第19話 雪の元彼

 その研一の口から発せられた言葉に、思わず雪は口の中の物がそこら中に飛び散るところだった。通常なら大量の口内物が飛び散っていただろう。しかしオルタナではリミット機能があり、女子の口から何か飛び出る際は周りからは見えないように加工されていた。

 その後も雪は、変わらず驚いた表情を崩さない。


「研一君、知らないの? 私が別れた事」


 知らないの、というか普通知らないだろう、そんな他人のプライベート。と正直研一はイラっとしたが、雪が昨年のクリスマスイブ、元彼と別れた事実は星城学園のトップ3に入る重大ニュースであり、学年を越えたほとんどが知っていることを研一は知らなかった。


 それから雪は、はははは、と笑い声をあげ、そっか知らないんだー、ふふふふと笑い続けた。


「そんなにおかしいかよ。悪かったな、知らなくて」


 雪は思わず首を横に振り、その笑顔を振り払った。


「ごめんごめん、そうじゃなくて。あの、何か……嬉しかったの」

「嬉しかった?」


 雪はまるで、いたずらが成功して喜ぶような笑顔を浮かべて、こくりと頷いた。


星城学園うちってさ、噂まわるの早いでしょ? 私が元彼と別れた話もすぐまわっちゃって。たったの2日後なのに、全然話したことも無い人から『元気出せよ』とか言われたりして正直うんざりしてたんだ。だから、研一君みたい人もいるって知ってちょっと安心した。ごめんね、笑ったりして」


 そうか、こちらからすれば高嶺の花の世界であっても、それぞれはみんな色々悩みを抱えているのか、そんなことを考えていた。


「でも今は大丈夫。もうだいぶ前の話だから」


 そう前置きしてから、雪は昔話を語り始めた。


「サッカー部の遠藤君、知ってるかな? 確かにカッコよかったし、頼りになる人だなって思ってたから、告白された時、嬉しかったんだ」


 サッカー部の遠藤。背が高くて、髪は少しチリチリ。顎の骨格がしっかりしている印象はあったが、確か目は細くて、あまりベラベラ喋る方ではないと認識している。一度だけ、文化祭の連絡事項を告げられたことがあったが、それに対して、質問をしようとしたときにはすでにその場にはいなかった、という思い出しか研一には無かった。

 何人かの彼女と付き合っているのを見たことがあるので、きっとモテる部類に入るのだろう、と研一の中ではカテゴライズされている。


「ある日ね、私が特に用件はなかったんだけど、彼に電話した事があったの。そしたら妙に素っ気なくて。何でかな、って思ってたら後で判明したんだけど、その日AKBK360°の新曲発表の日だったの。遠藤君すごくファンだったからさ、それをどうしても見たかったらしいのね。それを私が電話しちゃったもんだから、見れなかったらしくて。次の日ね『電話するときはメールしてからにしてくれない?』って言われて……。なんかそれって変じゃない? それからお互い変な感じになっちゃって。クリスマスイブの日にデートに誘われたんだけど、なんか私の中でヤキモキしてたから、行けないって言ったの。そしたら彼『どうして?』ってしつこく聞いて来るから、私思わず言っちゃった。『気になる人が他に出来たから』って。それが最後、もう連絡は取ってないんだ」


 AKBK360°の新曲発表、研一も少しはテレビで見ていた気がする。クリスマスイブというイベントも確かに研一の元にも来ていたはずだった。しかし、時を同じくして別の場所ではそんなドラマが繰り広げられていたとは。その時は研一はぼーっとテレビを見ていたか、オルタナで無駄に時間つぶししていたか、どっちかだっただろう。同じ高校生のはずなのにこうも見ている風景が違うなんて。その現実に研一は呆れていた。


「ごめんね、私ばっかり喋っちゃって。そういえば研一君は? 彼女いるの?」


 研一は飲もうとしていたアップルテイストドリンクを、ぶっ、と吐き出した。


「か、彼女? んなもんいるわけねえーだろ」

「じゃあ好きな人は? 研一君何系が好きなの? お嬢様系? アウトドア系? 純粋に可愛い系だったらミキが絶対おすすめなんだけどなぁ」


 ——ミキは元彼と別れてだいぶ経つし、特に今は好きな人いないらしいよ、それにね……


 そんな話を片耳で聞きながら、研一は辺りを見回していた。

 シンデレラ城は相変わらず、その色を変え、時々伸びたり縮んだり。魔女の恐ろしい顔が浮かんだり、シンデレラの笑顔が浮かんだと思うと、恐怖の表情をしたり。その前をたくさんのユーザーが通り過ぎる。

 誰か知り合いに会わないだろうか、今も隠している壱の存在がバレていないだろうか、その不安が払拭されることはいつまでもなかった。


「ねえ、そう言えば研一君知ってた? オルタナの世界一を決める戦いっていうのがこの前あって、優勝したの日本の人らしいよ」

「え?……あぁ。へえ、そうなんだ」


 あたかも知らなかったかのように誤魔化したその研一の様子に、雪は気づいていない。


「すごいよね、もしそんな人が近くにいたら、私キュンとしちゃうだろうな」

「どうせバーチャルリアリティでしか活躍できない、オタクだろ。しょうもないやつだよ」


 突然、雪の顔から笑みが消えた。すると、今までのころころ変わっていた表情が一気に引き締まる。端の少し垂れた黒い瞳は透き通り、額の上で前髪がさらりと揺れた。そしてそのパッチリとした目を細めると、研一をじっと見つめる。そのままぐいぐいと顔を近づけて来た。思わず研一は背後に仰け反る。


「お、おい。なんだよ?」


 それから雪は人差し指で、研一の鼻のてっぺんを突っついた。


「こら、研一君。嫉妬してるでしょう? 私がその人のことカッコいいって言ったから……」

「いや、そんなんじゃねーし」


 もう、可愛いんだから、研一は……そう言いながら、雪は笑いながら再び深く椅子にもたれかかった。

 その時だった。ふと雪の頭が後ろに立っていた誰かにぶつかった。


「あ、ごめんなさ……え?」


 そこにはプラカードを持ちながら、神妙な面持ちで、雪をじろっと睨む、全身黒のヴェールを纏った、ドクロが立っていた。


「ひゃっ!」


 思わず雪は研一の元に駆け寄る。

 それから同じようなドクロが何人もゆっくりと集まってきた、みんな雪と研一の二人を見つめる。

 プラカードにはこんなことが書いてあった。


「オルタナ反対! オルタナから人間を取り戻せ! オルタナ禁止令、実行せよ!」


21:34:19

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