第六章 少女の行方
第84話 少女の行方①
「…………う」
小さく呻き、サーシャは目を覚ました。
ぼやけた視界に映るのは白い天井だ。むくりと上半身を起こす。
「……ここは?」
サーシャはやや寝ぼけたような表情で周囲を見渡した。
花瓶や絵画などの調度品や、自分が今座っている上質なベッド。壁の近くには木製の机や椅子が置いてある。どうやらどこかの客室のようだ。
「……? ここはどこ? どうして私こんな所に?」
サーシャは小首を傾げた。
確か、自分は海が見える高台にいたはずだ。
アリシア達と、出会ったばかりのリーナと共に遊覧船、《シーザー》の姿を見物しに行ったはずなのだが、そこで記憶が途絶えている。
「……痛」
サーシャは眉をしかめて首筋を手で押さえた。何故か少し痛い。
しかし、ここで考えても状況は把握できなさそうだ。
サーシャは立ち上がり、ベッドから降りた。
続けて、部屋のドアの前へ進み、グッとノブを掴む……が、
「……開かない」
外から鍵でもかけられているか、ドアノブはいくら力を込めても動かなかった。
嫌な予感がする。思い出すのは、かつて自分の身に起きたあの事件だ。
あの時と違って服装こそは私服の白いドレスのままであったが、見知らぬ部屋で目覚める状況などはそっくりだ。
(いや、けど、まさか……)
サーシャはドアノブから手を離して部屋の中を再び見渡した。
ドアは開かないと思った方がいいだろう。
ならば、今の状況を知るためには部屋の中を調べる方が良さそうだ。この部屋には窓がないため、外を確認するのは無理だが、花瓶を飾ってある棚や、机などには何かしらの手掛かりがあるかもしれない。
そう思い、まずは手近な机に近付いた、その時だった。
――コンコン。
と、不意にドアがノックされたのだ。
サーシャは驚き、目を見開くが、
「あっ、はい、どうぞ」
と、ある意味、随分と間の抜けた返事をしてしまった。
しかし、部屋の外にいる人間も真面目な人物だったのか、「では、失礼しますね」と返ってきた。サーシャは目を剥いた。今の声には聞き覚えがあったからだ。
そして、ガチャリとドアが開く。
サーシャは緊張した面持ちでドアの向こうを見据えた。
――そこには、二人の人物がいた。
一人は白いブラウスと黒いタイトパンツを身に纏った赤い眼鏡がよく似合う美女。
リーナ=グレイグと名乗った女性だ。
そしてもう一人は見知らぬ四十代の男性。
かなり派手な柄シャツに、茶系統のハーフパンツを着こんでいる。まるで糸のような細い目と、温和な笑みが特徴的な男だ。
「ふふっ、お目覚めになられたようですね。サーシャさん」
リーナが笑顔でそう告げる。サーシャは訳も分からないまま、彼女に尋ねた。
「あの、リーナさん。ここはどこなんですか? それに私どうしてここに?」
すると、少女の問いにリーナは困ったように眉根を寄せて、
「それは、非常に申し上げにくいのですが……」
「ああ、いいですよカテリーナさん。私からご説明しますから」
と、隣に立っていた男性がそんなことを告げた。
サーシャの困惑は増すばかりだ。
しかし、リーナはサーシャの様子は気にせずに、ただ深々と男に頭を上げる。
「そうですか。それではよろしくお願いします。支部長」
「はい。任してください。では、お嬢さん。まずは自己紹介をしますか」
支部長と呼ばれた男は一歩前に踏み出し、サーシャに一礼をして語り始める。
「初めまして、お嬢さん。私の名はボルド=グレッグと申します」
「あっ、初めまして。私はサーシャ=フラムと申します」
つられて自己紹介するサーシャ。ボルドは、ふふっと笑った。
「どうやら育ちの良い方のようですね。さて。続いてこちらの女性ですが……カテリーナさん、どうぞ」
と、ボルドが挨拶を促す。カテリーナはこくんと頷いた。
「カテリーナ=ハリスと申します。以後お見知りおきを」
サーシャは軽く目を剥いた。
「……え? リーナさんじゃ……」
「申し訳ありません。それは偽名です。ですが、愛称でもありますので、そのまま『リーナ』とお呼びください」
「は、はあ……」
と、困惑した声を上げるサーシャ。
ボルドは、そんな彼女達の様子にくつくつと笑い、
「彼女は私の秘書なんです。とても優秀な人なんですよ」
そう言ってから、いよいよ本題に入る。
「さて、サーシャさん。あなたの今の状況ですが……失礼ながら、あなたを誘拐させて頂きました」
「……え?」
さらりと、とんでもないことを告げられ、サーシャは唖然とした。
誘拐。もしかしたらと考えなくともなかったが――。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 誘拐!? じゃあ、あなた方が誘拐……犯?」
「ええ、そうですよ。私が主犯。カテリーナさんが実行犯になります」
そんなことをボルドは平然と言った。
サーシャは目を皿のようにして見開く。
「な、なんでそんなことを……わ、私の家は結構貧乏ですよ!?」
「はははっ、身代金目当ての誘拐ではありませんよ。目的はあなた自身です」
「え? わ、私……?」
身の危険を感じたのか、サーシャが両手で胸元を押さえて後ずさる。
すると、ボルドはパタパタと手を振り、
「いえいえ、別に私があなたをどうこうしたい訳ではありませんよ。私ってそんなスケベ親父に見えましたか? ねえ、カテリーナさん」
「はい。スケベ親父に見えましたわ。目を潰したくなるぐらい」
「……怖いこと言いますね。まあ、いいですが……コホン」
ボルドは咳を一つ立てると、本題に戻った。
「実はセラ大陸では今、ハーフが凄い人気商品なのですよ」
「ハーフが……商品?」
サーシャが眉をしかめて、不吉すぎるその言葉を反芻した。
ボルドは「はい」とにこやかに笑って答える。
「だからあなたを入手したんです。我々――《黒陽社》が」
「――ッ!? こ、《黒陽社》ッ!?」
「ああ、クラインさんやタチバナさんのお知り合いだけあって、やはり我々のこともご存知でしたか」
呆然とするサーシャに対し、ボルドは満足げに頷く。
「まぁ話を続けますが、我々にとってあなたは大切な《商品》です。決して無下に扱ったりしませんので、自暴自棄になって無茶な事をするのはやめてくださいね」
そこでボルドは部屋の中を見渡した。
「幸いこの部屋は、シャワールームやトイレなど一通り揃っているようですし。食事も一日に三回、カテリーナさんに運んでもらいますから、時機が来るまではゆっくりと過ごしてください」
言うべきことを伝えたボルドは一礼すると、踵を返した。
カテリーナも頭を下げ、ボルドの後に続く。
未だ愕然としたままサーシャは、言葉さえ出せず見送るだけだった。
そして再びドアが閉められた。
「……一体、どういうことなの?」
ふらふらと後ずさり、ボフンとベッドの上に座りこむ。
あまりの状況に、ただ愕然とするしかないサーシャだった。
ただベッドの上で、幼い子供のように膝を抱えて顔を埋める。
そして――。
「……みんな、オトハさん……アッシュ……」
友人達、教官、そして愛しい人の名を呟く。
しかし、サーシャのその声は、誰にも届くことはなかった。
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