第236話 夜に迷う②

「あ、あの」


 ルカはもじもじと話しかける。


「ま、また助けてくれて、ありがとうございます」


 場所は変わって闘技場の外。

 少し離れた馬車にある夜の公園内。街灯で照らされる長椅子の一つに、デュークの仮面をかぶったアッシュと、ルカは並んで座っていた。


「まったく」


 アッシュは苦笑する。

 彼の肩の上にはオルタナが止まっていた。


「なんでまた――しかも同じ奴らに絡まれてんだよ。お嬢ちゃんは」


「そ、それは……」


 と、声をどもらせるルカ。

 すると、アッシュはふっと目尻を下げて、


「まあ、これでも食べな。お嬢ちゃん。胃に何かを入れたら少しは落ち着くぞ」


 そう言って、事前に露店で購入し、長椅子の横に置いておいた串焼き入りパックをルカに差し出した。ルカは困惑しつつも首を左右に振る。


「あ、お、お金、払います」


「はは。気にすんな。これぐらい奢るよ」


 アッシュは口角を上げて言う。

「け、けど」と、なお戸惑うルカに、アッシュは「まあ、二人分はあるからな。手伝ってくれよ」と告げてパックの蓋を開けた。

 よく焼けた肉の香ばしい匂いが周囲にたちこもる。


「ほらよ。お嬢ちゃん」


 アッシュは串焼きの一本を少女の手に握らせた。

 ルカは「あ、あの」とまだ少し困惑していたが、串そのものを渡されて返すのは失礼に当たる。そう思い、彼女は「ありがとうございます」と言って受け取った。

 そしてルカは串焼きを剣のように掲げると、まじまじと見つめて……。

 ――ぱくっと。

 小さな口を開いて肉にかぶりついた。が、


「……っ!?」


 水色の瞳を大きく見開いた。

 そしてハフハフと涙目になって肉から口を離した。


「おいおい、お嬢ちゃん」


 その様子を横で見ていたアッシュが目を丸くする。


「焼いたばかりの串焼きにそんな勢いでかぶりついたら火傷するぞ」


 言って、同時に購入していたボトルをルカに渡す。

 ルカは慌てた手つきでボトルの蓋を開けて中の水を飲む。

 そしてしばしごくごくと少女の喉が動き、


「あ、あんなに熱いと思わなかった、です」


 未だ涙目のままのルカは、ようやくボトルから小さな唇を外した。


「ああ、もしかして串焼きは初めてだったのか?」


 アッシュは少しバツの悪そうに笑った。


「そいつは悪いことをしたな。ほら。口の中を見せてみな」


 言って、無造作にルカの頬へと片手を伸ばした。


「――――え」


 そして青年の掌がルカの頬に触れる。

 あまりにも自然すぎる接近にルカは一瞬唖然とする――が、アッシュの方は平然としたもので「ほら。お嬢ちゃん。あ~んってしてみな」と告げてくる。オルタナまで「……ウム! ルカ。ア~ン、ダ!」と翼を広げて叫んでいた。

