザインは、ポリポリと頬をかきつつ、


「まあ、一から話すよ。今、少し時間いいか?」


「お、おう。今は大丈夫だ。もう少し話の全体像を教えてくれよ」


 アッシュはかなり困惑して尋ねる。と、


「ああ、実は内密にして欲しい話なんだが……」


 そう切り出して、ザインは最近の王宮内の出来事――特に、右大臣ガダル=ベスニアが推奨する計画について語り出した。

 アッシュはしばし友人の言葉に耳を傾ける。

 そして――。


「……兵器の輸出とはまた物騒な話だな」


 ポツリと呟いた。


「そうだな」ザインは渋面を浮かべる。


「正直、ベスニア大臣の危惧も分からなくはないが、時期尚早だよな。俺からも進言するつもりだが、恐らく陛下は却下されるだろう」


「……ふ~ん」アッシュは目を細めてザインを見据える。


「けど、お前はそれで終わると思ってねえんだろ」


 と、鋭い指摘をする。ザインは大仰に肩をすくめた。


「まあな。その程度で諦めんのなら最初から提言しねえだろうしな。陛下がダメならば御しやすい次代の王を。そんぐらいは考えてんだろ」


「……確かにな」


 アッシュも元騎士。他国だが、これでも王宮内のもめごとはよく見て来た。

 ザインの予測は恐らく間違っていない。

 まだ幼い王女を今の内に懐柔しておく。乗り気ではない現国王を説得するより容易だろうし、結果的には兵器輸出という目的は早く達成できる可能性がある。


「まあ、そんな感じでしばらく王女の周辺は結構キナ臭くなると思うんだ」


 何よりあの馬鹿の動きも気になるしな。

 小さな声でザインはそう呟く。


「ともあれ、師匠は仮面越しだが、ルカ王女とも顔見知りだしな。あの子を気にかけてやって欲しいんだ。特に夜道には気をつけてくれ」


 と、真剣な顔で告げるザイン。


「……いや、それは別に構わねえが」


 それに対し、アッシュはふと首を傾げた。


「けど、なんで夜道なんだ? 昼間じゃねえの?」


 そう尋ねると、ザインは何とも言えない表情を浮かべて。


「いや、身内のことであんまり詳しくは言えねえんだが、どうもサリアの姐さんがそろそろはっちゃけそうな感じでな」


「??? はっちゃけるって何だそりゃあ?」


 アッシュは頭にますます疑問符が浮かぶ、が、すぐにふっと笑った。

 まあ、言葉を濁すなら無理に詳細を聞き出さなくてもいいだろう。

 それにあまり詳しく語れなくても、ザインには何かしらの根拠があるようだ。


「とりあえず夜になる可能性が高いってことだよ。ルカ王女の動きは師匠にも伝えるから協力してくれよ。それと出来ることなら王女には他国の事とか、師匠の体験談とかも教えてやって欲しい。あの子の教育にもなるだろうしな。なっ? いいだろ? 勿論公爵家から報酬もきちんと出すからさ!」


 と言って、ザインは両手をパンと叩いて拝みながら頼む。

 一方、アッシュとしては、まだ幼いあの少女が大人の謀略に巻き込まれるような事態は見過ごしたくはない。結局、アッシュは数秒間だけ躊躇ったが、やれやれと嘆息して「ああ、いいぜ」と了承した。

 ザインは、友人の返事に満面の笑みを浮かべた――が、


「ありがとよ。師匠。で、こっからがもう一つの本題だ」


 すぐさま表情を改めてそう告げてくる。

 アッシュは少し面を喰らった。ザインの表情が、かつて見たことのないほどの真剣なものだったからだ。


「あのさ、師匠」そしてザインは神妙な声で話を切り出した。


「師匠はさ。アリシアさんのことをどう思ってんだよ」


「………………は?」


 アッシュの表情がキョトンとしたモノになる。


「え? どういう意味だ? つうかなんでそこでアリシアの名前?」


 と、困惑しながら尋ねるアッシュに、ザインは不愉快そうな顔で告げる。


「実はさ、俺はエイシス侯爵家に婚約を申し立てしてんだよ。アリシアさんを俺の嫁さんにくださいってな」


「……へ?」アッシュは目を丸くした。


「マ、マジか!? その話、初めて聞いたぞ!?」


「そりゃあ話に出ねえよ。何度も断られているしな」


 ぶすっとザインが言う。


「けどよ、相手はアリシアさんなんだぜ。そう簡単に諦めたりはしねえよ。最近はもうどんどん美人になっているしさ。こないだ王宮で偶然すれ違った時なんてマジで心臓がバクバクもんだったよ」


「そ、そうだったのか……」


 アッシュはかなり驚いた。

 が、そんなアッシュの驚愕をよそに、ザインは再度尋ねる。


「だからさ師匠。本気で答えてくれよ。師匠は『一人の女性』としてアリシアさんをどう思ってんだよ」


「…………」


 アッシュは一瞬沈黙した。

 ザインの口調はとても真剣なモノだった。この公爵が地位や政略結婚など関係なく本気でアリシアに惚れていることは疑いようもない。

 アッシュはさらに沈黙した。が、ややあって大きく息を吐き出し、


「……ああ、分かったよ」


 ここは、自分も真摯に応えるべきだろう。

 アッシュは友人の顔を見据えて訥々と語り出す。


「アリシアは本当に凛としている。時々とんでもない行動力を見せて肝を冷やすこともあるけど、一緒にいりゃあ楽しいし、髪を揺らす仕種とかは本当に似合っていてドキッとすることもある。歳は離れているが、充分すぎるほど魅力的な女の子だよ」


