第30話 Jという人物
「J? 研一君の知ってる人?」
「あぁ、昔一緒のチームにいたことがある、フィンランド人だ」
雪は目を丸くした。
「フィンランド人? 日本語出来るの? その人」
「今は翻訳機能がしっかりしてるから、通常のコミュニケーションは可能だ。それより……」
研一はその「J」からのメッセージを見つめていた。
J。
その響きを皮切りに、研一の脳裏には鮮やかな記憶たちが押し寄せた。昔の様々な思い出、懐かしい出来事が、次々と過っては去っていった。
Jとは数年前、まだオルタナが試行段階の頃、よくみかけた人物だった。
活動拠点がフィンランドということだけは、メールアドレスの最後が「.fin」で終わっていることから推測が出来たが、それ以外の情報はお互い立ち入らないのが礼儀だった。
見た事も無い、どこの馬の骨かも分からないお互い同士、色々裏情報を交換しあったり、様々なオルタナのイベントの極秘情報をハッキングし合っては密かに教え合ったり、まるで戦友のような間柄だった。
しかし、ここ一年以上は連絡はおろか、その存在すら忘れかけていた人物だった。
その人物が何故この空間へメールを送ってきたのだろうか。
「研一。これどういうこと? 『ナイトメア』って。何か覚えある?」
「あぁ、少しは」
ナイトメア。
この言葉と「J」を結びつけるのは、当時「J」が執筆していた小説しか覚えが無い。
今のような完全なオルタナの仮想現実が出来上がる前にも関わらず、「J」は今当たり前のように起こっている様々なことを既に小説の世界で書いていた。
「ナイトメアは、小説だ」
「小説? どんな?」
「舞台はこのオルタナのような仮想現実の世界。一人の女性がとある人物の陰謀によって仮想現実の病院に隔離されるんだ」
「ふーん、なんか今の私たちに少し似てるね」
「あぁ、そしてそのラストは……」
「ラストは?」
そのラストがいまいち思い出せない。
主人公の女性はどうやってその病院から抜け出したのか。
どんな秘策を用いたのだろうか?
そして、ひょっとしたらその方法がこのクラッシュから抜け出すヒントになるのかもしれない。
研一は必死で今ある頭の中から、その記憶を絞り出そうとしていた。
「ねえ研一君。まず女性はどうやって隔離されたの?」
「実際は隔離というより、病院にいただけだ。ただ病室にいて、縛られたり、繋がれたりはしていない。しかし、病院から抜け出そうとするとどこからともなく病院スタッフのプログラムがやってきて、最初の病室へ引き戻されてしまうんだ。それを何度やってもやっぱり結果は同じ。次第に絶望し始めた女性は追い詰められ、ついに自殺を考える。後一歩で、その女性を嵌めた犯人の思惑通りに行くかと思われた。しかし……」
「しかし?」
「……」
あと少し、あと少しで思い出せそうなんだが……
手の届きそうなところで、研一の記憶はその姿を隠してしまう。
何度も何度も病院の屋上の金網を乗り越えようとしては、連れ戻される主人公の女性。彼女は一体どんなブレイクスルーを用いてその病院から抜け出したのか。
「私だったらさ、きっとそのスタッフのプログラム、ぶっこわしちゃうな。どうせ相手はさ、機械のプログラムなんでしょ? 人間の気持ちなんて分からないで、決められたことしかしないんだから」
そう言いながら、雪はシャドウボクシングのように何者かを睨んでパンチをした。
研一はその様子をただぼーっと眺めながら、何かひっかかるものを感じつつあった。
……ぶっこわしちゃう、決められたことしかしないんだから……
「あ!」
とつぜん研一は声を上げた。
「どうしたの? 思い出した?」
そのわずかにつながろうとしていたパズルはゆっくりと形を作り始め、ぼんやりとその全形を作り出そうとしていた。
「雪の言った通りだ。ありがとう、思い出したよ」
その一筋の光を辿って、今、研一と雪は次の段階へと踏み出そうとしていたのだった。
15:01:12
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