「え、あ、あの」いきなり頬を抑えられたルカは耳まで赤くして恥ずかしがるが、このままだとアッシュが頬を離してくれそうもないので素直に口を開けた。

 アッシュはまじまじとルカの咥内を見やり、


「ああ、左頬が少し火傷してんな。しばらく食う時は右で食べるといいぞ」


「あ、あの、仮面さん」


「ん? 何だ? お嬢ちゃん」


「や、火傷を見てくれてありがとう。けど、その、凄く手慣れている、感じです」


 と、素直さゆえに正直に告げる。

 頬に触れるまでの動作など、自然すぎて反応さえ出来なかった。『男は狼』という母の警告が脳裏によぎり、ルカは少しだけ警戒するように身体を強張らせた。

 すると、アッシュは「ははっ」と軽く笑って手を離した。


「まあ、手慣れているって言えばそうなんだろうな。うちの子も昔はよく熱いモンを無造作に口の中に突っ込んで火傷してたからな」


 と、昔を懐かしむように呟く。


「……え?」その台詞にルカは目を丸くした。


「か、仮面さん。子供がいるんですか?」


「ん? ああ、いるぞ。目に入れても痛くねえぐらい可愛いがな」


 と、アッシュは胸まで張って堂々と告げてくる。

 ルカは軽く目を瞠った。

 流石にこの台詞は想定外だった。

 しかし、よくよく考えれば、彼の年齢は仮面ではっきりと特定は出来ないが、恐らく二十代前半。子供や妻がいてもおかしくはない年齢だ。

 その事実にルカの胸は何故かチクリと痛んだが、すぐに思い直す。

 彼の年齢からして子供は、恐らく大きくて三、四歳ぐらいか。

 きっと可愛い盛りに違いない。

 女の子らしく可愛いもの好きであるルカの興味は彼の子供に移った。


「あ、あの、どんなお子さんなんですか? その子も仮面をかぶっているんですか?」


「いやいや、仮面はかぶってねえよ」


 アッシュはポリポリと仮面をかき、


「まあ、普段は少しだけ無愛想な子だな」と前置きしてからふっと笑い、


「けど、最近は結構笑ってくれるようになったよ」


「へえ」ルカは楽しそうに聞く。

 そして笑顔を見せて「歳は、いくつなんですか?」と尋ねる。と、


「おう。今年で十五歳だ」


「…………え?」


 想像を遥かに超えるデッカイ娘が出てきた。と言うより、自分と同い年だった。

 もしかして自分は根本的に勘違いしていたのだろうか。

 ルカはおずおずと尋ねる。


「え、えっと仮面さんって、私より、もの凄く年上なんですか?」


「いや? 俺はまだ二十代前半だぞ?」


 と、アッシュが告げる。ルカはますます困惑した。

 それでは計算が全然合わない。


「え、けど、十五歳の娘って……あ」


 そこでルカはある可能性に気付いた。


「もしかして奥さんの……」


 結婚相手の連れ子なのだろうか。そう思ったルカだったが、


「はははっ、俺は別に結婚なんてしてねえよ。あの子は色々あって俺が引き取った子なんだよ。まあ、歳がそこそこ近いせいか、七年近くも一緒にいんのに俺のことを中々『お父さん』って呼んでくれねえんだよ」


 と、アッシュは「やれやれ」と嘆息して答える。

「そ、そうなんですか」ルカは彼の台詞に――特に結婚していないという事実――に、何故か少し安堵しつつも口元を綻ばせた。


「け、けど、仮面さん。その子のこと、凄く、大切にしてるんですね」


 台詞の端々から、そのルカとほぼ同い年の少女に対する愛情が窺い知れる。

 ルカはオルタナを肩に乗せ、アッシュの顔を見つめた。


「まあな」するとアッシュは長椅子の背もたれに両腕をかけて空を見上げた。


「あの子は俺の生きがいだよ。いつの日になるか分かんねえけど、あの子の花嫁姿を見届けたい。それが今の俺の一番の望みだな」


 と、その娘本人が聞けば、間違いなく不機嫌になる台詞を吐く。

 しかし、青年の愛娘の心情など知らないルカはただ優しげに目を細めた。


「今度、その子に会わせてくれますか?」


 そう尋ねるとアッシュはニカッと笑い、


「ああ、いいぜ」と答える。「うちの子と友達になってやってくれよ」


 ルカは嬉しそうに微笑み、「はい」と返事を返した。


「あ、あの、またここで会えますか」


 続けて気恥ずかしそうにそう尋ねるルカに、


「ああ、しばらくは仕事でこの時間帯に闘技場にいるからな」


 と、アッシュは答える。


「この時間帯ならこの場所で会えると思うぞ」


「ホ、ホントですか!」


 ルカはパアと表情を輝かせた。

「……ウム! ヨカッタナ! ルカ!」とオルタナも嬉しそうに叫ぶ。


「じゃあ、あ、明日もここでお話を聞かせてくれますか?」


 と、少女はもじもじと指を動かして青年に問う。

 アッシュはわずかに目を細めてから――。


「ああ、いいぜ。話ぐらい幾らでも付き合ってやるさ」


 そう言って少女の頭をポンと叩いた。

 続けて淡い栗色のさらりとした髪をくしゃくしゃと撫でる。

 対し、ルカはもはや恥ずかしがることもなく、ただ瞳を細めていた。

 しばしの間、少女は偶然にも再会できた青年の掌の温かさを確かめていた。

 しかし、不意に今の時間帯を思い出すと、青年の顔を見据えて。


「あ、あの、そろそろ帰ります」と、名残惜しそうに告げる。


「あまり遅いとお母さんが心配するから」


「おう。そうだな」


 アッシュはルカの頭から手を離した。

 それから一瞬だけ公園の繁みの一角を一瞥し、


「……まあ、まず大丈夫だと思うが、気をつけて帰るんだぞ」


 そして最後にもう一度だけルカの頭を撫でた。

 ルカは「はい」と言って長椅子から立ち上がり、


「それじゃあ、また明日」


 そう告げて小走りに走り去って行った。

 アッシュは公園から去る少女の後ろ姿を見送りながら、公園の繁みに目をやり、指先をクイと動かした。すると、ごそごそと二人の女性が出てくる。立ち姿から相当鍛えていることが分かる女性達は、アッシュに一礼するとすぐにルカの後を追った。

 それを見届けると、アッシュは黒い瞳を閉じた。

 そしてしばし背もたれに両腕をかけたまま沈黙して――。


「……どうやら無事に追いついたか」


 そう呟き、黒い瞳を開いた。

 それから口元を皮肉気に歪めると、


「ったくよ。確かにあのお嬢ちゃんは良い子だけどよ」


 アッシュは背もたれに深く寄りかかって嘆息した。

 まったくもってこの状況は何なのだろうか。

 どうして自分は仮面などかぶってまでこんな事をしているのか。


「まあ、あの子を守ること自体には何の異論もねえんだが……はあ」


 アッシュは一際大きな溜息をついて、夜の空を見上げて呟く。


「一応俺はただの職人なんだぞ。ガハルドのおっさんも、あの爺さんもそうだが、どいつもこいつもなんで俺に面倒事ばかり持ってくんだよ」


 静寂に包まれた公園の中。人の気配が完全になくなったその場所では当然ながら、彼の愚痴に同意する者もいなかった。

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