第六章 誕生祭
第118話 誕生祭①
「さあさあ、お客さん! 見てってくれよ!」
「クレープはいらんかねえ~!」
「お客さん、見る目があるね! それは誕生祭限定の特注品さ!」
――誕生祭当日。
皇都ディノスは活気に満ち溢れていた。
大通りを見渡せば、どこもかしこも人ばかり。
皇都の住民だけでなく、皇国に所属する町村や近隣諸国。さらには遠方の国からも多くの人間がこの日に合わせて訪れているのだろう。
そして皇都ディノス三番地。皇女のパレードが行われる予定の大通り沿い。
そこに立ち並ぶ宿屋の二階のバルコニーに――彼ら四人はいた。
「……うわあ、うちの父さんも言ってたけど、本当に凄い人だかりね」
木製の柵に肘をつき、絹糸のような長い髪と蒼い瞳を持つ少女――アリシア=エイシスが感嘆の声を上げる。服装は騎士学校の制服のままだ。
「まったくだ。アティス王国では闘技場ぐらいでしか見れん人数だな」
若草色の髪の大柄な少年――ロック=ハルトが腕を組んで呻く。
彼の眼下では、ガヤガヤと人が大通りを行きかっていた。
「ちょい露店とかに興味があんな。後で行ってみっか」
「うん。そうだね。無事にパレードが終わったら行ってみようよ。出来れば、先生達と合流できたらいんだけど……」
と、ブラウンの髪を持つ少年――エドワード=オニキスの台詞に、銀の髪と琥珀の瞳を持つ少女――サーシャ=フラムが返した。サーシャだけはブレストプレートを装着して右手にヘルムを抱えているが、三人ともいつもと同じ制服姿だ。
「……まあ、本当に無事に終わればいいんだけど……」
と、アリシアが嘆息する。彼女の視線は大通りの一角に向けられていた。
そこにはマントを纏う白い鎧機兵が石像のように待機している。――いや、そこだけではない。見渡せば一定間隔で皇国騎士の乗る鎧機兵達が警備をしていた。
よく見ると、人ごみの中にも多くの騎士の姿が確認できる。
(……むう)
アリシアはほんの少しだけ頬を膨らませて呟いた。
「……随分と厳重なことで」
「まあ、師匠の話では皇国騎士団総出の警備らしいからな」
と、ロックが言う。
「それは分かってるわよ。けど……」
そう言って、アリシアは自分の頬を両手で押さえた。そして嬉しがっているようにも、または不満を抱いているようにも見える不思議な表情を浮かべる。
そんな親友の様子にサーシャは深々と嘆息した。
「……アリシア。まだ不満なの?」
「……だってえェ」
と、不貞腐れたような口調で返すアリシア。
活発にして、明快な彼女にしては珍しい態度だ。
そして、アリシアは前のめりにバルコニーの柵に寄りかかり溜息をもらす。
「……アッシュさんのばかぁ……」
普段はまず発しない愚痴までもれる。
彼女がここまで拗ねているのには理由があった。
それは、前日の夜のことだ――……。
「テ、テロリストですか?」
サーシャが唖然とした声を上げた。
そこは、ハウル邸。アッシュ達に割り当てられた客室の一室だ。
今、その部屋には《七星》のサーコートを纏ったアッシュとオトハ。そしてサーシャ達四人の騎士候補生と、ユーリィが揃っていた。
アッシュが「話がある」と告げて全員を集めたのだ。
「……ああ、そうだ。恐らく明日、かなりの高確率で襲撃を受けることになる」
腕を組んだアッシュが淡々と告げる。
「『奴ら』の狙いはフェリシア皇女だ。騎士団は総出で市街の警備に当たる。そして俺とオトは他の《七星》と一緒に皇女様の護衛につくことなった」
そこでアッシュはユーリィの方へと歩み寄ると、
「ユーリィ。お前は明日、皇女様と一緒にパレードに参加することになっているが、何があっても必ず俺が守る。だから心配すんな」
言って、愛娘の空色の髪を撫でた。
ユーリィはアッシュのサーコートの裾を握りしめて尋ねる。
「……アッシュ。テロリストのこと、皇女様は知っているの?」
「……ああ、知っているよ。昨日、団長が伝えたそうだ」
「…………そう」
ユーリィはわずかに眉を寄せる。この数日でフェリシアとは沢山のことを話し、随分と親しくなっていた。あの少女の心情を思うと胸が痛む。
そして、それはサーシャ達も同じだった。
「――アッシュさん!」
アリシアが声を上げる。