「……う、ぬ、う……」


 恋敵の高い評価に、ザインは思わず唸る。


「けどよ師匠」だが、すぐに表情を改めて尋ねる。「その認識でアリシアさんに手を出さねえってことは本命が他にいんのか? 例えばサーシャさんとか?」


「いや、お前、サーシャとも知り合いなのか?」


 アッシュは苦笑を浮かべた。

 思いのほか、この友人とは共通の知り合いが多いようだ。


「サーシャも魅力的な子だよ。優しくて傍にいるとホッとする。頭を撫でると本当に嬉しそうに微笑むんだ。まあ、少し女の子として無防備なとこもあって、アリシアとは別の意味で肝を冷やすこともあるがな」


 そう言って、白い髪の青年はポリポリと頬をかいた。

 これまた良い評価だ。ザインは「……うむう」と再び唸っていた。


「じゃあ、一体誰が本命なんだ?」


 と、若き公爵は、ズバリ直球で問いかけた。

 もしこの場に女性陣がいれば、全員が刮目したであろう禁句タブーに近い質問である。

 これをあっさり訊けるのは、男友達の気安さゆえか。


「……本命、か」


 アッシュはポツリと呟く。そしてザインが知り合いではないため、名を挙げられなかった最も古い付き合いの女性のことも思い浮かべる。


 オトハ=タチバナ。

 彼女は凄く綺麗な女性だ。

 出会った当時から綺麗だとは思っていたが、再会してからの彼女の美貌はますますもって艶やかになってきている。それに加え、男勝りの口調で誤解されがちだが、彼女は心の中に揺らぐことのない慈愛の心も持っていた。年齢が近いこともあって、一番ドキッとすることが多いのは彼女だった。


 改めて認識する。

 本当に、自分の傍には魅力的な女性ばかりがいる。

 それは紛れもない事実だ。「まあ、うちの子もあいつらに劣らねえけどな」と、小さな声で愛娘の自慢をしつつ、アッシュは目を細めた。


 そして――。


「……結局さ」


 静かに。

 とても静かな口調で語り始める。


「ガキの頃から俺のは一人だけなんだよ。たとえ二度と会えなくても。もう二度と触れることさえ出来ない運命でもな」


 男同士の共感からか。それともザインの口が固いと見抜いたからか。

 アッシュは、滅多に語ることのない本音を零した。

 愛した女性はもういない。

 その事実を受け入れて前を向くには、まだまだ時間が足りなかった。

 シン……とした空気が、茜色に染まった公道に満ちる。

 しばし続く静寂。

 ザインはアッシュの顔を真直ぐ見据えていた。


(……ああ、なるほど。そういう事情だったのか)


 若き公爵は白い髪の青年の心情を察する。

 事の詳細などはいい。

 ザインにとっては、今の台詞だけで理解するには充分だった。


「……はは、師匠も大変なんだな」


 と、ザインは苦笑を浮かべた。

 アッシュはボリボリと頭をかき、黒い双眸を細めた。

 未練がましいのは分かっているが、こればかりはどうしようもなかった。

 この胸の中には、今も《彼女》の姿が鮮明に焼き付いているのだから。


「いつかその話を聞かせてくれよ。吐き出すと少しは楽になる時もあるしさ」


 と、ザインはあえて陽気な口調で友人を気遣う。が、


「けど、だからといって、いきなりふっ切ってアリシアさんに手を出すなよ? あの人は絶対俺の嫁さんにするんだからな」


 一応目的である宣戦布告の方もしておく。対するアッシュはふっと笑うと、


「いや、あの子を狙っている野郎って相当多いんじゃねえのか? 俺が知る限り一人は確実にいるし、いくら近くにいるからって俺ばかり警戒すんなよ。そもそもあの子にはすでに好きな野郎がいるかもしんねえじゃねえか」


 平然とそう言ってのける。

 ザインは一瞬半眼になって「……ああ、そこはマジで鈍感なのか」と呟く。


「……まったく。師匠の周りにいる女の子の苦労が目に浮かぶな」


「ん? どういう意味だよ。それ?」


 アッシュは眉根を寄せて首を傾げた。

 ザインは「やれやれ」とかぶりを振りながら、


「いっそ、ベスニア大臣みたいに全員嫁さんにしたらどうだ?」


 と、冗談を告げた。


「師匠なら男爵位ぐらいなら簡単に手に入れそうだしな」


 ザインは続けてそう言った。


「いや何だよそれ? 大臣ってそんなに嫁さんがいんのか?」


 と、アッシュが別の部位に食い付いた。

 ザインは「ああ、あの人はさ……」と語り出す。

 そうして二人の青年は、しばしどうでもいい話題に興じた。

 その光景は気の合う友人同士の談笑だった。

 が、ややあって……。


「おっと。そろそろ行かねえとな」と、ザインが会話を切り上げた。


「これからラッセルに行く用があんだよ。とりあえず師匠。王女さまの件、また連絡すっけど宜しく頼むな」


「ああ、分かったよ」


 言って、アッシュは苦笑を浮かべつつも了承した。

 ザインは「おう。サンキュ」と礼を返して馬車に乗り込んだ。

 そして馬が嘶きを上げ、馬車がゆっくりと動き出す。

 アッシュはその光景を黙って見つめていた。

 そして外壁の門に向かって遠ざかっていく馬車。

 しばし友人の出立を見送っていたアッシュだったが、


「やれやれだな」


 不意に皮肉気な笑みを見せて小さく嘆息した。


「何だか今回もまた面倒くさいことになりそうだなぁ」


 気付けば、いつもトラブルの中心に巻き込まれている。

 それもまた、自分の運命なのかもしれない。

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