第172話 潜む者たち②

 石畳の大通りを一頭の馬が疾走する。

 蹄を激しく鳴らす馬は、道行く人々を上手く避けつつ風を切った。

 その馬上に跨るのは、黄色い制服を着た青年騎士。

 ライザー=チェンバーだ。

 普段はどこか飄々とした彼が、今は険しい顔つきで馬を急がせていた。

 目的は市街区の南端。

 外壁近くに居を構える工房であり、ライザーの友人が住む場所である。


「うおッ!? 危ねえッ!?」


「すまない! 急いでいるんだ!」


 危うく通行人をひきかけ、ライザーは謝罪する。

 が、それでも速度は一切落とさず、ライザーは市街区を走り抜けた――。




「う~ん。今日は結構暇だな」


「うん。凄く暇」


 クライン工房の作業場ガレージにて。

 アッシュとユーリィの二人はそれぞれ椅子に座り、のほほんとしていた。

 納期の迫っていた大きな仕事も片付け、完全に手持ち無沙汰になっていたのだ。

 その上、今日は朝から天気も良く、最近の木枯らしからは考えられないほど暖かくまるで春先のように心地いい。このままウトウトとしてしまいそうな陽気だ。


「まあ、しゃあねえな」


 そう言って、アッシュは大きな伸びをした。


「このままだと寝ちまいそうだし、ユーリィ。チェスでもすっか?」


「うん。する」


 同じく暇を持て余していたユーリィは、こくんと頷いて即答する。

 アッシュは椅子の背もたれに片手を置き、立ち上がった。

 それから椅子に座るユーリィに向かって、


「そんじゃあ、ちょっと取ってくる――」


 と、言いかけた時だった。


「師匠ッ! 師匠はいらっしゃいますかッ!」


 突然、店先からそんな大声が聞こえてきた。

 アッシュは目を丸くする。声の主は姿を見ずともすぐに分かった。

 友人であるライザーの声だ。

 しかし、その声には、ただならぬ気配が宿っていた。

 アッシュとユーリィは互いの顔を見合わせる。


「……ライザーの奴。何かヤベえ感じの声色だな」


「……うん。どこか切羽詰まっている感じ」


 そうやり取りし、二人はライザーの待つ作業場ガレージの外に出向いた。

 田園風景を背にした大広場。そこには馬に跨ったライザーがいた。

 そして彼の表情は、予想通り険しいものだった。


「ライザー。何かあったのか」


 挨拶さえ省き、アッシュはライザーに尋ねた。

 馬上のライザーはこくんと頷く。

 続けて馬から下り、手綱を握って愛馬を誘導しつつ、アッシュに告げる。


「お時間宜しいですか。どうしてもお伝えしなければならない事があります」



       ◆



 場所は変わり、クライン工房の二階。

 衾と卓袱台。床には畳が敷かれた、東方大陸アロンの趣がある茶の間にて。

 アッシュとユーリィ。ライザーの三人は卓袱台を囲んで座っていた。


「………その話はマジなのか」


 そんな中、アッシュがぼそりと呟く。

 白髪の青年の顔は、この上なく険しかった。


「……はい。間違いありません」


 ライザーは真剣な顔つきで答える。


「アンディ=ジラールは脱獄しました。現在逃亡中です」


「……そうか」


 そう呟くと、アッシュは小さく嘆息した。

 そしてちらりと隣に目をやる。

 彼の隣に座るユーリィは露骨に青ざめていた。

 この反応も無理はないだろう。ユーリィはかつてあの男に仮初ではあったが、『死』の恐怖を味あわされている。その時の恐怖が蘇っているのかもしれない。


「……ライザー」


 アッシュは友人に問う。


「この件、サーシャの方には?」


 アンディ=ジラールが起こした事件にはサーシャも深く関わっていた。

 結論で言えば、サーシャこそがジラールを倒し、監獄送りにした人間なのだ。

 ジラールは、間違いなくサーシャに恨みを抱いている。

 この事態は彼女にこそ、すぐに伝えなければならないことだった。

 すると、ライザーは自信ありげに口角を崩し、


「その点はご安心を。すでにエイシス団長自らが彼女の元へ向かっています」


「……そっか」


 アッシュは少し安堵する。が、すぐに渋面を浮かべて。


「しかし、まさか脱獄とはな。確かあの野郎には資産家の父親がいたよな。そいつは今どうなってんだ? この件に関わってんのか?」


