第53話 溶鉱炉

「カオスのプログラム。その骨組みは全て揃いました、あとは中身です」

「中身?」

「はい、オルタナを短時間で破壊することのできる『カオス』の原理。それはオルタナのコネクソンを全て溶かす点にあります」


 研一の背筋に嫌な予感が走った。


 コネクソン。

 オルタナという仮想現実世界がここまでスムーズに、そして滑らかに動くのは「コネクソン」というプログラム同士を繋げるネットワークが発明されたからだ。それまでの方法では一つ一つの動きが遅すぎて、とても仮想現実の世界としての役割を果たすものではなかった。それがこのネットワークの開発により、一気に今のような形態へと変貌を遂げたのだ。


「それで? どうやってコネクソンを溶かす?」


 研一は何となく先が読めていたが、改めてJにその先を促した。


「はい、コネクソンを溶かすプログラムを用意するには最低でも一週間かかります。しかしそれを一瞬で解決する方法があります。それは……」


 そういって、Jは研一を指差した。いや、正確には研一のとある一部分を指差した。


「おいおい、まさかこの天叢雲剣あめのむらくもを差し出せなんて言わないだろうな」

「はい、そのまさかです」


 雪がきょとんとした表情を浮かべた。


「どういうこと? 差し出すって」

「この天叢雲剣あめのむらくもの原理は、オルタナで使われているネットワークシステム『コネクソン』を効率よく切り取るところにあるんだ。家とかビルとか全部壊そうとしたら大変だけど、大事な骨組みだけを集中して壊せば、少ない力で大きなものを壊せるだろ?」


 雪は腕を組み、うんうん、と頷いた。


「おそらくカオスの正体は例えるなら天叢雲剣あめのむらくもの巨大版ってとこだろう。全世界のオルタナに天叢雲剣これを連鎖的に作動させ、全て分解する、そういうことだな? J」


 Jはにこりと口元を緩めるとこくりと頷く。


「そして、そのカオスの実行に天叢雲剣これを使うってことは、一旦このプログラムは初期化される、つまりもう天叢雲剣これは俺の手元には戻ってこない。言い換えると俺の大事な相棒を『溶鉱炉に投げ込め』と、そう言ってるんだな?」


 Jは一つ瞼を閉じると優しく、そしてゆっくりと首を縦に振る。

 研一はまるで助けを乞う様な眼差しで、Jのスクリーンを見上げた。


「なあJ。この刀は俺にとって家族みたいなもんだ。いつも俺のそばにいて、俺を勇気付けてくれた。悪い奴だってたくさんやっつけてきた。クレストの優勝できたのもこいつのお陰だ。今回だって、何度も俺の窮地をこいつは救って来てくれったんだ」


 Jは頷くどころか、ぴくりとも顔を動かさず、スクリーン越しに研一の瞳の奥を覗き込んだ。


「……わかってる、お前の言いたいことは。そんな事を言っている場合じゃないってことだろ」


 研一はすでにJを見ていなかった。今までのたくさんの思い出、初めて天叢雲剣あめのむらくもを手にした時のこと、うまく使えず、最初は自分のプログラムの置き場の隅に放置していた事。次第に使いこなしていき、初めて自分より容量の多い、悪質なユーザーを一瞬で粉々にした快感——。


「——もうお別れってことか。最後はその身をもってあるじを救う、か。かっこよすぎるぜ、お前」


 研一は小さくなった天叢雲剣のレプリカに頬ずりした。


「さあ、ケンイチ。あまり時間がありません、それを渡してくれますか」


 ケンイチが両手で顔を覆い視線を落とす。それからゆっくりと、名残惜しそうにそのレプリカを自分の顔の前に差し出した。それからゆっくりと手を離すと、それは浮かびながら、少しずつJのスクリーンに吸い寄せられた。


 その美しく去りゆく相棒の姿はまるで、もう大丈夫、君は一人で歩いて行ける、そんなことを言っている様にも見えた。


 小さくなった天叢雲剣あめのむらくものレプリカが、Jのスクリーンに届くと、その画面が一瞬きらりと光った。それから、Jの画面が大きく揺れ始めた。中に映るJはまるで暴風に晒されているように、髪、皮膚、服全てが一方向に煽られ始めた。ゴォォォォーーーー、という凄まじいい轟音と共にあたりの鉛の壁も、ある一方向に尾を引く様に引き伸ばされ始めた。


「いよいよ始まりました。カオス——終わりの始まりです」


リミットはついに30分を切っていた。


00:29:58

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