「私達にとっても皇女様は大切な友人なんです! 危険と知った以上、黙って見ていられません! 何か手伝えることはありませんか!」
「そ、そうだよ! 何でも言ってくれ師匠!」
と、エドワードがアリシアの言葉に続いた。声こそ上げなかったが、サーシャとロックも同じ気持ちだった。
しかし、アッシュはかぶりを振る。
「ダメだ。お前達は何もするな」
「そんな! けど、アッシュさん!」
と、諦めず言い募ろうとするアリシアに、アッシュは深々と嘆息した。
「つうか……マジでオトの懸念通りだなぁ……」
アッシュは傍に立つ友人に、ちらりと目配せする。
オトハはやれやれと肩をすくめた後、アッシュに応えた。
「だから言っただろう?」
「ああ、確かにな。はぁ……アリシア。ちょっとこっち来い」
「……え? 何ですか?」
急に呼ばれ、困惑するアリシアだったが、言われた通りアッシュの傍に寄る。
すると、いきなりアッシュに両頬をつねられた。
「ふえっ!? な、何を!?」
驚愕の声を上げるアリシア。ほとんど痛くはない。緩いつねり方だ。
だが、唐突過ぎて心底驚いた。横で見ていたサーシャ達も驚き、オトハとつねっているアッシュ本人以外はポカンとしている。
アッシュはその状態でアリシアに語り始める。
「……アリシア。《業蛇》の時もサーシャが《シーザー》に監禁された時も、お前らは危険だと理解しているのに無茶なことをした。ユーリィから聞いたんだが、その時の言いだしっぺは大体お前だったらしいな」
「えっ!? い、言われてみればそうかも……」
頬をつねられながら記憶を辿り、ぼそりと呟くアリシア。
そんな少女に対し、アッシュは小さく嘆息する。
「……今だってそうだ。お前が真っ先に意見を出した。そしてエロ僧やサーシャ達はそれに賛同した。お前をリーダーとして信じているからだ」
アッシュはほんの少しだけ指の力を緩めた。
「お前の誰かを想う気持ちは素晴らしいと思う。けどな、そのためになら無茶をしてもいいってことじゃないんだ」
「…………」
アリシアは何も言わない。何を言えばいいのか分からないからだ。
「俺も騎士とか傭兵とかしてたから思うんだが、戦場においてリーダーってのは慎重になんなきゃなんねえ。なんせ、判断を誤れば仲間が死ぬことになるからな」
アッシュは一拍置いてから、あり得た例を挙げる。
「例えば《業蛇》の一件。あの時、もし俺があと五分遅れていたら無手のサーシャは殺され、お前達は全滅していたかもしれない」
「――ッ!」
言われ、アリシアは息を呑む。
「《シーザー》の一件もだ。陽動まではまだいい。だが、カテリーナ=ハリスと出くわした時、あの女を挑発したのは明らかに失態だ。もしカテリーナ=ハリスが殺す気でいたら、少なくともエドワードとロックは死んでいたぞ」
「…………う、あ……」
アリシアは呻き、ふらふらと後ずさった。
アッシュの言葉はさらに続く。
「もちろん、これはあくまで可能性の話だ。けどな、それほどのリスクを孕んだ状況でもあったんだよ。かなりキツイことを言うぞ」
一呼吸入れて、アッシュは辛そうに告げた。
「お前は……自分や仲間の死まで想定して判断していたのか?」
その容赦ない問いかけに、アリシアは凍りついた。
それはオトハを除く他のメンバーも同様だ。
アッシュは、息を呑むサーシャ達の方へも目をやった。
「……言っとくが、これまでの行動は切っ掛けこそアリシアの言葉だったが、それはこの子だけの責任じゃねえ。特にお前らは友達であって部下とかじゃねえもんな。反対することだって出来る」
言われ、身体を硬直させるサーシャ達。
改めて自分達の行動を振り返っているのだろう。
ふう、と息を吐いた後、アッシュは再び視線をアリシアに戻す。
「……アリシア。お前は少し『想い』を優先しすぎている。今までは上手くいっても冷静な判断が出来なければ、いつか取り返しのつかないことになるぞ」
アッシュの厳しい言葉に、蒼い瞳の少女はもはや泣き出しそうになっていた。
白髪の青年は少女の頬から、そっと指を離す。
「なぁアリシア。お前の決断はいつだって自分の為なんかじゃなく誰かの為のものだった。それは誇るべき事だ。けど、現実ってのは本当に容赦ねえ時があるんだ」
アッシュは、アリシアの瞳を静かに見つめた。