 普通に考えれば、この件の黒幕はジラールの父親だと思われる。

 資産を手に、脱獄させた息子と一緒にこの国から脱出する。

 一度大陸方面に逃げてしまえば、そう簡単には捕まらない。逃亡後、新天地で再び商売でもやり直すというのが、計画として妥当な所だろう。


「もしジラールの父親が黒幕なら、もうこの国から脱出している可能性もあんな」


 というアッシュの推測に、ライザーは首を横に振って応えた。


「いえ。実は、アンディ=ジラールの父親であるゴードン=ジラールの身柄はすでに確保しているんです。しかし取り調べによると、どうも無関係のようなんですよ」


 予想外の内容にアッシュは少し目を剥いた。


「……無関係だと?」


 それから訝しげに眉根を寄せる。


「だったら、脱獄の手引きは一体誰がしたんだ?」


 内通者と襲撃犯の話は、先程ライザーから聞いたばかりだ。

 話から判断すれば、ジラールには間違いなく協力者がいるはず。

 しかし、それが父親ではないとすると――。


「それは……まだ分かりません。ただ一つ言えるのは、まだアンディ=ジラールはこの国に潜伏しているということです」


 と、ライザーが忌々しげな表情で告げた。

 続けて居住いを正して、アッシュを見やり、


「アンディ=ジラールは三騎士団が捜索中です。サーシャ=フラム嬢にも護衛をつける予定です。ご安心ください。そして――」


 ライザーは視線をユーリィに向けた。


「師匠が望まれるのなら、妹さんにも護衛をつけますが……」


「いや、こっちに護衛はいいよ」


 アッシュは即答する。


「ユーリィを守るのは俺の役目だ。それにお前らも今は人手を割けねえんだろ? 建国祭も近いし、そっちも疎かに出来ねえだろうからな」


「……分かりました。お気遣い申し訳ない。あの男が妹さんを狙う可能性は低いと思いますが、どうかお気をつけて」


 そう言って、ライザーは立ち上がった。

 それから「任務がありますので」と告げて一礼し、青年騎士は去って行った。

 茶の間に残されたのは、アッシュとユーリィの二人だけ。

 アッシュはどこか疲れたような顔をし、ユーリィの方は未だに顔色が蒼かった。


(やれやれ、あのクソ野郎が。今更出てくんじゃねえよ)


 アッシュは内心で苛立ちを吐き捨てつつ、ゆっくりと立ち上がった。

 そして凍りつくユーリィの前で片膝をつき、


「ユーリィ。おいで」


 優しい声で少女に告げる。

 すると、ユーリィはハッとした表情を浮かべた。

 そして泣き出しそうな顔をして――。


「アッシュゥ……」


 自分の守護者の名を呟き、アッシュの首にギュウッとしがみついた。

 ユーリィの細い肩は震えていた。は彼女にとって悪夢そのものだ。

 その象徴たる男が脱獄したのだ。恐怖を抱くのも無理もない。

 アッシュは、愛娘の空色の髪を撫でつつ語りかける。


「大丈夫さ、ユーリィ。お前は俺が守る。もう二度とあんなヘマはしねえ」


 そう告げた途端、ユーリィの腕の力が強くなった。

 アッシュは優しげに目を細める。ユーリィの細い腕に『離れたくない』という意志を込められているのは、はっきり分かった。

 アッシュも、ギュッと少女を強く抱きしめる。


「大丈夫だ。ユーリィ。俺が傍にいる」


「…………うん」


 ユーリの返答はとてもか細い。

 だが、それでも少しは安心したのか、彼女の肩の震えはかなり収まってきていた。

 アッシュは、彼女が落ち着くまで何度も頭を撫でた。

 そして内心では、ある想いを抱く。

 アンディ=ジラール。

 一度は忌わしき男。

 しかし、一体何の運命なのか、アッシュはこの男と縁が異常に薄かった。

 絶対に許せない男でありながらアッシュは

 幾つかの偶然が重なり一度も遭遇しないまま、あの男は監獄に送られた。

 もしかすると、これはチャンスなのかもしれない。


(アンディ=ジラール君よ)


 アッシュは凶悪な笑みを見せ、虚空を睨み据える。


(隠れてねえで俺の前に出てきな。問答無用で塵にしてやるよ)


 そんな心の中に渦巻く殺意は隠しつつ。

 今はただ、アッシュは愛娘を優しく抱きしめるのだった。

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