第3話

「そんなある日──俺たちのクラスに転校生が来た。四年生になったばかりの春のことだ。

「なんでも父親が有名なインテリア・デザイナーとかで、かなりの金持ちらしかった。背も高くってな(そのころの俺はどちらかっていうと小柄だったんだよ)、勉強もよくできた。いつも散髪したてみたいな頭をしてた。ひろい額がみょうに大人っぽくって、一重瞼ひとえの目がいつも冷静沈着でさ。なんていうか──黒目があんまりあちこち動かないんだよ。あぁ、こいつとは仲良くしたほうがよさそうだ、ってみんな結論づけたみたいだった。子どもってのは計算高いところもあるからな。仲間に入れるのか苛めるのか──ちゃんと決めるんだよ。

「だけど、仲間に入れるどころか──そいつはあっというまに俺たちのグループのボスになってた。いつも財布に一万円ぐらい持っててさ。小学四年生がだぜ。今では別におどろくほどのことじゃないのかもしれないけど、俺たちのころはそんなやつどこにもいなかったよ。

「それで──もっと嫌なことには──そいつは気が向くと俺たち一人ひとりに百円とか二百円とかずつくれるんだよ。顎さきを持ちあげて、下目使いに俺たちを見下ろしながら。

「俺はくやしかったけど、ありがとうって言ってもらってた。やっぱり欲しいもんな。おばちゃんの店で駄菓子も買えるわけだし。

「だけど転校生は、おばちゃんが嫌いらしかった。

「いつも自分が中心じゃなきゃ我慢できない性格なんだよ。おばちゃんの人気が、面白くなかったんだろうな。

「それにそいつはよく万引きしたんだ。さっきも言ったように金は持ってるんだよ。スリルを味わうためか、自分の勇気をひけらかすためか、わざわざ俺たちの前でやるんだ。お菓子屋でチョコレートをるとか、本屋でマンガ本を盗むとか──そのていどのもんなんだけど──。

「俺たちはびっくりしてな。もちろんそんなの勇気でも何でもないんだけど──まぁ、ショックでさ。すごいことのように思えたんだよ。

「それで──もう想像つくかと思うけど──そいつはやっぱりこう言いだした。おまえらもやれ、って。それも──

「おばちゃんの店でやれ、ってな。

「俺たちは下を向いて黙ってたよ。誰もそんなことやりたくなかった。だけど──やっぱり強いものにへつらうってのは、大人の世界でも子どもの世界でもいっしょでさ──。ひとり、ふたりと──おばちゃんの目を盗み、ガムやらスーパーボールやらを──万引きしたんだ。

「まだやってないのはとうとう俺だけになった。おばちゃんにしがみつくのが大好きな坊主頭までやりやがった。顔じゅう涙と鼻水だらけにしてあとでワンワン泣いてたけどな──。

「転校生は動かない黒目で俺を見下ろしながら、結論をくだすように言ったよ。駄菓子屋で万引きができないんだったら、そんな意気地なしとはもう付き合えない、ってな。まったくな──てめぇがあとから仲間に入ってきたくせにな。だけどもう──やらないわけにはいかないような雰囲気ができちまってたんだ。

「それに俺も負けず嫌いなところがあった。俺の口はいつしかこんなことを言いだしてた。おまえらがおばちゃんのところから盗んだものなんてガムとか飴とかそんなもんばっかりやないか、僕やったらもっとすごいのを盗ってくるぞ、って。

「そしたら転校生があざけるような笑みを浮かべて俺の肩に手をまわした。耳もとに口を寄せてきてこう言った。『よし、それでこそ俺たちの仲間だ。じゃあ藤堂は、当てものの〝サメ〟を盗ってこい』。──くじの一等賞の商品が、ゴムでできた大きなサメのおもちゃだったんだよ。当てものの商品がビニールに入ったまま、壁にずらりと張り付けてあったんだ。三十センチはある本物そっくりのそのサメは、子どもたちの目をひときわ引いてた。

「そんなものどうやったって盗めっこないように思えた。だけど俺は──よしわかったって答えた。今日、かならずやってやる、って」

 藤堂さんは唇をゆがめ、座卓の上に置いた自分の手のひらを見つめた。無意識みたいに指をゆっくりと曲げ、また伸ばした。目の焦点はどこにも合っていないようにも見えた。新しい缶ビールをつかみ、プルタブを乱暴な手つきで引いた。グラスには注がないでそのままのどを鳴らして飲んだ。僕がいることも一時的に忘れているように思えた。となりの部屋からピアノ曲が洩れ聞こえてきた。どこかで聞いたことのある、哀調をおびた曲だった。題名と作曲者の名前も出てきそうだった。音が大きすぎたと思ったのか、ふいに隣室の人間がボリュームをしぼり、曲はほとんど聞こえなくなった。

 気がつくと、藤堂さんは缶ビールをテーブルに戻し、話をつづけていた。

「それを盗む瞬間──頭のなかは白っぽくにごってた。キーン、って耳鳴りがしてたようにも思う。寒いような気もしたし、首すじに汗が浮くほど熱かったような気もする。自分がどこにいるのかもほとんどわからなくなってた。いったい何をしようとしているのかも──。だって俺は──おばちゃんの目の前で、のろのろと腕をのばし、サメのおもちゃが入ったビニールを壁から引きちぎってたんだからな。