「自分の力量。状況の把握。何ができ、何が無理なのか。見極める力を身につけるんだ。お前なら出来る。そして、何よりも――」
そこでアッシュは苦笑を浮かべながら、アリシアの頭を撫でた。
「友達のことも大切だが、同じぐらい自分のことも大切にして欲しい。そんなしょっちゅう無茶ばかりされたら心配で胃に穴があいちまうよ」
アッシュの口調は、とても優しい。
心の底からアリシアとサーシャ達を心配している声だった。
「……うっ、うぅ……」
ボロボロ、と。
アリシアは蒼い瞳から涙を零し始めた。
アッシュはアリシアを優しく抱き寄せ、ポンポンと頭を叩く。
(ごめんな、アリシア……)
アッシュの腕の中で少女は嗚咽をもらしていた。まだ十六歳の女の子相手にとても酷なことを言ってしまったが、これもこの子の安全のためだ。
それから、アッシュはサーシャ達三人とユーリィの方を順に見やり、
「今回はアリシアばっかり責めちまったが、これはお前らにも言えるんだぞ。たとえ共感できるような意見だとしても、危険だと思ったら絶対に止めること。状況の判断は何もリーダーだけの仕事じゃねえんだからな」
厳しい口調でそう告げた。
しばしの間、部屋に沈黙が下りる。と、
「分かり、ました……先生。ごめんなさい」
そう言って、頭を下げてきたのは一番素直なサーシャだった。
続いて、ユーリィがアッシュのサーコートの裾をギュッと掴んでこくんと頷く。
「……すいません、師匠。確かに俺達はエイシスに頼り切って決断を押しつけていたかもしれません。責任は俺達もあります」
「まあ、今思えば、結構危ねえことばっかやってきたもんな……すいません」
ロックとエドワードも頭を下げてきた。
アッシュと、もう一人の保護者であるオトハは苦笑をこぼす。
「まあ、分かればいいさ。お前らなら次からは大丈夫だろう。んじゃあ……」
アッシュは視線を腕の中のアリシアに向けた。
「……アリシア。今回は大人しくすること。危ねえと思ったらすぐ逃げること。それが最善だってことは理解できるよな」
言って、アッシュは栗色の髪を撫でる。
瞳に涙を溜めたアリシアは、青年の顔を見上げた。
……アッシュの言っていることは分かる。ここは「騎士」の国。自分より優れた騎士などいくらでもいる。何より、彼が本当に自分達のことを心配しているのも。
だから、今すべき最も正しい判断は――。
そうして、しばしの沈黙の後。
アリシアはただ、こくんと頷くのだった。
「……けどさァ」
場所は戻り、宿屋のバルコニー。
アリシアはすこぶる不貞腐れていた。
「……私達にだって少しは役に立つと思うのよね」
「もう。また、そんなことを言って。先生に怒られるよ?」
サーシャが呆れた口調でそう窘める。
一度は納得していたアリシアだったが、やはり少し不満も残っていた。
ただ、流石に行動に移すような真似はしないが。
「この国の騎士の練度の高さは見ただろう? 俺達の出る幕はないさ」
ロックが肩をすくめてそう語る。
元々海外研修で来ている彼らはすでに騎士団の訓練も見学させてもらっていた。
その時の練武はまさに「見事」の一言だった。個々の力量の高さはもちろん、何より騎士団としての連携の秀逸さには目を瞠るばかりであった。
あれほどの練度の前では自分達が混じっても足手まといにしかならないだろう。
「まあ、流石は騎士の本場だよなぁ」
自分より強い者がうじゃうじゃいる事に少々自信を失くしたエドワードが呟く。
これではユーリィと付き合うなど夢のまた夢である。
「ははは、みんな元気出そうよ」
と、皆を励ますように、サーシャが笑顔を浮かべた。
しかし、友人達はいまいち元気にならない。
銀髪の少女は苦笑を浮かべて、蒼い空を見上げた。
雲が緩やかに流れる冬の空。そこには白い鳥が群れを成している。
サーシャはすうと琥珀色の瞳を細めた。
(……先生。ユーリィちゃん。オトハさんにミランシャさん。アルフ君。そしてフェリシア皇女様……)
次々と思い浮かぶ親しい者達の顔。
今日一日。願わくは何もなければいいのだが……。
「……みんな、頑張ってくださいね」
サーシャは願いを込めて静かにそう呟いた。
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