第17話 束の間の平穏

 数日後、研一はファーストタウンの噴水広場に立っていた。ロケーション番号もIDX4266で間違いないことも確認した。

 ここはオルタナの中でも、最もよく使われる待ち合わせの場所。事前にロケーション番号を設定すれば、他の知り合いとは鉢合わせないよう細工も出来る場所だった。


 約束の14時を前にして、研一はふと事の顛末てんまつを思い出していた。


 雪にオルタナを教えてから数日後、突然研一の元へ知らないアドレスからメールが届いた。メールと言ってもスマホやパソコンではない。一昔前にスマホというデバイスが一頻り世間の人々に浸透し終えたあと、スマホはよりコンパクトに進化を遂げる。小さくなりすぎたそのデバイスはやがてユーザーそれぞれの頭に埋め込まれるようになった。「インサルト」と名付けられたそのデバイスにメールが届くと、デバイス用コンタクトレンズが3Dディスプレイ代わりとなり、メッセージが浮かび上がる仕組みになっている。

 研一はいつも通りに、その知らないアドレスからのメールを開いた。


『明日の14時にファーストタウン、ロケーション番号はIDX4266ね。あの約束覚えてるよね、研一君は明日は暇だって竜也君から聞いたよ。よろしくね〜●●』


 ●●には男子にはよく分からない可愛げな動物のキャラクターが文章の最後にくっついていた。にもかかわらず、大事な差出人の名前が載ってない。一体こんなメールを突然送って来るのは誰だっていうんだ、と考えてみたが思い浮かぶのは一人しかいない。そもそも研一にメールを送ってくる同級生はほぼ皆無なので、自ずと相手は絞られる。

 最初は間違いメールかもしれないと思い、研一はこんなメールを返した。


『相手、間違ってない? 松屋 研一』


 しかし答えはこうだった。


『www Yes! あなたです▲▲』


 また他のバリエーションの▲▲が最後についていた。一体何種類用意してあるのやら。


 ——からかっているのだろうか、それとも何人か集団でやってきて、俺を馬鹿にするのだろうか。まあどちらでもいい、行ってみて気に入らなければすぐログアウトすればいい、そう考えて研一はここに来ることにした。


 もう一度、腕時計に目をやる。

 これで8回目、たった約束の時間を5分過ぎる度に何度腕時計を見直せばよいのだろうか。


「お待たせ〜」


 突然後ろから浴びせられた誰かの言葉に、思わず研一の肩口に電気が走る。急いで振り向くと、そこにあった光景を見て思わず口をぽかんとさせた。

 そこに立っていたのは確かに雪一人、しかし……


「すごいな……その姿」


 雪はヒラヒラのピンクのスカートに、頭には大きなウサギ耳。背中には小悪魔のような黒い羽をつけていた。そして満面の笑みで首をかしげると、スカートの裾を軽くひらいて会釈をした。


「いいでしょ、これ。期間限定のサンプルだから無料ただなんだ」


 そう言って、頭のウサギ耳をぴょこぴょこと動かし、背中の羽もぱたぱたと鳴らせてみる。その姿を見てただただ唖然とする研一。

 オルタナを教えたあの日から、どうやら雪も少しではあるが自分でも色々とできる事が増えてきたようである。

 しばらくすると雪は、今まで明るくにこやかだった表情を一旦止め、まじまじと研一を見つめた。


「研一君、言いづらいけど……」

「なに?」

「オルタナ、すごくシンプルな服装なんだね」


 研一は、白いTシャツに青い短パン。

 全くもって「色」の無い服装だった。


 もちろんオルタナでのいつもの研一はこんな姿ではない。

 『壱』の定番の姿である、上はモスグリーンの着物に下は漆黒の袴。腰には帯刀、といった「袴姿」の格好だった。

 だが、その姿で出歩くには色々面倒なことがあるため、敢えて全てのオルタナ上のオプションを外していたのだが、そんなことを雪が知る由もないし、いちいち説明するのも面倒であったため、研一は「ああ」と言ってその場を流した。


「それにしてもお前のアバター、すごいな。俺には絶対無縁だ」

「何? あばだ、って」


 研一はがっくりと肩を落とした。


「お前、アバターも知らないのか? アバターってのはな、仮想現実コミュニティで使われる『自分の分身となるキャラクター』みたいなもんだ。今俺たちは顔や背格好はそのままの設定、つまりセミアバターなんだけど、着ている服とかは実際の物じゃないだろ? これらもアバターの一種だ。それより……」


 研一の目が鋭く光った。


「それより、気をつけろよ。サンプルって言いながら、なんだかんだで個人情報盗み取ったり、ウイルスを撒き散らかされたりとひどい目に遭う事もあるんだ。特にお前みたいな初心者は狙われやすい。例えば……」


 続けようとした研一は、もう既に雪が話そっちのけで、自分のうさぎ耳を動かすのを楽しんでいるのをみると、話すのをやめた。


 それから雪は一つ大きく手を叩くと、電球に明かりがついたように顔を明るくさせた。

「あっ! それより、研一君。時間大丈夫だよね? 私お母さんに今日ミキの家にお泊まりしてくるって言っちゃったから、いくらでも時間あるんだ!」


 研一は咄嗟に、自分はそんなに暇じゃ無い……とそう言いたかったが、どう考えても暇だった。都合の悪いことにそんなオルタナに没頭する自分を心配する親もない。


「ねえ、この前の約束覚えてるよね? 忘れたなんて言わせないよ……」

「え、いや、約束って言われても……」

「はいはい、いいからいいから!」


 雪は研一の腕を掴むと、ぐいぐいと町の中へ引っ張っていき、そのまま喧噪の中へ消えて行った。

 なされるがままにぐいぐいと引っ張られる研一。そのなんとも言えない不自由感に幸せを感じながらも、頭の中はとある疑問で一杯だった。


 ——これって……俺たち、付き合ってるのか?


 女子とは手を触れるどころか、まともに視線を合わせた事もほとんどない研一にとって、それは重要な命題だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る