「足もとの地面が両開きの扉みたいに開いて、どこかへ落ちていく錯覚も覚えた。スローモーションみたいな速度で落ちながら──ふと、いつだったかおばちゃんが俺に語ってくれた話が──そのときの場面ごと──思い出されてもいたんだ。子どものころ俺は体があまり丈夫ではなかった。しょっちゅう熱を出しては学校を休んでた。そのときも病み上がりかなんかで、川べりの原っぱで野球をする友だちを土手に腰かけて一人で見てたんだ。夕暮れだった。俺の坐ってるところは木陰だったんだけど、原っぱには黄色い西陽がまだいっぱいに降りそそいでた。ふしぎなほど明るい陽ざしだった。ひかりのなかを走りまわる友だちは何だか幻みたいに見えた。山の峰から峰へとつづく線の上には、茜色あかねいろに紫色をまじえた雲のつらなりがあった。その上の雲は桃色、さらに上の空はまだ澄んだ水色をしてた。その青さを、俺は長いあいだ見つめてた。そしたらいつのまにかおばちゃんが来て、となりに坐ったんだ。『風邪はもうどうもないんか?』って。俺は膝をかかえたままコクリとうなずいた。おばちゃんは子どもたちに目をやったまま、話しだした。『あんたはどっちかっていうとチームワークみたいなことは苦手な子やしな。野球もあんまり好きとちがうんとちがうか?』

「たしかにそのとおりだった。でもそのわりには俺はいつも巨人の野球帽をかぶってる子どもだったんだ。まぁ、その当時の子どもっていうのは、どこかの球団の野球帽をたいがいかぶってたんだけどな。おばちゃんは話しつづけた。

「『嫌いなことは無理にせんでもええんやで。僕は嫌いや、言うたらそれでええねん。それがその人の個性なんやから。学校もそのために行くんやで。全部の教科で満点とるために行くんとちがう。自分はなにが好きでなにが嫌いかを知るために学校へ行くんや。僕は国語は好きやけど算数は嫌いやな、とか。体育は苦手やけど歌をうたうのは大好きや、とかな。全部百点とれ、いうのんは間違いなんや。そんなもんとれるかいな。とったらとったでそれはそれでまた大変や。自分はなにが得意なんかがわからへんもん。あんたはあんたの好きなことをやり、それで嫌いなもんは嫌いやとはっきりいい。それでええねん』

「それでええのんかなおばちゃん、って俺はとなりにある丸っこい顔をのぞきこんだ。『僕はなにが好きなんかなぁ。僕はなにが得意なんやろ? でも僕は、気が弱いからなぁ』

「『あんたは気が弱いんとちがう』とおばちゃんは返した。『神経の感度が人より良すぎるんや。もちろんそういう人間にしかできひん仕事、役割いうもんがあるんや。おばちゃんにはわかる。あんたはそれを見つけたらええ。そしてそれを楽しみなさい。あせらんと、ゆっくり、時間をかけて、探してったらええ。探してったらええんや──』

「──サメのおもちゃをビニールごと壁から引きちぎる瞬間──俺の目は涙でいっぱいになってたらしい。一ぴきのはずのサメが、ぼやけて二ひきにも三びきにも見えた。ビニールの端がちぎれる音が頭の内側で聞こえた。友だちらがバッ、と逃げ出す気配があった。俺も体の向きを変え、走って店から出た。

「そのとき俺は、かぶってた巨人の野球帽を落とした。どっかから突き出してた弓矢のおもちゃかなんかに引っかけたんだよ。背なかでおばちゃんの声がした。『あっ、僕っ』って。怒ってるようなひびきではなかった。なにがなんだかわからないといった声だった。それでいて、とてつもなく悲しいものがまざった声だった。『あっ、僕っ』って──」

 藤堂さんはロー・テーブルの上に目を落とした。首も何度か左右にふった。両の下瞼が苦しげに持ち上がり、また下がった。刻まれたままのしわがそこに残った。一気に十歳も老けてしまったように見えた。僕は聞いているのがだんだんつらくなってきた。だけど席を立って帰るわけにはいかなかった。話してくれと持ちかけたのは僕のほうなのだ。どこかの部屋でトイレの水を流す音が聞こえた。引き戸が敷居を滑り、柱にぶつかるカツンという音も響いた。遠くで誰かと誰かが笑うくぐもった声──。この話がどこへ向かっているのか見当もつかなかった。いったいいつ怖い話に変わるんだ? うつむいてそんなことを考えていると、「眠いのか? コーヒーでも入れようか?」、藤堂さんの声が聞こえた。僕は首を起こした。ぼんやりとした目つきをした藤堂さんの顔が正面にあった。電熱棒の明かりを受けた右の頬が赤い。いらないです、と僕は答えた。本当に欲しくなかったし、藤堂さんもコーヒーをいれる気などまるでないように見えたのだ。

「──まぁ、そんなことがあって、俺はもう駄菓子屋へは行かなくなった」

 藤堂さんはまた目をふせ、力なく微笑わらった。しばらくうつむいていたが顔を上げ、右手でいらだたしげに前髪をはらった。「五年生になり、六年生になり、もうそんな年でもなくなってたのもあったしな。皮肉なことにその転校生がいたのは、一年にも満たないあいだだけのことだったよ。

「俺はみんなと同じ中学校に進み、みんながあまり受験しない高校へ行った。自分のことを誰も知らないところへなんだか行ってしまいたかったんだ。そして卒業後、半年間肉体労働をやって金をため、東京へ出てきた。それからもう十三年がたち──いまにいたったっていうわけだ」

 ──それで、終わり? いや、そんなわけはないだろう。ちっとも怖くないし、不思議な話にもなっていない。そう思ったのが顔に出たのだろう。藤堂さんは唇のはしで苦笑わらい、手のひらをやわらかくこちらへ向けた。

「まぁ、待て。もちろんこれで終わりじゃない。ちゃんとつづきはある。東京に出てきてその五年後──つまり俺が二十三歳のときのことだ」

 藤堂さんは缶ビールに唇をつけ、残りを飲みほした。








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